和歌の道は花鳥風月から入るべし

根岸に住む人に歌を見てくれと言われて見た。

> 春の朝うぐひすの声は聞かねども根岸の里はのどかなりけり

人の歌を添削するというのは難しいものだ。
私なら、

> うぐひすのはつねはいまだ聞かねども根岸の里に春はきにけり

とでも詠むだろうか。
特段良くなったわけではないが、古語を使い、古典の言い回しを使えばこうなると思う。

「根岸の里」というのが、和歌というよりは俳句であまりに有名なフレーズで、
逆に扱いに困るのだが、
実際根岸に住んでいるというのだからしかたない。

> 上野山鳥はなけどもうぐひすの声はいまだにとどかざりけり

わかる。でも私なら「とり」はたとえばだが「ももちどり」、
「鳴く」は「すだく」として、

> ももちどりうへのの山にすだけども いまだまじらぬうぐひすのこゑ

とでもするだろうか。まあ、そもそもこういう歌をいまさら私は詠まないと思うのだが。

花鳥風月から和歌の道に入ろうというのは今時の人には珍しい。
今はいきなり口語で短歌を詠むでしょう。
いきなり時事問題を扱ったり。
恋人と逢った別れたと。
あれは私は好きではない。
俵万智だっていきなり口語で詠んだとは思えないのよね。
でも彼女の追随者たちはみな、古典をすっとばしていきなり短歌を詠んだ。

でまあ、私が根岸に住んでいたら、写生の歌を詠むと思う。
使い古された単語ではなく、言い回しではなく、
写生によって古いことばに新しい命を吹き込もうと思うだろう。
目の前の光景をそのまま切り取って。

それはでも一通り、花鳥風月で練習したあとのことだと思う。
まわりくどくふるくさいやりかただとは思わないでほしい。

私はもう『妻が僕を選んだ理由』を書き終えたつもりだったが、私の頭の中ではいまだに主人公たちが動きまわっていて、
私は仕方なく彼らの行動を追記しなくてはならない。
彼らが動かなくなったり、別の話で頭の中が置き換わるまでは、彼らによって僕の頭の中は支配されている。
彼らの過激な言動が私自身に影響を与えることがあり、少し困る。特に酔っ払ったときなど。
作者は自分自身を狂わせないと作品を作れないのかと思うこともある。

今年は精神的肉体的限界を感じた年だった。
たぶん外飲みはほとんどしなくなると思う。
私の精神はもう飲酒に耐えられない。きっぱりとやめられるといいんだが。

砧から渋谷へ

1Q84を頭から読み始めて、とりあえず第1章を読んでみた。

ヤナーチェクのシンフォニエッタから第一次大戦後のチェコスロバキアの話がでる。
ハプスブルク家の支配とヒトラーの侵攻のはざまでつかの間の平和を楽しんでいる。
この歴史認識からして私にはステレオタイプに見える。
わざとなのか?それともほんとうにそう思っているのか。
ハプスブルク家がいようといまいと、ヒトラーがいようといまいと、
中欧の小国はパワーポリティクスにふりまわされて、ひとときも安らぎなどなかったはずだ。
さらに日本で大正が終わり昭和になって「日本でも暗い嫌な時代がそろそろ始まろうとしていた。モダニズムとデモクラシーの短い間奏曲が終わり、ファシズムが幅をきかせるようになる。」
などと書いている。
わざとなのか。わざとこんな陳腐なことを書いてみせているのか。
青豆という人がそういう考え方をする人だといいたいのか。
それとも作者が本気でそう思っているのか。
大正を美化しすぎているし、昭和を、戦後民主主義史観でしかみようとしてないようにみえる。

それから、砧から渋谷へ、タクシーで行く、しかも首都高に乗ってという話なのだが、
まああり得ないことだと思う。
よほど土地勘がないのか、タクシーに乗るのが好きならともかく。
砧は確かに不便なところだが、少し歩けば新玉川線か小田急線がある。
タクシーが渋滞に巻き込まれたのが3:45。待ち合わせが4:30。
何時にタクシーを拾ったのだろうか。3:30くらい?
首都高や一般道が渋滞することは当然予測できるはずだ。
待ち合わせの時刻まで1時間しかないなら、普通の人なら安全確実な電車に乗る。
新玉川線ならそのまま渋谷まで出れるし、
小田急線なら下北沢で井の頭線に乗り換えるだけのことだ。

