堀切菖蒲園

東京スカイツリーに行く機会があったのだが、
私はあんなものに何時間も並んで登る趣味はないので、
近場の堀切菖蒲園というところの菖蒲祭りを見に行くことにした。

堀切というところに菖蒲があったのは浮世絵にも描かれているので事実らしい。
しかし、菖蒲園なるものが成立したのは江戸末期であり、
それが流行したのは明治に入ってからだという。
堀切菖蒲園自体は地図の上で確認して予想したとおりに、非常に狭苦しいところであった。
江戸時代から続いているというのでなければほとんど何の価値もないだろう。
町田の薬師池公園のほうがもっと広い。
近くには小岩菖蒲園とか水元公園などもっと広いところがいくらでもある。
新宿御苑でも明治神宮でもいいだろう。

とにかく堀切菖蒲園というところは古いだけが取り柄の場所だったのだが、
別に古い遺構があるというわけでもない。

向島百花園というところにも行ったのだが、ここも狭い。
新宿御苑とかあるいは六義園のようなものを期待していくのがいけない。
江戸時代から続く普通の庭園だから、とにかくこぢんまりしている。
悪く言えば、わざわざ遠方からでかける必要はない、と思う。

だいたい東京というところは、特に民間のものは、
古い古いと言っても嘉永とか慶応とか、よくて天保くらいのものばかりで、
古いものはたいてい焼けたか朽ちて残ってないのだろうと思う。
堀切菖蒲園は農民が、向島百花園は商人が作ったものらしいが、そういう江戸庶民の金持ちの庭園というのは、
たかだかこんなものだったのだろうと思って眺めると良いのだろうと思うよ。

ここらはとにかくアクセスが悪い。

堀切という駅があるがあんなひどい駅はあまりあるまい。
歩行者のための歩道というものがまるで整備されていない。
この駅周辺だけではない。
隅田川や荒川や柳瀬川ぞいの鐘ヶ淵とか、どこもかしこもだ。
こんなことは京都の鴨川なんかでは決してありえない。
私はもう墨田区というものに絶望した。
歩行者にはまったく優しくない地方自治体だと確信した。

葛飾区はものすごい田舎で、
部分的にむちゃくちゃな再開発をしてる墨田区とは対照的に再開発をほとんどしてない。
昔はこういう下町に情緒を感じたものだが、
小さな路地の中まで車が入ってきて、
こんなところでいい気に酔っ払ってて後ろからクラクション鳴らされたらどんだけ逆上するかもしれない、
何をしでかすもしれないと思うと、
もう恐ろしくて怖くてたまらない。

ま、しかし田舎というものはどこでもそんなものだ。
墨田区や葛飾区だからまだ文句の言いようがあるだけで、
名も無い地方自治体に文句をいってたらこっちが馬鹿だ。

鐘ヶ淵というのは調べてみると、
隅田川が差し金のように直角に曲がった淵であったという。
非常に興味深い地名である。
大宮台地の東側から来る川(隅田川、利根川)と西から来る川(入間川、荒川)が合流する地点が鐘ヶ淵であり、
その東岸、鐘ヶ淵から堀切、お花茶屋あたりまではひとつながりの台地であった。
ここを貫くように今は荒川が流れているが、
これがいわゆる大正から昭和初期に開削された荒川放水路。
つまり、堀切というのは昔は荒川で分離していたのではなかった。
地続きだったわけだ。

鐘ヶ淵はつまり荒川と利根川が合流して流れが直角に変わる淵だったのだから、
そりゃまあものすごい船の難所だったろうと思う。

墨田宿というのはその鐘ヶ淵の若干下流に位置していたらしい。
下総と武蔵の間の交通は主にここで行われた。つまり墨田の渡し。
水神の渡しともいう。
今の水神大橋と白鬚橋の中間くらい。
その宿の跡地には隅田川神社というものが建っているが、昔からこんな名前だったはずがない。
水神様、なんて呼ばれていた。
明治に入ってから隅田川神社なんて名になったという。
古地図では、浮島神社と言って、隅田川の中州に建っていたことになってるから、
今の東向島公園の一帯が昔は川底だったか。
浮島社は源頼朝の創建というがまあとってつけた話だろう。たぶんもっと古い。

