ソンドリオ

スイスの古地図を見ていると、
昔と今では少し形が違う。
現在のイタリアのロンバルディア州にあるソンドリオ県というのが、
昔は灰色同盟、つまりスイスのグラウビュンデン州の一部だったので、
当時はソンドリオはスイスのカントンの一つだったわけだ。
ソンドリオというのは町の名でこの一帯は
Adda川の渓谷でValtellina地方ともいう。

宗教改革の後、
グラウビュンデンはプロテスタントとなり、
カトリックのソンドリオはプロテスタントを排斥し、
灰色同盟から独立した。
30年戦争では、主戦場の一つとなったようだ。
ナポレオンが失脚するとオーストリアがロンバルド・ヴェネト王国という衛星国を作るのだが、
そのときにソンドリオはロンバルド・ヴェネト王国の一部になったようだ。
たぶんヴィーン会議によって決まったのだろうと思うが、
あまりにマイナーで検索してもよくわからん。

[この地図](http://en.wikipedia.org/wiki/File:Trois_ligues.png)
の灰色の部分ソンドリオ県にあたる。

イタリア統一戦争でロンバルディアがイタリア領になり、そのまま現在までソンドリオはイタリアに含まれる、ということらしい。
ふー。

小室直樹

「竹村健一の世相を斬る」に小室直樹が出ていたのは1980年代初頭だったはずで、
『ソビエト帝国の崩壊』が出版されたのが1980年8月5日、それからテレビに出始めたとして、
1983年1月27日以後は問題を起こしてテレビには出られなくなった。
1980年は私が中学三年生の頃であり、いくらなんでもまだ当時は小室直樹を知らなかったはずだが、
高一から高三まで、つまり思想的に一番影響を受けやすいころに、
私は小室直樹からもろに影響を受けたことになる。
彼の特異なキャラクターについては、
ウィキペディア[小室直樹](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9)にも、
[ymo1967氏](http://d.hatena.ne.jp/ymo1967/20090913/1252818380)
の話にもあるとおり。

今読み返してみると、
やはり小室直樹という人はとても変な人だ。
当時とは違って、活字を読んでいるだけで、本人に直接面とむかってまくしたてられている気分になる。
天才肌の人だったのは間違いない。
非常に面白いことを書いている。
しかし誤りも多いし、どうでもいいことをくだくだ書いている部分もある。
私が彼の編集担当だったらさぞ困ったと思う。

今主に読んでいるのは『天皇おそるべし』というネスコ(文藝春秋系列?)から出た新書
(当時の新書はカッパブックスみたいに少し厚めだった)だけど、

> 天照皇大神の神格、および彼女と天皇の関係の組織神学 (systematic theology)

がどうのこうの(p.30)などといきなり述べており、当時、鴨川つばめなどもこっちの方にのめり込んでいったようだが、
平田篤胤的、三島由紀夫的な神道に、かなり影響されていたのは確かだと思う。

明治維新は慶応四年に、明治天皇が勅令によって、崇徳上皇に讃岐から京都にお帰り願ったことから始まる、という思想は、確かにあったと思うが、
決してメジャーとは言えないし、本質的問題ではないと思う。
保元の乱で後白河天皇が義朝に父為義を斬らせたことによって天皇は倫理的に破綻し日本は戦乱の世となった、
と、北畠親房も言い、小室直樹も主張する。

義朝と為義の関係をそんなに重く考えたことがなかったので、少しとまどう。
そういえば最近のセンター試験の古文で保元の乱が出たときも、義朝と為義の愁嘆場が出題されたのだが、
もともと日本ではこの源氏父子の悲劇というものが、ついでに崇徳院の悲劇というものが、よほど大きな意義を持っていたのだろうか。
崇徳院・魔王説というのはもちろん今もあるのだが、どちらかといえば伝記小説的な部類だろう。

