江の島合戦

成氏が鎌倉公方に復帰するときには当然父持氏についた恩顧の家臣らを鎌倉に連れてきたわけだが、
幕府再建の名のもとに、事実上の鎌倉の領主である上杉家宰の長尾や太田は、
その所領の一部を成氏の名のもとに没収されようとした、というのはあり得る話である。
その多くは実際没収されたであろう。
だが、長尾の本貫である鎌倉郡長尾郷までも、成氏の家臣簗田持助にとられようとして、
長尾は反発した。
家宰長尾景仲は主君関東管領上杉憲忠にその取り消しを願い、また簗田持助と多少の揉め事があっただろう。

それで長尾と太田が先に鎌倉公方の御所を襲撃したという記述も見えるが、
襲撃計画が事前に漏れて逃れた、というほうが事実に近く、おそらくは、
成氏が江の島弁天を参詣したときに簗田あたりがそそのかして、鎌倉に戻らず、
場合によっては頼朝のように海路安房にわたって、それから持氏らの本拠であった結城に戻り、再起をはかりましょう、
くらいのことは言ったかもしれない。

つまりは成氏は幕府再建がうまくいかなそうだから、鎌倉を出て、江の島から房総方面へ逃げようとした。
あるいはいったん江の島を陣として、鎌倉を実効支配しようとしたのではないか。
いきなり長尾太田が鎌倉御所を襲うというのは信じられない。
また江の島合戦という呼称自体が、成氏が江の島を陣としたことによるのであり、
江の島で実際の戦闘があったわけではない。
鎌倉御所で戦闘があったわけでもない。
由比ヶ浜、七里ヶ浜、腰越浦で多少の小競り合いがあって、
しばらく成氏も鎌倉には戻れず、
憲忠も戻れず、
太田は伊勢原の糟屋館に避難し、
太田資清の主君上杉持朝は厚木七沢に避難した。
憲忠も七沢にいたらしいから、長尾も七沢にいたのであろう。
憲忠の父憲実は伊豆に隠遁していた。

要するに成氏に対する持朝や長尾や太田の謀叛というよりは、
幕府再建当初のトラブルのようなものであり、ゆえに仲裁が入ることによってなんとか収まったのだろう。

足利氏はふるさと関東を離れて京都にいながらにして、
鎌倉公方と関東管領によって関東を支配しようとした。
鎌倉公方は京都の公方、つまり室町将軍の代わりに関東の守護を支配するはずであり、
京都扶持衆という言葉あるように、室町将軍に直接仕える関東の守護もいた。
将軍に関東管領に任命された上杉氏なども実質的な京都扶持衆といえる。
もし関東管領が鎌倉公方に任命されるのであれば関東の独立性はもっと高まったはずだが、
それを京都が許すはずもない。

足利氏の本貫が北関東の足利であるように、
もともと足利氏は北関東と親和性が強い。
上杉は京都から関東管領を拝命し、五ないし八くらいの守護を束ねたわけだが、
それは京都の代官役を買って出たからである。
鎌倉公方はどんどん土着していって関東武士(一国のみの守護ら)に戴かれるようになる。
それで当初は鎌倉一極であったが、
後には京都派は伊豆腰越公方に、関東派は常陸古河公方に二極化したが、
それはそれで一つの安定解であった。
でまあ後付の理屈のようにもみえるが再び関東を一か所で支配しようとしたときに、
二極の最前線にあたる江戸城を家康が居城に選んだのは必然だといえる。

成氏はすんなり鎌倉に入ることができず、
出たり入ったりしたのが江の島合戦。
結局鎌倉に居着くことができず鎌倉を出て北関東に奔ったのが享徳の乱、ということになる。

南総里見八犬伝でも、持氏の遺臣である里見義実が頼朝のように海路安房に渡った、という記述があるのが興味ぶかい。

ややこしい。

とりあえずまとめておく。

[足利満兼](http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/AshikagaMitsukane.html)
によれば、満兼は義満を討って自分が将軍になろうとした、という。
西国六国の守護大内義弘が乱を起こすと挙兵して上洛をうかがうが、
乱がおさまったので鎌倉に帰っている。
義満はこれに怒り陸奥国伊達政宗に反乱を起こさせるが、
満兼は[上杉禅秀](http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/UesugiZensyuu.html)を大将として派遣して平定する。

