亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

12.10.2017 · Posted in kindle

『エウメネス』を最初書いたときは、アリアッノスの『アナバシス』しか読んでなかった。 その中の名場面を切り抜いて一本にして、それ以外を書く気はなかった。

連載ものにしたのは、続編が読みたいというレビューが書き込まれていたためでもあるし、 また、『エウメネス』が良く売れるので、一から書いてみようかという気になったのだ。

それで、アレクサンドロスの東征の開始からイッソスの戦いまでを書いてみようとして、これは一本では書き切れないってことがわかって、 二本にわけた。 もともと出してたやつを『エウメネス1 ゲドロシア紀行』とし、 つづいて『エウメネス2 グラニコス川の戦い』、『エウメネス3 イッソスの戦い』としたのだった。

『エウメネス4』と『エウメネス5』では、それまでと違って、 アレクサンドロスの金魚の糞みたいな位置づけだったエウメネスを単独行動させてみた。 わざとアレクサンドロスを登場させず、アレクサンドロスの三人称視点としてのエウメネスを独立させて、 一人称視点のエウメネスを書くことにしたわけだ。 ついでにカッサンドロスやセレウコスなどの若者も登場させてみた。

『エウメネス』シリーズはすべて一人称視点で書かれているのだが、 一箇所だけ、イッソスの戦いでダレイオス三世が敗走するところだけ、 ダレイオスの一人称視点で書いてある。 というか、エウメネスでもダレイオスでもない三人称視点のような書き方になっている。 これは反則技というか、文章の稚拙さともいうべきものなわけなんだけど、 個々の箇所はエウメネスの回顧録のような形で読んでもらえればと思う。 イッソスの戦いの後でエウメネスが知り得た事実を総合したらダレイオスの心理とはこんなふうなものだった。 それをエウメネスが語った、ということにしてほしい。 ところどころ、「今から思えば」とエウメネスが言う箇所がある。 この作品全体が、アレクサンドロス大王がバビュロンで死んだ直後くらいにエウメネスが王を追想して語ったものなのだが、 没入感を出すために、多くは現在形で語られているのだと了解してもらえるとありがたい。

古代ギリシャのことを書きながら、いつの間にか、結局現代社会のこと、私自身の思想のことを書いているのだけれども、 それは私が書いているフィクションなのだから仕方あるまい。 なんなら他の人はほかのように書けばよいだけだ。

あとは、パールサの戦い、ハグマターナ、バークトリシュの戦いを描くのみとなった。 たぶんこれらは『エウメネス6』『エウメネス7』という形で書くことになるはずだ。 そして時系列的に言えば『エウメネス1』に戻る。

最後はゲドロシアを抜けてスーサに至るまでのアレクサンドロスの帰還を描いて『エウメネス8』としたいと思っている。 『エウメネス8』の主役はカラノスというバラモン僧になる予定だ。 この人はもともと出てこないので、『エウメネス1』に追記した。 『エウメネス1』だけで完結するには要らないキャラだが、 『エウメネス2』から『エウメネス7』まで来て『エウメネス1』に戻って、『エウメネス8』で完結するためには、必要なキャラだと考えている。 アレクサンドロスが死ぬところやその後のディアドコイ戦争を書く気はない。

アレクサンドロスとは何だったのか。 彼にはエパメイノンダス、フィリッポス2世という先達がいた。 ペルシャ帝国が瓦解しかけ、そのコスモポリタニズムを新興のマケドニア王国が引き継いだ。 さらに彼の個人的資質、特殊能力としてはダイモニアというものを仮定している。 ダイモニアはソクラテスが言っていたことで、アリストテレスもエウダイモニアなどと言っている。 ダイモニアは守護神とか守護霊のようなものであるし、バラモン教的に言えば阿頼耶識とでもなろうか。 無意識的自我とでもいえばよかろうか。

『エウメネス5』ではたくさんの神が出て来た。 ダゴン、イシュタル、ナブー、マルドゥク。 占星術、七曜にも多く言及した。 ユダヤ教にもちょっと触れた。 『エウメネス3』ではフェニキア人やエジプト人の神の話も出た。 ペルシャ人の神アフラマヅダは当然出てくるし、 ギリシャ人の神はディオニュソスを初めとしてこれまたたくさん出てくる。

