照射

最近、北から渡ってくる鴨は放射性物質が怖いからと鹿狩りをするようになった人がいるのだが、
和歌では鹿は「ともし(照射)」ということをして採ることになっている。
五月闇(夏至くらいの夜中)に松明を焚いて、鹿の目が光るので狙い撃ちにしたのだというのだが、
今はそんな狩りの仕方はしないという。
だいたい夜は猟をしてはいけないという。
人間と鹿を間違えて撃ってはまずいからだそうだ。

しかたたぬ はやまのすそに ともしして いくよかひなき よをあかすらむ

鹿狩りに「ともし」をしたというのはこれが初出か。金葉集。
鹿はもっと山奥に行かなくてはいないのに、という意味か。

西宮左大臣の家の屏風に
順源

ほととぎす松につけてやともしする人も山べによをあかすらん

拾遺集。ほととぎすというからにはやはり五月。
屏風歌だから実景ではない。
鹿は稲作の害獣だから、駆除を兼ねて五月頃に捕るのだろうか。
それ以外、なぜ五月にとるのか理由がわからん。
別に冬でも良いはずだ。
夏はヒルが出たりして必ずしも狩猟に適した季節ではない。

宇治拾遺物語というからもう鎌倉時代だが、
[第七話 龍門の聖、鹿にかわらんとする](http://homepage3.nifty.com/batann9/ujisyuui007.htm)
という話がある。
鹿の目の間隔や色が違うので人間ではないかと疑うというから、
昔から鹿と間違って人間を射殺すということはよくあったのではなかろうか。

相武

226事件のあと市ヶ谷の陸軍士官学校が相模原に移転して、
それから後に相模の国の武鎮という意味で、相武となったか、
或いはWikipediaにあるように相武(武を相(み)る)台という地名が作られたのかと思っていたが、
相模はもともとサガム(佐賀牟)と訓み、相武国造という呼称があったことからみると、
単なる造語ではなくて相当に古い由来のある名だということがわかる。

ベアトが撮った有名な[厚木宿の写真](http://lib.ouj.ac.jp/koshashin/atsugi.html)
があるわけだが、厚木宿は大山街道(矢倉沢往還)の宿場町であるから、
世田谷や溝の口、長津田のように、その街道筋は東西か、もしくは北東から南西方向に走っているものだとばかり思っていた。
しかるに、ベアトの写真は街道を北から南にみて撮ったものであるという。
今の厚木花火大会をやってる川原が渡し場で、そこから南へほぼ一直線に、
東町から田村へ向かう道が旧街道。
なるほど駅から離れている割には古そうな店や商店街がならんでいる。
渡し場のすぐ近くの交差点に創業が明和6年という酒屋がある。
[角天 内山酒店](https://www.google.co.jp/maps/preview#!data=!1m8!1m3!1d3!2d139.368931!3d35.445884!2m2!1f63.91!2f97.62!4f75!2m9!1e1!2m4!1si4nlfrhiZQV21CJBabpuQQ!2e0!9m1!6z55yM6YGTNjAx5Y-357ea!5m2!1si4nlfrhiZQV21CJBabpuQQ!2e0&fid=5)。
1769年だから相当古い。江戸中期。
おそらくベアトは[この辺り](https://www.google.co.jp/maps/preview#!data=!1m8!1m3!1d3!2d139.368931!3d35.445884!2m2!1f163.79!2f92.27!4f75!2m9!1e1!2m4!1si4nlfrhiZQV21CJBabpuQQ!2e0!9m1!6z55yM6YGTNjAx5Y-357ea!5m2!1si4nlfrhiZQV21CJBabpuQQ!2e0&fid=5)から撮影したはずだ。

j:com の smart tv box がなにげにすごい

[J:Com Smart TV Box](http://smart.jcom.co.jp/)だが、
去年の暮れくらいに出てきた非常に新しいもののようだ。
HDD内臓ブルーレイチューナーにしようかと思っていたが、
容量が500GBしかない。
HDD外付けさせてよと思っていたらこれが出たわけである。
今時のテレビは外付けHDDに予約録画ができる。非常に便利である。
テレビをリアルタイムで見るなんてのはもはやばかげている。
録画して見逃したところを何度も再生して確かめられるし。