満兼が死んだとき(1409)、息子の持氏はまだ満11歳で、元服前だっただろう。
満兼の弟[満隆](http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/AshikagaMitsutaka.html)は不服として自分が鎌倉公方になろうとする。
当然、満兼を嫌っていた京都将軍家の支持があっただろう。
しかし結局満隆は折れて持氏の弟満仲を養子とする(1410)。

持氏と上杉禅秀は不仲で、禅秀は関東管領を辞する。
不服とした理由は家人が持氏に領地を没収されたからとあるが、まあいろいろあったのだろう。
このとき当然禅秀は満隆に接近したであろう。
持氏と満仲も不和だった可能性がある。
こうして、満隆・満仲・禅秀は持氏に謀反を企てるが、
このとき[足利義嗣](http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/AshikagaYoshitsugu.html)、
[足利満直](http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/AshikagaMitsutada.html)
らも同調して時の将軍[義持](http://www7a.biglobe.ne.jp/~echigoya/jin/AshikagaYoshimochi.html)
に対抗しようとしたのかもしれない。
それだけ義持の基盤が脆弱だと思われていたのかもしれない。

禅秀の乱によって持氏は鎌倉を逐われるが、
結局は満隆よりも持氏を支持する家人が多かったのだろう、乱は失敗する。
禅秀は上杉氏宗家である犬懸上杉氏であったが、
以後は山之内上杉氏が関東管領となる。

持氏は義持の次の将軍義教に反発し、山之内上杉氏と対立するが、
結局討たれてしまう。
義教が暗殺され、持氏の子成氏が鎌倉公方に復帰すると、
当然成氏と山之内上杉氏は不仲となる。
成氏と京都将軍家も対立する。
成氏を排除して義教の子政知を鎌倉公方に送り込もうという動きがあり、
成氏は上杉氏の家宰長尾氏と太田氏に鎌倉を逐われる。
いわゆる江の島合戦であるが、
結局、やはり成氏を支持する関東武士団によって成氏は鎌倉に戻る。

思うに持氏が討たれるというのは関東武士団にとっては異常事態なのだが
(その他の場面ではたいてい関東の意向が通っている。鎌倉公方が慕われているというよりは、京都の支配下にはいるのが嫌なのだろう)、
義教が赤松氏に討たれたのも実は関東武士による画策ではなかったか。
関東は西国よりも武士が倍多い。
西国の細川・山名などが京都で政争を繰り広げているようにみえるが、
実は関東の影響というのはそうとう大きかったのではなかろうか。

普通の人は応仁の乱を無意味で無駄な内乱だった、と思っている。
私も日本史をほとんど知らなかったころは漠然とそう思っていた。
関ヶ原とか大坂の陣などは意味のある大事な戦争だと思っていた。
でも今はそんなことはない。
応仁の乱や室町時代について知らなすぎるだけなのだ。
室町時代は一言でいえば守護や将軍家の家督争いが延々と続いた時代なのだ。

足利将軍家

ashikaga

こうして系図にしてみると、
足利将軍家というのは兄弟で横にどんどん分岐していて、
しかも徳川氏のように御三家とか御三卿などの区別もなく、
尊氏の子孫のだれが偉いのかという序列もないように見える。
これではお家騒動が頻発してもおかしくない。
そのお家騒動に乗じて守護らが力をつけていき、足利氏はさらに弱体化していったはずだ。

逆の言い方をすれば徳川氏は足利氏のありさまを見て、
争い事が起きないような相続の規則を定めたのだろう。
徳川氏ではめったに起きてない、同族間の抗争が、足利氏では頻発しているのがわかるのである。

しかしまあ、知れば知るほど室町時代は奥が深いな。
そのうえほとんど世間には知られていない。

ゴッドファーザー追記

今では映画が一つあたるとシリーズ化するのが当たり前のようになっているが、
ゴッドファーザーの頃はそうでもなかったらしく、
続編を作ることにいろんな抵抗があったようだ。
二作目は一作目の前の話と後の話でサンドイッチする形で作られており、
一作目に相当する時期のちょっとした逸話も挿入されている。
もしマーロン・ブランドがヴィト役を引き受けていたらもっとその部分を膨らましただろう。

興行的にはともかくとして、またこの作品が結果として非常に優れているということもおいておいて、
この二作目はおそらく作る必要のないものだった。
少なくとも一作目から必然的連続的に出てくる話ではない。