これだけたくさん神様を出したのは単に私の趣味だからでもあるが、 私は、アレクサンドロスがパールサプラを焼いたのは、アレクサンドロス自身が意図したのではなく、 バビュロニア人とペルシャ人の間の宗教的な対立があったからだと思うからだ。 もちろんギリシャ人も、ギリシャに侵攻したクセルクセス王には恨みがあった。 そのクセルクセスが完成させたパールサプラを略奪し焼いたのはギリシャ人自身の復讐であったかもしれないが、 しかし、バビュロンに入城したアレクサンドロスが為政者として市民らに最初に期待されたのは、 ペルシャ人への報復だったと思うのである。 つまりバビュロンへの無血入城には、パールサ征服という交換条件があったのではないか。

ディオドロスの『歴史叢書』も最近になって目を通している。 概要はアリアッノスと、ウィキペディア英語版など読めば十分なのだが、 ディオドロスにしか書いてないディテールなどが割と作品に風味を加えてくれるので、 できるだけ拾いたいと思う。 他にもクセノフォン、トゥキュディデス、アテナイオスなども読んでいる。 森谷公俊氏の本も読み始めた。 しかしプルタルコスを参考にするつもりはない。

まともかく『エウメネス』シリーズは完成させなくてはならない。 そのため『エウメネス1』はだいぶ加筆修正した。 『エウメネス2』にはアンフィポリスの戦いを加筆した。 完成させるまでには、いやもしかすると完成させたあとも、加筆や修正は続くんじゃないかと思う。

12.03.2017 · Posted in 雑感

11月30日に出版開始してそれからさらに書き足してしまい、211枚まで増えてしまった。 私の場合どうしても出版した後にも修正したり書き足したりしてしまい、 しかもキンドルは改版するのが難しいから、出ました、とはなかなか宣伝できない。

でも読んでもらいたい気持ちはあるから、ツイッターなどで告知したい気もする。

一応完成はしているが未完成なのだ。

今あらためて『エウメネス1』を読み直すと幼稚だ。 『エウメネス』を最初に書いたのはもう4年前だ。 あの頃はアリアッノスの『アレクサンドロス大王東征記』だけ読んで、イッソスとガウガメラはある程度知っていたが、 その後のゲドロシアのところが面白かったので、そこを切り取って書いたのだった。 今『エウメネス5』を書いているが、これはアリアッノスだけでなく、ヘロドトス、トゥキュディデス、クセノフォンなどいろんな歴史書を少しずつつまみ食いして補完して書いているのである。 もちろんウィキペディアとかペルセウスとかその他の文献も見ているが。 当時と今では知識量がまるで違う。 私は4年前、ほとんど何も知らずに書いていた。 4年前の私に『エウメネス5』を読ませたらどんな気持ちで読むだろうか。 まったく予測がつかない。

『エウメネス1』の頃の私はわりと読者目線に近かったと思う。 ふつう読者はエウメネスを知らないからエウメネスを知ろうと思ってエウメネスの本を読むわけだ。 私もエウメネスを知らずにエウメネスを書いていた。

今の私は読者目線にはなれようがない。著者としてしかエウメネスを見れなくなってしまっている。 どちらが良いともいえない。 著者としては今の私のほうが優れているはずだが、読者にとっては、自分に近い目線の人が書いたもののほうが面白いはずだ。

『エウメネス1』を書いたとき私は傑作を書いたつもりでいたが、今見るとなんとも物足りない。 あの頃はあの80枚をものすごい努力で書いたのだった。 今は200枚くらい平気でかける。 いろんなエピソードを挟んだり、架空の人物を登場させることで、いくらでも分量を増やすことはできるようになった。

11.30.2017 · Posted in 映像

Kill Bill 1 & 2。 Blu-Ray 2枚組で2000円切る。 安くなりましたなあ。 DVDは買ってあるんだが、画質がいまいちなので、買い換えようかと考えている。

007 ブルーレイコレクション (24枚組) 驚異的な価格だよなあ。

007はイギリス映画で、ハリウッドがぶつけてきたのがミッションインポッシブルじゃないですか。 私、ミッションインポッシブルが大嫌いなんだけど、それは毎回、いきなり主役のトム・クルーズのアクションから入るところなのよね。 主役メイン、キャッチーなら良い、売れりゃいいという戦略丸見えじゃないですか。 それで仕方なく007もダニエル・クレイグあたりからそのやり方でやるようになった。

