twitter

twitterのアカウントはけっこう持ってる。

こっちから勝手にフォローしてフォロー返さない人を切って、
また、向こうから勝手にフォローしてきたらフォロー返しする。
これだけでフォロワーをかなり増やすことができる。
誰でも1000は軽くいくだろう。
tanaka0903ではそれをやってる。
逆に言えば相互フォローでフォロワーを増やすことにいったい何の意味があるんだろう、ということだわな。

もとはフォロワーをわざわざ切ったりしてなかったのだが、
2000以上フォローするにはフォロワーの数が多くなくてはならないそうで、
それで切ることにした。
このアカウントは書くだけでほとんど読んでない。
Write Only。

某実名アカウントは Read & Write。
フォローされても必ずしもフォロー仕返さない。
読むのが面倒だから。
少数精鋭とも言える。

そのほかbotが三つ。
このうちの一つが私の Read Only のアカウントになっていて、
主にフォローしている人を個別に読むのに使っている。

wordpress polular posts (2)

wordpress popular posts を設置してみて思ったのは、 おそらく私のブログを見に来る人のかなりの部分は google検索かなんかで来るんだろうなということ。私のブログの読者というよりも。 過去記事が唐突に読まれる傾向があるからだ。あと銀行ネタは割と読まれている気がする。

歌物語

私は幼稚園生の頃から祖父に絵を習っていた。
祖父は元尋常小学校の訓導で美術を教えていた。
祖父には剣道も習ったがこれは嫌で嫌で仕方なかった。
中学くらいから内村鑑三や小室直樹を読み始めた。
祖父からの間接的な影響だったと思う。
祖父は戦時中の雑誌などを持っていたからそれを読んだりした。
内村鑑三が頼山陽に言及していたので興味を持ったが、漢詩や漢文は難しすぎてすぐには読めなかった。
頼山陽のファンになるのは四十過ぎてからだ。
大学受験のとき明治神宮にお参りして御製集を入手してからはなんとか和歌を詠もうとがんばった。詠めるようになったのは二十歳すぎてからだ。

それでまあ私は画家か歌人になりたかったのだろうけど、
絵も和歌も商業的にはまず食っていけない。
そのときたまたま俵万智の「サラダ記念日」が出たのだけど、
あんなものはいわばまぐれ当たりであって、
歌人が食えないのにはなんら変わりがない。

画家というのはグラフィックデザイナーやイラストレーターやCGクリエイターなんてのであれば食えなくもなかったのかもしれない。
歌人というのも俵万智みたいなことがあるわけだから可能性が0ではないのかもしれない。
しかし私は少しだけ数学が得意だったから理系に進み、
将来は電気技師のようなものになるつもりでいた。
しかし大学に入ってみて分かったのは私よりもずっと才能あるラジオ少年はこの世にいくらでもいるということだった。
しかし25歳くらいに他の人よりも少しだけ研究者に向いてるらしいということに気づき、バブルの絶頂期に隠者のような生活を始めた。

そんでまあ40過ぎて自分の本業の限界も見えてくると余力で絵とか和歌とかがやりたくなる。
副業でできる範囲でいいからやろうと思い始める。
或いは本業に少しでも絡む形で絵やら和歌をやろうとする。
しかしながら和歌というものはまず一般人にはわからない。
俵万智ですら和歌とはいわず短歌という。
短歌と言いたくないので和歌という人の気持ちをわかってくれる世間の人はほとんどいない。
それでまああるきっかけでもって歌物語を書いてみようと思ったわけだ。
小説ならば歌集よりはまだ人に読んで楽しんでもらえるかもしれないと。
だから私が最初に書いた小説は『将軍放浪記』なのである。
私が一種のCG屋さんであるというのはkdpの挿絵を見てもらえればなんとなくわかると思う。
歌の全然出てこない話とか挿絵メインの話とかも書いたり、
比較的純粋な歌物語である『西行秘伝』を書いたりもした(『西行秘伝』は新作ではなく[旧作](/?p=8753)のリメイクである)。

しかし、『将軍放浪記』『西行秘伝』が歌物語だと認識している人がどれくらいいるのだろう。たぶん普通の歴史小説として読まれているのだろうと思う。

歌人や画家は、小説家(とくにエンタメ系)よりはずっと世の中をはかなんでいる、
つまり売れることを諦めている。
もちろん売れた方が良い。
本業をやらなくてもすむくらい売れればいいのだが、
まあ無理だ。
多少売れたとして焼け石に水だろう。
小説を書き始めた動機の一つは日本が本気で絶不調になって私の給料も減り始めたからだ。減った分を自分のまだ活かしてない才能を切り売りして(売れるものなら)補填しても文句は言われまいと思った。

