かげ

> 駒とめて 袖うち払ふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ

なのだが、久保田淳「藤原定家全歌集」によれば、
「かげ」を「ものかげ」と解釈したのは世阿弥であるという。
つまり、室町時代にはすでに、
馬を駐めて袖の雪を払って宿る物陰もない、
というように解釈されていた、ということなのである。

「かげ」を万葉集で検索してみると、一番多いのはどうも、おもかげ。
他には、あさかげ、ゆふかげ、つきかげ、くさかげ、みづかげ、いはかげ、やまかげ、まつかげ、しまかげ、
などなど。

> たちばなの 影ふむ道の

明らかに橘の木に日が差してその日の当たらない「像」、つまり影が道の上に映っていて、
その道の上を踏んでいる。
であるから、「かげ」というのは光が差してできる明るい「像」や暗い「影」を言うのである。
おもかげというのも、現実に目の前に見る人の顔や姿ではなく、
記憶の中に浮かぶ像を言う。
或いは鏡に映った像を言う。

雨や雪や風が当たらない、それらを避けることができる物陰、という意味である可能性は低いと思う。
「かげもなし」が「宿るべき家並みのすがたも見えない」の意味ならばなんとか通じるかもしれないのだが、
それだとかなり表現が遠回しな感じがする。

「かげもなし」の用例は定家が初めてであり、後に宗尊親王の

> つゆおかぬ 袖には月の かげもなし 涙や秋の 色を知るらむ

のように、定家の影響を受けたかなと思われる歌もあるのだが、明らかに「ものかげ」の意味には使ってない。
その後の用例も「おもかげもなし」「みるかげもなし」などであり、ものかげの意味には使われてない。
この時代例えば、「木陰」などという言葉も使われ始めるが、
これとても「木立の姿」と解釈できなくもない。

> 苦しくも 降り来る雨か みわの崎 狭野の渡りに 家もあらなくに

世阿弥は定家の「かげもなし」が、この万葉集の歌を本歌とした本歌取りの手本となる歌であるというのだ。
確かに、これは本歌取りの手本として詠まれた歌であって、
「雨」を「雪」に、
「家」を「かげ」に詠み替えたのだ、と解釈するのが一番しっくりくる。
気持ちが落ち着く。
だが、それで良いのだろうか。
おそらく世阿弥の時代には「かげ」を「ものかげ」と解釈するのが定着していただろう。
だから定説になっただけじゃないのか。

なるほど。「鉢木」という能があるのか。
そのストーリーにしっくりくるように古歌を解釈したという意味ではないのか。

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