白石詩草

日本古典文学大系に新井白石の詩がのっている。もとは「白石詩草」に収められている。
[早稲田大学](http://archive.wul.waseda.ac.jp/kosho/bunko11/bunko11_a1191/bunko11_a1191.pdf)
でJPEGとPDFが公開されている。
楷書できちんと書いてあるので読むのは容易だが、意味はわかりにくい。

彼が吉原を詠んだらしい詩がある。吉原だろうと思うが確信できない。
「紀使君園中八首」の中の一つ、「芳草原」という詩で、

春入芳原上
青青襯歩鞋
佳人来闘草
応賭鳳凰釵

吉原に春が来る。素足に青々とした草履を履いた美しい女性がきて草合わせで遊ぶ。鳳凰のかんざしを賭けよう。
まあ、そんな意味であって、吉原だろうなと思う。
題の「芳草原」だが、これは、八首の題を三字にそろえるためであり、意味は「芳原」だろうと思う。
「春入芳原上」だが、「春が吉原の上に入る」というのはわかりにくい。「上」は「ほとり」というような意味かもしれん。
「學步鞋」とは「学童のスリッパ」のことらしい。
「歩鞋ヲ襯ス」と朱筆で訓点がついてたので、「歩鞋」という単語があるのだろうと思う。
「青青歩鞋」だが、新しい若草で編んだ草履、という意味だろうか。
だとするといかにも春らしいが。
「紀使君園」というのがよくわからん。朱筆が入っていて「紀」「使君」「園中」と切れる。紀州の使君の庭園か。
「紀使君」という人が詠んだ詩なのか。
あるいは、そういう名前の吉原の店があったのか。

新井白石が吉原で遊んだことがあるとすれば、また彼自身の用例からして「芳洲」が「吉原」を指すと判断できるだろう。
たとえば頼山陽は出島のことを「扇洲」と呼んでいる。「富士山」を「富嶽」と言い換えたり、
「隅田川」を「墨水」と表現したり、江戸時代の漢詩ではこのように、日本名を漢語風に言い換えるのが当たり前だった。

日本古典文学大系では「芳洲」を謝眺や李白などの中国の詩人の用例から「良い香りのする中洲」と訳している。
果たしてそうだろうか。

そもそもこんな楽しげな詩はまったく収められてない。
こむつかしい詩ばかりだ。

思うに江戸時代の文人にとって漢文・漢語というのは中国語そのものであり、
中国の歴史でもあり、実学だったと思う。
だから、学ぶだけの価値があった。
遊びではなかった。
漢文・漢語は、明治に入ってから語学や中国語会話という役目を失い、
戦後もずっとそうだった。
しかし、これから中国語を学ぶ必要性や機会が増えると、
漢文を学ぶ意味も変わってくる。
そして、いったん、たんなる古文古典となってしまった漢文教育を、
一から見直す必要に迫られるだろう。

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