コッポラはのちに地獄の黙示録を作ったように、
キューバ革命を描きたかったのだろう。
いや話はほんとは逆で、当時同時進行していたベトナム戦争が、
かつてのキューバ革命をコッポラに思い出させたのだろう。
彼の関心はアメリカという国の大義名分というものではなかったか。
あるいはアメリカ人を負かしたベトナム人やキューバ人に興味があったのかもしれない。
マフィアの話を書きたいのでもなかったかもしれない。
コッポラはヴィトやマイケルになんとかして表の世界、
つまり知事や上院議員などの仕事に就かせようとする。
裏社会の話は彼にはどうでも良い気がしていたのではないか。

コッポラにはゴッドファーザーという持ちネタがあったから、
ある意味それに引きずられて、
続編という形で作ることになる。
キューバのバチスタ政権と結んで、
フロリダ州マイアミを拠点して大儲けしていたユダヤ系のマフィアが[マイヤー・ランスキー](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)、彼は[Hyman Roth](http://en.wikipedia.org/wiki/Hyman_Roth)のモデルである。
友人のベンジャミン・シーゲルは同じユダヤ系で[Moe Greene](http://en.wikipedia.org/wiki/Moe_Greene)のモデルである。

コッポラは一作目から二作目へ話を橋渡しするためにモー・グリーンを使った。
一作目でモー・グリーンとロスはヴィトの商売仲間であり、
ヴィトはモーがラスヴェガスでホテルやカジノを経営するための資金を提供し、
その代りできの悪い息子のフレドをモーに預けている。
モーは一作目で死に、ロスは二作目から出てくる。
モーはイタリア系マフィアのナンバーツーでコルレオーネ家に敵対する黒幕の[Emilio Barzini](http://en.wikipedia.org/wiki/Emilio_Barzini)と親しかった。
バルジーニは麻薬に手を出さず、政治家を独占しているヴィトの勢力を切り崩そうとしていた。
それは割と映画の中で丁寧に説明されている。
マイケルは父ヴィトと相談の上でラスヴェガスのモーを圧迫し、ヴィトの死後モーやバルジーニを殺害する。
ロスはハバナでヴィトと商売をした仲であったが、
やはりヴィトの死後、友人モーの件を遺恨に持って、マイケルを殺そうとする。
だがそのモーとロスの関係がいまいち弱い気がするんだよなあ。

上院議員の[Pat Geary](http://en.wikipedia.org/wiki/Pat_Geary)はものすごく緻密に描かれているのに対して、ロスはいまいちとってつけたようだ。
コッポラという人はよほど政治家(政治、戦争、革命etc)に興味があるように思える。

映画と原作

もともとの出典はわからぬが、ウィキペディア「宮崎駿」には、

> この時期、『となりのトトロ』『もののけ姫』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』などの原型となるオリジナル企画を構想しているが実現には至らなかった。宮崎の才能に惚れ込んだ鈴木敏夫は『風の谷のナウシカ』の映画化を目論み、徳間書店の企画会議に諮った。が、「原作のないものは、無理」という理由で却下された。 『コナン』の時より宮崎に注目していた徳間書店の『アニメージュ』誌編集長・尾形英夫は、オリジナル企画実現のため「原作付き」のハクをつけることを考案、『アニメージュ』1982年2月号より『風の谷のナウシカ』の連載が始まり、やがて多くの読者の支持を集めるようになる。

と書かれている。
原作がなければ映画は作れない、という通念が存在しているのかどうか、ということが長いこと気にかかっていた。
だもんだから、「川越素描」の中では、

> 私ね、以前に、加奈子にノベルゲーの台本を書いてみてはどうかって、アドバイスされたことがあったのだけど、そのとき気づいたの。私が書きたいのは台本ではなくて、小説なんだってことが。それもラノベとかじゃあなくて、ばりばりの長編小説で、登場人物が百人くらい出てきて、主人公もどんどん代わっていくようなもの。それで、まず私は原作を小説で書くわ。それを台本に落としていくの。たとえば、黒澤明監督の映画にも、山本周五郎の原作があるようなものよ。私は手加減なしに小説を書くから、それを加奈子か一成に、台本に翻案するのを手伝ってもらいたいのよ。そういう条件で良ければ、引き受けるわ。

