高校生の頃は中島敦と小室直樹をよく読んだ。
この二人に共通しているのは学者タイプだということだろう。
夏目漱石や太宰治は学者というよりは文人だ。
ただし、中島敦も小室直樹も、かなりエキセントリックな学者だ。

今は頼山陽や本居宣長などをよく読むが彼らも文人ではあるが、学者だ。
エキセントリックな学者だ。
平田篤胤までいくともはや学者ではない。単なる思想家だ。

大学教員で作家という人は多いが、あまり読みたい人はいない。
森鴎外や永井荷風も大学教員だったが、そんなむちゃくちゃ好きなわけではない。
森博嗣もそうらしいが私の琴線には触れない。
丸谷才一も一時期大学教員だった。
そういえば丸谷才一もよく読んだなあ。

あと、内村鑑三も好きだった。
好きだったけど今読むとあり得ない作り話を書いている。
小室直樹もそうだ。
この辺が高校生の頃ストライクゾーンだった人はあまりいるまい。

カクヨムで「ジオコミューン」を書き始めたのは、
プライスマッチで売ることを考えたからで、
要するに無料サンプル的なものである。
今現在、けっこういろんな人がやっているんで、私もやってみようかという気になった。
だがほんとにやるかどうかはわからない。

で、カクヨムで、連載で、
ちょっとずつ公開してわかるのは(小説家になろうでもわかったのかもしれないが)、
PVが指数関数的に減衰するってこと。
第1話を読んで、3分の1くらいの人が第2話を読む、くらい。

こういうことやってて思ったのは、読者数は有限だということ、
その読者の多くも、試し読みまでだってことだね。
アマゾンがいろんな新しい出版手法を提案してきて、
また私自身もいろんな人のお世話になって出版を試みてきて、
それでなんとか読んでもらうんだが、
ある一定のところまで読まれると、もう読者が枯渇して読まれなくなる。

今の時代読者よりも著者のほうが多いってのは事実だと思う。
だから KDP ってのは、
読者に向けて書くよりは自分と同じ趣味を持つ(個人出版の)著者に向けて書いた方が売れるのかもしれない。
いやもともとそんな媒体なんじゃないかという気がしてきた。
pixiv なんかもそうで、自分が描くから人の絵も見る、という人の集まり。
コミケもそう。
特に日本はそういう層が発達してる。
しかし、そこから外への広がりが弱い。
まるで研究者が同業者にむけて論文を書いているみたい。

「君の名は。」見てないのにしばしば言及して心苦しいが、
一般人に見せることに特化した作品なんだろうなと思う。
作家とかクリエイターの外の世界の人を楽しませることが第一義に作られている。
それって当たり前じゃんと自分でも今書いてて思うが案外当たり前じゃない。

歌謡曲ってあるじゃないですか。
あれってパターンは決まっててAメロ・Bメロ・サビでできてる。
小説も映画もそうで、もうみんなが見慣れてる、読み慣れてるパターンに沿って作らないとダメなわけ。
流行る前にパターンがあるのではなく、流行ったからパターンとなる。
つまりは古典。
そのパターンを再利用するから、流行りの勢いを利用するから読みやすい、見やすいとなる。
そうやって一つのパターンに収束していく。
もちろんみんなが同じパターンを使うからレッドオーシャン化する。
しかしその激しい競争にうち勝ったごく一部の作品だけがヒットする。
その競争にはとにかく勝つためにはありとあらゆる手段を使う。

それが歌謡曲の原理だし、「君の名は。」なわけじゃないですか。

宮崎駿やジブリは少し違う。パターンを自分で作ったところはすごい。もちろん本人はすごい。
ただ彼らは日本アニメの黎明期からずっと関わってきているから、それが出来た。

庵野秀明も少し違う。彼はともかくも自分の作りたいものを作った。
クリエイター仲間やオタクには受ける。
しかし当たり前だが、外の世界には広がらない。そこがジブリとも違う。
庵野秀明は押井守タイプ。
細田守はジブリへ行こうとして結局押井守や庵野秀明と同じ方向へ行った。
そっちに行かなかった新海誠が結果的に勝った。

KDPは結局仲間向けに書いているものだとして、
だから「小説はこう書け」みたいな本が(素人が書いたくせに(失礼))よく売れる。
よく売れるといってもたかが知れてるわけだが。
私自身は「小説はこう書け」なんて本は恥ずかしくて書けないけど、
似たような近いことはよく書いているわけだ。
こうやって他人の作品を批評したり。
自分の書いたものの解説をしたりする。
私の場合は特に自分の作品を解説しすぎている気がする。