007もドクター・ノオなんてのは、最初盲目の三人組が殺しをやるところから入るんで、 それでドクター・ノオの機密文書を入手するわけ。 じゃあドクター・ノオって誰だろう、みたいなじんわりと引き込む出だしなわけじゃないですか。 奥ゆかしいよねえ。

それにひきかえハリウッド映画の下品さときたらもう。

ダニエル・クレイグはトム・クルーズみたいな美男じゃないよね。 そこがやはりイギリス的奥ゆかしさというか、ひねりだよな。 いきなりアクションから入るけど、ハリウッドとは何かが違う。 トム・クルーズだったら拷問受けてちんこを鞭でひっぱたかれたりしないだろ。

海がきこえる。 一応ブルーレイ。

アンティオキア湖

11.23.2017 · Posted in 雑感

アンティオキアはセレウコスの父アンティオコスにちなんでセレウコスが建設した都市だが、 もともとここにはアララハという古代都市があったが、セレウコスの時代には廃墟になっていたと思われる。

アンティオキアはオロンテス川が流れ込み、流れ出す、アンティオキア湖のほとりにあった。 今は灌漑されて小さくなったが、かつてはもっと大きな湖であったはずで、したがって、イッソスからハルペへ行く途中はこの湖を迂回せねばならなかったはずだ。

google maps で地形を表示すると真っ平らなので、かつてこの平原が湖であったことは明白である。

イッソスからアンティオキア湖まではかなり急峻な山道を通らねばならない。

オロンテス川は大地溝帯の北端に当たっていて、このアンティオキア湖はその地溝帯の谷間にあったのである。 地形的にはイスラエルの死海やガリラヤ湖と同じ。

タプサコスの渡し場のあたりは、地形図で見ると平地ではなくて山地になっている。 エウフラテスの川幅が狭まっている箇所ということだろうと思う。 川の中に中州というか島がある。 ここに舟を並べて舟橋にして渡ったのであろうと思う。

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イッソスからタプサコスまで。

11.23.2017 · Posted in 雑感

クセノフォンの『アナバシス』に、 ミュリアンドス Myriandros という地名が出てくる。フェニキア人が住むシリアの海辺の町。ここはイッソスのアレクサンドリア、今のイスケンデルンである。 商業の中心地とある。

ミュリアンドスを出て行程4日、20パラサンゲス(1パラサンゲスは30スタディア、5.4km)でカロス川についた、とある。 このカロス川というのは、今のアレッポの町の中を流れるクウェイク(Queiq) 川であるという。 従ってこのカロス川が流れる町はアレッポ、古代の呼び名で Khalpe となる。 ハルペの住人は魚と鳩を食べないとある。 これはおそらく魚はダゴンの使いであり、鳩はイシュタルの使いであるからだ。 ダゴンはもともとはフェニキア人の神であり、それもハルペ南西55kmにあったエブラという町の主神であったろうと考えられる。 ハルペ住人がダゴンを信仰していて魚を食べなかったのはほぼ間違いないように思われる。 日本語のウィキペディアには、ダゴンはヘブライ語由来だと書かれているのだが、そんなことはない。 ダゴンはクトゥルフ神話で有名だが、これはラヴクラフトが適当に考えた世界観である。

鳩を食べないというのは、おそらくイシュタル信仰のためだ。イシュタルは鳩が好きで、自らも鳩の姿をしている。 それゆえイシュタルの羽根と足は鳩のものなのだ。

クセノフォンの『アナバシス』はヘロドトスの『歴史』に比べると描写がずっと具体的である。

カロス川から行程5日、30パラサンゲスでダルダス川に着くとあるが、 これは al-Bab という町を流れるDhahab 川 であろう。

ダルダス川から行程3日、15パラサンゲスでタプサコスに着く。

とまあ、こんな具合に、 アリアッノスの『アナバシス』でわからんところはヘロドトスやクセノフォンなどを参照していろいろと肉付けしているのである。

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10.24.2017 · Posted in 政治

比例代表というのは、まあこれは、大選挙区制だわな。 昔は中選挙区制で、そのために、自民党が第一党となって、その他の野党がたくさんできるという状態ができた。 そんで、小選挙区制にすれば野党が結集して二大政党制になりやすいからってんで、 小選挙区制にしたわけだが、 小選挙区制では死に票が多いから比例代表と合わせ技にすることにした。

