印税振り込み

ほんとにアマゾンから銀行に振り込みがあった。
30%アメリカの所得税天引きされてた。
振込手数料はかかってなかった。さすが新生銀行。

4月15日くらいにアメリカにfaxしたから返事が来るのは五月半ばくらいか。

びゅんびゅん売れてはないがときどき1冊ずつくらい売れる。

小説書いて新人賞に応募しだしてだいたい4年くらい。
今後 kindle で 20ないし30冊くらい、いやできればもっとたくさん売って、
それで地味ーに1冊あたり1000部とか売っていければそれでよいのだが、
もちろんそれ以上に売れてくれればうれしい。

今の時代に生まれて、
小説書き始めるのと kdp 始まるのとほとんどシンクロできたのは幸運と言うべきなのだろう。

山紫水明処

先日京都に行ったときに、頼山陽の山紫水明処やら墓所やらを見て回ったのだが、
頼山陽は毎日鴨川から水をくんでそれで茶を点てたり、硯に入れたり、
硯を洗ったりしたのだという。
だが実際に水をくんだのは、おそらく、
「みそそぎ川」、つまり高瀬川上流部分のことだろう。
みそそぎ川は今は丸太町通りより南から地上に出てそれより上流は暗渠になっているが、
頼山陽の時代には山紫水明処を出てすぐの鴨川の河原のそばを流れていたのではなかろうか。
だから、

> 階下浅水流 ・・・ 臨流洗我研

などと言ったのであろう。
鴨川の河原は階下というには広すぎる。
みそそぎ川は当時は上水として飲用されていたと考えられる。
いくらなんでも鴨川から直接水をくんで飲んだりはしないのではなかろうか。
といっても鴨川から分岐するみそそぎ川の取水口は一条通りくらいの堰であるから、
そんなにむちゃくちゃ上流から水を引いているのではない。
しかし、当時は今よりずっと人家も少なかっただろうから、
飲用することもできたのだろう。

鴨川から水をくんで茶を点てる、という言い方はだから間違いとまでは言い切れないが、
少し違う気がする。

みそそぎ川から分流する高瀬川は水運に使われたりして、たぶん上水としての目的には使われてなかっただろう。
誰も直接水をくんで飲もうとはしなかったんじゃなかろうか。

『巨鐘を撞く者』そろそろ出版

『巨鐘を撞く者』はもうじき出版されると思う。
だいぶ改稿した。
後半部分は、長谷川哲也『ナポレオン~獅子の時代~』とか司馬遼太郎『花神』などに影響を受けた、
今から読み返すと恥ずかしい内容だったが、
その辺(つまり戦闘シーンなど)はばっさり斬り捨てて、
『将軍家の仲人』とかそっちの得意な方向でまとめ上げた。
たぶん今のほうがずっと良い。
たぶん、私は、剣豪がとか、くノ一がとか、岡っ引きの捕り物がとか、そういう戦闘シーンを描くのが、嫌い。
嫌いだから未だに描写が下手だとおもう。苦手。
ていうかそういうの書く人はたくさんいる、いわゆるレッドオーシャン、そっちで勝負したくない。
戦争の描写はあるがそういう個別の戦闘はほぼ無く、戦術に関してはそこそこあり、
主に全体の戦略しか書かない。
自分がそっちの方が好きで自然とそっちの描写に凝るからしかたない。

2010年9月30日〆切の某新人賞に『将軍放浪記』とともに投稿したものだから、
自分の書いたものの中ではかなり古い。

結局パブーで公開していた小説はすべて非公開にした。
パブーは何も悪くないが、kindleで出版するたびにレビューが長引いたり著作権照会されるのは面倒。
もうこれ以上勝手にテキストをコピペされることを防止するためには、やむを得ない。

『歌詠みに与ふる物語』『アルプスの少女デーテ』『セルジューク戦記』『スース』『超ヒモ理論』。
ふー。まだkindle化してない旧作がかなりあるな。
まあいいや。並行して新作の構想を練るとする。