文章はところどころ非常に凝っていて、それ自体は少しおもしろい。

女性の姓が「青豆」でそれについてくどくど説明しているのはまあよいとする。

第2章も読んだ。
芥川賞うんぬん。
新人賞の下読みうんぬん。
どうなんだろうこれは。

第3章も読んだ。
なるほど。
青豆は4:30に人と待ち合わせたわけではなかったのか。
では4:30でなくてもよかったわけだ。
つまり、もともと急ぐ必要はなかったのだが、急にタクシーを降りてみたくなったのかもしれない。
それと、人に自分の特徴のある表情を見せたくなかった。
警官が自動拳銃を持っていてそれが9mmで13発入る、なんてことを普通の女性が気にするはずがないのだが、
それも理由があることだったわけだ。

まあ、ここがつかみだわな。
いきなり殺人事件がおきる。
主人公青豆は必殺仕置き人みたいな暗殺者だった。

あざやかなイントロだとは思う。多くの人はここで引き込まれてどんどん読んでいくんだろうなあ。

未捕狸算用皮

kobo ではまだ1冊もダウンロードされてない。

なんか設定がマズイのかなと思って、ジャンルを3つに増やし、説明も書いてみた。
しかし、ジャンルが大分類と中分類しかなくて、小分類は著者には指定できない。

表紙も文章も一瞬でアップロードできて一瞬で反映される。
KDPの「はがゆさ」を知っている人にとっては意外な感じがするだろうと思う。

やはりアマゾンという外圧がなければ KDP のようなものは自然と日本で生まれるはずがないのだと思う。
Puboo にはお世話になったが今は使ってない。
カクヨムは、今後使わない予定だ。伊勢物語は気が向いたら書き足すと思うけど。
私は一太郎メインで書く人なので、一太郎とカクヨムで両方執筆するのは結局は手間だ。
発作的に何か書きたくなったとき、特に短篇の場合、カクヨムや小説家になろうは便利かもしれないが、
後できちんと書こうというときに邪魔になる。
なら最初から一太郎で書いてKDPで出すのがよい。

とにかくアマゾン様のおかげで、『妻が僕を選んだ理由』は無料本の中で今も良い位置につけている。
この状態はいつまで続いてくれるのかな?
あまり期待しないほうがいいかな。
もし1ヶ月あまりも、
アマゾンkindle無料本「SF・ホラー・ファンタジー の 売れ筋ランキング」の1位に居座り続けたら、
私は何か勘違いしてしまうかもしれない。
でも要するに、ジャンル別で1位と言っても大してダウンロードされてはなかったということよね。
夏目漱石『こころ』なんかもおそらくせいぜい1日100部くらいだろう。
年で4万部。大したことない。
だからほんとなら『こころ』を凌駕するような個人出版がぽんぽん出てこないと嘘だということになる。
紙の本で1万部なんてのはざらにあるわけだから。

コンスタントに平均1日20部ずつダウンロードされたとして年で7300部。
無名の作家にとってはバカにならない数だ。
1年くらいで1万部突破するかもしれない計算だ。捕らぬ狸のなんとやらだが。
無料で、しかもどこにも話題になってないので、中身を読んでダウンロードしているはずがない。
なんとなく気になるタイトルだからとりあえずダウンロードしているのだろう。
それでランキングがあがり目立っててそれでまた違う人の目に触れてダウンロードしている。
ランキングが持続しているということは、これまでより、読者の裾野がずっと広いってことだ。いろんな読者がいる。
やっと魚影が濃そうな漁場を見つけたのかもしれない。

若い作家はラノベやファンタジーを書く傾向がある。
作家どうしで著者となり読者となるのなら、つまり同人的な著作活動ならそれで良いと思うが、
そうすると似たような小説ばかりになる。
同じような作品ばかりになると世の中の読書量の総和には限りがあるから、
作品一つ当たりの読まれる機会は減ってしまう。
『妻が僕を選んだ理由』というタイトルは今までありそうでなかったのだろう。
他に似たような名前の作品がないから私の作品を読むしかないという状態ではなかろうか。

婚活物語みたいな感じで読まれているのかもしれない。
何かの鉱脈に触れている手応えはある。

初出・初版一覧

私が最初に本を出したのは実は1990年で、出版社は工学社だった。共著だった。
それから新紀元社とかオーム社から出したが、これらも皆共著だった。
出版社からわかるように、当時は技術書しか書かなかった。しかも、いつも私の名前は共著者の中で最後だった。

