亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘雑感’ Category

摂政

08.08.2016 · Posted in 雑感

日本では、摂政というのはずっと天皇の外戚のことだった。 具体的には藤原氏のことだった。 昭和天皇が即位する前に摂政宮となったのは例外であった。

藤原氏が摂政である場合、藤原氏は天皇家の祭祀まではやらない。 藤原氏には藤原氏の氏長者がいて、藤原氏の祭祀があるからだ。

天皇家の祭祀は天皇の専権事項であり続けた。 皇太子や上皇が行うことはあり得ない。 大正期の摂政宮がどうであったか。 詳しくは知らないが、天皇以外が天皇家の祭祀を行うことはちょっと考えにくい。 それはいかなる法律にも、憲法にも書き得ない、天皇家の家訓に関わることであって、 国民とか、日本という国家が変更のしようがない。 介入のしようがない。 昔ならば天皇が譲位して上皇になればよかったがそれは現在認められてない。 明言はまったくされてないが、

「天皇の高齢化に伴」い「行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」

とか

摂政を置いても「生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」

とはこのことだろうと思う。 天皇が必ずやらなくてはならないこと、摂政に任せられないことは、他には考えにくい。 国事行為ならば、摂政や大臣が代行できる。 問題はそれ以外の部分なのだ。

摂政が全部代行すれば良い、と言っても、外戚の藤原氏が摂政だったという長い長い伝統があるし、 天皇家の内規では天皇しかできないことがあるのだ。 結局伝統に則るためには明治政府が作った皇室典範は邪魔になるのである。

今上天皇としては、フィリピンを訪問したことによって、為すべきことはすべてなし終えたと思ったのに違いない。 長い、戦後の贖罪の旅だった。 譲位の意向というのはその区切りを付けたことによると思う。

天皇と上皇がいる状態というのは、 もともと珍しくはなかったのだが、政治的にはあまりよろしい状態ではない。 天皇と上皇は政治的には対等だったという、これも長い長い伝統があるからだ。 天皇が上皇になっても上皇の権力は天皇の時とまったくそのまま、 或いはさらに権威づけられて存続するし、上皇が再び天皇に即位することだってあったわけだし、 上皇もまた国事行為を行ってもよいと解釈することは可能だし、 上皇もまた日本国の象徴だと見なすことすら可能だし、 とにかくいろいろややこしいことが発生する。 だから明治の元勲たちは、 天皇は譲位できず、その代わり摂政が天皇の国事行為のすべてを代行し得るというやり方を決めたのだったが、 国事行為ではない天皇家の身内の宗教的行事までは縛りようがない。 そこを修正しようと思うと、皇室典範だけではなく、憲法も、天皇のあり方も、 全部一度見直さなきゃならなくなる。

譲位を認めると、天皇を強制的に退位させられるようになるからダメだという意見もあるようだが、 これは、現代ではあまり関係ないのではないか。

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08.08.2016 · Posted in 雑感

戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。

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オリンピック

08.01.2016 · Posted in 雑感

アリアッノスなんか見てると、 神前に犠牲を捧げて、体育の捧げ物とか音楽の捧げ物とか、競技などを催すのだけど、 これが近代オリンピックのひな形なのだろう。

この、古代ギリシャにおける、 神に捧げる体育競技というイメージと、 今のオリンピックはほぼ何の関係もないような気がする。 こんなものを捧げられた神様はたまったもんじゃない。

オリンピックなんてやめて、 個別競技の世界選手権で良いのではないか。 インフラ整備なんてものをいちいちやる必要ないし。 同じようなもので万博というのももう死んでしまったし。

一度リセットしてみるべきなのではなかろうか。

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αλέξανδρος φιλίππου μακεδονων