プロの作家が自分の書いたものの解説をしないのは、
作品が自分の力で読まれているのでも売れているのでないことを知っているからだ。
もちろん作家自身の力はあるだろうが、その比率がどのくらいのものかを、わきまえているから、
解説できないよね。

新作も書かず広報活動もしないとほとんど読まれなくなる。
ほっといちゃダメなんだが、読まれないと書く意欲もなくなってきて悪循環だ。
逆に読まれていると無駄に張り切ってしまうところがある。

夏目漱石という人は、日本人が欧米文学、とくに英文学に飢えているときに、
イギリスで実際にそれを学んで、日本語で書いてみせたひとだ。
当時はほかには森鴎外くらいしかいなかったよね?
漱石や鴎外ってのは、最澄と空海みたいなもの。
供給に対して需要が逼迫してたからみんなが読んだ。
みんなが読むとそれは遺伝子となって後世に残る。
勝れた作品だから面白いのではなくて、古典だから面白い、というところは必ずある。
ていうか私もパターンが嫌いなわけじゃないらしい。古典が大好きだから。
もちろんもともと面白くなくちゃダメだが、ただ面白いだけじゃダメだ。
ボトルネック理論と同じで、
ある時代に希少価値がなきゃだめだ。

村上春樹もボトルネック理論で説明がつかなくもない。
彼の場合、日本人が戦後、アメリカ文学に飢えていた時期があって、
そこに一番うまく乗っかったのが村上春樹だった。
似たような作家には村上龍や山田詠美、田中康夫なんかがいる。
吉本ばななもある意味そうかもしれない。

吉田拓郎が流行ったのも、いちはやくボブ・ディランを真似たからだし、
グループサウンズにしてもそうだ。

自分で書いてみるとわかることがあって、
わかってみると、書いても無駄だってことがわかってくるわけだ。

エロは、衣食住に準じる基本的欲求だから、需要が桁違いに多い。
広く浅く需要があるから読まれる。
うまかろうがまずかろうが人は一日三食たべなくちゃならない。
それと同じでエロはコンスタントに消費される。
エロとおもしろさをうまく調和させて、相乗効果をもたせる天才はいるかもしれない。
谷崎潤一郎はそれに近い。永井荷風は違う。
いずれにしてもエロにおもしろさは必須ではない。

マンガとエロを同次元に論じることはできないが、
絵づらだけ眺めていれば読めなくもないマンガは当然しきいが低く需要も多い。
映画やアニメやゲームも同じ。
私の場合面白いストーリーを書けるかどうか試すために書いている、といってよい。
面白いというか、私の頭の中からしか出てこない話を書きたい、もしそういうものがあるとしたら。
それが新しくしかも面白いならば、ある一定の評価を受けるはずだ、という前提で書いている。

世の中に迎合して注目を集めたり、小遣い稼ぎをしたりするために書いてるのではない。
売れても自分の実力でないなら意味がない。味気ない。
身内ではなく赤の他人に評価されたい。

ただ作家活動というものは広報や宣伝や営業を含めて作家活動だったってことは、
人類の長い歴史を見れば明らかなわけで、
身内だろうがなんだろうが利用できるものはなんでも利用するのが営業なわけだ。
作家活動はやりたいが営業はやりたくないというのは比較的新しいタイプの人種、
つまり学者、科学者タイプなので、私はやはり作家というよりは学者なのだろうと思う。

「ジオコミューン」だが、こういうSFものは今までも書いてきた。
「安藤レイ」「生命倫理研究会」などがそうで、
実は、本名で公開している作品の中に同じようなものがある。

「ジオコミューン」は外人ばかり出てくるので、自分で書いててなんか恥ずかしいのだが、
そんなこといったら「エウメネス」「エウドキア」「海賊王ロジェール」も外人ばかり出てくる話なのだよなあ。

「ジオコミューン」は今からもっと肉付けする可能性がある。
私の場合、最初に50枚くらいのあらすじだけみたいな話を書いてそこに肉を付けて服を着せたりして100枚くらいにする傾向がある。
つまり、最初から最後まで順番に書いているわけではない。
なのでできあがってからまとめて読んでもらってもまったくかまいません。

