亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

タレント

02.07.1999 · Posted in 雑感

久しぶりにタモリ倶楽部を見たのだが, あいかわらず素晴らしい. タモリはこんなに良い番組を持ってるのに, どうして笑っていいともなんてつまらない番組にこだわるんだろう.

タレントは番組をおもしろくするが, タレントに過度に依存した番組はつまらない. どうしてまあ,民放は, タレントの個人的な趣味とか打ちあけ話とか, さいころ振ってだらだら話すような, そんな番組ばかりになってしまったのか.

宦官が政治を牛耳ってしまうように, タレント(というか事務所というか) が放送というものを私物化してる,自己目的化してるよね.

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宮城沢昌光

02.05.1999 · Posted in 読書

この人の小説は春秋時代から後にはなかなか降りてこない. 夏とか商とか周とか斉とかとにかく古い. 宮城沢昌光の小説を読んだあと, 三国志や水滸伝を読むとまるで現代小説のような錯覚を起こすくらい. 異様に難しい漢字が出てくるので, きっとワープロは使わず手書き原稿なのだろう. 「平成」という元号の選定にも興味があるようで, 彼は参画したかったに違いない. しかし, 「美」は犠牲に捧げる大きな羊のことだから, 人の名前に使うのは良くないとか, おせっかいなところがあるなあ. 山本七平みたいなとこがあるね.

NHKをだらだら見てると, ときどき「それが知りたかったんだよ」 みたいなことを丁寧にドキュメンタリーにしてたりして,驚く. 初期の江戸前鮨を再現したり. 粕酢という香りも色もきつい酢を使ったり, シャリの量が今の三倍もあったり, ネタは全部粕酢や醤油で下味を付けたりする. それを日雇い労働者に屋台に並べて手づかみで取って食べさせるのである. こういう番組がブラウザで検索していつでも見れたら素晴らしいのになあ. 平日の昼間に放送されちゃかなわん.

これもNHKのドキュメンタリーだったが, 牛は普通草だけ食べる農耕牛だったので, もともと固くてステーキには適していなかったのだそうだ. だからシチューにして食べてたのが, 最近になってアメリカのなんとかという企業が, 牛にトウモロコシを食べさせるようになって, 肉が柔らかくておいしくなったので, 鶏や豚よりも牛の方がよく食べられるようになったという. そりゃ牛肉が全身スジ肉みたいに固かったら, なかなか食べられんだろう. というか,昔はサーロインとかテンダーロインとかいって, 柔らかい部位はとてつもなく高かったのかもしれんし. ヒンドゥーで牛を食べないのも, おいしいのを無理に食べないのではなく, インドの牛はことさらに固いのかもしれんし. 戦後日本では牛は放し飼いで草食べさせてただけなので安かったという話もあるし.

バーガーキングにいくと紀元前のローマから牛肉の直火焼きを食べていて, それが一番うまい食べ方だ,などと書いてあるのだが, これは史実と違うのだろうか. 実際ステーキを食べると歯に筋がはさまって困ることがときどきあるしね.

宮城沢昌光の小説に出ていた話だが, 中国で牛を農耕に使い始めたのは, 夏王朝末期の商,湯王の時代で, 外征続きで疲弊した国内の農業を回復するためだったとある. この富国強兵策で湯王が夏王朝を倒して覇者となったのだそうだ. ふーん.

いまから思うとあの油粘土というものは, とても醜くて気持ちの悪いものだったね. でも油が染み込ませてあるから固まらずに何度も使えるんだね. だったら色くらいもすこし工夫してほしかったね. 更新日記と更級日記. 一字の違い.

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脚気と結核

11.03.1998 · Posted in 読書

田山花袋の「一兵卒」と梶井基次郎の「のんきな病人」を読んだ. 「一兵卒」は日清戦争か日露戦争の頃に一兵卒が脚気で死ぬ話. のんきな病人は,結核患者の話. 結核患者が風邪をひいて寝込んでいた. 野良猫が入ってきて, 首から蒲団の中に入り込もうとする. 体が動かないので,入れまいとすると, 反対の首のところから入ろうとする. それも入れまいとすると, 今度は腹の上に丸くなって毛をなめ始める. 呼吸がすごく苦しいので, やっとのことであぐらをかいて, 猫を思い切り部屋の隅に投げつけた,などという話. 昨日は薄着をして芋煮会で寝転がっていたら風邪をひいた.