そんなこともあって私は死ぬまでに単著の一本くらいは書きたいとずっと思っていた。

1. 『アルプスの少女デーテ』初出2004年9月、某Wiki(匿名)
2. 『超ヒモ理論: もし俺がヒモになったら』初出2011年4月Puboo(「山崎菜摘」名義、原題『超ヒモ理論』)
3. 『スース』初出2011年6月Puboo(「山崎菜摘」名義)
4. 『将軍放浪記』初出2011年8月Puboo
5. 『西行秘伝』初出2011年8月Puboo(原題『山家物語』)
6. 『川越素描』初出2011年8月Puboo
7. 『司書夢譚』初出2011年9月Puboo
8. 『安藤レイ』初出2011年11月Puboo
9. 『将軍家の仲人』初出2012年8月Puboo(原題『新井白石』)
10. 『紫峰軒』初出2013年1月Puboo
11. 『エウメネス1 ― ゲドロシア紀行 ―』初出2013年3月KDP(原題『エウメネス』)
12. 『巨鐘を撞く者』初出2013年4月KDP
13. 『特務内親王遼子』初出2013年7月ブログPDF版
14. 『古今和歌集の真相』初出2013年9月KDP
15. 『フローニの墓に一言』初出2014年1月KDP(現在非公開。『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』に再収録)
16. 『エウドキア: ローマの女王』初出2014年2月KDP
17. 『江の島合戦』初出2014年4月KDP
18. 『生命倫理研究会』初出2014年12月KDP
19. 『虚構の歌人 藤原定家』2015年6月初版(田中紀峰名義、夏目書房新社)
20. 『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』2016年3月初版(田中紀峰名義、夏目書房新社)
21. 『エウメネス2 ― グラニコス川の戦い ―』初出2016年7月KDP
22. 『エウメネス3 ― イッソスの戦い ―』初出2016年7月KDP
23. 『斎藤さん ― アラカルト ―: 田中久三短編集』初出2016年8月KDP(『小説家になろう』に公開していた短篇などを集めたもの)
24. 『潜入捜査官マリナ』初出2016年9月KDP
25. 『妻が僕を選んだ理由』初出2016年11月カクヨム

『アルプスの少女デーテ』を最初に書いたのは2004年で、39歳。小説らしきものを書いたのはこれが初めてということになるが、
高校生くらいに書き殴って今はどうなったかわからないようなものとか、
そういえば小学生のころ書かされたものもあった気がするので、昔からその気はあった。
しかし私は自分で書いたものを読み返してみてやっぱり自分には才能がないと諦めていた。

で、最初に書いたまともな小説は『将軍放浪記』で、これは2009年ころに新人賞に応募したのを2011年にパブーで公開し、
その後も加筆や修正をしてある。
最初の頃は、新人賞に応募する作品は田中久三で、そのままPubooに載せるやつは山崎菜摘名義で書いていたような気がする。
或いは歴史小説は田中、現代小説は山崎、という書き分けだったかもしれない。
2011年頃Pubooにたくさん出てるのはもともと書きためていたものを(紙の本で出版される見込みはないと見切って)ウェブに公開したのだ。
この頃の作品には今では公開してないものがいくつかある。

『アルプスの少女デーテ』は最初はもっと短いものだったが、どんどん肉付けしていって今ではどちらかといえば長編になった。
『西行秘伝』も『巨鐘を撞く者』も、もとはもっと短かった。
この頃はいろいろ試行錯誤してた。

村上春樹が、ジャズのインプロビゼイションのように、同じリズムで同じ繰り返しで毎日欠かさず書くと言っていたが、
確かに村上春樹の作品はジャズの即興演奏に似てて、ただひたすら文章が積み上げられているだけのように私には思える。
私の執筆方法はそれとはまったくことなる。それは『デーテ』のころから同じで、
まずアイディアがあってその骨格を書いて、段々に肉付けしていく。
読書というのものが、ライブハウスでジャズを聴くようなものであれば、それは村上春樹の作品のようなものがふさわしいだろう。
私の作品はおそらくはコンピュータ言語で書かれたプログラムのようなものではなかろうか。
私の場合、こういうキャラクターを書こうというキャラクター設定がある。
それは NPC (non-player character) の AIプログラミングに似ている。
そのキャラクターをある環境(ゲームプログラミングでいうところの map)に置けばキャラクターは勝手に動き出す。
そこに別のキャラクターを置くとインタラクションが生まれて展開していく。
だからストーリーは細かく書けば書くほどに長くなる。
ゲームのプレイ動画の長さは、プレイ時間を長くすればいくらでも長くなる。それと同じ。まあ、あまり長くすると飽きるが。