> 俺はそれで、全然かまわんよ。オペラの脚色ってのは、つまり、原作をばっさばっさと切り取って、歌劇にできる部分だけを残す作業さ。難しく考えることはない。大丈夫、俺が手伝う。なんとかなるよ。それでいいかい。

などと登場人物に語らせている。
「ナウシカ」は明らかに、原作などなくてもアニメは作れるという反例である(むしろマンガの後半はアニメから派生した外伝のようにも見える)。
宮崎駿はどちらかと言えば原作を無視して勝手に話を作ってしまう人である。
ルパンの仕事をたのまれたからカリオストロを作ったのに過ぎない。
「風たちぬ」なんかもかなりひどい。
宮崎駿は原作不要論者にとっての良い見本だ。

プロデューサーという人は人とコストの計算をする人だから、
アニメーターの宮崎駿という人が、
自分の才能だけを頼りとして、損得も役割分担も考えずに作品を作られては迷惑なのだろう。
たとえて言えばチャイコフスキーのピアノコンチェルト第一番を、
楽団も指揮者も無視して、作曲家の意図も無視して、
ピアニストの独断で即興演奏するみたいなものだわな、宮崎駿の場合。
プロデューサーはモノづくりよりは金儲けを本業とする。
その一線はどうしてもある。そこがクリエイターやディレクターとは違う。

プロデューサーとかディレクターとかクリエイターとかをみんな一人の万能の人間がやったほうが良い作品ができるかといわれれば理想的にはそうだろう。
少なくとも普通のコスト管理された量産型の作品ではなく、
稀に見る天才的な作品の場合には。

ただまあ私は原作はあったほうがよいと思う。
きちんとした原作を書くこと自体そんなに簡単なことはではないし、
書いていて面白いことだ。
ゴッドファーザーを見ていても二時間か三時間の映像作品ですべてを描き切ることは不可能だ、
コッポラという天才をもってしても不可能なのだから。
コッポラは明らかにすべてを映像という媒体で説明することをあきらめている。
ストーリーや人間関係を映像で説明しながら、見ているものにだれが黒幕かを推理させようとした形跡はある。
だが1作目ではヴィトに黒幕はバルジーニであるとネタばらしさせているし、
2作目でもやはりあまり説明もなしにマイケルに黒幕はロスであると語らせている。
ミステリー作品ならこんなふうにあっさりネタばらしはしない。
作品の途中でネタばらしするとしたらそれは普通はひっかけであって本当のオチは作品の最後までひっぱるものだ(ただし、見ている者は、マイケルのその判断が正しいのかどうか、あるいは策略としてそう言っているだけなのか、半信半疑のまましばらくは見させられる)。
1作目はまだ丁寧に映像で話を説明しようとしているのだが、
2作目だと、そうできなくはなかったに違いないのにやってない。
プロットだけはあって映像化されなかった部分がある。
さらに明らかに二つの作品に分けたほうがわかりやすいのに、
二つのストーリーを交錯させてわけをわかりにくくしている。
それがコッポラ独特の演出だというが、それはかいかぶりではないか。
たぶんあまりにもわかりにくい話なのでよけいにわかりにくくしてごまかしたのだろうと思う。

で、普通の人は映画なんてのは映画館で一度しか見ないのであり、
映画を小説のように何度も何度も繰り返して見てストーリーやら演出の意図やらを理解しようとする人はいない。
今ならいても昔はそんな鑑賞の仕方ができなかった。
アカデミー賞に選ばれたのもストーリーが面白いというよりはやはり映像や演出の面白さだろう。
そういう意味では映画は明らかに「総合芸術」ではない。
単なる「映像芸術」だ。
理屈抜きに面白いのが映画ということだが、
映像で語りきれなかった部分はやはり原作が担保しなくてはならない。
そのための原作なのではなかろうか。

思えば和歌も似たようなものかもしれない。
言いたいことはあるが、それを短い定型詩であらわさねばならない。
長い詞書をつけたり定型を外れたり、言わんとすることは言わずただ口調だけ整えたりそれらしい言葉だけ並べたり。
だが良い歌はそういう窮屈な制約の中で言いたいことを言い尽くせているものなのだ。
そこをすっ飛ばしていては意味がないと思う。

> 菜摘としても、原作者の誇りがある。原作や台本をどうアレンジされようが、自分とは関係ない。というより、台本や原作に忠実に脚色・演出することなど不可能だ。それはそれで、勝手にすればよい。原作者が口出しすべきことでもない。原作に対して複数のさまざまな解釈があってよい。