いずれにせよ房総に逃れ再挙した頼朝もここを渡って鎌倉入りしたらしい。

台東区に石浜神社というのがあり、ここが西岸の渡し場だったと思われる。

マイノリティが毒を吐く

正義感というのは生きる上で何の役にもたたないものであり、
生まれたばかりの幼児にも正義感とか闘争心というものがあり、必ずしも高級な感情ではない。
少なくとも、理性の一種ではなく、動物にもあるものだろう。

試しに子供の母親をいじめる(いじめるふりをするだけでよい)と幼児は怒ってかみつく。
本気でかみつく。
ネコや犬が噛みつくのと何も変わりは無い。
闘争本能とか復讐心というものが教育や社会環境によらず生まれつき身に付いたものである証拠だ。

そこで正義感とか怒りというものをできるだけ抑えて、世の中に無関心無反応になるのが、
自分の精神も汚染しないし、気分良く生きていくコツだと思う。
どうせ世の中というものは変わらないし、自分に変える力もないのだから。

だが、酒を飲むと自制心が弱まって正義感が強まり、つい怒ってしまうことがある。
これが困る。
酒は飲みたいのである。

朝から歩行喫煙者を見ると腹が立つ。
飲食店でも当然のように灰皿がおいてあり煙草を遠慮無く吸うやつがいる。
中には煙草の火を消さずに道に投げ捨てるやつもいる。
犬が吠えてうるさい。
戦闘機がうるさい。
道をよけられないくらい狭い路地で車や自転車に後ろから警笛を鳴らされる。
自転車の運転が乱暴。
ロマンスカーで隣に座ったやつが横柄で越境してくる。
食い物の食い方が汚い、くちゃくちゃうるさい。
歩行者の動線などまったく考慮してない車線設定。
破綻した道路行政。
そういったものに腹を立てなけりゃいいんだが、
こういうものは、(たとえば犬のうるさいのとか車のうるさいのとか)子供のころは平気だったとしても、
次第次第に嫌な経験が蓄積されていくうちにアレルギーのように、
ささいなことでも腹が立つようになる。

一番いいのはまったく新たに作られた、道が広くて車道と歩道が分離していて、
喫煙者がいなくて、犬を屋外で飼うやつがいなくて、戦闘機が飛ばなくて、
住人がともかく礼儀正しい地方自治体というものをなんとか拵えてもらい、
自分もそこの住人になることだろうと思うのだが、まあ実現不可能だ。
田舎にいけばいくほど人間は練れてないから、都心のどこかにひっそり暮らすのが比較的理想に近いかもしれん。

今非実在なんとかとかうるさいんだけど、
昔、1990年に新風営法で、ソープランドとか競馬とかパチンコなんかが事実上野放しになってるのに、
ゲームセンターがなぜか規制対象になったことがあったが、
今回の規制にも似たようなものを感じる。
規制するなとは言わないが、他にもっと先に規制すべきものはいっぱいあるのに、なぜそこを規制するのか。
ゲームセンターが朝まであいてて何が困るのか。
居酒屋だって24時間開いてるところはある。
深夜は未成年者はいれないようにすればいい。
悪徳かどうかを政治が判断しないのが近代社会である。
少なくとも成年したまっとうな納税者がどういう私的生活をしているかに干渉しないのが近代社会である。
いやいやそもそも話は逆で、納税者の契約した社会が近代社会というものであり、
納税者の意思以外に社会を構成する根拠はないのである。

ゲームにパチンコに許されているような換金も許せば良い、パチンコだけ許すのは不公平だ。
ゲームは飛躍的に進化するだろう。
馬鹿がゲームにはまって困窮するかもしれないが、
大の大人がパチンコやギャンブルや宝くじや先物取引やゲームにはまって困るのは自業自得であり、
自分の意思で行動できる一般人を規制するのは間違いである。