小説を書く前からゲームプログラミングらしきことはやっていた。
modを作っていた。
その影響は確実にあると思う。
小説はそんなふうに書くものじゃありませんよと言われても困る。
私にはそういう書き方しかできないから。
私が表紙絵に3DCGのキャラを使うのも、もとはといえばmodをやってたからだ。
もともと文章を書こうと思っても、なんかもやっとした、納得いくものが書けなかった私が、
人に読ませるための文章を書き始めたのは、自分が比較的得意とするプログラミングのテクニックを導入したからかもしれない。
それでなんとかこうとか書けるようになった(気がした)。

ともかく私の作品の中ではキャラクターは勝手に喋って勝手に行動しているとしかいいようがない。
キャラクターがなぜ勝手に動くかといえば作者が実在の人物や歴史上の人物をモデルにしていて、
彼らがこういうシチュエーションに置かれたらきっとこう動くだろうと予測しているにすぎない。
少なくとも歴史小説に関して言えば、他の人はどういう書き方をしているかしらないが、
私はそういう書き方しかできない。
私の場合歴史小説の書き方を現代小説や未来小説、SFに応用している、とも言える。

『妻が僕を選んだ理由』は最初『ジオコミューン』という名前にするはずだった。
『ジオコミューン』は核シェルターみたいなものをイメージしていたが、
fallout の影響をうけているからだ。
表紙にゲッコーが描かれているのもそう。
これもサンプルのつもりで気軽に書き始めたのだが、結構な長編になってしまった。
fallout の他にもいろんなものがオマージュに使われている。
『キル・ビル』『バクダッド・カフェ』『僕の村は戦場だった』『ソラリス』『レヴェナント』『007スカイフォール』。
『Marooned with Ed Stafford』とか植村直己にもかなり影響受けてるよな。
わざといろんなものをこてこて付け足していったらこうなってしまった。

セレブな美女と一般男性の恋愛というのは、今までもずいぶん書いてきた。
源懿子と西行、遼子と稗島、アマストリーとエウメネス、喜世と新井白石など、みんな同じといえば同じだ。
全然違うことを書いているようで実は通して見ると、かなりネタがかぶっている。
『安藤レイ』はアンドロイドの話だが、『妻が僕を選んだ理由』はサイボーグと人工知能の話で、私の中では比較的近いテーマなのである。
なぜ私がそういうものを書きたがるのかということはもちろん自分でもわかっている。
村上春樹もまたいつも同じような作品を書くがそれは彼がそういうものをどうしても書いてしまう何か理由があるのだろう。
その根っこの原体験というものが彼と私は根本的に違うし、
村上春樹の作品が好まれるのは彼の原体験が多くの読者の原体験に近いからだろう。
私と同じ原体験を持つ人はたぶんそんなに多くはないと思うので、私の作品がどのくらい読まれるのか、かなり私は悲観している。

妻が僕を選んだ理由、16日目

いちおう宣伝を兼ねて。

驚いたことにまだ売れている。
無料本なので、売れているというのは変だが、ダウンロード数のいきおいはさほど衰えてない。
といっても総数はこれまでやった無料キャンペーンと大差ないのだが、
これが今後も持続するとしたらすごいことだ。

理由はよくわからないが、やはり、世の中には、
なぜ妻は私を選んだのだろうと思う男がけっこういて気になってとりあえず読んでみるか、
無料だからとりあえず落としてみるかという気になるからじゃなかろうか。
そういうことは案外女性も気にしているかもしれない。
読者の男女比も知りたいところだ。