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豆乳の凝固過程

09.27.1998 · Posted in

大学で豆乳の凝固(ゲル化)過程の研究をしてる人もいるのだ.一度あって話を聞いてみたいものだ.しかし未だになぜ豆乳が凝固するのか,まともな説明を聞いたことがない.もしかしたら誰もほんとうのことは知らないのかもしれない.

凝固剤に塩化マグネシウムを使うと,大豆60kgから420丁の豆腐しか作れないが,硫酸カルシウムだと1500丁,グルコノデルタラクトンだと3000丁作れるという定量的(笑)なデータが提供されている.なんで大豆が60kgなのか. 60kgというのが卸売の単位にでもなっているのだろうか.まあそりゃそうと, 1丁とは何gなのだろうか.まあそれもどうでもよい.

さて,塩化マグネシウム(ニガリ),硫酸カルシウム(石膏),グルコノデルタラクトンの三つは,日本の豆腐の代表的な凝固剤である.こんど豆腐を買ったときには,添加物の表示に注意してみてもらいたい.この凝固剤の固まり易さの比が,420:1500:3000=1:3.6:7.1 だというのである.

固まり易いほど,同じ分量の大豆に対して余計に水分を含ませて固めることができるから,凝固剤に固まりにくい塩化マグネシウムを使った方が,大豆の割合が大きいので,結局おいしい豆腐になるという論法だ.

しかしそれはおかしな話で,水分が多いのはそもそも凝固剤が悪いのではなく,水分を余計に混ぜる製造元が悪い.グルコノデルタラクトンを使っても,大豆成分が多い豆腐は作れるのである.

他説によれば,ニガリは豆乳に混ぜるとただちに凝固を始め,均等に固めるのが難しいので,大量生産には向いてないという.それもまたおかしな話で,スーパーにはニガリ100%の豆腐はたくさんならんでいる.スーパーに置いてあるような豆腐で大量生産でないわけがない.まあそれにしても,ゆっくり均等に固まる方が大量生産には向いているだろう.

それから,中国の内陸部,麻婆豆腐が名物の四川とか,では,塩化マグネシウム(ニガリ)よりも硫酸カルシウム(石膏)を凝固剤に使うことが多いと思われるし,そのように書いた本を読んだことがある.ニガリを使うのは日本人だけかもしれない.

問題は水分の含量や凝固剤の固まり易さとかではない.水分と大豆の比率を一定にするなど,諸条件を同じにしたとき,いったいどの凝固剤を使うと一番豆腐がおいしいか,ということに尽きる.

私の感じでは,石膏とグルコノデルタラクトンはほとんど無味であるから,大豆や豆乳の風味をいかしたいのなら,こういう凝固剤を使うべきだろう.一方,ニガリは微量でも極めて苦いもので,しかも固まりにくいから大量に用いなくてはならない.それを薄めたり,後から抜いたりしても,最終的にはほんのわずかのニガリの風味が残る.ところがこれは苦みというよりも,独特の旨味として知覚されるらしい.現在,上記の三種類の凝固剤を配合して使っている場合は,ニガリを単に味付けに使っているんじゃないかと私は思う.

で,ニガリが効いてて,堅い豆腐の方がうまい,と世間では考えがちなのであるが,私はニガリがまったく効いてなくてふにゃふにゃな豆腐にも,それなりにうまい豆腐はあると思っている.豆腐の堅さと大豆成分の比率についても私は疑問を持っている.大豆成分が多くても絹漉だと柔らかいままじゃないかという気がする.堅ければ堅いほど大豆成分が多くてうまいというのはおかしい.そもそも充填絹漉だからまずいというのもおかしい.充填絹漉でもちゃんと大豆成分を増やせばおいしい豆腐になると思う.水にさらしたいわゆる木綿豆腐よりも,充填絹漉の方が大豆の旨味が封じ込められていてうまいのじゃなかろうか.私はあまり木綿豆腐はうまいと思わない.私が一番うまいと思うのはある種の「ざる豆腐」である.

グルコノデルタラクトンはハムなどにも添加される.ハムの色調を整えるためにはpH調節が必要で,そのためにグルコノデルタラクトンを加えるとのこと.ということは,グルコノデルタラクトンは加水分解してグルコン酸を生じるから, pHを下げるために使われるのかな.すると,グルコノデルタラクトンは多少すっぱいのかもしれん.