その結果として、自民党に対抗する野党として民主党ができた。 コンサバティブとリベラルの二大政党制になりかけていた。 実際、民主党が政権を取ったことがあった。 そのこと自体はまあ悪いことじゃないと思う。 民主党は護憲、労働者寄りであって、 自民党は改憲、資本家寄りである、という対立があって、政権交代があって、政策の調整が行われるのは、まあ全然悪いことじゃない。

ところがまあどうしたことでしょう。 今回の選挙結果は中選挙区制だった頃のような野党構成ではないか。

小選挙区制が自民にだけ利益を与え、 結集できなかった野党が互いにつぶしあった。 しかしリベラルが一つにまとまれないってことは民主党をみればわかりきっている。 なぜまとまれないかってことはやはりマスコミが口出しするのが悪い。

政策でまとまれないから、安倍政治を許さないとか、そういう個人攻撃でしか共闘できないのだ。 バカではないか。

今の選挙制度で勝負する前提でみんなやってるわけで、 負けたから選挙制度のせいにするのはゴールを動かそうとしているのと同じ。 そのゴールは民主党政権の時代からそこにあったものだ。 自民党から民主党へ、そしてまたもとの自民党へ。政権交代が起きやすい、振れ幅が大きいのは小選挙区制だからだ。 すべては想定の範囲内のことだ。 政治的安定を求めるのであれば大選挙区にすりゃよかろう。 しかしその場合与党が弱体になりやすいという不安定要因は生まれるのだが。

小池百合子はマスコミに持ち上げられて落とされた。 ある意味かわいそうな人だ。 彼女は本来、自民党には良くいるタイプの普通の保守、普通の右翼だった。 ところが都知事に担がれた頃からおかしな具合になって、さらに希望の党なんてものを立ち上げてますますおかしくなった。 小池百合子を持ち上げたマスコミは、彼女が調子に乗ってまったくマスコミのいうことを聞かなくなったので叩き落とすことにした。 結局彼女は踊らされただけだったのだ。 石原慎太郎ほどの個性も自我もなかったのだろう。 サッチャーやメルケルとは比べようもない。

こんな具合にマスコミが政治家をいじくりまわすのは主にリベラルで、 保守の連中はわりと身内で固まっていて、 マスコミに操られることが少ないと言える。

もしマスコミがまったく口を出さなかったらリベラルの中からまっとうなリーダーが現れてきちんと意見調整するのかもしれない。 ともかく日本のリベラルは大同団結できない。 マスコミはただ引っかき回すだけ。

みやねやが「偏向報道というの、やめよう」などと言ったらしい。 みやねやがどういう人かは知らない。あまりみてないので。 しかしマスコミの中では比較的まともな人かもしれない。 リベラルの意見だけを尊重して番組作りをすることはあろう。 それは必ずしも偏向報道とは言い切れない。まあその程度は許容範囲だからだ。 マスコミにそれ以上のことを求めても無駄だ。 多くのマスコミがポジショントークしかしないってことで、 ポジショントークをポジショントークと見抜けないで公平中立な報道だと思うのは見てるほうが悪い。 むしろなんでこいつらはこんな極端な報道をするのだろうかとその裏を読まなくてはならないのだ。 そういうこともまた我々インテリの仕事だ。

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10.22.2017 · Posted in 雑感

年を取ったせいで怒りっぽくなっているのは間違いない。

酒を飲んだときに特に感情が振れすぎる気がする。 記憶の無いときに何をしでかすか怖くてしかたない。

それと関連してなのだが、どこに何があるか完全に把握してないと不安で仕方なくなって、 ささいなもの(折りたたみ傘や筆入れなど)でもなくすことが恐ろしい。 一つなくすときには他のものもなくしている可能性があるからだ。

それでまあ、 社会を変えようとか自分が所属している組織を変えようなんてことはこれからもう一切考えずに、 なにごともたにんごとで受け流して生きていこうと思う。 何か腹が立ったり反論したくなってもやらない。 正義感とか使命感などというものは怒りっぽくなった年寄りには害悪でしかないのだ。

