1967年に子母沢寛と司馬遼太郎が対談している。
子母沢寛は1968年に死んでいるので最晩年だが、
司馬遼太郎は44才、「燃えよ剣」や「殉死」など、
初期の作品を書いたばかりの頃だ。
司馬遼太郎ははたちくらいに子母沢寛の「新撰組始末記」を読んで、
どうしてもこれは超えられないと思い、子母沢寛に会いに行って教えを請うたという。
両者とも新聞記者から歴史小説家になったのだから似た境遇ではある。
「新撰組始末記」を改めて読むとこれは小説とかそんなものではなくて、大論文だ。
これをおもしろがって読んだ人がいるとは思えない。
ただ学術的、歴史的にはそうとう重要な本であろうとは思う。
司馬遼太郎はしかしそもそもこんな小説を書こうなどと思ったはずはない。
最初からもう少し色気のあるものを書こうと思っていたに違いない。
それに、大正時代には生き証人に取材もできるが司馬遼太郎の時代にはできるはずもない。
ただ謙遜して自分には書けないと言ったのではなかろう。
司馬遼太郎はあまり謙遜するような人でもない。
対談は「幕末よもやま」というタイトルでそんな長いものではなく、
しかも司馬遼太郎が勝手に一方的にしゃべっている感じ。
ときどき子母沢寛も発言している、という程度。
ほとんど新撰組と彰義隊の話で、龍馬の話でもしていてくれると面白かったのだが、
司馬遼太郎が遠慮したのか。
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