07.24.2016 · Posted in 雑感

Alexandros Philippou Makedonon、 フィリッポスの子アレクサンドロス、マケドニア王の。

Alexandros は単数主格。

Philippou は複数属格。

Makedonon は複数属格。

「エウメネス1」でアマストリナという名で出てくる女性の名は英語表記では Amastrine、Amastris。 貨幣には AMAζTPIEΩN (Amastrieon)、 AMAζTREΩζ (Amastreos)、 AMACTPANΩN (Amastrianon)、 AMACTPIC (Amastris)、 AMACTPIANШN (Amastrianun)、 AMACTPIAлOI (Amastrinoi) などと刻印されている。

たとえばビュザンティオンはビュザントスという王様が作ったからビュザンティオンと言う。 これも複数属格である。 王や神が複数形をとることはあるのだろう。 そしてその複数属格が名詞化して国名になる。

アマストリエオンは、従って「アマストリエ」の複数属格であって、国の名前であったと考えられる。 最も原音に近い名は「アマストリエ」或いは「アマストリー」であったかもしれない。 ただし今もトルコには「アマスラ」という地名があるので、もともとは「アマストラ」という名であったかもしれない。

Amastris と Amastrine の語尾は何語なのかよく分からない。 -ine はラテン語の女性形を表すのかもしれない。

ギリシャ語良くわからない。 ペルシャ語はもっとよくわからない。

ところで「ヒストリエ」とは何語だろうか。フランス語か。 ギリシャ語ならば「ヒストリア」で格変化しても「ヒストリエ」にはならん気がするのだが。

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06.23.2016 · Posted in 雑感

amazon.co.jp ではなく、 amazon.com や amazon.fr で読んでもらっている人が、 もちろんそんなに多くはないが、 いるらしく、 非常に光栄だ。

特にびっくりしたのは、海外の人で、 内親王遼子をリリースした直後にオーナーズライブラリーで読破した人がいるらしいということ。 と同時に非常に恐縮した。たいへん申し訳ない気持ちだ。 というのは、 6月4日にリリースして20日くらいまではけっこういじってたからだ。 その間に200枚が260枚くらいに増えたんじゃなかったかな。 挿絵も微妙に増やしたはずだ。 まだ誰も読んでないはずだと思って。

amazon.co.jp しか見てなくて気がつかなかった。 私自身あまり KDP 作家どうしつるむことがなく、一人で勝手に書いている。 どちらかと言えば、今の日本人ではなくて、外国人や未来の読者のために書いている気持ちだ。 NHKの大河ドラマみてツイッターでわーっとパズる感じ。馴れ合い。あれが嫌いなのだ。

たとえばだが、読者や、他の作家とキャッチボールをやるような感覚で、 定期的に作品を発表していく。 そういうやり方を私はしていない。 勝手に書き、勝手に書き換え、勝手に延期したりする。 申し訳ない。 でも少しだけ救われた気持ちになったことをここに書いておく。

今回分かったことは、

  • 無料キャンペーンはやらなくて良い。
  • とりあえず出版して、無料キャンペーンやるまではいじる、というやり方は良くない。
  • 最初から完全版を出す気持ちできちんと書く。
  • リリースできないなら延期する。
  • amazon.co.jp 以外もちゃんと見る。

ということだろうか。

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惨敗ですよ、惨敗。

06.22.2016 · Posted in 雑感

5日間の無料キャンペーンの途中だが、もう打ち切っても良いんじゃないかってくらい、 ダウンロードが少ない。

やはり、当初の予定通り、特務内親王遼子3はマンガで出すべきだった。 マンガで出して多少話題性が出れば、そこで小説で完結編を書けばよかった。 しかしまあ自分の中では「原作」を「完結」させることの方に気持ちが傾いてしまった。

「原作」を書き、そこから「シナリオ」なり「ネーム」を書いて、 さらにマンガにしようとしても、ならんわな。 原作をそのままマンガにしようとすると、膨大な背景や小物や登場人物が発生してきて、 作業量的に絶望してしまう。 だから原作は原作として置いといて、マンガは「スピンオフ」とか「外伝」みたいにして作るしかない。 我々はそういう原作のことを世界観などと言うことがある(笑)。 世界観はしかし普通は作者の頭の中にだけあるものであったり、 現物はせいぜいイラストレーション程度しかなかったりするのよね。 というのはふつうの人は一本の小説という形で完成させることはないから。

