賃金労働者という奴隷

思うに現代は賃金労働者が多すぎる。
賃金労働者は、給料をもらえないと生きていけないから、彼らに無理にでも給料を払い続ける仕組みが社会に必要になる。
フローとしてのお金が回っていればそれでも良いが、デフレになると、ただ単に、給料がないと生きていけない人たちのために無理矢理仕事を用意したり、
生活保護を与えたりしなくてはならない。

農業生産力は江戸時代などに比べて何百倍も何千倍も進歩した。漁業にしても少ない労働力とコストで大量に収穫できる。
だから、人間は、一年に数日ないし十数日程度労働すれば、生きていくのに困らないはずだ。
先進国だけでなくすべての貧しい国でも、人口の多い国でも事情は同じはずだ。
それなのに、なぜ飢餓がなくならないかと言えば、それは世の中が資本主義で動いているからだろう。

資本主義は、お金という血液をどんどん体の中に回していないと死んでしまう。
お金が回っていれば健康だが、回らなくなると死んでしまう。

工場労働者は技術の進歩でどんどん要らなくなる。しかし、労働者は賃金がもらえないと食べていけないから困る。
ほんとうは、より、労働のない自由な世界へと近づいているはずなのに、なぜか人々はますます労働に縛られてしまう。
おかしな話だ。
即ち今の世の中は労働とお金がイクイバレントであって、お金がフローしてないと社会全体が死んでしまうという仕組みだから、
労働が減ってしまってはいけないのだ。だからいつまでも働き続けなくてはならない。
なんと無駄なことだろうか。

私は、まだ子供の頃だが、そのうち生産性がどんどん高まって、人間は働かなくても生きていけるようになり、
文化的な活動だけに従事していればよくなるのではないか、と思っていたが、二十一世紀になっても、全然そんなふうにはならず、
産業が効率的になればなるほど、労働者たちは貧しくなっていく。
仕事をどんどん減らすそばから仕事をどんどん創造しなくてはならない。
仕事は減るはずなのに逆に増え、人々の負担は減るはずなのに逆に増える。
これを逆説的といわずなんといおうか。
減った仕事を増やし戻すために四苦八苦している。

たぶん今の世の中は、一次産業に従事して、自分の食べる野菜などは自分ちの畑で育てて、
米や小麦などの高カロリーで安い食料はばんばん輸入して、
田舎の二束三文の安い土地に安い家を建てて住んでいれば、
すごく快適に暮らせるはずだ。
そうなってないのは、ほとんどの人が、賃金労働者になってしまい、借金の奴隷になってしまっているからだろう。

江戸時代の農村のような生活に戻れば、多くの人が幸福になるのはたぶん間違いない。

だいたい、食糧自給率ガーなどというのはナンセンスな話だ。
日本の食糧自給率は、カロリーベースで39%。だが、生産額ベースでは69%。つまり、輸出額より輸入額の方が31%多いから、
その分国外に依存している、ということだろう。
国内では野菜など高額な作物を作り、国外から穀物などの安い作物を輸入すれば、
生産額ベースの食料自給率はもっと上がる。
さらに、高品質な作物を高額で輸出するようになれば、自給率が100%を超えて農業国となることだって可能ではなかろうか。
米や小麦など、世界的に見ても生産量が多いわりに値段の安い作物は、国内で生産しない方が良いに決まってる。

ところが今は米は兼業農家が個人で狭い先祖代々の土地で作っている。
先祖伝来の土地を手放したくないから、無理矢理兼業農家を続けている。
しかし採算がとれないから、その個人農家を補助金や高い関税で守っている。
あほかと思う。
零細な兼業農家が土地を放出し、大規模な専業農家に集約すれば、日本の農業はもっと効率的になるはずじゃあないのか。

米や小麦などは備蓄がきくのだから、有事にそなえて備蓄しておけば済む話だ。
穀物を生産する人たちも商品を売らなければ生きていけないし、穀物は世界のどこかで常に余剰しているから、
何年も飢えるということは考えにくい。
場合によっては、ほんとうに穀物が輸入できないときは米や小麦に転作すればすむ話だろう。
普段は付加価値の高い作物を育てていればよい。
実際、第二次世界大戦でも、輸入できなくて困ったのは原油であって食料ではない。
食料はある程度は増産できるが、原油はほとんどまったく自給できないのだから。

[okkyも、だいたい同じことを言っている](http://blog.livedoor.jp/okkydokky/archives/51309846.html)。

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