同じ「川越素描」では主人公の菜摘にこんなことも言わせているのだが、
ま、これは一種のあきらめでもある。
原作者はどうせ原作でしか自分のアイデンティティを保てないのだから。
というか作品のつまらなさを原作のせいにされてもこまる。
原作として選ばれるのは名誉ではあるが、
原作は無視してもらってもかまわないからちゃんと面白いもの作れよくらいしか、
期待するところはない。

そういえば、
ゲームやアニメから派生したノベライズという小説もあるわな。
ノベライズはキャラクターグッズみたいなものだからな。
ノベライズは最悪。
売れないライターにはそんな仕事が回ってくるのだろうか。
あるいはクリエイターが箔付けするために小説もどきをゴーストライターに頼んで出すのだろうか。
気持ち悪い。

Frank Pentangeli

[Frank Pentangeli](http://en.wikipedia.org/wiki/Frank_Pentangeli)。
映画の中では明示されていないプロットが明かされている。

フランクの兄ヴィンチェンツォはシチリアから来た。
ヴィンチェンツォもまたシチリアのマフィアである。
ヴィンチェンツォはフランクに、
ファミリーに不利益な証言をすることでペンタンジェリ家の名誉を汚すなと目で訴えた。
マイケルはこうしてヴィンチェンツォを連れてくることによってフランクの考えを変えさせることに成功した。
またフランクがシチリアに残してきた一族はヴィンチェンツォによって守られているが、
もしフランクが一族の名誉を汚したらその庇護もなくなるということを意味したかもしれない。

フランクはもともと公聴会の証人としてFBIに保護されていた(Protective custody)のであるが、
今度は偽証罪のために400年間、つまり死ぬまで刑務所に入ることになった。
トムはフランクに面会して、
コルレオーネ一家がフランクの家族の生活を保障する代わりに自殺してもらいたいということをほのめかす。
つまりはマイケルによって口封じされたことになる。

てことを映画を見ただけでわかるはずがない。

ゴッドファーザー2

面白いんだが、よくまあこんな複雑な話を作ったものだと思う。しかも長い。

少し無理があるなと思うのは、マイケルがネヴァダからマイアミへロスに会いに行き、
その後ニューヨークでフランクに面会したときに、
マイケルを襲撃した黒幕がロスであることに気づいてたということだ。
ネヴァダにいた頃から気づいていたのか。
マイアミで直接ロスにあって直感したのか。
それともフランクの反応を見て最終的に確信にいたったのか。
語られていないことが多いのだが、
いずれにせよ、
あれだけのヒントでどうしてロスが黒幕と断定できるのか。
そこにかなり無理を感じる。

ロスのモデルは[マイヤー・ランスキー](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC)というユダヤ系ロシア人であろう。
革命前のキューバでのしあがったマフィア。
カストロが親米政権を倒すとラスヴェガスの賭博に目をつける。
晩年イスラエル国籍を得ようとするが拒否される。
映画の中の設定と同じだ。

ラスヴェガスのカジノ産業を創始したモー・グリーンというマフィアのモデルは
[ベンジャミン・シーゲル](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%99%E3%83%B3%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB)
という人らしい。
モー・グリーンは一作目のゴッドファーザーでコルレオーネ一家の敵役として登場しているのだが、
ロスはモー・グリーンと同じユダヤ系マフィアであって、
それゆえにラスヴェガスに進出してこようとしているマイケルを敵視しているらしいのだが、
これも本作だけを見ている限りではよくわからない。

でまあ、これらの実在したユダヤ系のマフィアと、イタリア系のマフィアが、
ラスヴェガスのカジノの利権を巡って対立したという抗争はあったのだろうし、
それがストーリーの下敷きになっているのだが、
それをあの映画を見ただけでわかれというのはちと難しい。

最初、マイケルの息子のアンソニーの初聖体式を祝うパーティーが開かれていて、
その場にネヴァダ州選出の上院議員パット・ギーリーという人が出てくる。
ギーリーはマイケルにカジノを認可する代わりに賄賂を要求するが、
マイケルは拒絶。
ギーリーはイタリア系移民を嫌う生粋のアメリカ人(アングロ・サクソン?)として描かれている。
次にロスの手下ジョニー・オラと会って、ロスの協力を得る。
次にフランクとあって、ニューヨークでロスの一派のロサト兄弟と和解するよう告げる。
その夜にマイケルはマシンガンで襲撃されるのだが、
この時点で黒幕は、ギーリーなのか、ロスなのか、フランクなのか、
それとも他に誰かいるのかわからない。