ましかしもう五年以上小説書いてあちこちに発表しているのに、 私は読者を、固定客をほとんど獲得できてなかったのだからもうこれは仕方ない。

思うに、誰も鶏を飼ってないところで鶏を飼い始めると儲かるが、 みんなが真似して鶏を飼い始めると赤字になる。 同じことはラーメン店でも小説でも言える。 今は誰でも小説書いて発表できるようになった。 KDPの初めの頃は自分もアマゾンで小説売れるようになったってのは少し珍しかった。 しかしいずれ電子の海に埋もれる日が来るってことはわかってた。 もうすでにそれは来た。

誰も鶏を飼わないうちに鶏を飼い始めた人というのが漱石や鴎外なのだよね。 ただ、文芸の場合、いったん古典となってしまうと、 古典は良い悪いという以上の拘束力と影響力を持つから、 強いのよね。それは学術論文と同じ理屈で説明できると思う。 多くの読者を獲得することは力なのだよね。 それは歴史的な継続性を持つ力。

いまも「エウメネス」だけはときどき売れる。 しかし「エウメネス」を買って読んでくれているのは「私の読者」ではない。 エウメネスが出てくる某マンガを読んでいる人たちというのに過ぎない。 エウメネスは私が書いたものの中では割と初期で、 その後何度も書き換えたから、まあそんなに悪いものではないが、 私が書いたものの中でベストだとは思ってない。 で、エウメネスなりなんなりを読んで私の読者になってくれた人。 ほとんどいない。 それはもう結論が出ている (同じくシュピリの読者は私の読者ではない)。

売れるか売れないかということで言えば需要と供給の関係でしかない。 チラシの裏か裏でないかということも同じだ。 KDPとかpixivとかが出てくる前は、私たち素人にも、 いや出版業界の玄人でも、本だけは違う、良いものを書けば売れるはずだ、 という幻想があったのかもしれない。 しかし電子出版の現実を直視すれば、本もラーメンも鶏も同じだってことは明らかだ。 都議選ですらそうだ。

例えばスタンダールの長編小説だってああいうのがかつては需要に対して、 供給が追いつかなかったから売れたわけだ。 今も多少は需要があるだろう。しかし供給が多すぎる。 供給が多すぎる状態で有効なのはマーケティングだろう。 KDPもまたすでにマーケティングが成熟してきている。 じゃああなたもちゃんと投資してマーケティングやりますかと言われて、 やるはずがない。それは私の仕事じゃない。

昔ダウンロードしてくれてた人も実際には読んでさえいなかっただろう。 今回ダウンロードした人は一応読む気でダウンロードしたのだと思う。 その実数が見えた気がする。

まあ、この五年間で経験値だけは少しあがった。 今まで書いてきたものは遺言代わりくらいにはなるだろう。

文芸は映像や音楽とは違う。 しかし必ずしも棲み分けているわけではない。 セリフの無い手描きアニメーション作品とかPVみたいな小説を書く人がいる。 例えば村上春樹なんかはそうかもしれない。 それもまた文芸である。 そして音楽やアニメーションが好きな人は、 くどくどした台詞や説明がないそういう「空虚」な小説を好むだろう。

台詞や説明が多いアニメーションを揶揄してセツメーションというらしい。 台詞が無いアニメーションの方が高級だと考えているアニメーターは (非商業アート系には特に)多い。 私は今までそういうものに鈍感だったかもしれない。 今まで文芸作品は文字や台詞だと思ってた、 映像や音楽とは別のメディアで表現手段だと思ってたが違うかもしれない。 ある程度書いて書き込んでみて読者の反応をみたからわかったことだ。 でまあ、20歳くらいで作家デビューするような人は(もともとそういう環境にいて)、 そんなことは最初からわかっているはずなのだ。