そういうところは別に私はどうとでも良いのである。
世界を見れば王族や武士が親子で殺し合うことは普通であり(これこそ小室直樹の受け売りであり、彼にはそういう著書もある)、
それだけで倫理が破綻するとか、王権が崩壊するとか、
権威が失われるとか、そんなことはあり得ないはず。
むしろ王族というものは、そうした戦乱によってより庶民から超越した権威をまとっていくのだと思う。

保元の乱もそんな怨霊とか祟りとかは抜きにごく普通の歴史的事件として解釈できると思うのだが、
小室直樹には違うらしい。

[小室直樹氏逝去の報](http://d.hatena.ne.jp/ymo1967/20100912/1284263311)
のコメントに、

> 彼の著書は安心して読める。

とあるが、私も昔はそういう読み方をしていたが、
今は、嘘も本当もまぜこぜにぶちまけた、気を抜けない著作だと思って読んでいる。
そういうふうに読んだ方がずっと面白い。新鮮だ。

頼山陽だって『日本外史』の中でときどき今の目で見ると間違ったことを書いている。
史実と違うことを書いている。
そういうものは現代人として補って読めばよい。
小室直樹もまたそうだ。
古典というのはそうしたもので、古くなったり時代遅れになったりはしない。

エウメネス

『エウメネス』は5月5日から無料キャンペーンするつもりだったけど、
いろいろ加筆してレビューが終わるかどうか心配なので、
『巨鐘を撞く者』を先に今日から無料キャンペーンにすることにした。
『エウメネスは』10日にしました。

『エウメネス』はkdpで出してから割といろんなことがわかってきたのと、もともと分量がすこし貧弱だったんで、
大筋は同じなんだけど、もすこし肉付けしてみたくなった。
で、20130504版以前のものを購入した方は、アマゾンに頼んで版を更新してもらうか、
無料キャンペーンのときに、一度削除して買い直して欲しいのです。
もともとは50枚くらいのすきっと読める短編のつもりで書いたのだが、
今は100枚くらい?の少しじっくり読む感じのものになったような。

どこが変わったかというと、
四つの章立てを作った。

ガンダーラとゲドロシアの間に、ヒュドラテオス河畔の戦い、というものを追加した。
この話は、もともとラオクスナカの台詞であったのを独立分離させた。
アレクサンドロス大王東征記なのに戦闘シーンの記述が一つもないのはサービス不足かなというのもある(だがいわゆる戦闘シーンというようなほどのものではない)。

ラオクスナカの台詞が増えた。

アパマはスピタメネーの妹だということにしていたが、スピタメネーの娘に戻した。
一応史料にはアパマはスピタメネーの娘ということになっており、できるだけ史実に合わせることにした。
なぜそんなことをしたかというとラオクスナカがスピタメネーの許嫁という設定になっていたので、
スピタメネーが既婚ですでに娘までいると都合が悪いからだ。
スピタメネーは妻に殺されたことになっているのだが、それを元の話では親族に殺された、とぼかしていた。
それももとに戻した。

その代わり、しかたないので、
スピタメネーの息子でアパマの弟として、新たにアリヤブルドゥナという登場人物を加えて、
彼がラオクスナカの許嫁だということにした。

アリヤブルドゥナという名は、Ariobarzanes、Ariyabrdhna, Ariyaubrdhna、Ariobarzan、Ario Barzan、Aryo Barzan
などと綴る人名であり、高貴なるアーリア人とでも言う意味だろうと思う。
要するにペルシャ人の名前で適当にマイナーな名前を見繕ったものである。
スピタメネーに息子がいてもおかしくないが、名前はやはりスピタメネーであった可能性が高いのだが、
それだと話がもうこんがらがって仕方ないので、別の名にした。
史実には見えないから虚構だが、いても全然おかしくないし、
ラオクスナカにもともと許嫁がいても全然おかしくない。

