角川新字源を見ると、謹啓と拝啓は同じだと書いてある。
確かに意味はだいたい同じだろうとは思う。
謹啓は謹んで申し上げる、だし、拝啓は拝み申し上げる、だ。
拝啓で始めたら敬具で終わる、というのもある。
敬具と敬白、拝具は同じ、とも書いてある。
謹白とかもある。
で、読史余論を読むとときどき「謹按」ということばが出てくる。
「謹んで按じるに」というのはつまりこれは、主君家宣に呼びかけている言葉である。
ここで「謹按」は「恐れながら私の考えを申し上げますと」というような意味ととれる。
このような言い方は同輩の儒者どうしではしないだろうと思う。
ちなみに「恐れながら申し上げる」の漢語直訳は「恐恐謹言」「恐惶謹言」などだと思われる。
「恐惶謹言」は腰越状に出てくる。義経から頼朝に宛てた手紙である。
もしかすると日本独自の決まりかもしれん。
だが、「拝」や「敬」などは同僚どうしでも使ったのではなかろうか。
実際儒者は出会うと袖の中に手を入れて「揖」というおじぎをする。
なので、儒者が自分の友人もしくは先生に宛てる手紙の書き方として「拝啓」「敬具」という定型ができたのではなかろうか。
しかしながら、「謹賀」とか「謹告」とか「謹白」などと言った言葉は、
自分の主君にしか使わなかったのではなかろうか。
いずれにしろ私が知りたいのは江戸時代の儒官たちの漢語漢文の用法であって、
現代人が正しく使ってようが間違ってようがまるで興味はない。
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