いきなりファンタジー

思うに、エヴァはいきなり使徒が襲来して、進撃の巨人ではある日いきなり巨人が人間を食べ始める。あるいは、目が覚めたら見ず知らずの他人と密室の中にいたとか。

ゼビウスも、あれは売れたからあとからノベライズしただけで最初からプロットがあったわけではあるまい。最初からあったか後付けかはともかくそういうものを世界観と言うらしい。ゲームという分野の中でそれをやったのはゼビウスが最初だろう。だから、ゲーム以外の分野にも適用範囲を拡げて、ゼビウス方式とでも名付けると良いかもしれない。とりあえずなんか食いつきの良い作品を作ってヒットさせる。ヒットしてからディテイルや続編や関連グッズや世界観なんかを作る。

初代のガンダムは最初からきちんとプロットが出来ていた。人類の歴史の必然の上で戦争が起きて中立国のサイド7にも飛び火したという設定になっている。しかし主人公のアムロは第一話でいきなり戦闘が始まりいきなりモビルスーツに乗ることになる。周りの状況はともかくとして、主人公はいきなり未知の世界に投げ込まれるのである。

やはりプロローグというものはある程度、いきなり読者を、視聴者を作品の世界の中に投げ込まなくてはならないから、突然イベントが発生して、そのイベントがどうなるか、なぜ起きたのか、興味を持たせるためにある程度未知のままにしておかねばならない。

だが凡百の作品はそこまでお膳立てをしているのではない。めんどくさいからいきなり架空の世界に転生したことにする。つまりはご都合主義で済ませる。

或いはストーリーを考えたり記述するのがめんどくさいので、世界観だけ一生懸命に凝る。世界観という言葉が生まれたのはストーリーと世界観が分離した証拠であり、それは作者や読者がストーリーか世界観のどちらかにより関心を持つようになり、もういっぽうをめんどくさがるようになった、ないがしろにするようになったからである。

カフカの変身などがいきなり転生ものの古典と言っても良いかもしれないが、あれはまあ、当時いきなり転生するってことがすごく珍しいストーリーとして成立し得たってことと、世の中がいきなり様変わりすることが現実世界でも起きてたからそのメタファーでもあったのだろう。今の世の中はどちらかといえば現実がいきなり変わることなど期待できず、現実から逃避したいから転生するわけである。現実というややこしくめんどくさいものと格闘するのがいやだからファンタジーに逃げる。その「現実めんどくせえな」という匂いがしただけで私はそれを読むのがいやになる。いやになるというか、作者の勝手な妄想世界に付き合わされるのは時間の無駄だという気になる。

実際ストーリーと世界観にまるごとくいついて全体を咀嚼し消化するのはけっこうな労力だ。だからパーツに切り分けて鑑賞する。そういう流れが生まれてもしかたない。例えば太田道灌というたった一人の人を知るにも南北朝を知り、室町、戦国を知り、鎌倉や川越や江戸城を知らなくてはならない。道灌が落とした数十の関東の古城と敵将を知らねばならない。その上、和歌も知らねばならない。たぶんほとんどの人は疲労困憊すると思う。だからこそ私には太田道灌が書くに値する魅力的なキャラに見えるが、読者にわからせるのはほぼ諦めている、と言っても良い。

私の場合、実在の世界に完全に埋没したストーリーを書くから世界観というのは現実そのもの、歴史そのものであるけれど、しかし私が書く歴史小説は私が発見した、あるいは再発見した歴史を書くのだから、私の考えた世界観と言えなくもない。ハルパロスやアルトニスやエウドキアなどは実在のキャラではあるが、まだ誰も書いてないから手垢がついてない、私が創ったキャラだということになる。ほんとはエウメネスもそのはずだったのだが、漫画がすでにあったし、そもそもプルタルコスでは英雄として描かれていたのだった。

富野由悠季は現実から逃避したいからではなくて現実そのものを、自分の歴史観と世界観で描きたいのだが、現実そのものを子供向けロボットアニメで描いてはシャレにならないので仕方なく虚構を使ったのである。だからああいう作品になった。

著者セントラルのランキングは1時間おきに更新で、
KDPの販売データ一覧は1日に1度くらいの更新らしいんだが、
ランキングが微妙に増えてるなと思った作品が売り上げではまったく売れてないし、
KENP も無い。