もちろん男女のロマンス、夫婦の情愛のようなものを、描いてないわけでもなく、
逆ハーレロマン的な要素もなくはないのだが、
エロやバイオレンス的なものは一切なく(いや、暗示するものはあるが)、
魔法や超能力もなく、
本質的にはがちな近未来SF。
起承転結的なものも特になく、ただひたすら「妻が僕を選んだ理由」は何かを読者に推理させ、読み続けさせる話、
とでもいうか。
だけどアマゾンのレビューには「サスペンスドラマ」と書いてもらった。
スリルや怖さをことさら演出したわけではなかったが、そう感じてもらえたのはうれしい。
ともかく良いレビューを書いてくれた人がいたおかげで、リバウンドしたのはよかった。
非常にありがたい。

学術的な難解な問答。すいません。
あれは、読者サービスならぬ著者サービスです。
著者の自己満足なので我慢してください。飛ばして読んでも全然問題ありません。

ともかくほとんど無名作家の私の場合、
読者サービスをするつもりで、無料サンプルを書くつもりで書くくらいがちょうどよいらしい、
ということがわかった。
でもこれが無料でなかったらどのくらい売れただろう?わからん。そんなこと考えてもしかたない。

実はまだ手直ししている。
プロットの変更はさすがにないが、細かな描写の追加はある。
誤記もまだたまにあるので油断ならない。

Amazon 売れ筋ランキング:

> 1位 ─ Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > [ロマンス](https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/digital-text/2292725051/ref=pd_zg_hrsr_kinc_1_4_last)

この「ロマンス」には他の無料本がほとんどないので、別にどうでもよいのだが、
もしかするとそこに意味があるのかもしれない。

> 1位 ─ Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > [SF・ホラー・ファンタジー](https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/digital-text/2292700051/ref=pd_zg_hrsr_kinc_2_4_last)

1週間以上この状態が続いているはずだ。
このジャンルは私の知り合いの KDP作家が一番書いているところなんでびっくりしてる。

> 12位 ─ Kindleストア > Kindle本 > 文学・評論 > [小説・文芸](https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/digital-text/2292754051/ref=pd_zg_hrsr_kinc_3_4_last)

これもけっこうすごいことだ。このジャンルでは夏目漱石『吾輩は猫である』『こころ』、
太宰治『人間失格』が玉座を独占しているのだが、
そのはじっこにつらなっている。

> Kindleストア [無料タイトル](https://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/digital-text/ref=pd_dp_ts_kinc_1#2) – 28位

この位置をキープしているというのもかなりすごい。

公開して16日が経過した。
明らかに今まで書いた本とは反応が違うので楽しい。
それはそうと私の他の本がついでに読まれるかというと、いまのところそうではなく、むしろ減ってる。
思うにとりあえず無料本から読んでおこうかという動きかもしれない。

kobo ではまだ1部もダウンロードされてない。
kobo よ・・・。

村上春樹

まだ1Q84をちらっと読んだだけだが、私の知っている作家の中では、小林秀雄の文章に似てるなと思った。村上春樹と小林秀雄が似てるといってる人はいないかとググってみたが、どうもいない。

小林秀雄は戦前のフランス文芸の影響をうけた人で評論家になった。一方、村上春樹は戦後のアメリカ文芸を受肉化して小説家となった人だが、村上春樹の作品は小説という分類からはかなり外れているように思う。その本質は「やおい」であり、小説という体裁を使って書かれた何かだ。冗長で内容に乏しいが読める。小林秀雄の文章と同じだ。ある種の依存、麻薬中毒なのではないか?けなしているつもりはないがほめているのでもない。小林秀雄の文章も評論という体裁を使って書かれた何かなのだ。それはもう小林秀雄節というしかない。

村上春樹の文章はどこもかしこもことわざめいた言い回しで埋め尽くされていて、もちろん全部違うが全部同じような既視感がある。イスラム建築の回廊をぐるぐる回っているような感じというか。それが私にとって心地よいかといわれれば、はぐらかされているような、おちょくられているような、つまりは車酔いにも似た不快な感じがして、村上春樹が嫌いな人も同じことを感じているのだろう。奇妙な言い回しで同じところをぐるぐる回っている、回らされている感じ。

もちろん何かのストーリーとか落ちとか展開とか伏線というものはあるんだろうが、たぶんそれは小説という体裁を整えるために付け足されたもので、あると落ち着くが無くても済む、日本建築の床の間のようなものではないか。

あ、違うな。読者を登場人物に感情移入させるための何かの仕掛けがしてあるわけだ。そして、明らかに、私にはその辺りの設定が、存在しないくらいに透明で、まったく感情移入できない。心の琴線の固有振動数がまったくあってなくてぴくりとも共鳴しない。だから、ただ美文だけ延々読まされる感じがする。あるいは、絵に例えると南画みたいな朦朧体みたいな感じ。