ていうかまず、『阿佐ヶ谷バンディッツ』と『帝都春暦』を全然違う話に改作するって作業が。

墨西綺譚

またレビューを書いていただいてありがとうございます。

> とにかく人が入り乱れている。誰かに、フォーカスを当てたままで話を進めると、よりよくなるのではないかと思う。

まあ、「川越素描」の中でも自嘲しているのだが、

> だいたい、こういうものを読む人たちというのは、主人公に感情移入できないとついていけないわけ。で、自分が主人公になりきって、読者が女なら主人公も女で、好きなタイプの男を捕まえる。読者が男なら主人公も男で好きな女をつかまえる。これだけなのよ。それ以上複雑な人間関係を描こうとすると頭が混乱するから、さらっと読めなくなるわけ。でも、あんまりシンプルでもストーリーを展開しにくいから、登場人物を三人にして、三角関係に持っていくのね。キャラを増やしたければ徐々に。RPGみたいに、レベル上げしながら、仲間を増やしていく感じよ。

> だいたい登場人物が多い話ってのは読み切りとか新連載ではあり得ないのよ、特にマンガ。長期連載化して話がマンネリになったから仕方なくキャラ増やして展開させているだけなの。キャラの数にそれ以上の意味なんてありゃしないのよ。『日露戦争物語』みたいに史実だからってどんどんキャラ書いてたらストーリー破綻するわよ。

> 最初に出てきた人物が原則的に主人公で、話の終わりまでずっと生きてなくちゃだめ。主人公だと思ったら途中で死んで別の主人公に切り替わる、とかやっちゃうと暴動が起きるわよ。

「墨西綺譚」は最初に出てきた人が途中で死んじゃう話であり、
登場人物が多くで誰が主役かわからなくて、
感情移入しにくい話なわけですよ。
人に読ませたら「群像劇」ですかとか「バトルロワイヤル」みたいだと言われた。

うーむ。
しかし「墨西綺譚」はもうこういう話なんだからこれでいくしかないんです。

「作者が神の視点で書いてる」
とも言われた。
そうなのよね、歴史書の書き方なのよね、これは。
だから、その反動で一人称の小説なんかも書いたりしたわけだが。

著作者の証明

「巨鐘を撞く者」のレビューがなかなか終わらないのはやはりまたなんか問題あるんじゃないかと思いつつ、
そういえば、大塩平八郎の檄文の現代語訳はだいぶ長い間wikiに掲載していたし、
太平記「吉野城軍事」は今も某wikiに掲載している。
しかもややこしいことには檄文を勝手に全文掲載しているブログまである。
見た感じだと、パブーに公開したほうじゃなくてwikiのをコピーしているね。
なんかウィキペディアの「日本外史」なんかもまるごとコピーしてるねこの人。

そうすると「檄文」と「吉野城軍事」の著作権が私にあることがなんらかの形で証明されないと、
出版できないということになる。
こりゃ困ったね。
どうやって証明しますか。
某wikiの削除記事のログを見せますかね。それで証明できるのかな。

あ、いや、
「吉野城軍事」は「司書夢譚」のほうだった。こっちはすでに審査通ってる。
問題はずいぶん昔に消したはずのwikiを無断転載してるやつがいるってことなわけだが。

削除記事を復元して履歴ごと見てもらうのが一番ですかね。
amazon から google に問い合わせれば初出、
つまり 2007 年くらいの魚拓くらい調べられるんじゃないかな。

おお、[wayback machine](http://archive.org/web/web.php)!
2008年4月15日の版が残ってる。
やったね。
これでちゃんと証拠を示せるぞ。

しかしやばいな。
2000年頃書いた文書がみんな残ってるぞ。
秘密秘密。

しかしまあ、自分の著作物だってことを示すには kdp で出版するのが一番かもしれんね。
きちんと証拠残るわけで。

send to kindle

send to kindle の技をマスターした。
kindle previwer で epub を mobi に変換して、
mobi を send to kindle で自分の kindle paperwhite に送る。
そすると kindle にパーソナルとかって普通の一覧に出るから、
それを読む。