もしゲームセンターが規制を受けなければ今ごろビデオゲーム文化はどれくらい発展し、爛熟していたかもしれない。
なぜ規制しなければいけなかったか。
規制しなかったことであり得たかもしれない可能性を、摘んでしまう。
その罪を、百年後千年後の人類にどうやって償うのか。
今までいろんな為政者がそうやって人類に対する罪を犯してきた。
同世代人である私もまたその共犯者なのだろうか。
当然共犯者である。
看過することによって人類に対する罪を犯すのである。
しかし、私はむしろ自分の静かな生活を守りたいし、行動にでたくはない。

人類の脳みそがも少し賢かったら、
アーケードゲーム特区を作りそこではカジノのように金かけてゲームできるようにする、
という実験さえできたのに違いない。
競馬など公営賭博がある。ギャンブル特区を作ろうという話もたびたびでる。
そういうことは絶対やってはならないというわけではない。
しかしいつもつぶされる。

ようは、賭博にしろ風俗にしろ、政治的マジョリティがいるからつぶせないだけであり、
児童ポルノにしてもゲームセンターにしても、その擁護者が政治的にマイノリティだから規制を受けるのであり、
政治的マジョリティが政治的マイノリティを規制するのはいつの時代でも人類に対する罪なのである。
未来永劫償おうとも償えない罪である。

私は児童ポルノがどうのというのにはあまり興味ないのだが、
たとえばコミケに参加するのが60万人弱いて、日本全国にそういう趣味の人がざっと100万人いるとしよう。
日本人の100人に1人くらいいるとしよう。
たぶん私はその中の1人ではない。
コミケに類したイベントには一度も行きたいと思ったことがない。

60万人というのは厚木花火大会と同じ動員数であり大したことはない。
しかし、その60万人だか100万人だかは日本の文化創造のほぼ中核にいるひとたちである。
で、規制をかけると飯が食えなくなって普通のサラリーマンか下手するとアルバイトで飯を食っていかなくてはならなくなる。
同人活動は基本エロで食っている。
社会に順応できず、同人活動を行いつつ、メジャーをめざすものたちにとってエロは死活問題なのだ。
エロを規制するとは、ゲスな親父や変態を規制することとは少し違う。
そういうおっさんたちを規制する方法は他にいくらでもあるんじゃないのか。

どんなつまらないマンガでも小説でもエロを入れれば買い手はつく。
才能の無い人間、メジャーになれてなくて、他に飯を食う手段がない人間はそれにすがりつくしかない。
メジャーな作家でもお色気シーンなどを入れて読者サービスをしなくてはならない。
司馬遼太郎の『燃えよ剣』だって似たようなものだ。
宮城沢昌光だろうと佐藤秀峰だろうと三浦しをんだろうと鈴木みそだろうと畑中純だろうとそうだ。
無難なエロを入れるかお上品なエロを入れるか、露骨なエロを入れるかの違いだ。
それが商売というものだからだ。

で、そのエロが社会に悪影響を与えるというのなら規制の対象になってもしかたないかもしれないが、
同人が身内で楽しんでいるだけならば、規制するのは間違いである。
暴力ゲームも同じ。
暴力ゲームとリアルの暴力の関係が明らかでないならば規制するのは間違いである。

春画は規制されただろう。
山東京伝も為永春水も規制された。
しかし今の時代それらはすべてすぐれた江戸の文化の一部だ。
同じことを現代の為政者として行って、百年後、千年後の人類にどう申し開きをするつもりなのか。
過ちを犯して我々に謝って欲しいのではない。
未来の人類に責任をとってほしい。

時の鐘bot

時の鐘というと川越のが有名だが、昔は浅草寺でもどこでもやっていたはずだ。
今、詳しく調べてないけど、
たとえば四つの鐘というのは実際に四回鐘を叩いていたわけで、
九つだと九回。

九というのは大事な数字だからだというが、
一回、二回、三回は間違って撞いたのかもしれず、
また最初の一回などは聞き逃したりして紛らわしいので、
四回以上九回までということになったのではなかろうか。
鐘というのは実際少なすぎるとわかりにくい。

それでまあ、日の出は卯の刻、日の入りは酉の刻、と決まっているので、
昼を六等分、夜を六等分するという変則的な時刻ができたんだろうけど、
鐘の回数で、明け六つだねとか、暮れ六つだね、などと言い出して、
そっちのほうがわかりやすいんで、自然と「明け六つ」「暮れ六つ」
という呼び名が定着したのだろうと思う。