宣長も本業は医者だった。
文芸で食える人もいるだろうが(同時代人だと滝沢馬琴とか山東京伝とかか)そうでなくても全然おかしかない。実際宣長にはなりたいが馬琴になりたいとはまったく思わない。

wordpress popular posts

このブログのアクセス解析はずっとやってなかった。 誰かに読まれているという意識があまりなかったんだけど、popular posts というプラグインを入れてみた。アクセスがあるたびにカウントするんだろうから、最初はあまり正確ではなかろう。はてブやツイッターもときどき突然押されててびっくりする。
まあ、どれもよそのブログのまねをしているだけなのだが。ちなみにこのサイト、2009年3月から初めているので、ペンネームが久三なのだが(ドメイン名がペンネームより先に決まった)、当時 wordpress はまだ珍しかったはずだ。ブログソフトはだいたい movable type が使われていた。perl が嫌いだったのと movable type は当時私企業が作ってて、ライセンス的にGPLな wordpress にしたんだった。当時はまだ movable type の方が wordpress より信頼性が高いと言われていた。今はそんなこと言う人はいない。

最初ここのブログタイトルは不確定申告というものだったらしい。確定申告という名称はおそらく源泉徴収などで余計に納税してたり、或いは申告漏れしてたりして納税額が未確定なのを最終的に確定させるから、そう言うのかも知れんなと今思った。源泉徴収なんてまさに未確定申告だもんな。不確定申告 はまだ名前だけはてなブログに残してある。昔は確かはてな日記と言っていたはずだ。あ、違った。はてなダイアリーだ。だんだん何もかもが忘れ去られていく。ブログをはてなに置くか自宅サーバーに置くかでしばらく迷った。結局自分でwordpressいじったほうが楽しいというので自宅にしたのだった。

ウェブ日記らしきものはそれこそ NCSA Httpd が出た頃から書いてた(少し嘘。でも最初使ったのはこのソフトだ)ので、ずっと古い。

銀行(2)

2ch読むとやはりATMコンビニ手数料無料の回数制限がそれなりに話題になっているようだ。

確かに我々一般庶民はATMで引き出すとき105円とか210円とられる。
消費税が8%になればそれが108円、216円とかになるんだろう。
このタイミングは銀行の消費税対策とも言えるのかも知れないし単なる便乗なのかもしれんし、よくわからん。
そもそもこの金額設定というのはATMが登場して以来あまり変わってないから、おそらく金額的にはそうとう盛っているのだろう。
今の時代で自由競争すれば、こんなにかかるはずがない、と思う。

ま、想像するに、セブン銀行というのはATMの管理しかしてないから、
どこかプロの銀行にATM以外のほとんどすべての(バックヤードの)銀行業務を委託しているのに違いない。
その委託先が新生銀行であるとすれば、新生銀行がATM手数料に異様に太っ腹な理由が理解できる。
つまり、新生銀行はセブンに我々のように毎度毎度手数料を払っているわけではなく、業務提携という形で手数料を相殺しているのだろう。
ところが都銀なんかはセブンとは赤の他人であり、
コンビニで取引があるたび、ある一定の手数料を支払わざるを得ず、
それがかなり効いてくる。
私のようにATMを財布代わりにして9000円ずつ小刻みに下ろすなんてのは大迷惑なのに違いない。

いずれにしてもATM手数料いつでも何回でも無料なのはありがたく使わせてもらう。

娑羅双樹の花

西行の歌に

> 願はくは花の下にて春死なむその如月の望月の頃

というのがあるのだが、旧暦2月15日はおよそ春分の日のことであり、
桜が咲くには早すぎる、と以前から思っていた。
旧暦2月15日は釈迦涅槃の日でもあって、
娑羅双樹の木の下で死んだことになっているから、
ここで花というのはおそらく娑羅双樹の花をさしている。
こんなことを私が初めて発見したわけはないと思いググってみると、
川田順という人が「古典日本文学全集西行集」の中で言及しているらしい。

娑羅双樹なんて日本に生えているわけがない。
また娑羅双樹の花が咲くのは初夏であり、
涅槃日とされる春分の日には絶対に咲かない。
また桜の花でもあり得ない。
つまり、「願はくは」は完全に空想の歌であり、
何か具体的な花をさしているのではなく、
ある抽象的・観念的な死の花を言っている。
あるいは死後の西方浄土の世界を詠んでいる。
現実の、春分の頃に咲く梅とか桃とかの花ですらない、ということになる。