ギーリーは後にマイケルの兄フレドが経営する風俗店で女の死体と一緒に寝ていたところを発見されるのが、
理由は語られないが、おそらくコルレオーネ一家にはめられたということだろう。
以後弱みを握られたギーリーは公聴会に召喚されたマイケルを擁護する立場を演じる。

フランクは公聴会に証人で呼ばれるのだが、
彼はマイケルに殺されかけたと疑っており、
マフィアのボスとしてのマイケルの実像を公聴会で話すはずだったが、
フランクの兄が急遽イタリアからかけつけてきて、
それを見たフランクは一転してマイケルの容疑を否認する。
ここがまたよくわからない。
兄がマイケルと一緒にいたからマイケルを恐れたのか。
或いはマイケルに対する信用を回復したのか。
フランクはなぜFBIによってずっと拘留されているのか。
なぜフランクは、ロスが殺されると同時に自殺しなくてはならなかったのか。
ここらへんもきちんとは説明されていない。

その上、マイケルの父ヴィトーの前半生も同時に描かれているので、
ややこしいことこの上ない。

判断力批判

カントの「判断力批判」によれば、言語芸術は雄弁術と詩(文芸)に分かれ、
雄弁術とは悟性の仕事を構想力の自由な戯れであるかのように進める芸術、
詩とは構想力の自由な戯れを悟性の仕事であるかのように進める芸術、なのだそうだ。
わかるようなわからんような。

つまり弁論とは理性を感情に訴えること、
詩は感情を理性に訴えること、ということか。

しかしまあ、ドイツ人は詩をすごく大事にするよな。
そしてある意味弁論術をすごく過大に評価しているともいえる。
カントは詩人でも政治家でもなかったはずだが。
中国も昔は科挙は詩と八股文だったのにな。
詩で学力や文章力を見るのは悪くないが、客観評価にはむかないから、
官吏登用試験には不向きかもしれんね。
詩にしろ歴史にしろ試験にしてしまうとあっという間に訓詁学になってしまう。

