プレスリー

エルビスプレスリーのDVDなど見ると、プレスリーは言われているほどデブではない。
1977年に42才で死んだのだが、1974年くらいまでのビデオでは普通に腹は出ていない。
コルセットで締め上げているのかもしれないが。

で、プレスリーは毎日ドーナツを百個食べて死んだとか、いやハンバーガーだとか、いやスイカを毎日二個食ったから死んだとか、いろいろ言われているが、せいぜい40代前半で、多少食い過ぎたくらいで健康ならば死ぬはずはない。
多少不健康になるかしれんが、40代前半で死ぬというのは相当大変なことだと思う。
50才60才なら糖尿病か何かの合併症で死ぬかもしれんがね。

FMレコパルという雑誌(FMファンとあと週刊FMだっけか、FMをエアチェックするためだけの週刊誌があったというのは今では考えられんなあ)があり、たしか黒鉄ヒロシの漫画でプレスリーが西瓜を毎日二個食ってデブで死んだとかいうのを私は読んでそれを今でも覚えている。
私よりも五歳か十歳上の人もだいたいそれと同じような記憶。
西瓜がドーナツだったりする位の違い。

しかし死ぬ直前に多少デブだったかもしれんが、もう少し長生きすればダイエットしてやせたかもしれんのに、たまたま死ぬ直前の数年に太ったからといってあそこまで、デブで死んだとかなんとか言われるのはかわいそうな気がしてならん。

かなりどうでも良いことだがFMレコパルのマンガにはかなり影響を受けた気がする。
メシアンの世の終わりのための四重奏曲などというみょうちくりんな現代音楽をわざわざ聞いたのも、その影響だった気がする。
他にも覚えてないがそうとう影響受けた。
そうそうたしか石森章太郎だった。
Wikipediaにも書いてあるから間違いないわな。
第二次大戦中に牢屋に入れられたときに作曲したんだった。

Wikipediaなど読むとエドサリバンショーではわざと下半身を映さず放送したとか、たしかにプレスリーは下半身が命なんだ。
若い頃の全身が映った映像は確かに衝撃的。

でもそれを言うとベリーダンスはどうなんだという話になる。ベリーダンスは太鼓の伴奏とシンクロして胸と腹と腰を別々に揺らすからすごい。ただ腰だけ揺らすのはフラダンスだってやってる。

ピノキオ

ディズニーのピノキオとかファンタジアなんてのは著作権切れてるのかな。
ピノキオ見ると、
どう見ても現代の3DCG映画に見える。
当時の状況を考えれば、すべてのキャラクターにいちいち実物模型を使ってそれを人が目で見て平面に描いているとしか思えない。
ものすごい立体感というか3D感があるな。
おそらくディズニーのことだから圧倒的物量と大勢の優秀な人材でもってちからわざで作り上げたのに違いない。
おそろしいことだ。
こういうのがあったからアメリカ映画はすんなりとトイストーリーのような3DCGアニメに移行していけたのだろう。
というかアメリカにしかこういう伝統はないのかもしれない。
コンピュータというものがない時代から、人海戦術である程度のクオリティのものを作れることを証明するというやり方はアメリカしかやらない。
ヨーロッパはそんなアポロ計画みたいなことはしない。
ヨーロッパアニメのルーツは影絵か切り絵か砂絵かまあそのたぐいでしょう。
日本の場合は漫画か浮世絵だしな。

以前にも書いたかもしれんが、
プロダクトデザインだと2Dと3Dは別の人が担当して、
2D担当と3D担当の共同制作のような形で作品ができあがるらしい。
2Dだけでできあがるグラフィックデザインとの根本的な違いはそこらしい。
2Dというのは直感的感覚的に、まあ好きな絵を描ければそれでおしまいだけど、
3Dは2Dから与えられた設定資料というかラフスケッチから実物をこしらえなくてはならない。
いきおい、2D屋さんがプロデューサとか企画を担当し、
3D屋さんが技術職を担当することになる。
そういう緊張関係が生まれる。
映像産業のプロデューサとディレクタの関係に似ている。

最初から3DCGしかやってこなかった人は、
そういう2Dの世界も知らんし、
2Dと3Dの間の共同と対立の関係も知らん。
ただ、2Dの人たちが3Dのことを知ってるとも思えない。
多くの有意義ではあるが不幸な問題がそこから生まれてくる。
3Dの人がプロデュースや企画をやるということは、めったにない。
それでいいのかという気もする。