もちろん説明や台詞のないアニメーション作品にはある種の限界がある。 私はそういう限界を好まない。 二人か三人しか登場人物がいなければ台詞は無くとも作品は成立する。 メッセージを伝えることはできる。 私が書きたいものはどちらかといえばそういうものではない。

そういう意味では和歌のほうが、私はもっとずっと前から詠んでいたので、 少し実感しやすい気がする。 もう30年間、途中長いブランクがあるが、和歌は詠んでいた。

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04.26.2016 · Posted in 雑感

世の中にはチェックとストライプのシャツが溢れかえっており、 それ以外の柄の襟付きのシャツというのはほとんどないか、あっても高い。 とにかくもう絶対チェックとストライプのシャツは着ないぞと思えば、 6千円とか7千円とか、或いはうん万円のシャツを買うしかない。 あるいは、古着であろうか。 なんでこんなことになってしまっているのだろうか。

まともかく年齢的にも立場的にもTシャツばかり着るわけにはいかないので、 襟付きのシャツが必要だな、チェックみたいにださくなく、 ストライプみたいにありきたりじゃないやつが着たい、と思うがそれには金がかかる。

それで実家に眠っていた父の服をサルベージしたのだが、 そのほとんどがチェックでもなくストライプでもなく、 今時どこにも売ってないような柄の服ばかりであり、 一生かかっても着つぶせないくらい大量に出て来た。 時代が違うというのもあるのだろうが、いったいどこでこんな服を買ったのだろう、 どこでこんな服が売られていたのだろう。 そしてなぜ現代ではこれらの服はまったく作られなくなったのだろう。 非常に不思議だ。 ともかくこれだけのシャツを今買うとしたら数十万円はする。

シャツだけでなくズボンにも金がかかる。 ズボンはジーパンはいとけば安くで済むが、 ズボンも実家から送ってもらうことにした。 金がかからないのは良いことだ。 ズボンのほうが消耗が速いからいくらあっても困らない。 シャツはさすがに置き場に困る。

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Heidi, translated by Louise Brooks 1885

04.25.2016 · Posted in 雑感

「ハイディ」だが、 Heidi’s Lehr- und Wanderjahre が出たのが 1880 年。 続編の Heidi kann brauchen, was es gelernt hat が出たのが 1881年だった。

初フランス語訳 は 1882 年。 原著の版元 Gotha: Perthes が出版していて、訳者は不明。 Heidi’s Lehr- und Wanderjahre のみの内容。

英訳は1885年。 訳者は Louise Brooks。 出版社は Couples, Upham, and Company, The Old Corner Bookstore, 283 Washington Street, Boston. 巻末の広告の価格がドルで書かれているので、間違いなく、 イギリスではなくてアメリカのボストンだ。 こちらは前編と続編両方の合冊になっている。 これがおそらく最初の英訳。 そしてハイディを世界的に有名にした本なのだろう。

From the pleasant village of Mayenfeld a path leads through green fields, richly covered with trees, to the foot of the mountain, which from this side overhangs the valley with grave and solemn aspect.

冒頭だけだが、ドイツ語原文と比べてみると、そのまま自然に訳されていることがわかる。

Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen.

「ハイディ」邦訳疑惑参照。

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04.17.2016 · Posted in 雑感

何もしたくない病。 毎年だんだん悪化する。 最近は酒も飲みたくない、外食もしたくない、とかになってきた。 金がかからないのは良いが、 酒飲んで気分リセットする派なので、 いつまでもいつまでも気分がリセットできなくてかなりやばい。

体力が落ちてきているのもあるし。 酒と戦うとだいたい負けるようになってきた。

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04.08.2016 · Posted in 雑感

「ヨハンナ・スピリ少年少女文学全集」をある種の義務感で読破してみようとしたのだが、 余りにも退屈で挫折した。 この全集があっという間にその存在を忘れ去られてしまったのは、 やはり単につまらないからなのだろう。 簡単な解説、あらすじくらいは付けて欲しかった。 この膨大な文書を読み通す人がはたしているだろうか。

