臨場

ふと思ったのだが、知り合いが最近小説を書き始めたので、冒頭を少し読ませてもらったのだけど、いきなり「臨場」とか単語出てきて、
なんだろうと焦った。
私などは、オーディオ少年だったから、「臨場感」などという単語でしか知らないのだけど、
ググって見ると最近のテレ朝のドラマに「臨場」というのがあり、なるほどははぁとわかってきた。
その人は、特撮とか警察とか、その辺のテレビドラマが大好きなのだった。
それでそういうふうな小説も書き始めたのだろう。
警察ドラマや警察小説というのは、すごくテーマが絞り込まれた世界で、専門用語などバリバリ出てくる。
それらが理解できることが読者たる前提条件なのだ。
モノを読む前にそのコミュニティに属さなくてはならない。
特撮にしてもそうだ。なんだあの「着ぐるみVFX戦隊もの」としか外の人間は思うだけだが、
中の人たちにとっては、こよなく面白く楽しいものなのだ。
wikipedia の編集競争など見てて、なんでこんなに書き込みがあるかと思うが、それは一定の需要があるからああいう現象が必然的に起きているのだ。

で、「面白いか、続きが読みたいか」と感想を求められたが、私は「名探偵コナン」的な小説は一切読まないので、
そもそも読む気にならない、でも、今はこういうミステリー小説が一番儲かるんじゃないの、などという話をした。
ミステリーが流行るかどうかなど、ほんとうのところは知らないし、また自分が書くこともありえない。

パブーの小説などをざーっと流し読みしていて思うが、みんなそれぞれが、とてつもなく狭くて深いたこつぼに属している。
察するに、現代日本に一般的な意味での小説も作家も、ライターも編集もいない、流通も読者もないのだろう。

普通の小説だなと思うのは素人考えであり、その道のプロが見れば、これは何とか系の話、というのはたちまち分析できてしまう。
どんな人間も自分の生まれ育った空気というものを身にまとっているし、飲んできた水の味を覚えている。
そういう空気とか水とかを無視してそのコミュニティに入り込もうとしても無駄だ。
無駄ではないかもしれないが、新参者扱いされるだけだろう。

一般人をより多く巻き込んでいるというだけの違いで、研究者の世界と大差ないのではないか。
そう考えると、腑に落ちることがいろいろとある。
全然自分の専門でない世界に飛び込んで行き、いきなり独自理論の論文を書いても、その学会では決して受け入れられないだろう。
今の出版業界というのも似たようなものではあるまいか。
たぶん、まず、自分がどの蛸壺に属しているかを把握しないと、またより困難ではあるが、自ら自分の蛸壺を作り出すくらいでないと、
タコの親分にはなれないということだろう。

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