今の川越の時の鐘は、機械式で、
午前6時・正午・午後3時・午後6時の四回鳴らしているというが、
これはいかにも味気ない。正午は動きようもないのだが、明け六つ、暮れ六つは日の出日の入りに無関係、
午後三時に至っては江戸時代の時刻になんら対応していない。

機械式かどうかってことはあんまり関係ないと思う。
人が撞いた方が情緒があるかもしれんが、
そもそも江戸時代から和時計というものがあったのだから、
現代の技術をもってすれば、昼と夜をそれぞれ六等分して鐘を撞くくらいの仕掛けを作るのは簡単だろう。
そのくらいのことをなぜやらないか。

寺が夕方くらいに梵鐘を撞くけれど、
あれも六回どころでなくずっーと撞いている。
しかも毎日ではないように思われる。
気の向いたときに撞いているのではなかろうか。
入相の鐘、というらしいな。回数決まってないのかな。

でまあ、
[時の鐘bot](https://twitter.com/tokinokane_bot)というものを作ったのだが、
いろいろ考えてみるに、
明治政府が太陰太陽暦を廃止してグレゴリオ暦にした、
その直前までの暦が天保暦というもので、
いま旧暦と言っているのはその天保暦の規則をそのまま延長したものであるらしい。
だが、完全にそのまんまではなく、
天保暦では京都を基準にしたのを今は明石を基準にしている。
明石の日の出日の入りと、京都の日の出日の入りと、東京の日の出日の入りでは当然違ってくる。
緯度でも経度でも変わってくる。
日本で一番正確に天体観測されているのは明石であろう。
ならば、明石を基準にせざるを得ない。

緯度経度が変わると朔が変わる。中国と日本は経度がだいぶちがうんで、朔も違い、
従って春分やら元旦やら月の大小やら、閏月をどこに入れるかも変わってくる。
どこか基準を決めないわけにはいかないが、
日本で一番無難なのは明石であろう。
結局我ら民間人は理科年表かなんかを基準にせざるを得ない。

でまあ、
[旧暦2033年問題](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A7%E6%9A%A62033%E5%B9%B4%E5%95%8F%E9%A1%8C)
というのがあり、
当面botのプログラミングにはなんら問題ないのだが、
20年後くらいにはそろそろ天保暦をそのまんま使い続けていてはまずいってことになる。
閏月をどこに入れるかなんてことは一意ではないから誰かがえいやっと基準を決めちゃえばいいんだが、
それは日本政府なのか民間なのかとかそのへんがややこしいことになる。
でも問題といってもただそれだけなんで、旧暦を使い続ける需要があれば自然と決まるだろう。

旧暦は使ってみると非常に便利なもんで、
特に和歌なんか調べたり自分でも詠んでたりするとどうしても旧暦じゃないと具合が悪い。
五月晴れとか五月雨とか端午の節句とか菖蒲湯とかそのへんの感覚も現代では完全に狂ってしまっている。
その気持ち悪さの解消にはなる。

[増上寺](http://www.youtube.com/watch?v=BpplZ6j8XgU)は朝と夕方の5時に6度撞くらしいね。

でまあ、日記や書簡なんかで昔どんな感じに日付を入れていたかなんだが、
私としては吾妻鏡にそろえたいところなんだけど、
干支日というのは間違えやすいもので、実際吾妻鏡も明らかに何箇所か間違えている。
間違えやすいとはいえ、逆にいえば干支日というのは60日周期できちんと大昔から決まっているものなのだから、
正確な日付を知りやすい。

一方で干支年なんてものは書いても書かなくてもどうでも良い気もするのだが、
年号は一年の途中で改元されたりするから、やっぱり干支年もあったほうが便利だろうというので、
結局両方入れたりした。

また、吾妻鏡には月の大小まで書いてあり、
当時の公家の日記なんかも読んでみたいところだが、そんなことまで必要かなと思いつつ、
入れてみた。
とにかくなんでも入れてみたのでごちゃごちゃしてしまった。

十条

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まあ、私が割と好きな飲み屋街といえば、まずは上野で、それから神田。
有楽町のガード下。