後書き代わりにスーサ合同結婚式というのを最後に付け足した。
アマストリナのこともいろいろついでに調べたのだが、彼女はけっこう数奇な人生を送った人だな。
調べれば調べるほど、この時代、夫殺しや妻殺し、兄殺しや父殺しというのは、王族の間では日常茶飯であったことがわかる。
臣下が君主を殺してとってかわるとかもう普通。
ペルシャ王家だってマケドニア王家だってそうなわけだし。
中国の古代史もそうだわな。
たぶんインド古代史も似たようなものだろう。
まあ、そういうのを題材に取るのもおもしろいのだろう。

とまあそんなわけなので、この機会に是非お読み下さい。

『巨鐘を撞く者』の方も無料キャンペーンは初めてなんで是非ご覧下さい。
パブーの頃とはだいぶ変わってますので。

kindle

すごい長編の古典がkindleで99円で売ってたら、買っても良いと思う。

昔、与謝野晶子訳の源氏物語を紙の本で買ったら電話帳のように厚かった。
こういうのをkindleで持ち運んで空き時間に読めるのは助かる。

千夜一夜物語とかも欲しい。

今昔物語も全部載ってるやつなら欲しい。

それより何より21代勅撰和歌集全部とかがすごく欲しい。
もしそういうものを出してくれるなら1000円でも安い。

kindle

1月頃からkindleで本を売り始めていろいろと一喜一憂したわけだが、
kindle持っている人というのはアマゾンのわりと能動的かつ積極的な顧客なわけで、
そういうお金を払う態勢が整っている人たちがいるからそれなりに売れた。
しかしそういう人というのは日本人全体から見ればごく僅かで、
今はまだ普通に紙の本買って読んでる人のほうが圧倒的に多い。
じょじょにシフトしてくるにしても数年かかる。
で、そういう人の中で私の書くようなものが好きな人というのはさらに少ない。
分母が巨大でなくては私の小説は絶対売れない。

無料キャンペーンで見てくれる人の総数は今のところ max 300人くらいだと思う。
無料のうちにぽちっておいてあとで読む人たちだろう。
私もだいたいそうだから、わかる。
その中で、100人に1人くらいの割合で有料本も買ってくれる。
今のところそんな感じ。
2度目の無料キャンペーンではやはり勢いがない。
kindleランキングで100位以内に入らないと目立たないからますます伸びない。

今は新刊の無料キャンペーンやるとkindleランキングでそこそこ目立ってそこそこ買ってもらえるわけだが、
これからkindle本も著者も増えてくると、
kindleランキングには見えなくなってしまうだろう。
特定ジャンルの上位にはいけるかもしれんが。
しかしまあそれが本来の姿であって、初期状態、過渡期にたまたま目立ったところで大した意味はない。

今すでにそうだが、単純なランキングの上位を占めるのはアダルトものとか、
自己啓発的なものか、
こうすれば儲かるみたいなものばかりだろう。
そのうち青空文庫もそういうやつに排除されるかもしれん。
そうすると小説を読みたい人は、文芸書だけのランキングを見るようになり、
そこでやっとほんとうのランキングが始まる。
それだけkindle本の読者と著者が増えなきゃならない。

今はただ、kdp で無料キャンペーンやってる無名作家というくくりで読まれているにすぎない。
それは「この商品を買った人はこんな商品も買っています」見れば明らかだ。
今の状況は決して本意ではない。

でまあ、半年に一冊くらいの割合で新刊投入してときどき無料キャンペーンやって目立って、
こつこつと何年もかけて固定客をつかむしかないと思っている。

[鈴木みそ](http://www.misokichi.com/chinge/2013/05/kindle-1.html)
の事例はたぶん紙の本とkindle本の相乗効果でこのくらい売れた、ということなのだと思う。

喰いしん坊!