「やおい」だが「読める」というのは日本文芸のお家芸といってもよく、「やおい」だが美麗なアニメ絵でむりやり作品に仕上げたのが新海誠ではないか。村上春樹と新海誠の雰囲気も似ていると思う。

戦前の日本人が小林秀雄に眩惑されたように、今は村上春樹と新海誠がそうしていて、世の中の磁場が非常にゆがみ始めていることを感じる。その磁場の中心が何かはだいたい想像がつく。やはりそこが日本文芸の核であり、読者のマジョリティなのかと、諦念にも似た気持ちになる。

例えば1Q84を映画化しましょうとか言って、できないよね。映画監督に指名されたらとても困る。タルコフスキーなら喜んで作るかも。ていうか、ある意味タルコフスキーの映画とも似ているよね、村上春樹は。超絶退屈だが、好きな人は好き。それなりにファンもいる。よく女の子が六時間も七時間も長電話してしまいにゃ話しながら寝てしまう。でも話す内容はとくになくて覚えてもいない。そういう需要があるってことは、知識としては知っている。だからそういうものを書いて提供する人がいて、実際に売れている。

狙いは悪くないらしい。

最初ちょこちょこ間違いを修正しながら加筆したりしてしまうのだが、
出版して1週間ほど経過して
「妻が僕を選んだ理由」
はやっと落ち着いてきた。
すでに読んだ人、買ってもらった人には悪いのだが、私の本はだいたいそんなものだ。

一箇所、「ナターシャ」のはずが「メアリー」と書いたところがあった。
ごめんなさい。
他にもいろいろ間違いがあった。もうだいぶなくなったと思う。

「妻が僕を選んだ理由」「潜入捜査官マリナ」はわざと「大衆小説のようなもの」を書いたのだけど、
狙いは悪くなかったらしい。
というのは、「この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています」
に出てくる本が多くて、しかも今までと全然違うジャンルの本が出てくるからだ。
今までとは全然違う人の目に触れているのは間違いない。

KDP を始めたのはたしか 2013年頃だったはずで、この3年間で知り合いになった人も多くて、
最初から見てくれていた人たちはもちろんありがたいのだが、
私としては、普通の書店に並べるように、あるいは図書館に置いてもらうようにして、不特定多数の人の目に触れてもらいたいのだ。
同人活動のようなことがしたいのでは決してない。
日本の文芸史に果たした同人の力は大きいし、今も脈々と、コミケのような巨大イベントや pixiv のような形に引き継がれている。
しかし、だからこそ、同人活動というものはやり尽くされていて、どんなものかというのはやる前からおよそわかっている。
KDP にはまだ未知の要素があって何が起きるかわからないのが面白い。
もちろん KDP と同人活動という、この異質なものが融合して、なにか新しい化学反応を起こすかも知れない。
しかしもし私が同人活動というものが好きならすでにやっているはずだし、
学会活動というようなものならもうすでにやったし、そしてすでにその限界を見て疲れてしまった。
つまり私は旗振り役にもなれないしかといってただのメンバーでいるくらいなら個人で動こうと考えてしまう。

「妻が僕を選んだ理由」は出たばかりだが、
「潜入捜査官マリナ」が一番関連書籍が多く、
「エウメネス」は「妻」「マリナ」より少なく、
かつ、これらの本の関連書籍は見事なまでにかぶっていない。
書いてる自分も意識して書いていることではあるが、一冊一冊ジャンルがばらけている。
「虚構の歌人」「ヨハンナ・シュピリ」もたぶんジャンルはかぶってない。
つまり私の場合いろんな場所で撒き餌をまいているわけだ。
「エウメネス」は撒き餌のつもりではなかったが、
「妻」と「マリナ」は明らかに魚影の濃いところを狙ってまいている。
そしてもう完全に新人賞は無視することに決めた。アマゾンに乗っかるほうがましだと思い始めた。
kobo は全然売れてないし、カクヨムも全然読まれてない。
私の本がまがりなりにも売れたり読まれたりしているのは明らかにアマゾン様のおかけだ。

「虚構の歌人」「ヨハンナ・シュピリ」に関していえば、まあ、普通に言って無名の中年新人の小説は売れませんよね。
それよりかかっちりした学術書を書いたほうが、私という人間には需要がある、ということでしょう。