ていうか普通は近所の某町で飲むことが多い。
昔は東武東上線沿線の上福岡や鶴瀬なんかが好きだった。

知り合いに誘われて赤羽と池袋の間にある十条というところに行ってみたのだが、
板橋なんで、雰囲気的には、
大山とか池袋とか上野とか上福岡なんかをブレンドした感じかと思ったが若干違った。
なんかね、六時とか七時からの予約客が異様に多いのよね。
飲んべえがふらりときて飲む街じゃあない。
テレビか、飲食店の情報サイトなんか読んでわざわざ予約してくる客が多いらしい。
駅から徒歩一分の某有名店なんかもう、はいれないよ。
なんでこんなわざわざ混んでる店にくるのかと思うが、
要は、有名で混んでるからわざわざ来るんだな。
あほかと思う。
こういう人気ラーメン屋に行列するような飲み方したくないわ。
なんかへんだなこの街は。

商店街もすごいと聞いたが、それほどたいしたことはない。
こういうところはいたるところにある。
中延、武蔵小山、阿佐ヶ谷・・・。

でもまあ別に悪くもない。
わざわざこの十条という街にきたいかとか、住みたいかと言われれば別にいい。
東京の下町にも、もっと住みたい街はたくさんある。

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「田や」という店はよかった。
特にサバの燻製はめずらしい。

でまあしかしこういう再開発に取り残されたような昭和な店というのは、
こまめに探せばいろんなところにあるのであって、特にありがたがるようなもんじゃないと思うんだが。


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たまたま入った店だったが、
日本酒が割とよかった。
燗酒のとっくりを暖めるために入れる木箱みたいのがあって、珍しい。
どいつもこいつも冷酒ばかりありがたがるこの世の中、
ちゃんと燗につけてもうまい純米酒をわざわざ選んで、
それをちょっと凝った趣向で出してる店というのがよい。

佐賀の酒があったので飲んでみた。
大分とか、福岡とか長崎、熊本の清酒というのもあるんだよ。で、だいたい普通にうまい。
でも、博多までしかでてこない。
こっちにはなかなか流通しない。
だから、東京で九州の酒を置いてる店というのはね、珍しいしね。
そうとう気合い入ってるんだと思う。
九州といえば焼酎とか決めつけるやつが多くて困る。


そういやこないだ中野坂上の「ま心」という店で「桜正宗」というのを飲んだ。
なんとか正宗というのの元祖がこの「桜正宗」なんだそうで。
もともとこれが「正宗」だったのが類似品があまりにもおおくできすぎて仕方なく「桜正宗」という名にしたとか。
創業寛永七年というから江戸初期だわな。
で、「剣菱」みたいな味かとおもったら、もっとまろやかだった。
こういうのを普通の清酒として出してくれる店が良心的でないはずがない。
「モヒカン娘」もおいてあった。
中野界隈で見たのは二軒目。
久しぶりに飲んだらかなり甘かった。
こないだ飲んだのは生酒だったからかな。
そういや「豊盃」も今から思えば甘い酒だった気もする。
明らかに日本酒のわかった人がやってる店だわな。
しかも、居酒屋なのに禁煙なのが頑張ってる。
酔っ払いが煙草吸おうとしても、うちは禁煙なんです、とわざわざ断っている。
なかなかこうはいかないもんだよなあ。えらいなあ。
良い店は探せばちゃんとあるんだよ。

別に飲み歩きブログみたいなものを書きたいんじゃなくて、
文句が言いたかっただけ。
良い店をほめたかっただけ。
良い店を自分で見つけられないくせに飲み歩いてて、楽しいかね。

キンドルの存在意義

でまあ、週末は自宅で新聞のまとめ読みなんかするわけだが、
産経新聞の月曜から金曜まで連載で「私の肖像画」というのがあり、
今週は百田尚樹という小説家だった。

「読者が喜んでくれることが第一」とか書いてあり、
「本っていうのは余暇に楽しんでもらうものです。いろいろな人が、いっしょうけんめい一日働いて、
余った時間に使ってもらうんです。」たしか浅田次郎とかも、
似たようなこと言っていたと思うんだが、
案の定、テレビ関係の仕事もしているようだ。