だけど、J:Com の古いチューナーだと地デジはパススルーで、
BS や CATV を録画しようとするとなんと外付けのHDDレコーダーにアナログでしか録画できない。
もちろん予約録画もできない。
J:Com やばい、解約しよう、と思っても仕方ない。
かつ古いチューナーのインターフェイスのもっさり感といったらない。

だが最近J:Comもそんな悪くないと思い直していたのだが、
このSmart TV Boxちゃんと来たら。
地デジもBSもCATVも録画できて、タブレットで操作できて、
外付けHDDもつなげて、
WiFiルーターにもなって、そのうえauのスマホで操作することもできる。
すげえよすごすぎる。
21世紀って感じがする。
一ヶ月1万円くらいかかるのだが、
今のインターネットと固定電話も全部解約してJ:Comに統一すればそれほど大きな増額にはならん。
なにしろあなた、CMの入らない映画番組を録画し放題なんですよ。
すごくないですか。
多少金はかかっても元はとれそうな気がしてきた。

フレッシュネスバーガー

近所のフレッシュネスバーガーが完全禁煙になっていて驚いた。
マクドナルドはかなり昔に完全禁煙になったが、
日本のモスとかフレッシュネスなどは動きが鈍い。
近所のモスは分煙されているものの、
喫煙室が入り口側にあり、
かつドアが手動できちんと閉めてないから煙草臭い。
これでも世間的には分煙をうたえるのだ。

ヴェローチェ(シャノワール)やドトールなどもいまだに分煙はぬるい。
スターバックスやタリーズなどの海外から進出してきたとこと、
昔からの日本の系列店は温度差がある。

フレッシュネスバーガーはビールも飲めるので、
一番禁煙にはなりにくいのではないかと思っていた。
酒が飲めて禁煙という選択肢は私にとっては大歓迎だが、
ほとんど見たことがない(吉野家もその数少ない例の一つ。ロイヤルホストもか)。
そういう嗜好の客や経営者は少なからずいるはずなのだが、世間一般がまだ許さない。
フレッシュネスバーガーはすばらしいなと思ってウィキペディアで調べてみると、

> フレッシュネスバーガーは禁煙席は皆無もしくは極少である。禁煙化が進む中で、「SMOKING OK!」という喫煙を歓迎する趣旨の張り紙を堂々と出している点がこのチェーンの姿勢を表している。しかし、最近では受動喫煙を心配する客の要望に応えるため、一部禁煙席を設置する方向にある。

などと書かれていて、
はてでは近所の店はたまたま禁煙にしてあるのだろうか、
競合店がたくさんあるからあえてテストケースとして禁煙にしてみているのだろうか、
などと思うのである。

モスは古くから田舎にも進出してきてて、私も小学生の頃から食べていた。
マクドナルドやロッテリアより先にモスに出会った。
モスは嫌いじゃないのだがいつまでも煙くて困る。
ニュースでは十年以内に禁煙にする、などと言っているのだが。

ところで私は「受動喫煙を心配」などしていない。
たぶん私の健康にとって受動喫煙はほとんど影響ないと思う。
ただ道を歩いてたり、飯をくったり酒を飲んでいるときにけむいのがいやなのだ。

硬直人事

某新聞系列の某テレビで、子供向けに、どうでもいいようなことを、「ネットで調べよう」
とか言ってて、そんなことは辞書引いて調べさせるだろ、普通、とか思って、
しかもネットで調べるというのが某新聞のサイト見て調べろってことらしくって、
普通ネットで調べるって言えば google だろ、とか思った。
新聞もテレビも完全に現実から遊離してしまったようだ。

今ドイツ語を一生懸命訳しているが、紙の辞書も捨てたもんじゃない。
子供は紙の辞書をある程度使いこなすべきだ。
語学には不完全な機械翻訳より紙の辞書のほうが、自分の頭を使う分良いと思うし、
紙の本にいろいろメモを書き込んだりするのも有効に思える。
だが紙媒体ではどうにもならないときには google に頼る。
誰が新聞のサイトなど見るだろうか?