ランキングが低いと KENP に変動がなくてもランキングが上がったりするということなのだろうか。
非常に紛らわしい。
アルゴリズム的になんか間違ってる気がする。

そんで逆に KENP を見るとまあまあ健闘しているように見える作品のランキングがあまり上がらなくなった。
アマゾンがなんかいじってるのに違いない。

エウメネスは1から3まで堅調。
続編を書けば読んでもらえるというのであれば書くしかないわけだが、
何を書こうか迷っている。
ガウガメラの戦いとかソグドの戦いならすぐに書けるのだが、
そっちに行く前にスパルタとかオリュンピアスとかアルトニスとかハルパロスとか、
そういうサブストーリーを書いてみたい。
エウメネスをガウガメラではなくてギリシャ本土に行かせて、
オリュンピアスやスパルタと絡ませたい。
となると、史実というよりはほとんどは創作で書くしかないことになる。
エウメネスはオリュンピアスと仲が良かった。
どこに接点があったのか。
史実は何も残ってないから想像で書くしかない。
オリュンピアスについても、従来、悪い女、悪い妻、悪い母としか描かれてなくて、
それらはおそらくどれも嘘なのだけど、
嘘だと断じる証拠がないと書きようがないんだが、
オリュンピアスはずっとエピロスという田舎にいたので、
実際何をした人かまったくわからない。

スパルタについて調べようとするとほとんど何もわからない。
アテナイ人と違ってスパルタ人はほとんど何も歴史を残さなかったからだ。
スパルタがそんな大したポリスであるはずがない。
私の直感ではそうなる。
しかしスパルタが大した国じゃなかったってことを書くにはそれなりの証拠が必要だ。
その証拠がなかなか集まらない。

アルトニスもよくわからん人だ。
単なる、エウメネスの良妻賢母、というわけではないはずだ。
ではどう描けばよいか?
ていうかバルシネを描いた人は多い。
バルシネは派手な人だからキャラとしては描きやすい方だ。
バルシネの妹でエウメネスの妻であるアルトニスを描いた人はおそらくこれまで誰もいないはずだ。
ではどう描けば良いか?
私が書いたものの中では、アルトニスはレスボス島からアテナイに渡ってきて、
リュケイオンでエウメネスの学友だったことにしている。
ではそこからどう発展させれば良いか?

構想はいろいろあるが書き始めることができない状態。
歴史に残ってないものを勝手に補うというのはつまり歴史小説の中に時代小説やファンタジーを埋め込む手法であって、割と面白いのだが、そのチューニングには技巧を要する。
ウィキペディアの解説みたいな歴史小説を書いても仕方ないのは明らかだ。
史実は史実としてきちんと大枠を構築しておいて、
その隙間に、埋め草のように、フィクションのエピソードを埋めていく。風俗もできるだけ盛り込んで風味付けにする。そうするとゴージャスになる。

サイゾーやニューズウィーク、SAPIOなどの雑誌もランキング上位に浮上してこなくなった。
そのかわり変なやつが上がってくる。

MdN と CG World は読むようにしている。
CG World は最新号だけ unlimited を外しているのだろうか?
よくわからない。
unlimited なので、雑誌は読まなきゃ損なのだが、
ル・ボラン、音元出版、時計Begin、眼鏡Begin など面白いっちゃ面白いが、
読んでるだけでおなかいっぱいになって、なんかどうでもよくなってしまう。

桓武天皇

桓武天皇はやはり異常だ。
皇統譜を書いているとよくわかるのだ。

桓武平氏と言っても、四系統ある。
第三皇子葛原親王、第九皇子万多親王、第十皇子賀陽親王、第十二皇子仲野親王。
このうち葛原親王系から将門と貞盛が出て、
貞盛から伊勢平氏が出て、清盛につながる。
古今集に出てくる平貞文などは仲野親王系。

平氏以外に、
第七皇子明日香親王から出た久賀氏、
さらに良岑氏がある。
良岑氏といえば遍昭以外知られてないマイナーな王族だがそれなりに子孫繁栄している。

桓武天皇の皇子から平城、嵯峨、淳和天皇が即位した。
嵯峨天皇にも皇子が多かった。
平城天皇と淳和天皇はさほどでもないが、平城天皇からは在原氏が出た。
嵯峨天皇は桓武天皇よりも極端で、皇子は多いが、仁明天皇以外の直系王族はほとんどがすぐに消えてしまっている。

ともかく桓武天皇時代の親王の数が異常に多いし、
親王以外の皇子はさらに多い。
桓武以前と桓武以後でまったく様相が異なる。
白河院時代に親王を極端に減らし、親王以外の皇子はみんな法親王にしてしまって、
皇室財産を緊縮したのとは大違いなのだ。