ていうか、読んで楽しけりゃいいんなら、じゃあ最初からテレビ見ればいいじゃんとか、
ハリウッド映画みればいいじゃんとか思う。
最初からテレビの原作になるみたいなドラマかサスペンス書けばいいじゃん。
ラノベでいいじゃんとか思う。
テレビが好きな人は原作の小説なんて読まなくていいじゃん。
競馬とか野球のテレビ中継とか見てればいいじゃん。
報道番組みながらぐだぐだ文句いってればいいじゃん。

テレビ好きが高じて自分で刑事物のサスペンス小説書き始めた人も知ってる。
自分で戦隊ものの映像作品作っちゃったり。
そういう人はそれでいいかもしれんが、
テレビドラマ見るのが嫌で苦痛だから小説読みたいのに、
世の中にはテレビとおんなじような小説ばっか氾濫しているから仕方なく自分で書くことにしたんじゃん。

それにね、単行本が千五百円とか二千円するってのは、
いまの紙の出版業界で流通にのせることを前提としているよね。
だから、自己満足では許されなくて、業界やマスコミに自分をあわせなきゃいけないんでしょう。
私も読者に喜んでもらえるものを書いているつもりだし、
私が書いたものを喜んでくれる読者がある一定数はいると思うのだが、
今の流通・出版業界では、私の書いたものを私の本が読みたいひとのところへ配布してはくれないのよね。
というか、採算とれないのよね。
だからキンドルで書いているだよね。
キンドルだともしかすると採算とれるかもしれんからね。
少なくとも勝手に出版することはできる。
今の作家の言ってることはようは「採算がとれてるから自己満足じゃない、プロだ」と言ってるだけであり、
それはかなりの部分は今の流通とか出版のせいでもあるよね。
採算さえとれりゃいいんでしょ、となる。

キンドルの無料ランキング見ていると、
やはり、
ずしっとくるものを書いている人は皆無ではないが少なく、
エロか、
ハウツウか、
或いはどこかのテレビドラマでやってるような通俗的なものか、
ようは、普通の流通でやってることの劣化版であり、
わざわざキンドルでやる必然性すらない。
紙媒体を電子媒体に単に移し替えたやつも、
単なる紙媒体の電子的代替にすぎない。
わざわざキンドルでやる必要あるの、といいたい。

『アルプスの少女デーテ』無料キャンペーン開始

やっと開始しました。

ていうか、たぶん、誰かが調べてくれて、ブログで紹介してくれたりとかして、
キンドルのランキングにじわっと反映されたりとかして、
読んでもらえるのだと思うのだが、
こちらから能動的に宣伝する方法ってないものなのかしら。

なんかもう文章いじりすぎて、わけわかんなくなった。
どっかぼーっとしにいかんと。

セルジューク戦記

『セルジューク戦記』をkindleで出そうと思い読み返してみるが、
今読むといかにも粗い。
特にセルジューク皇族の継承戦争の当たりがまったく弱い。

マリク・シャーが死んだとき皇子らはみな幼かった。
ただし、セルジューク朝の勢いが衰えたわけではなく、
誰かが成人するまでの間、継承戦争がおき、また、
十字軍が起きたというだけのことだろうと思う。

マフムード二世は叔父サンジャルの娘を妻にした。
その息子ダーウードはサンジャルの孫だっただろう。
マフムード二世が死ぬと、サンジャルはダーウードを擁立しようとしただろう。
マフムードの(異母)弟のマスードはダーウードに対抗しようとする。
マフムードの(同母)弟のトゥグリルはダーウードのアタベク(教育係)となったと思われる。

つまり、マスード対(ダーウード+トゥグリル+サンジャル)という内戦が起きるが、
これはマスードが成人しており、ダーウードが幼い状況では当然あり得る話だっただろう。
おそらくダーウードはサンジャルを頼ってホラサーンに拠り、
マスードがバグダードにいたのであろうと思う。

