硬直人事

某新聞系列の某テレビで、子供向けに、どうでもいいようなことを、「ネットで調べよう」
とか言ってて、そんなことは辞書引いて調べさせるだろ、普通、とか思って、
しかもネットで調べるというのが某新聞のサイト見て調べろってことらしくって、
普通ネットで調べるって言えば google だろ、とか思った。
新聞もテレビも完全に現実から遊離してしまったようだ。

今ドイツ語を一生懸命訳しているが、紙の辞書も捨てたもんじゃない。
子供は紙の辞書をある程度使いこなすべきだ。
語学には不完全な機械翻訳より紙の辞書のほうが、自分の頭を使う分良いと思うし、
紙の本にいろいろメモを書き込んだりするのも有効に思える。
だが紙媒体ではどうにもならないときには google に頼る。
誰が新聞のサイトなど見るだろうか?

全然話は変わるが、昔フジテレビが俺たちひょうきん族を始めたころはまだ八時だよ全員集合の全盛期で、
長岡鉄男がFMファンとかそういうやつで(時代だな)、
全員集合よりひょうきん族のほうがおもしろいとかエッセイ書いてて、
それでひょうきん族を見るようになった。
漫才ブームが来る直前くらいだったと思う。
全員集合も子供には俗悪な番組で定評だったが、ひょうきん族はさらに輪をかけて俗悪だった。
あの頃はNHKのお堅さと民放の俗悪さの対比が際立っていたが、
今はNHKも芸人ばかり使って民放と差が少ないし、
民放は俗悪さが足りない。やにすましてる。

タモリにしろタケシにしろ、最初出てきたころは若くて俗悪だったのだが、
今のフジテレビは完全に守りに回っているとしか言いようがない。
フジテレビは二度と若くて粗野な新人を抜擢するようなことはしないだろう。
今ならTokyo MXテレビが代わりにその役を演じている。
ある意味、視聴率が低いくらいの方がいろいろ実験ができて良いのだろう。
視聴者とかスポンサーがまとわりついてくると自由がきかない。
小説家と読者の関係にも似ているかもしれない。
KDPなんかは個人制作の典型のように思うが、実は、
ある程度売ろうとするにはまったくそうはいってられない。
実際カスタマーレビューなんかつくと結構影響される。
ツイッターでリツイートされたりするとけっこうびくっとする。
書くこととは読まれることなんだな、ということが、少なくともKDPでは実感できる。

組織が思考停止を始めるとまず硬直するのは人事だろう。
長期的に人事をいじるということもなく、
短期的にはなおさら、急な異動があったらできるだけ前任者と同じような人を同じポストに据えようとする。
今のままが良いという人と、
改革しようという人がいて、
どちらが勝つかといえば、
敢えて組織内で波風を立てまいとして、
現状維持派が勝つ。
そして、事態はより深刻化することが多い。
悪くならないのは単にたまたま追い風が吹いているだけで、
長期的には決して良くはない。

日中戦争が泥沼化して大東亜戦争に発展したのもやはり、
中国から撤退するのはいまさら不可能だという考えに固執したためであり、
これも陸軍という組織の論理であった。
戦後の国鉄や郵便局を見ればわかる。
郵便局や国鉄ばかりでなく日本の戦後の会社組織なんかもだいたいは同じであり、
今私たちの周りにある組織も、或いは実際自分が属している組織も大差がない。

また話は飛ぶが日本のゲーム産業も過去の成功体験に縛られて、
なかなか現実を見ようとしない。
それを言えば日本のオタク文化だってガラパゴスだし(一部で受けているようだが)、
どうも私の場合は、
組織の中で働きたいという欲求がないわけではないと思うのだが、
あまりに窮屈すぎて、
一人でできること、たとえば小説、などに自己実現を逃避してしまう。
もともと作家指向があるのかもしれないとも思うし、
その気は確かにあるが、
むしろ日本社会の閉鎖性の方に問題があるんじゃないか。
と社会のせいにしてみる。

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