そもそも光仁天皇から桓武天皇に譲位した理由も謎だ。
光仁天皇の父・志貴皇子系統の皇族はいくらでもいたのに、
よりによってなぜ百済人の后の皇子が即位せねばならなかったのか。
たしかに志貴皇子は天智・天武系統の中では傍系なので、有力な后がいない。
しかし天武系は途絶えて藤原氏を后とする有力な皇子が無い中でなぜ桓武天皇が即位したのか。

おそらくだが、平安末期に平氏や源氏が擡頭してきたように、
この時代、百済人の勢力が非常に強かったのだ。
藤原氏などの名門貴族もその百済人たちの力を借りないと朝廷を操縦できない。
だから藤原百川など一部の藤原氏が桓武を擁立した。
さらに藤原冬嗣など百済人の血を引く藤原氏がその路線を継承した。

桓武天皇の時代は皇子の時代だったが、
王族の子孫が平氏となり源氏となることによって、
武士の時代となって、皇子は不要になってしまった、ということだろう。
桓武天皇の勢いは皇室には留まらずにその外の社会に波及して増幅していった。
もし桓武天皇と同じ規模で皇室が維持されていれば日本は大陸型の中央集権国家になっていただろう。
しかし皇室はたちまちにしぼんでしまい、無数の支族が枝分かれして繁栄することになった。
だから封建社会になった。

湯原王贈娘子歌二首 志貴皇子之子也

04-0631
宇波弊無 物可聞人者 然許 遠家路乎 令還念者

うはへなき ものかもひとは かくばかり とほきいへぢを かへさくもへば

あるいは、

うはべ無き ものかも妹は かくばかり 遠き家路を 還さく思へば

あいそのない人だな、君は。私にこんなに遠い家路を帰らせようと思うなんて。

04-0632
目二破見而 手二破不所取 月内之 楓如 妹乎奈何責

めにはみて てにはとらえぬ つきのうちの かつらのごとき いもをいかにせむ

伊勢物語73

昔、そこにはありと聞けど消息をだにいふべくもあらぬ女にあたりを思ひける、

目には見て 手にはとられぬ 月のうちの 桂のごとき 君にぞありける

在原元方

だんだん見えてきた。

古今和歌集編纂の主役は、業平・棟梁・元方の在原氏三代と紀貫之。

伊勢物語は業平・紀有常コンビが中心になってできあがったもの。
古今集は元方・貫之。
棟梁は中継ぎのようなもの。
棟梁と貫之は寛平御時后宮歌合(宇多天皇の母班子女王主催の歌合)で知り合った。

有常と貫之は同じ紀氏だが、家柄は若干遠い(紀有常の祖父・勝長は、貫之の祖父のさらに祖父。
勝長-名虎-有常、勝長-興道-本道-望行-貫之。なお、本道-有友-友則)。
血筋が一本通っているのが在原氏。
貫之が元方に接近していろいろ昔のことを聞き出して伊勢物語の祖型を作った。
元方はほわっとした歌を詠む人だよな。

それで、伊勢物語自体は非常にもやっとしたもので、
わけがわかってない。
紀貫之が素稿を書いたのは間違いないと思うが、
それを後撰集や拾遺集時代のもやっとした連中がかなりリライトしている、というあたりが真相だろう。

在原元方は生没年不明だが、おそらく貫之とだいたい同じなのだろう。
藤原国経の養子になっているのは、元方の父棟梁がそもそも金が無いのと、国経が棟梁の娘を妻としたからだ。

国経は基経や高子の異母兄妹にあたるわけである。
国経や基経は高子のもとに忍んでくる業平の番人になっていたことになっている。
国経は当事者だし、棟梁や元方も事情を知らなかったはずがない。
だがどう考えても高子の話は変だ。

古今集に出て来る当代歌人の中で当時一番偉かったのは宇多上皇だけど、彼はなぜか古今集には一首も載せてない。
いくつか可能性があって、宇多上皇の歌は載っているのだが読み人知らずになっている、という説(自説)。
宇多上皇は元方と貫之をたてて自分は表にでなかったという説(これも自説)。

国経にしても時平にしても、摂家ではあるが、宇多上皇の時代にはそれほど権勢はなかった。
少なくとも国経と時平は歌人と言えるような人物ではなかった。
そうすると一番偉いのは元方だろう。
だから彼の歌が巻頭に出て来る。

まあ、旅券法と国籍法は、マスコミも芸能界も政界も真っ黒なんだろうな。

マイナンバー制度がここまで遅れたわけだよ。

グレーゾーン金利と同じで、いままでグレーで済ませてきた部分が、
マイナンバーのおかげでそうはいかなくなる。
広域暴力団指定でやくざが締め上げられているのと同じだよな。
世の名はだんだん変わっていくんだよ。
昔は許されていたではすまされない。
パチンコもそろそろだろうな。