全然話は変わるが、昔フジテレビが俺たちひょうきん族を始めたころはまだ八時だよ全員集合の全盛期で、
長岡鉄男がFMファンとかそういうやつで(時代だな)、
全員集合よりひょうきん族のほうがおもしろいとかエッセイ書いてて、
それでひょうきん族を見るようになった。
漫才ブームが来る直前くらいだったと思う。
全員集合も子供には俗悪な番組で定評だったが、ひょうきん族はさらに輪をかけて俗悪だった。
あの頃はNHKのお堅さと民放の俗悪さの対比が際立っていたが、
今はNHKも芸人ばかり使って民放と差が少ないし、
民放は俗悪さが足りない。やにすましてる。

タモリにしろタケシにしろ、最初出てきたころは若くて俗悪だったのだが、
今のフジテレビは完全に守りに回っているとしか言いようがない。
フジテレビは二度と若くて粗野な新人を抜擢するようなことはしないだろう。
今ならTokyo MXテレビが代わりにその役を演じている。
ある意味、視聴率が低いくらいの方がいろいろ実験ができて良いのだろう。
視聴者とかスポンサーがまとわりついてくると自由がきかない。
小説家と読者の関係にも似ているかもしれない。
KDPなんかは個人制作の典型のように思うが、実は、
ある程度売ろうとするにはまったくそうはいってられない。
実際カスタマーレビューなんかつくと結構影響される。
ツイッターでリツイートされたりするとけっこうびくっとする。
書くこととは読まれることなんだな、ということが、少なくともKDPでは実感できる。

組織が思考停止を始めるとまず硬直するのは人事だろう。
長期的に人事をいじるということもなく、
短期的にはなおさら、急な異動があったらできるだけ前任者と同じような人を同じポストに据えようとする。
今のままが良いという人と、
改革しようという人がいて、
どちらが勝つかといえば、
敢えて組織内で波風を立てまいとして、
現状維持派が勝つ。
そして、事態はより深刻化することが多い。
悪くならないのは単にたまたま追い風が吹いているだけで、
長期的には決して良くはない。

日中戦争が泥沼化して大東亜戦争に発展したのもやはり、
中国から撤退するのはいまさら不可能だという考えに固執したためであり、
これも陸軍という組織の論理であった。
戦後の国鉄や郵便局を見ればわかる。
郵便局や国鉄ばかりでなく日本の戦後の会社組織なんかもだいたいは同じであり、
今私たちの周りにある組織も、或いは実際自分が属している組織も大差がない。

また話は飛ぶが日本のゲーム産業も過去の成功体験に縛られて、
なかなか現実を見ようとしない。
それを言えば日本のオタク文化だってガラパゴスだし(一部で受けているようだが)、
どうも私の場合は、
組織の中で働きたいという欲求がないわけではないと思うのだが、
あまりに窮屈すぎて、
一人でできること、たとえば小説、などに自己実現を逃避してしまう。
もともと作家指向があるのかもしれないとも思うし、
その気は確かにあるが、
むしろ日本社会の閉鎖性の方に問題があるんじゃないか。
と社会のせいにしてみる。

戦犯

A級戦犯の分祀ということは、絶対やってはならない。
日本人が自ら極東裁判は正当な裁判であり、A級戦犯が存在していたことを認めることになるからだ。
それこそアメリカの思う壺だ。

例えば東条英機は戦犯ではない。
たまたま太平洋戦争開戦時に首相であっただけで、
彼より無能な首相はいくらでもいる。
無能な首相であるというだけで戦犯にはなりえない。
戦後の首相もほとんど全員戦犯ということになってしまう。
軍人としても普通なくらいだろう。

どちらかと言えば近衛文麿のほうがアホだが、
しかし、同じ理由でアホだからという理由で戦犯にはなりえない。
同じ理由でつい最近売国的首相がいたが、彼を戦犯とか国賊とか国家反逆罪で裁くことはできない。

さらにA級戦犯という用語自体が極東裁判でたまたま使われたものであり、
いまさらそれを日本人が再定義して、彼はほんとうのA級戦犯ではなかった、
あいつこそがほんとうのA級戦犯だ、などといった詮議をすることじたいが噴飯ものである。
例えば、東条英機は靖国に残して、松岡洋右は分祀しろとか。
ようするに、日本人としては、極東裁判は無効だし、A級戦犯などいないというしかない。
一方で我々は、いったんA級とかB級だのの判断を捨てて、
だれのせいで戦争になりだれのせいで負けたのかということを、日本人としてきちんと調べる必要がある。
A級戦犯とか戦犯分祀というのはその重要な作業の妨げにしかならない。