なんでこんなことを始めたかといえば、
「特務内親王遼子」がまったく売れなかったせいかもしれない。
ともかくも、世の中が必要とする本を書いて誘導しないことには、
私が世の中に読ませたい本は読まれない。

妻が僕を選んだ理由

カクヨムでだんだんに肉付けしていったものを、
だいたいのところで kobo ライティングライフで無料で出版しておいて、
そのあと KDP で 99円で出して、
今 0円にしてもらえないかどうか交渉しているところなんだが、
もう買ってくださった人がいらっしゃる。

KDP で試し読みした人はいないので、たぶん KDP 関係者の人は
twitter を読んでて早めに読みたい人はカクヨムを読んで、
0円になるのを待っているのだと思うのだが、
たぶん、kindle でタイトルだけ見てすぐ買った人がいるということなんじゃないか。
kobo ではこうはいかない。
アマゾンは偉大だ。

ほとんど書き終えているんだけど、今も、たとえば、

> 彼女はまずドライブスルーのマックに車を駐め、インターホンに向かって大声でオーダーする。

とだけ書いていたところを

> 淡い青紫の花の房が枝をたわわにたわませているジャカランダの並木道を走らせ、金持ちが住む住宅街を抜けて、彼女はまずドライブスルーのマックに車を駐め、インターホンに向かって大声でオーダーする。

などのように加筆したり、

> 涼しげな木陰を店先に落とすベンジャミンの巨木が印象的な、海風に吹かれるオープンテラス。

みたいな言い方をして「西海岸」っぽさを出そうとしている。
これに対して

> さんさんと日の当たる公園のベンチは暖かかったが川にはもう氷が張っていた。

というのは「東海岸」を表現しているつもりで、

> フィヨルドに流れ込む川はどれも細く急流で、ときにははるかな岩の上から、海に滝となって流れ落ちる。その水は澄んでいるがごく冷たい。

というのは北欧辺りをイメージしているわけなんだが、
そういう細かな枝葉が必要かどうか私には、実はよくわからない。

「たわわにたわませる」というような言葉遊びは好きだし(「たわわ」と「たわむ」は同語源)、
西海岸、東海岸、亜寒帯の空気感の違いは出せるものなら出した方が良いと思ってやってみている。

最近はわざとプロットやタイトルが一般読者向けの小説を書いている。
「潜入捜査官マリナ」「妻が僕を選んだ理由」などがそう
(「生命倫理研究会」は単にラノベを書こうとして失敗した例)。
官能小説か大衆小説みたいなタイトルを付けて、
冒頭ぱっと見、ハーレクインロマンスみたいな展開にしている。
それはまあ、疑似餌なわけだが、
疑似餌は疑似餌なりに楽しめるようにしておきたいし、
読み始めて違う意味で興味を持ってもらいたいと思っているのである。
ある意味騙してるみたいなもんなので、作品解説でもいちおうネタばらしはしてあって、
そのうえ念を入れて無料配布にしたいのだが、
有料で買っていただけて恐縮している。

実は4万字しかなかったのを8万字まで増やすためにエリックというキャラを追加したのだが、
これは結果的には一応良かったと思っている。
エリックはベタなキャラで、彼の登場で明確な三角関係ができる。
ストーリー的には安定するが、少し陳腐な匂いがしなくもない。

「妻」はなぜ「僕」を選んだか。これは完全にSF的な理由なので、
多くの人はだまされると思う(騙されなきゃ作者は困る)。
まあこれ以上自分でネタばらしするのはやめておこう。

今回の表紙絵は、JPEG のリンギングがあまりにひどいので背景になにやら模様をつけた。
これは clip studio paint のフィルタだけで描けるものだ。

> かんたんにミステリを書く方法。

> 1)死体を転がす。

> 2)死体の5W1Hを列記する。

> 3)2でつくった5W1Hを逆から追い込む。

> 推理小説は応募数が少ない。乱歩賞は「該当作なし」がない。ミステリは穴場だぜ、小説家志望者諸君。(鈴木輝一郎小説講座より)

ネタだよな?

名探偵コナンはこんなふうにできてるが、さすがに相棒はこんなにひどくない。

ましかし、コナンのシナリオ書いている人も、それで飯を食っているわけだから、立派なプロのライターには違いない。