百済人と冬嗣

おそらく百済人が天皇の国母となったことが主因となり、
多くの氏族が桓武に女御を入内させた。
同時にこの時期、藤原氏は天然痘の流行などの諸原因で奮わなかった。
桓武天皇で、天皇家は生物学的に多様化し、変質した。
外戚や摂関政治とは別の、大陸的な王朝が、
桓武天皇から始まる可能性があった。
しかし藤原氏に冬嗣が出て、皇位継承は再び、
飛鳥奈良時代のように、特定少数の外戚によって支配されるようになって、
良房以後道長までで摂関政治が完成する。

それで百済人や藤原氏以外の氏族が衰退していった理由は、
帰化が進んだためと、藤原氏が巻き返したからに違いないのだが、
ではなぜ藤原氏は、冬嗣は巻き返せたかというと、
冬嗣の母が百済人であったために、百済勢力は藤原氏の冬嗣と合体して、
言わば藤原氏の一氏族と百済人がハイブリッド化して、
摂家というものを作り出したのではなかろうか。
百済人は歴史から姿を消したように見えて、
実は外戚が藤原氏に収束する助けをし、
日本の上流社会に生き延びたのである。
高度な文化を持っていた渡来人だからこそできたことかもしれない。
彼らは日本に産業を興し、文明を発展させた。
藤原氏にしばしば見られるある種強引な政治駆け引きも、
実は大陸的政争のやり方がもたらされたものかもしれない。
と、考えると、やはり桓武天皇時代の外来文化の影響というのは、
今考えられている以上に大きかったと言わねばならないのではないか。
もし百済人(藤原氏)の影響がなければ、
しばらくの間、天武系と天智系の間で繰り広げられたような、
古い形の皇位継承争いが続いていたかもしれない。

摂家の異常な横暴さの理由はそのあたりにあるのかもしれない。

桓武天皇以来多くの皇子は百済系だった。
彼らは隠然とした摂家支持者だったかもしれない。
遍昭も良岑氏なので百済系。
源光(光る源氏?)も百済系。

冬嗣の父は藤原内麻呂、
母は河内系渡来人の飛鳥部奈止麻呂の娘・百済永継。

永継は冬嗣を産んだあと桓武天皇の愛人となって桓武良岑氏を産む。

桓武天皇と藤原内麻呂の関係が極めて良好であり、
かつその仲介役として百済人がいた。

紀名虎という人がいた。
彼は仁明天皇に娘種子を、
文徳天皇に静子を入内させた。
名虎は紀氏中興の祖であったが、
結局冬嗣・良房親子に負けた。
名虎の子・有常は急速に没落していき、
貫之や友則の時代の紀氏は、
藤原摂家にあごで使われる中流公家になってしまった。

紀氏には紀氏の文化があった。日本古来から続く文芸文化が。
しかし冬嗣にはその要素が乏しい。半分は大陸文化なのだから。
紀氏と在原氏が非常に接近した時代があった。その接点が有常だった。
紀氏、在原氏の他に奈良時代の文化を継承したのは、小野氏くらいか。
小野氏には篁と小町くらいしかいない。それ以外は忘れられてしまった。

伊勢物語や竹取物語、歌合などの過去との連続性を保った文化は、
紀有常というボトルネックを経て後世に伝承されたのに違いない。
有常の後継者として待ち構えていたのが貫之であった。

50ccのバイクを2速で走る感じ

若い頃は、ていうか、30歳くらいだと、まだ自分が何者かわかってないしこれからどうなるか予測がつかない。50過ぎた今からみると、30のときにすべてがもう決まってた気もする。

ホルモンか何かのせいだと思うが30歳くらいまではとにかく何かになろうってのめりこめる。自分がアクション映画の中にいるひとみたいに思える。

しかし50過ぎると、持病は抱え込むし、体力は落ちるし、酒を飲めば疲れるし、いろんなしがらみで身動きとれないし、どうやれば失敗するかわかってるから、行動範囲も狭くなるし、どっか転居したり転勤したりもできなくなるからだいたいもう日常がわかりきってしまうし、少し食べ過ぎるとすぐ太るし。

とにかく自分という体が動かない。思うように動かせない。30歳の頃は400ccのバイクを5速で飛ばしてたようなもんで、今は50ccのバイクを2速くらいでちんたらはしってる感じ。

定年まであと15年もあるかと思うと絶望する。