むろん軍法会議にかけられるような犯罪を犯したものはいただろうが、
連合国としてはそういうつもりでニュルンベルク裁判や東京裁判をやったわけではなく、
特に東京裁判のほうは、完全なとばっちりなわけだ。
ところが東条英機は日本のヒトラーだとかいうステレオタイプを信じて安心してしまう人が多い。

戦争に勝ったから英雄で負けたからヒトラーだといっているのと何も変わらない。
清盛が悪役で頼朝が英雄だというのと何も違わない。

靖国神社をどうしたらいいかというのは、何もしないのが一番良いとしかいいようがない。
そのうち脊髄反射で発狂する世代はみんな死んでしまうから、そのままスルーすればいい。

靖国

まあ、やはり根回しはあったと思う。
アメリカ在日大使館からの政府見解発表、早すぎる。
日米で確認済みの文言だろうと思う。
立場上このくらいはいわせてもらいますよ、ええしかたありませんね、くらいな。

ほんとに怒ってれば国務長官か、オバマ自身が発言するだろう。

タイミングもまあ、辺野古がどうのこうの。

日本から仕掛けることはまあないし、
中国が先制攻撃するはずもない(ベトナムやウィグルやチベットやモンゴルならともかく)。
結局中国と韓国とマスコミがぎゃあぎゃあ騒いで何も変わりない、というシナリオだと思う。
これで、安倍政権の支持率が落ちるようなら、
まあ、日本人は安倍ちゃんをサポートする覚悟がまだできてなかった、
時期尚早だったということだろう。
首相が靖国参拝しても何も変わらないという実績を積んでいくための一手だったといってよい。

アメリカは日本と台湾にはだいたいこういうコメントをする。
アメリカは関係ないと言えば中国が野心を抱くし、
アメリカが助けてあげるといえば、台湾や日本が増長する、と思っている。
だからかなり曖昧な表現をする。
ただアメリカは極東裁判の主催者だから、日本にナチスのようなA級戦犯がいるという、
既定事実を否定したくないから、ああいう言い方になるのだろう。

いずれにしてもアメリカは軍事同盟とは何かということを日本人よりずっとよく知ってるから、
もし日本と中国がドンパチ始めたらほとんど自動的に日本の側につくしかない。
台湾危機のとき、そうしたように。
ただしその責任があるからこそきちんと口は出してくるわけだ。

結局、捕鯨も靖国も国内問題なわけよ。
国論が分裂していると外国が干渉してくる。
世論が一枚岩で毅然としてれば問題ない。小野田さんのときみたいに。
つか、外国が干渉してくる足場として国論を分裂させようとするわけだがね。
南スーダンの件もそうだが、現場の人たち、ふつうの国民というのは、
だいたい日本、中国、韓国でそんなに考え方に大きな違いはないのではないか。
マスコミや政府レベルで大騒ぎして、それに右往左往する一部の知識人(笑)がいるだけで。

飲酒と無呼吸と心不全

酒を飲むといろいろ問題がある、金が減る、記憶が飛ぶ、翌日体調が悪い、などもそうなのだが、
どうも寝ているとき息が止まっているらしい。
無呼吸症候群というのは高山病と同じで心不全の原因になる。
心不全は不整脈の原因となる。

もしかすると、私の病気というのは、やはりもとは酒を飲むことに起因しているのかもしれない。
夜中寝ているときに無呼吸になると心臓は一生懸命酸素を送ろうとして負担がかかる。
心臓に負担をかけると心肥大となる。
心肥大から心不全となり心房細動や心室細動となる。

親類に明確な心臓病の人はいないからやはり遺伝というよりは、酒が原因なのかもしれない。

今は、心臓を休ませる薬と不整脈を抑える薬を飲んでいる。
無呼吸で心臓に負担がかかろうとすると、心臓を休ませる薬が抑えてくれているが、
どこかに無理をしているから不整脈がでやすいのだが、
それも薬で無理矢理抑えている、という状態なのではなかろうか。