埃吹く街

近藤芳美。
先入観を捨て、まじめに読んでみると良いものもある。

> 夕ぐれは 埃の如く 立つ霧に 駅より駅に 歩む労務者

> つらなりて あかり灯れる 陸橋を 歩める中に 義足踏む音

> 列つくる 地下食堂の かたはらに 扉ひらきて 映画がうつる

> 冷えびえと 設計室の かげり来て 靴より出づる 釘ひとり打つ

> 夜おそく 設計室に 来し妻と 床の電熱器 ともしてあたる

> 又何か 仕事もくろむ 弟の おそく帰りて 二階に上る

> つつましく 米残す妻 つきつめし 餓は吾らに 来じとぞ思ふ

> 生きて行くは 楽しと歌ひ 去りながら 幕下りたれば 湧く涙かも

> 手洗場に 入りたる妻を 待てる時 遊歩路の灯の 一つづつ消ゆ

> 耳のうら 接吻すれば 匂ひたる 少女なりしより 過ぎし十年

これらは秀歌と言って良いだろう。

> 鉄を截る 匂ひなまなまと 立つ夕べ 心疲れて 運河に出でぬ

惜しい。
上の句がよく、下の句の続き方も悪くないが、どうしても中折れな、羅列した感じ。
他にも

> 朝鮮に 産を失ひ 帰り来し 父と住み合ふ 冬を越すべく

> 意地きなき 老いし通訳 きらはれて 一人現場を よぎりて帰る

> 赤さびし 工作機械に やすりかけて 幾人もあらず 少年工のほか

> 赤きコート 又着る事も あらざりき 吾らに長き 戦ひのとき

> 枯草の 夕日に立てり 子を産まぬ 体の線の 何かさびしく

> さむざむと 白粉の浮く ほほをして 芝原を行き 帰らむとする

> 月青き 石だたみの上に 一人酔ふ ポケットに買ひし 栗こぼれつつ

> 上野駅の 夜の半ばごろ 浮浪児らは 踊る少女を かこみ集る

> みじめなる 思ひ重ねし はてにして 今かぎり無く 日本を愛す

> 興るべき 新しさとは 何ならむ なべて貧しく 生きしぬぐ日に

> 二人とも 傷つき易し 子が欲しと 言ひし事より 小さきいさかひ

> 舌を刺す 鰯を分けて 喰ふ夕餉 妻にたぬしき 事もなからむ

> 眼鏡割り 帰り来りし 弟は 部屋すみにして 早く寝むとす

> 一日を 炬燵に伏して 居し父の いたはる母に 声をあららぐ

> 諍ひし あとを互ひに 寝る家族 小さき地震を 弟は言ふ

> 仮面つけし 如き思ひに つとめつつ つく溜息を 人は聞きとむ

これらも捨てがたい。
全体に、乱調で数ばかり多い印象だが、中に光るものが混じる感じ。
それら雑多な歌は単なる散文の詞書きとして読めばよいのだろう。
ただのイデオロギーとか、そういう理屈や観念的なものではない、
日常の空気を歌という形で切り取ることができた、
目の前の実景を写し取ることができた人だ。
それはアートに属することであり、
新聞歌壇など見ていればわかるがそういうことができる人は滅多にいない。
良くも悪くも彼の存在は否定できない感じ。
少なくともこの処女作に関しては。

戦前、割とまともな古典文法と作歌法を学んだのではないか。
文語文として見て破綻が少ない(無いとは言ってない。むしろ大いにある)。人工的な感じが少ない。
30代なかば、働き盛りの、戦後まもなくの歌。
戦後、周囲に同調したり流されたりして、或いは捨てたりして、
いろんな雑多なものが混じり合っている。
たぶんもっとむちゃくちゃな労働歌を詠む連中が周りにいただろう。
戦前の伝統的な和歌を詠む連中もいたのだろう。
彼の立場が理解できぬでもない。
彼は単に自分の信じるままに良い歌を詠み続ければそれでよかったはずだ。
ただ名声や地位が上がるにつれて才能は枯渇し、
立場上駄作を濫造することになり、
周囲に惑わされ流されてしまった人ではないかと思えて仕方が無い。
戦後教育を受けた彼のシンパらはまともに文語文など習わなかっただろうし、
エスペラント運動などの影響で、勝手な新語を造るのが新しい時代だとして、
無闇に現代語と万葉語をキメラにしたような、変な言葉遣いを流行らしたとしても不思議では無い。

尚未

孫文の遺言だが、中文版ウィキペディアには、

> 現在革命尚未成功。凡我同志,务须依照余所著《建国方略》、《建国大纲》、《三民主义》及《第一次全国代表大会宣言》,继续努力,以求贯徹革命尚未成功、同志仍須努力

とあって日本語版には

> なお現在、革命は、未だ成功していない──。わが同志は、余の著した『建国方略』『建国大綱』『三民主義』および第一次全国代表大会宣言によって、引き続き努力し、その目的の貫徹に向け、誠心誠意努めていかねばならない。

とある。
ここで違和感があるのは「尚未」である。
「尚」「猶」は「未」と同時には使わないんじゃないかと思っていたのだが、
どうも口語では使うらしい。
口語で使うというより二字に続けた方が話し言葉としては分かりよいので、
それが慣例になったのかもしれない。

「未」には否定の意味があるが、「猶」「尚」には肯定の意味があるからだ。
「未」はいわゆる再読文字で「未だに・・・無い」だが、
「尚」は「いまでもなお」「いまも」の意味だからだ。
つまり「未」に「尚」をわざわざ付ける必要がない。
古典的漢文法ではきっと必ずそうではないか。

「尚猶」「猶尚」と書くこともあるらしい。

和文では「いまだ花咲けり」と普通に言うが、
「いまだ」に「未」を当てるのは不適当だ。
「なほ花咲けり」のほうが誤解がすくない。
例:

> 今朝来鳴き いまだ旅なる ほととぎす 花たちばなに 宿は借らなむ

> 鴬の 鳴けどもいまだ 降る雪に 杉の葉白き 逢坂の山

> やまもとの 木陰は夜と ながむれど 尾上はいまだ 夕暮れの色

いずれも「いまだ」を「なほ」と変えても意味は通る。
一つ目は古今の読人不知、
二つ目は新古今の後鳥羽院、
三つ目は玉葉の式部卿親王だが、
それぞれ時代を表していて良い歌だなあ。