ハンニバルが越えた峠

hannibal_pass

ハンニバルがアルプスのどのへんを越えたかというので、
日本語の文献で詳しいのだと塩野七生の『ローマ人の物語』ハンニバル戦記くらいしかないので、
とりあえず読んでみると、
ギリシャ人のボリビウスはピッコロ・サン・ベルナルド峠だと言い、
ローマ人のリヴィウスはモンジネブロ峠だと言い、ナポレオンはリヴィウスに賛同している、などと書いている。

でまあ、ナポレオンのアルプス越えのイメージがあるので、ハンニバルもアルプスの北側から南のロンバルディアに降りてったようなイメージがあるわけだが、
図に書いてみると、アルプスはアルプスなんだが、ずっと西のはじの、フランスとイタリアの国境付近を越えたのはまず間違いない。
グルノーブルまで来たってことがわかっているのなら、
今もよく使われている街道と峠を使って、スーザに降りて、トリノ方面へ向かったと考えるのが自然だと思う。

モンジネブロはイタリア語で Monginevro、
極めて不親切な表記だ。
フランス語で Montgenèvre (モンジュネーヴ)と書いてもらわないと検索できないだろう。
ピッコロ・サン・ベルナルドはまだ検索に引っかかりやすい。
ピッコロはイタリア語で小さいという意味で、
フランス語だとプチ・サン・ベルナールとなり、
これはグラン・サン・ベルナールという別の峠があるからだ。
ナポレオンはこのグラン・サン・ベルナール峠を越えた。
セントバーナード犬の故郷でもある。
プチ・サン・ベルナール、グラン・サン・ベルナールともに、サン・ベルナルディーノ峠とはまったく違う。

でまあおそらくモーリエンヌから、モンスニ(Mont Cenis, Moncenisio)峠、スーザと越えていったのではないかと思うのだが、
そのルートについては『ローマ人の物語』には言及されていない。

1868年にイギリスの鉄道会社がモンスニ峠に世界で初めての登山鉄道、[モンスニ鉄道](http://it.wikipedia.org/wiki/Ferrovia_del_Moncenisio)というのを通したのだが、
これが厳密にはモンスニ峠を越えてない。
わざと迂回させたのかもしれないが、北の方、モンスニ湖の横を通している。
1863年にフェルという人が考案した、真ん中に第三のレールを通す方式。

ナポレオン三世の軍隊もモンスニ峠を越えたと思うのだが、当時のフランス語の新聞でも読まなきゃわかるまい。
やれやれ面倒だ。
1859年のことで、まだモンスニ峠鉄道は通ってない。
乗合馬車みたいなのが通ってたらしい。

なんでイギリスの会社がこんなところに鉄道を通したかだが、
ここに鉄道が通ると、ドーヴァー海峡のカレーから南イタリアのブリンディシまで鉄道が通っていて、そこからエジプトのアレキサンドリアまで船便で、
そこからスエズ運河を通ってインドまで手紙を届けられるのである。
ところが1871年モンスニ峠の近くにフレジュス鉄道トンネルが通るとモンスニ峠鉄道は廃止された。
わずか3年しか使われなかったということだ。

ルッカ

イタリアの古地図は複雑でややこしい。
飛び地がいっぱいあるし、国も頻繁に生まれたり統合されたりする。

トスカーナの歴史もわかりにくい。
カール大帝の時代はトスカーナ辺境伯。
それからフィレンツェ共和国(1115-1532)となり、
途中メディチ家が一時追放されてフィオレンティーナ共和国というものがあったりして、
それからトスカーナ大公国(1569)となる。
メディチ家が絶えるとハプスブルク家のものになる(1737)。

で、マティルデという女性がトスカーナ辺境伯を治めていて彼女が死んだ(1115)あとに、
トスカーナとジェノヴァの間にルッカという共和国が独立した(1160)。
ナポレオンがルッカとピオンビーノをくっつけてルッカ・エ・ピオンビーノ公国というものにしてしまい、
ナポレオンの妹エリザ・ボナパルトとその夫のフェリーチェ・バチョッキに与える。
ナポレオンはトスカーナ大公国を復活させエリザにトスカーナ大公を兼ねさせる。
これによってトスカーナとルッカはふたたび同じ国になった、と言える。
ナポレオンが失脚するとハプスブルク家の大公が復活するが、ルッカが再び独立国になることはなかった、ということらしい。ふー。