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切腹の起源 2

03.07.1998 · Posted in 読書

いろいろ調べ始めたがさっぱりわからん. とりあえず岩波新書「武家の歴史」を借りた. わかったことといえば, 平安時代の武家の源氏とか平氏とか藤原氏とか言うのは, かなり良い加減だということだ. あと岩波文庫の日本外史も借りる. 頼山陽は,最初に切腹した人が誰か知っていただろうか. そういえば,靖国神社で「日本外史を読む」とか言う講座をやってたような気がする.

ちょっと検索してたら 徳川慶喜所有の日本外史の版木で作った火鉢 と言うのが出て来た. うーむ.たとえば ここ には「尊皇攘夷運動のバイブル「日本外史」」 とか書いてあって,まさにそうなのだが, 倒幕された側の慶喜がその版木で火鉢を作って使っていたとは. どういう心境だったんだろうなあ. 慶喜が駿府に移って住んだ寺にあったものだというから, ほんとに使ってたんだろうな. 昭和 15 年に失火したときに, 住職が庭に放り投げて守ったとか書いてある.

ところで上の二つの頁はどちらも ntt.co.jp なのだが, NTT って郷土の歴史に力いれてるのかなあ.

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切腹の起源

03.06.1998 · Posted in 読書

切腹は日本固有の風習だと言われている. 日本人以外に切腹という自殺方法を発明した民族はいないのである. 十八史略などを読むと, 武人はたいてい喉に刃物を当てて, 前に倒れて自分の重みで自決している. これは西武劇で拳銃で自殺するのと意味的には大した違いはない. 作法として形は決まっているが,極めて合理的な死に方である.

で,誰が切腹を発明したか. 誰が最初に切腹して死んだのだろうか. という疑問が沸いて来た. おそらく戦国時代に何かのきっかけで急に普及したんじゃないかと想像したが, goo で調べても大したことはわからない. 図書館に行って調べてみると, なんと平安時代からあり, 源平合戦のころには既に一般化した, とものの本に書いてある. 1000 年の長きに渡って日本人は切腹して来たのである. 明治政府によって非合法化されたが….

平安時代から,ということは, 日本に源氏,平氏という武家が登場したと同時に切腹も生まれたということだろう. じゃあ最初に切腹した人は? 源氏か平氏か. その原初的形態はどのようなものであったのか. どのような経緯で普及したのか. いつから介錯人が付くようになったのか. まだ何もわからない. もしかすると,もっともっと大昔からあったのだが, 武家が正式の自殺方法として採用しただけなのかもしれん. もともとは宗教的な意味があったかもしれんなあ. 江戸時代の作法については詳しく書いたものがあるようだが, 起源がわからん.

ところで最後に切腹した人は三島由紀夫(の介錯人?)だろうか.

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カオス

11.24.1997 · Posted in 雑感

昨日は友人が遊びにきた. 聞き取りにくい携帯電話で話をして, 僕が「松陰神社前で待つ」と言うと, 「改札はどこにあるのか」と聞くので, 「世田谷線の駅に改札なんかない.ホームしかない」と言うと, なんか納得できないふうだった. 世田谷線には終点の三茶と下高井戸にしか,改札はない. 彼は世田谷線のことを時代錯誤だとかアナクロだとか言った. それはひどい.せめてレトロとかアンティークとか言ってやれば良いのに. 世田谷線の電車の内装は,壁も床も板張りだ (樹脂のもいくらかはある).

吉田松陰の墓にお参りした. もう日が暮れて神社の門が締まってたので,こそこそと入りこんだ. 安政の大獄で,みな三十代で(つまり僕くらいの年で)獄死したのだった. 吉田松陰はちょうど三十才で死んだ. 思い残したことややり残したはあったのかなかったのか. 僕なんていまじゃ Linux くらいしか生きる楽しみがない (Linux だって別にしいて生きていたいほど好きなわけではない). などとふと思った(単に落ち込んでるだけかも…). つい一週間ほど前に携帯電話を買った,とても便利だ,などというので, つき合っている人でも出来たのかというと,そうだと白状した. ふむ.それじゃ簡単に死ぬわけにもいかないね.