でまあワープロで書いてそれをこれまでは印刷して読んだりしてた。
メディアを替えることによって違う気分で、第三者の気分で校正できるわけで、
これは必要なことですよね、と今更思う。
特に一人で書いて自分で校正するには、重要なことだ。
で、kindle previwer でもいいんだが、 kindle 端末でじっくりゆっくり読んだほうがいい。
ま、この技は kdp 以外でも使える気はするが、
ただ校正するためだけに kindle に転送するのはいかにも面倒だわな。

「司書夢譚」を無料キャンペーンにしようと思ってあらためて読んでみたが、
うーむ。これは難しい。
これ読んで私の書いたものを嫌いになられちゃ困るなってくらい難しい。
特に途中の承久の乱が三種の神器がうんぬんのあたり。
ま、しかし、出す予定。
手法としては『川越素描』に似てる。現代小説と歴史小説が並行する感じのもの。

『超ヒモ理論』のブロックは解除してもらえたようだ。
ほっとした。
たぶん著作権侵害がないかどうかコピペルナーみたいな作業をしてるんだろうと思う。

『巨鐘を撞く者』はまだレビュー中。
いろいろプロセスに時間差があるのね。

閃輝暗点

芥川龍之介[歯車](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/40_15151.html)、
[病中雑記](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/3786_27337.html)。

[閃輝暗点](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%83%E8%BC%9D%E6%9A%97%E7%82%B9)。
ここに書かれてあるように、
脳の中で何らかの痙攣が起きると血流が止まって視覚がおかしくなる。
歯車のような閃光がみえる。
痙攣がおさまると今度は血流が増大して血管が膨張し偏頭痛となる。

> 又古き活動写真を見る如く、黄色き光の断片目の前に現れ、「おや」と思ひしことも度たびあり。

> のみならず僕の視野のうちに妙なものを見つけ出した。妙なものを?――と云ふのは絶えずまはつてゐる半透明の歯車だつた。僕はかう云ふ経験を前にも何度か持ち合せてゐた。歯車は次第に数を殖ふやし、半ば僕の視野を塞ふさいでしまふ、が、それも長いことではない、暫らくの後には消え失うせる代りに今度は頭痛を感じはじめる、――それはいつも同じことだつた。眼科の医者はこの錯覚(?)の為に度々僕に節煙を命じた。しかしかう云ふ歯車は僕の煙草に親まない二十前にも見えないことはなかつた。僕は又はじまつたなと思ひ、左の目の視力をためす為に片手に右の目を塞いで見た。左の目は果して何ともなかつた。しかし右の目の瞼の裏には歯車が幾つもまはつてゐた。僕は右側のビルデイングの次第に消えてしまふのを見ながら、せつせと往来を歩いて行つた。ホテルの玄関へはひつた時には歯車ももう消え失せてゐた。が、頭痛はまだ残つてゐた。

うーん。これのみを見れば、明らかに精神病とか癲癇ではなく、偏頭痛の一種らしいな。

[鵠沼雑記](http://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/2328_13465.html)

[「歯車」の迷宮: 注釈と考察](http://books.google.co.jp/books?id=zdikeV49IaYC&printsec=frontcover&hl=ja#v=onepage&q&f=false)
詳しい。

鎧袖一触

岩波文庫『日本外史』では

> 至如平清盛輩、臣鎧袖一触、皆自倒耳。

> 平清盛輩の如きに至っては、臣の鎧袖一たび触るれば、皆自ら倒れんのみ。

と訓じている。
しかしまあ、
「臣の鎧の袖ひと触れにて」とも訓んでもよかろうし、
そもそも「触るれば」(已然形)であろうか。
古典文法に則れば「触れば」(未然形)ではないか。
あるいは「一触せば」ではないか。

教育勅語の「一旦緩急あれば」の例もある。

あれ、前も同じこと書いた気がする。
そうだ、[有者](/?p=11451)だ。
万葉集にしろ漢文にしろ已然形と未然形の違いが曖昧で困る。

宣長の歌

> 書読めば昔の人はなかりけりみな今もある我が友にして

これは「書読まば」では少し変だ。
「もし本を読んだら」ではなくて「本を読むと」だからだ。
しかし話は戻るが、
「もし一旦緩急事があったら」とか「もし袖が触れたら」という意味に取るのが自然なわけで、
やはり未然形なんじゃなかろうか。