おそらく後世の人があやまって(あるいは故意に)山家集の桜の歌の中に「願はくは」の歌を混ぜてしまったのだろう。
特にその次に

> 仏には桜の花をたてまつれ我が後の世を人とぶらはば

をもってきたのはまずかった。
当然「願はくは」の花は桜だという誤解を定着させた。
しかるに、もしこの花が娑羅双樹の花だとわかるように歌集の中に配置されたり詞書がついてたりしたら、このように有名になることも、西行の代表歌になることもなかっただろう。

西行と桜のイメージの相乗効果によってこの歌も西行も有名になったのだ。
こういうふうに後世の人の誤解(脚色)のせいで有名になることはたくさんあると思う。
そもそも釈迦の涅槃が春分の日であるというのも根拠がない。
後世の人がえいやっと春分の日を涅槃日ということにしたのにすぎない。
クリスマスがちょうど冬至の日にあたっているようなものだ。
当然、西行が春分の日に死んだことになってるのもただの伝説にすぎない。
人は真実を知るよりもむしろ美しい嘘にだまされたいものなのだ。

「古今和歌集の真相」の記述も少し書き換える必要がある。
「西行秘伝」はもともとフィクションだからいじる必要はない。

そうして疑ってみると「願はくは」の一つ前の歌

> はなにそむこころのいかで残りけむ捨てはててきと思ふ我が身に

これも実景を詠んだのではなく、釈迦入滅の心境を詠んだものかもしれない、とも思える。
釈迦が死の直前に弟子のアーナンダに「この世界は美しい。そして、人生は甘美である」と言ったとあるが、この時釈迦が見ていた花はマンゴーの花であったかもしれない。そして西行はこの臨終の際に釈迦が言った言葉を和歌に翻訳してみたのかもしれない。

銀行

[みずほマイレージクラブ「うれしい特典」サービス内容変更のお知らせ](http://www.mizuhobank.co.jp/mmc/kaitei/index.html)

つまり私の預金残高が少ないからとかいうわけでなしに、
一律に月四回までしかコンビニや時間外手数料が無料にはならなくなるということだ。

思うに今の時代、ネット銀行は使わざるを得ない。
コンビニでいつでも無料で引き出せるからだ。
特にコンビニ御三家のセブンイレブン、ローソン、ファミマでは確実に使える。
もうそれで十分だと思う。

たぶん今後も都市銀行をメインバンクとして使い続けるだろうとは思うが、
それ以外はネット銀行に移そうと思っている。
いろんな都銀にちょこちょこわけて預金してたのも全部ネット銀行に移す。
私の場合kdpの関係で新生銀行に口座を作ったわけだが、
新生銀行は厳密にはネット銀行ではないがまあおなじカテゴリーだわな。
新生銀行は定期の利息もいいし(ゆうちょ銀行よりも良いようだ)、
がんがん使っていくしかない。

追記:新しい特典情報をよく読むと、振り込み手数料がかからない振り込みの回数はむしろ増えている。ということは、自分の銀行からコンビニで頻繁に引き落とさないで、そういうことはネット銀行に金を移してからやってくれ、というメッセージのように読めなくもない。
ははあそうきましたか。

西行秘伝レビュー

『西行秘伝』に[レビュー](http://www.amazon.co.jp/review/R1W52CC385Y3IW/ref=cm_cr_dp_title?ie=UTF8&ASIN=B00DT4AMLG&channel=detail-glance&nodeID=465392&store=books)
を書いてくださった方がいて、
その方が書いた他のレビューも読ませていただいたが、
日本史の専門家の方というよりは一般の読者のようにお見受けしました。

非常に的確なご指摘で、感謝しております。
「確かな歴史観に裏打ちされた良質なフィクション」とは私には最高の褒め言葉です。
「歴史に基づかないいいかげんなドキュメンタリー」の逆ということですよね。

私自身は理系なので歴史の高等教育を受けたわけではなくて独学なのだけど
(古文と漢文はIIまでやったけど)、
ごく普通の読者が一気に読めてしまったというのに驚いている。
もちろん私も誰にも読めないような難解な話を書くつもりはなく、
「読んで楽しくためになる」ものを書いているつもりだけど、
たぶん一般読者には読めないのだろうなと尻込みしていた。
たとえば和歌や古文に特に現代語訳を付けてないところがあって、
高校古文II程度の学力があれば普通に読めるとは思うが、
世の中そんな人ばかりではないはず。

『将軍家の仲人』なども読めない人とさらっと読んでしまうひとがいる。
読める人のために信じるように書けばよいということだと思った。

追記: 今ちょっと読み返してみたのだが、
最後の、後白河院に頼朝が謁見するあたりが、かなりわかりにくい。
もう少しなんとかしなきゃならないなと思う。
まあ、これはこれで、このまま放置するという手もあるのだが。