僕が死んだら親が悲しむだろう. 僕はつくづく退屈な人間なので,彼女が出来ても話すことがない, 遊びにいくところがない, それで納得してくれるならつきあっても良いのだが, それだといっしょにいる甲斐がないから, 何もしない方がましかもしれぬ. 困ったものだ. そもそも僕は電話をしても長電話はしない. たまにすることがあっても特殊なケースで, それを毎日繰り返すなどというのは,あり得ない. これからそういう性格になることもないと思う. 昔からそうかというとそうでもなくて, 中学生のころまではよく話す方だったのだが.

僕のカオスのとらえ方はちと違っていたようだ. カオスというのは,力学系の話なので, 初期値によって挙動が全く違ってしまうようなのをカオスと言うのだと言う. それはまあそうなのだが. カオスというのは無秩序に近いものであり, 無秩序と秩序の間にあるのは複雑系というのだそうだ. ふーん.

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田中角栄の漢詩

09.17.1997 · Posted in 漢詩

1972 年に田中角栄が北京で作った,七言絶句.

国交途絶幾星霜
修交再開秋将到
隣人眼温吾人迎
北京空晴秋気深

丸谷才一の「日本語のために」という本に載っている. 中国人は出来栄えはともかく喜んだんだそうだ(と陳舜臣が指摘したそうだ).

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千夜一夜物語

08.16.1997 · Posted in 読書

実家に「千夜一夜物語」があったので,退屈だったので, 読みふけった. 妻に裏切られたどこぞの王様が, 「貞淑な妻などいない」という観念に因われてしまい, 処女と同衾したあと浮気できないように殺すということを, 毎晩繰り返していたという. ところが面白い話の続きを聞きたくて千一夜の間ある娘の話を聞いていて, しまいにはこの娘を許し,正式な妻としたという話. うーん.つまり「「貞淑な妻などいない」とは言えない」というのが, 結論なのだろうかなぁ.

この娘はシェーラザッドと言うのだが, 千夜一夜物語の特異なところは, 話の中の登場人物がさらに物語をし,さらにその話の登場人物が さらに物語をし…,という入れ子状態になっているのである. 登場人物が複数の物語をすることもある.あうち. シェーラザッドをルートとする木構造になっている. きわめてややこしい.

シンドバッドの冒険なんかもこれの一部なんだろうが, ディズニーにかかると,清く正しい恋愛物語になっちまうんだな. これが(見てないから知らんが). 不倫と偏見の物語が勧善懲悪ものに改作されるのだな. アメリカ映画にありがちのパターン. 「Trust me!」とか言っちゃって. きゃー恥ずかしい.

これを訳して紹介したイギリス人のバートンという人も, ずいぶん屈折した人だったのではないかと思う. 当時の,黒人やアラブ人に対する西洋人に固有の偏見というものが かなり混入してるのではないか? それとも原作どおりなのだろうか? これを読んでて「家畜人ヤプー」を思い出した. おそらく「ヤプー」は千夜一夜物語の影響を受けたものだろう.

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ムッソリーニ

07.19.1997 · Posted in 映像

「ムッソリーニ」という映画を借りる. イタリア映画的美しさがある. しゃべってるのは例によって英語だが. これ見てると,ムッソリーニって,それほど邪悪な政治家ではない. と思えてくる. イタリアという,類まれに自由奔放な国で. 個人主義的な国で. 怠惰で.退廃的で. 政治的にはぐちゃぐちゃで. そんな国で 1922 年に 39 才で首相になった,ムッソリーニというおっさん. これだけでも他の独裁者,たとえば,スターリン, ヒットラーなどとは性格的に違うものになって当然だと思える.

汽車を時間どおりに走らせようとしたり, 密造酒を取り締まったり, 昼寝をやめさせようとしたり. すっかり堕落した古代ローマ人の末裔を勤勉な民族に変えようと思えば, 多少手荒な手段は必要だっただろう. でもラテン人をピューリタンのような勤勉な民族に作り変え, イタリアを第 2 のローマ帝国にしたてあげる,というのは, もともと無理があったような気はする.

ドイツという,がんらい謹厳実直な気風の国に, ファシズムが台頭し, ヒットラーという精神的にいびつな人間が指導者となったのは, イタリアにとって不幸なことだっただろう. ヒットラーはムッソリーニにすりよってきた. ヒットラー政権.ムッソリーニに遅れること 11 年. ヒットラーはムッソリーニを尊敬していたが, ムッソリーニはヒットラーを気にいらなかったようだ. 結果的にイタリアはドイツと同盟し, 日本も調子にのって同盟してしまった. うーむ.なんという不幸だろうか.

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