つまりは酒を飲まなければいいんじゃないか。

深酒による無呼吸症と不整脈で寝ている間にぽっくり死ぬ人は多そうだ。
老人なら老衰でぽっくり死んだことになるが、まだ中年くらいで死ぬと急性心不全とかってなるかな。
ま、ともかく、酒は飲むとしてもごく少量にすべきだな。

いやー、風間やんわりも酒で死んだしな。彼の場合は肝臓がやられたわけだが。
私も酒を飲みすぎるとまず肝臓にくるかと思っていたが私の場合、心臓に来たというわけだ。

カスタマーレビュー

最近キンドルで本を出すには自分も読んでカスタマーレビューを書いてみるべきだと思い、
いくらか書いているが(主にキンドル本。もちろん自分の書いたものには書かない)、
私の書いたレビューで不評なのは、女性向けの料理本とかで、どんだけ相性悪いのかと思う。
自分の本に書かれるレビューもその傾向にある。
まあ、読者の期待を(悪い意味で)裏切る話を書く傾向にあるのである程度は仕方ないとも言えるのだが、
そんな書き方したら本は売れないだろうな。

後は、なんてのかな。学者が(業績稼ぎのために)書いてるっぽい本を商業的にも売れるようにしようと、
タイトルだとか体裁だとかその他もろもろを編集者とか出版社がいじってて違和感のある本が、
特に最近の新書とかに多いのだが。
こういうのはみんなでどんどんつついたほうがよいのではなかろうか?
著者の取り巻きのよいしょレビューが多いのも良い気持ちではない。
赤の他人ならそんな親切な(著者に都合の良い)書評は書かないと思う。
出版業界も最近はせちがらくなってきたから著者と出版社の不協和音も余計に目立つのかもしれん。
或いは、ネット時代、個人電子出版の時代だからそういうものがろこつに、あらわになってきただけかもしれん。
これまでの出版業界の実態がどんどんさらけだされるだろう。

だがそれを声高にののしっても仕方がないことで、我々がやってみせなきゃならないのは、
個人出版でもそれなりにおもしろいものが書けるという実例を示すことだ。

ちなみに私の本には今のところ知り合いが書いたとおぼしきレビューは一つも無い。
そもそも私が最近小説もどきを書いていることは知っているかもしれんが、
私の筆名を知っている知人はあまりなく、知っていて読んでる人はさらに少ないし、
レビュー書こうかと言われても断っている。
そういう方針で本を書いているのだから仕方ない。
そのためにわざわざ kdp で書いているんだから、としか言いようがない。

往々にして名著というものは、人と違う体験をして人と違うおもしろい話を書ける人がいて、
かたや常識的で脚色や文字校正がうまい編集者がいて、
その組み合わせてでできるものだろう。
実際には大した話を書くこともできない作家がいて、
おもしろくない話をどうにかこうにかだまして売る出版社があるだけなのだろう。

キンドルのおすすめとかもいろいろいじってみたが最近飽きてきた。
ネット書店としてのアマゾンは、今も変化しつつあるわけだが、
こういう実験をしてくれる書店が日本にほとんどない状態ではアマゾン一択にならざるを得んよな。

中には高度な詳しいレビューを書く人がいて、
いったいどんな人なのだろうと興味ぶかい。

ゲーテ

ゲーテの名前はヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテなので、
姓は von Goethe なんじゃないかと思い、英語版やドイツ語版のウィキペディアを見てみると、みんな単に Goethe としか書いてない。

ではゴッホはと見てみると英語版、オランダ語版ともに Van Gogh である。

サンテグジュペリを見てみると、フランス語版では、どちらかよくわからん。
というのは、姓の「ド・サンテグジュペリ」なのか所有格の「サンテグジュペリの」なのかいまいち判然としない。
箱根に星の王子様ミュージアムというのがあるが、
フランス語で Musee du Petit Prince de Saint-Exupery a Hakone
であるが、de de Saint-Exupery とは常識的には言わないだろうと思う。
英語版では単に Saint-Exupery となっている。

フォン・ブラウンとは言うが、フォン・ブラウン運動とは言わない(両者は別人だが)。
TombRaider に出てくるのは Von Croy 教授。

よくわからない。
たぶん西洋でも適当なんだろう。
日本の慣用と西洋の慣用もときどき食い違うようだ。