「つる」と「りし」

荷田在満が「国歌八論」の中で、額田王の歌

> 秋の野の み草刈り葺き 宿れりし 宇治の宮処の 仮廬し思ほゆ

の「宿れりし」より「宿りつる」にしたほうがよい、等と言っていて、
田安宗武が「国歌八論余言」でいや「宿れりし」のほうがやはり良い、
などと反論している。
私も最近まったく同じことを疑問に思っていた([助動詞「り」の謎](/?p=15183))ので、面白かった。

古今や新古今ならば「宿りつる」とするのが普通だが、
額田王の時代ならば「宿れりし」のほうが自然だったと思う。
連用形接続の「あり」が音便によって生まれた助動詞が「り」であったが、
万葉時代母音がいくつか欠落したせいで「り」は活用がいびつになってしまった。
「り」は遅かれ早かれ淘汰される運命だった。
「つ」や「ぬ」や「たり」や「き」、「けり」のほうが便利なので、
源氏物語ではほとんど使われない。
ときどき古語として、或いは慣用句のなかで「り」が使われた。

「りし」は「てありし」と解釈すべきで、「つる」とは若干違うが、
「宿りつる」でまったく問題ない。
その程度の言葉の置き換えは詠歌には普通にある。
「宿れりし」の方が良いというのはある種万葉かぶれなのであり、
荷田在満の方が普通の感覚なのだと思う。

「つ」「ぬ」「けり」「き」などを適宜使うとどうしても「国文学的」になる。
流麗な源氏物語的な匂いがつく。
それを嫌って文語訳聖書は「り」で押し通したのかもしれない。
「り」を多用するのはかなり違和感がある。
わざと古めかしい、ぎこちない言い方にしている感じである。
或いは漢文訓読調にも聞こえる。
漢文訓読作法は嵯峨天皇くらいまでで確立したからわりと万葉調である。
「すべからく」「おもへらく」「ほっす」など。
だから女の腐ったような(笑)湿った感じにはなりにくい。
おそらくそれを意図的に(無意識に?)狙ったのだと思う。

荷田在満は荷田春満の甥でかつ養子である。
春満は契沖に心酔し、宣長もその系統にある。

春満は徳川吉宗に国学の必要性を説き、
在満は吉宗の子宗武の家庭教師となったが、そりがあわず、
代わりに賀茂真淵を推挙した。
ずっと昔からこういう対立の構図があったのは面白い。

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