「極道めし」の方は紙の本で6巻くらいまで買ったが、
そのへんで飽きてやめてしまった。
「喰いしん坊」は要するに大食いの話なのだが、「極道めし」のほうが明らかに脚本がよくできていると思う。
ま、しかしこういう紙の本にはどんだけ経費がかかっているのかしれぬ。
99円は安い。
ブックオフの中古とかならありえるわけだが。

銭ゲバ

なんか500ページくらいあって読んでも読んでも終わらないので驚いた。
前半はスピード感があって面白いが、
後半だんだんだれてくる。
最後の「恋」などはのちのジョージ秋山の連載ものにありがちな人情話になってしまっている。

人を殺し、兄を殺し、妻も子も殺してしまう、
そうなるともうどんなストーリー展開もありになってしまって、
リアリティを失ってしまい、しらけてしまうのだが。

子供の頃リアルタイムで読んでたのは「ゴミムシくん」かな。
1972年連載開始だから、まだ小学生になったばかりくらいだな(笑)。
そのイメージが強い。
「銭ゲバ」のほうが先なんだな。
あの頃はアニメもゲームも大したことなかったから漫画のインパクトはやっぱでかかったなと思う。

「ゴミムシくん」って中古ではものすごい値段ついてるけど、
大して人気はないからkindleで復刊しても元はとれんのだろうな。
難しいもんだなあ。

ハナのずぼら飯

しまった。
ついぽちった。
『だんどりくん』とかはすでに買って読んでるのだが、
カスタマーレビューの否定的なコメントと、
良いと悪いの評価が分かれていたのが面白そうなんで買ってみた。これから読む。

追記:悪くはない。買ってよかった。しかし完全に予想通りの内容だった。
一般女子が買うと裏切られるのだろう。

銀河英雄伝説

これも第一巻だけ無料というパターンか。
どうやってこういうの探せばいいの。

そうか、5月2日までなんだ。

[酒のほそ道](/?p=12248)も定価に戻ってる。
タイミングなんだな。
無料キャンペーンだったってことか。
それにしてはkindleランキングに上がってこないようだが。
不思議だの。

追記: うーん。
帝国ってのは近代のオーストリア帝国みたいなものを漠然と参考にしているようだが、
まあ以下略。

剣菱

小説に書いてしまうとどうでもいいことまでくよくよと気になるものであり、
フィクションなんだから、頼山陽は通説どおりに大酒飲みという書き方をしても別に誰も怒るまい。
今更、山陽は下戸でしたという設定にしては一から書き直さなくてはならないからしないが、
どうも調べれば調べるほど頼山陽はさほど酒好きではなかったように思われる。
幕末のころに暴れた頼三樹三郎が酒豪であったので、父の山陽にそのイメージが投映されているのかもしれん。
ならそれはそれで面白いことだと思う。

岩波文庫『頼山陽詩抄』にも酒を飲む詩は出てこない。
李白やオマル・ハイヤームみたいにのべつに酒を飲んでいるのではない。

頼山陽が剣菱を飲んだのはほぼ間違いないと思うが、
それ以外の銘柄や酒造についてはよくわからん。
個人が所有している書簡に書いてあるとか、
頼家に伝わる史料にあるとか、
頼山陽全集に書いてあるなどと言われると不勉強な私はご免なさいというしかないのだが、
剣菱などの酒の銘柄を詩に詠んで広告塔になった、などということは、
絶対無いとは言い切れないが、あんまり考えにくい。
そういうことはいかにも三樹三郎あたりがやりそうなことで、
それとごっちゃになっているのではなかろうか。

剣菱は伊丹の酒か灘の酒かということについても諸説あるが、
剣菱は江戸初期から将軍家の御用酒、御膳酒であって、
下り酒の最たるものであった。
頼山陽が広報しなくてもすでに十分に有名な酒であったろう。

となると、伊丹の他の酒造に先駆けて回漕に便利なように灘に工場を作ったと考えるのが自然。
本家は伊丹にありながら工場は灘にあった、
それが大正時代に本社ごと灘に移った、
という辺りが真相なんじゃないかと思うが、
ググっただけではそこまでわからん。
江戸の人間が剣菱は灘の酒だと思っても全然不思議ではない。

ていうかまあ小説を書き直すまでの間違いではないような気がする。