最近、スーツを着てネクタイを締めていると精神的に楽なことに気付いた。 体を締め付け拘束していること、 また、世間一般から見て真面目なかっこうをしていることによって、 自制心が働きやすくなるからではないかと思う。

外へ出るとき、仕事へでるとき、スーツを着てネクタイを締め、何事にも心を動かさず、 後に残さず、内に溜めず。 そうやって何事も穏便に、無難に、無気力に生きていけば良いのではないか。 そしてネクタイピンや腕時計や靴に凝ろうと思う。 紳士のかっこうをして紳士になりきるのだ。

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10.16.2017 · Posted in 雑感

トイレにビックカメラの日本地図を貼っていて、律令国の境界や名前などを書き込んだりして重宝しているのだが、 世界遺産とか旧暦の月名の蘊蓄なども書き込まれていて、自然とそれが目に入って憂鬱になる。 おおかたの日本人にとってはこれが日本の伝統なのだ。 実に馬鹿げている。 ほとんどの伝統はまずいったん疑わねばならない。 そしてほんとに確かなものだけを後世に伝えるようにしなくては。

学生時代は都心に四畳半風呂無しトイレ共同アパートに住んでいた。 今もそういうアパートが中央線沿線当たりにわりと残っていて、 ネットの不動産屋で見て、 google マップかなんかでたぶんこれだろうみたいなのを探し出したりなどして、 職場から近くにこういうところを借りてみようかな、少なくとも、物置代わりにはなるだろうし、 住んでみれば地理に詳しくなるだろうと思うのだが、 朝風呂に入っているといろいろと着想が沸くたちなので、 風呂無しアパートで銭湯通いするとその機会が失われてしまう。 やっぱり不便な気がしてくる。

今の憲法が宗教なのはよろしくないことだ。 「人類普遍の原理」「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼」「政治道徳の法則は、普遍的」「永久にこれを放棄」「侵すことのできない永久の権利」などと言った文言はすべて不要だし不愉快だ。 明治憲法が「天皇は神聖にして侵すべからず」といったのを別の言葉に置き換えただけじゃないか。 そういう文言は明治の法典にいくらでも見られるものであり、 同様に不要だ。 かつて西洋で王権神授説が信じられていたときにそんな文言が使われたのは仕方ないかもしれない。 社会主義国家の憲法が大言壮語に飾られているのも勝手にすればよい。 しかし日本の憲法までがそんな狂言を弄しているのは許しがたい。 憲法は法律体系の頂点に位置する基本法というに過ぎず、他の法律同様に、永久とか普遍などという概念になじまない。 日本人は藤原不比等が作った養老律令を1200年も廃止しなかった、かなり頭がおかしい民族で、しかもその自覚が無い。 日本国憲法だって養老律令みたいにしてしまいたいのだろうし、明治憲法を作ったときにも1000年保つ恒久法のつもりで作ったのに違いない。実に馬鹿げているではないか。 日本人は建物を建てるときはちゃんと耐用年数を計算して建てているのだ。 日本人に合理精神が欠けているというわけではなさそうなのに不思議だ。

世の中の景気が良くなってもクリエイターの待遇が良くならないのはやはり電波利権のせいなのではないかという気がしてきた。 電波利権こそは諸悪の根源なのだ。 東京テレビ局の特権的地位をなくせばクリエイターの労働市場は改善されるだろう。

東京一局集中も利権だ。政府は首都機能移転しようとしているのに、東京都などが利権を守るために阻止している。

政府にできることはいくらでもあるのに利権に縛られてできない。 公共事業を抑制しているのも、結局は、東京に利権をもっている連中が地方の発展を妨げたいだけなのだ。

年寄りが少なかったころは年金とか高福祉でよかったが、高齢化の時代にはベーシックインカムのほうが適している。 社会保障はすべてベーシックインカムに集約してあとは自己責任にすれば良いではないか。 多少不便になることもあろうが、制度は簡素化し、政府の財政は安定する。

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10.15.2017 · Posted in 政治

アメリカは好戦的な国だとみなされているのだが、 実際、アメリカほど戦争している国はないわけだが、 しかし、アメリカほど、ほかの国が戦争に巻き込みたい、ほかの国が利用したい国もないわけである。 第一次世界大戦も第二次世界大戦もそうだった。