例えば、Arthur und Squirell という話では、工場の経営者の子供に兄と妹がいて、 兄は会社を継ぐのが嫌で失踪、社長は妹に婿をとって仕事を継がせようとしたが、 妹にはすでに好きな男(牧師の息子)がいて、 結局工場は売ってしまい、妹は牧師の息子と結婚した。 二人には男の子が出来たが(この子が主人公 Arthur)、 Arthurが小さいうちに両親は他界してしまい、親戚に引き取られて、 寄宿学校に入れられてしまうが、そこですったもんだあって、 Arthurはある女の子(Squirell)と親しくなる(ボーイミーツガール!)。 そこへ失踪した兄(つまりAuthurの叔父)が大学教授となって戻ってきて(予定調和的な伏線の回収!)、 甥Arthurとついでにその彼女Squirellを引き取って楽しく暮らす、という話なのだが、 こんな話を延々と読まされたら気絶しそうだ。 あらすじだけで十分な気がする。 主人公が孤児で親戚に引き取られて知らない土地に連れて行かれる、 という辺りがなんとなく「ハイディ」っぽい。

なぜ「ハイディ」だけがある程度読むにたえうる作品になり得たか(アニメの「ハイジ」はとりあえずよけといて)という考察は、 もう少ししたほうが良いのではないか。 やはりストーリーというよりは、 ハイディやアルムおじさんやデーテやロッテンマイヤーなどのキャラの濃さだと思うのだよね。 キャラの濃さという意味では「フローニ」もそれなりのもんだと思うよ。

そんで余りにも頭が疲れたのでヨハンナ・シュピリはやめにして佐佐木信綱を読み始めたのだが、 これも恐ろしく退屈だ。 この人は、少なくとも初期はちゃんと大和言葉だけで和歌を詠んでいた。 江戸時代の和歌や、明治期の桂園派の和歌と大差ない。 だが次第に漢語やそのほかの外来語が混じり始める。 明らかに明星派やアララギ派の影響をうけているのである。 佐佐木信綱の代表作である

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

あるいは正岡子規の代表作といわれている

くれないの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

これらは長く伸びた俳句、或いは漢詩の翻案とでもいうべきものだ。 漢語を交えて叙景、もしくは叙事だけでできあがっている。 確かに古く武士にもこのような直截な叙景の歌はあったかもしれないが、 叙景や叙事が心象風景に転調するところが和歌の骨頂であって、 叙景に仮託した心象の微妙な表現というものはやはり大和言葉、和歌でなくてはならない。

佐佐木信綱は明治の歌を詠みたかった。 新しい時代の和歌は変わらねばならないと思った。 だから明治以後の話題を歌に取り入れなくてはならない、という義務感のようなもので、 いろんな概念、例えば「サタン」のような言葉を取り入れた。

敗られしサタンの軍ちりみだれくづるるがごと雲走りゆく

これは単に雨雲がサタンの軍勢のように見える、ということが言いたかったのだが、 こういうものが世間にもてはやされることによって佐佐木信綱という歌人自体が変容していく。

佐佐木信綱の崩れ方というのは昭和天皇の崩れ方と良く似ている。 おそらく昭和天皇も佐佐木信綱の影響をうけたのだろうと思う。 そして今の現代短歌というものは、もはや何でもありのカオスになってしまった。 ましかし、短歌は短歌で勝手にやれば良い。 問題は和歌を詠む人がほとんどいなくなり下手をすると私で断絶するかもしれないってことなのだ。

私には、明治の歌人たちは、 明治という一過性の時代に和歌を適合させようとして和歌を破壊した(あるいは和歌から逸脱していった)だけのように見える (柳田国男などの桂園派の歌人は抵抗した。明治天皇も最後まで大和言葉だけで歌を詠んだ)。 明治は過ぎ去っても和歌は残らねばならない。 和歌は時代の影響をうけるとしても、和歌自体は「永遠の過去」に属するものでなくてはならない。 能や歌舞伎ではそれが当たり前なのに和歌はそのことが軽んじられているのは残念ではないか。

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