アマゾンレビュー

夏目漱石の『こころ』って、自分も読んだことあって、
でものすごくたくさんの人がレビューを書いていて、
レビューを書かれやすい本と書かれにくい本があると思うんだけど。

いやー、しかし、まあ、名作であることは間違いない、
少なくとも後世に与えた影響の大きさというのが、名作であるか否かってことだしな。
これほど読まれるのは、文豪とか名作のアイコンになっているから、
誰もがレビューしたくなるんだろうなと思う。

つまり、テレビで紹介された有名店みたいな。それをみんながブログに書くみたいな。
そんなノリっすよね。

まあしかしそんな風になりたいもんだ。

自分的に一番好きな夏目漱石の作品は『坑夫』なんだがな。

巨鐘を撞く者

『巨鐘を撞く者』が週明けくらいに出版されると思う。
業務連絡ですが、すぐには買わないでください
(いきなり買う人は今までいなかったらいないとは思うけど)。
一週間ほどちょこちょこ文章直します。
改版前と後を有料でもいいから読み比べたいという奇特な人は、どうぞ買って下さい。

『巨鐘を撞く者』が原題でパブーでは『大塩平八郎』でいったん後半部分を捨てて前半部分だけ公開してました。
後半部分を書き終えて完結しました。
前よりずっと良くなったと思いますよ。
『将軍家の仲人』に雰囲気は似てるかな。
『将軍家の仲人』は江戸前期くらい。
『巨鐘を撞く者』は江戸後期だわね。
読み比べてみてその雰囲気の違いがきちんと出ていれば成功と言える。

出版直後に無料キャンペーンやる人が多いようですが、私はしばらくしてからやると思います。
大塩平八郎のファンはたくさんいるはず。
私は頼山陽のファンなのだが、普通の人はそうではないと思うので、私ほどはこの小説に入れ込まないんだろうなあと思う。
自分としては一番好きな、とっておきのネタで書いた話。

『超ヒモ理論』というのがずっとブロックされていたのは、おそらく、昔「小説家になろう」というサイトにただで公開してたのを忘れてしまっていたからだった。
ずーっと公開しっぱなしだったということだ。
無料公開の本を有料で出版しようとするとアマゾンから問い合わせがある。
しかし今はあんまり読まないメイルアドレスでアマゾンに登録してたもんだから、
見落としていた。
てっきり『超ヒモ理論』というタイトルが紛らわしいからブロックされたのかと思った。
或いは、たまたまバグかなんかなのかなと。
『超ヒモ理論』が今後出版できないのはとても困る。
なんとかアマゾンに許してもらわないと。
『ブラックジャックによろしく』なんかの無料本も事前にこういう問い合わせがあったんだろうね。

『スース』はpixivに公開しっぱなしだった。ついでに消しといた。

パブリックドメインじゃないし、まして他人の著作物でもありません。正真正銘私のです。
『超ヒモ理論』は。
今回は(たぶん)全部消せたけど、
消せなかったらパブリックドメインと同じ扱いになっちゃうんかな。それは困る。

『紫峰軒』にレビューを書いて下さった人がいて、
kindleの新刊、特に無料キャンペーンのものにはほとんど全部書いているようだ。
ええっと。
レビューはどんどん書いてくださって結構です。
歓迎します。
ネタバレはあっていいです。
たぶん、私の小説は、難しいので、いろんな人に解説していただけると助かります。
「甘酸っぱい思い出」ええ。まあ、確かにそれがメインテーマの話かもしれません。
あまり自分では使わない言い回しですけどね・・・。
一応小説として読んでもらえてるんだなあと思うと安心します。

自分で敢えて言うなら「嫌いだけと好きだった僕たちの戦後昭和へのレクイエム」って感じっすかね。

『墨西綺譚』は無料キャンペーン終わったんですが、今までで一番読んでもらえました。
たぶん私の小説って分量の割に読むの時間かかると思うんで、きっとまだ読み終わってないんじゃないかな。
レビューお待ちしております。