そういう意味では日本もアメリカに似ている。 日本はかつて挑発されるとすぐカッとなって戦争してしまう国であった。 おっちょこちょいな国と言ってもよい。 必ずしも戦争が好きな国とは言えないが、すぐに戦争に巻き込まれてしまう。 そこがアメリカと似ているといえなくもない。

ほとんどすべての国がアメリカに北朝鮮を懲らしめてほしいと思っている。 つまりアメリカに北朝鮮と戦争してほしいと思っている。 トランプはブッシュほど馬鹿じゃないので自分から手を出さない。 相手から手を出させようとしている。そこがフランクリン・ルーズベルトに似ている。

今から思えば、日中戦争や大東亜戦争に日本を引きずり込んだのは毛沢東だった。 日本が蒋介石と戦い、アメリカと戦えば、共産党に割り込む隙ができるからだ。 日本を戦争に駆り立てたものは日本自身であっただろうか。 中国とソビエトではなかったか。 日本が朝鮮半島に進出し、満州に進出して、中国とロシアは迷惑だった。 イギリスは東アジアに直接かまってられないから、やはりアメリカを参戦させたかった。

つまり、アメリカに日本を懲らしめてほしいと思った。世界中の国が。

朝鮮半島は昔も今も政治的に破綻している。 そんなやっかいなところへ日本はのこのこ出て行って痛い目にあった。 伊藤博文は愚鈍に見えて賢く、陸奥宗光は頭の切れるバカだったと言わざるを得ない。 今日本は朝鮮半島から完全に軍事的に手を引いて代わりにアメリカが出てきて、 アメリカが北朝鮮を懲らしめなくてはならない形になってきている。

アメリカも日本もマスコミが政府の足を引っ張り、あるいは政府に戦争させようとする。 あるいは外国勢力がマスコミを操って政府を弱らせようとする。 これ、日中戦争や大東亜戦争時代の国際情勢と同じじゃないのか。

私は自分が右翼なつもりでいるが、「神在月には出雲大社に参拝しよう」とか言ってる連中にはまったくシンパシーを感じない。

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ユネスコ改革

10.14.2017 · Posted in 政治

【社説】米のユネスコ脱退は正しい第一歩

非常に興味深い記事だ。 原文は英語で有料会員制ですでに読めないのだが、現時点でまだ公開されている和訳を読めばほぼ十分だろう。

イリナ・ボコヴァはブルガリア共産党員(ブルガリア共産党は1990年にすでに解散)で、 モスクワ国際関係大学の卒業生で、 2009年からユネスコ事務局長であり、 2016年の国連事務局長選挙にはプーチンの支持で立候補している。 国連本部はニューヨークにあるが、 ユネスコはパリにあってアメリカのコントロールが効かない。 ボコヴァが2011年にパレスチナ自治政府のユネスコ加盟を認めたことから、 米国はパレスチナを国家として受け入れる国連組織への資金拠出を禁じる法律を発動。 別に金がもったいないから拠出しないことにしたわけではないのだ。

また、ユネスコはシリアのアサド政権を支持しているとも言っている。

要するにユネスコはパレスチナにしろシリアにしろ、ことごとくアメリカに楯突いており、 ユネスコはロシアに操られているといってもよい状態なのである。

ユネスコがパレスチナの洞窟を世界遺産に登録したことでもはやアメリカはユネスコを容認できなくなった。 まったく同じことが日本でも起きている。 日本も世界遺産なんてものに依存して商売するのはやめたほうがいい。

日本は勇気を持って行動すべきだ。 ユネスコを脱退する必要もない。 拠出金も払ってよい。 世界遺産をすべて辞退するだけでよい。 それが今のユネスコに対する抗議となる。

日本はただ、観光客目当てで世界遺産登録に躍起になっているだけだ。 ただのさもしい根性にすぎない。 「教育」「科学」「文化」の名のもとに金もうけがしたいだけにすぎないのだ。 だからこの際、世界遺産登録は返上してしまえ。

それでも観光客があとからあとから日本に押し寄せてくるだろう。 それだけの魅力が日本にはあるからだ。 そうしたら多くの国がユネスコを見限り、 ユネスコには利権が集まらなくなる。 そうしてやっと汚らしい政治家たちは去り、まっとうな「教育」「科学」「文化」の場に戻る。 日本がユネスコを改革するとはそういうことを言うのではないのかな?

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