石垣山と石橋山

たまたま小田原に行く機会があったので石垣山に行こうとおもった。一日空いていたから、時間があれば石橋山にも行こうとおもった。石垣山は有名な観光地であろうから、さくさくいけると思ったら甘かった。頂上までは農道しかなく歩行者ではなく農耕車が優先だなどと書いてある。こんな観光地はない。登り口の表示もわかりにくく結局は google maps に頼ることになった。できれば箱根登山鉄道の、博物館辺りから遊歩道が欲しいところだ。そしたらすごく良い観光地になるだろうにと思う。史跡はすばらしいのだから。
どうもこの自治体はやることがいろいろとちぐはぐだ。言いたいことは山ほどあるが、文句を言うのはこのくらいにしておこう。

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本丸跡からの眺め。小田原市街、相模湾が見える。酒匂川河口だけ砂浜が突起しているのがわかる。手前の芝生は二の丸跡。

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本丸跡の石垣。だいぶ崩れているが、これはすごい。こんなすごい山城跡は滅多にない。

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秀吉一夜城ともいうこの小田原攻めの主城は石垣山というだけあって、石垣がものすごくたくさん残っている。山城でこんだけ石積みがあるのは珍しいのではないか。まあ、熊本城とは比べものにならないかもしれないが。一応はテンポラリーな作りの城のはずだが、数年がかりの長期戦を予測していたのか。あるいは土木技術を見せつけた、ブラフのたぐいなのか。

本丸跡も天守台跡もなかなか立派だが、圧巻なのはこの写真にみるような井戸曲輪跡というもので、すり鉢状になった一番底の穴にはまだ水が湧いている。おそらく地形を利用して雨水を溜める機能もあったのだろう。

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海側に山を下りて石橋というところまでは国道沿いに歩道があったが、歩道はここまでで、あとは山の中の農道しかない。農道しかないのでは田舎と同じだが、田舎なんだから仕方ない。もう観光者気分はやめた。佐奈田霊社はそういう田舎のミカン畑の真ん中にある。おそらくみんな車で来るのだろう。小田原から歩いてくる人は皆無に違いない。いるとしても小田原市が作成した山歩きの地図を持っているはずだ。道ばたにたてられていたこの地図を写真に写して手がかりとし、あとはgoogle mapsを頼りになんとかたどりついた。

佐奈田霊社は石橋山の戦いという古戦場にあって、これは頼朝が伊豆で挙兵して最初に敗北し、佐奈田与一という味方を討たれて、いったん房総半島に逃げたという歴史的には非常に重要な場所なのだが、実にもったいないというかなんといえばよいのかわからない。鎌倉の混雑っぷりとここの過疎っぷりを見ると、観光業とはいったいなんなのだろうと思う。

佐奈田与一が討たれたという場所は普通のミカン畑だった。お土産に現地販売のミカンを買ってくるのを忘れた。

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小田原から根府川まで歩こうという人にはこの地図はあまりにも重要なので、まあフェアユースだと思うので掲載させてもらう。歩いてみて思うにハイキングコースとして悪くない。いや、かなり良いほうだと思う。景色もいいし。しかし何度も言うがこれは農道以外の何物でもない。農道でかつほとんど車が通らないので歩くのは快適だったがさんざん迷った。

根府川は駅前にコンビニすらない田舎の駅だった。

今回気づいたのだが、androidタブレットのgoogle maps は自分の wifi ルータが電池切れしても、自分が今いる位置がわかるのだ。つまりandroid端末は常に利用可能な周囲のwifiルータを検索しているから、その複数のルータから三角測量的に位置を推定している。検索機能などは使えないものの、位置だけはわかるのである。すごい。おそらくこれがkindleにはない。あるのかもしれないがgoogle mapsと連携してなくて非常に遅くなるのだろう。今回歩いたのは主に山道だったが、近くを東海道線とか西湘バイパスなどが走っているので、アンテナはたくさんあったのに違いない。

小田原城

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小田原城はきれいなんだが、木が天守閣を隠しているのはよくないと思うんだ。
城というモノは威厳を示すものだから、東海道筋を通ってきた旅人たちにも、
堀と、櫓と、天守閣が見えるようになっていたと思う。
決して木で隠すなんてもったいないことはしなかったはず。


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本丸のすぐ下、というか、本丸の一部に図書館と文化館があるのだが、
それはまあ良いとして、
そこまで電信柱と電線が通っているのはいかがなものか。
こういう現代建築こそ木で隠すなどの配慮をしてほしいものだ。
特に電線は地中に埋めるとか。
そのくらいの配慮がなぜできないのかと思う。
城は堀の外から眺めた姿も大事だと思う。
特に櫓や橋が壕に逆さまに移り込んでるのが絵的に極めて貴重なのだ。