Heimkunft — An die Verwandten

Drin in den Alpen ists noch helle Nacht und die Wolke,

かしこのアルプスの中はいまなお明るい夜に包まれ、

Freudiges dichtend, sie deckt drinnen das gähnende Tal.

雲が楽しげに吟じながら、眠たげにあくびする谷を覆っている。

Dahin, dorthin toset und stürzt die scherzende Bergluft,

そこにもここにも、轟々とあらくれる山の息吹が吹き荒み、

Schroff durch Tannen herab glänzet und schwindet ein Strahl.

モミの茂みを通して一筋の月光が、ぎらぎら眩しく差し込んでいる。

Langsam eilt und kämpft das freudigschauernde Chaos,

楽しくもゾッとする混沌がたくましき若者の姿で、

Jung an Gestalt, doch stark, feiert es liebenden Streit

ゆっくりと急いで愛すべき闘争の祝祭を執り行い、

Unter den Felsen, es gärt und wankt in den ewigen Schranken,

岩山の麓では、永遠の昔から、ぐらぐら煮え立ち続けるバッカスの宴が、

Denn bacchantischer zieht drinnen der Morgen herauf.

夜明けとともに近づいてくる。

Denn es wächst unendlicher dort das Jahr und die heilgen

終わり無き聖なる時、年月、日々は、

Stunden, die Tage, sie sind kühner geordnet, gemischt.

大胆に混ぜ合わされ、配置され、成長し続ける。

Dennoch merket die Zeit der Gewittervogel und zwischen

しかしながら、嵐の到来を予知する鳥が山々の間の、

Bergen, hoch in der Luft weilt er und rufet den Tag.

空高く留まって、その日が来ることを告げる。

Jetzt auch wachet und schaut in der Tiefe drinnen das Dörflein

ほら、谷底深く、連嶺の下に、

Furchtlos, Hohem vertraut, unter den Gipfeln hinauf.

恐れを知らぬ、良く知られた小さな村が見える。

Wachstum ahnend, denn schon, wie Blitze, fallen die alten

古い泉に落ちた稲光がすでに天候の急変を予感させ、

Wasserquellen, der Grund unter den Stürzenden dampft,

地面はもうもうと湯気を立て、

Echo tönet umher, und die unermeßliche Werkstatt

こだまがあたりに鳴り響き、このなんとも評価しようのない工房において、

Reget bei Tag und Nacht, Gaben versendend, den Arm.

昼と夜となく腕を振るい、贈り物を送りつけてくるのだ。

思うに、ヘルダーリンの詩は、四行でひとまとまりの、普通のドイツの詩であるが、上の例のように、押韻にはあまり気を使ってないようにみえる。

伊東静雄の詩は四行まとまりという原則はなく、むしろ反復もリズムもなく、ずるずると続いていくのが特徴だと言える。

三島由紀夫がヘルダーリンを愛好したというのは解る気がする。三島由紀夫はヘルダーリンの狂気を愛したのだろう。ヘルダーリンに一番似ているのはニーチェだと思う。

伊東静雄はヘルダーリンともニーチェとも似ていない。どちらかといえば常識人、庶民に属する人だ。詩作のために狂おうとしたことも、また、狂気をことさら詩に表現したこともないはずだし、伊東静雄は三島由紀夫を好きではなかったはずだ。

思うに、ヘルダーリンの詩の従来の和訳はどれもこれもおかしい。こういうものを読んでヘルダーリンの詩の美しさがわかるはずもない。そしてそういう変な和訳が何か高級な詩的表現だと勘違いされている。『ヒュペーリオン』のような小説、散文ならばまだ害は少ないとおもうが、詩だと致命的だと思う。

とにかく一度全部訳し直さなきゃならないレベルだと思うのだが、今更ドイツ語をそんな真面目に学ぼうという人もいないのだろう。

ところで Heimkunft は直訳すれば「故郷の未来」とでもなろうか。しかしなぜか帰郷という意味があるようだ。

ヘルダーリン続き

Mich verlangt ins ferne Land hinüber

Nach Alcäus und Anakreon,

Und ich schlief’ im engen Hause lieber,

Bei den Heiligen in Marathon;

Ach! es sei die letzte meiner Tränen,

Die dem lieben Griechenlande rann,

Laßt, o Parzen, laßt die Schere tönen,

Denn mein Herz gehört den Toten an!

私は遠い国へ行ってみたい。

詩人のアルカイオスやアナクレオンが住んだ土地に。

そして私はよろこんであばら屋にも寝よう。

マラトンの聖地にならば。

ああ、これが、愛するギリシャの土地に流れる

私の最後の涙となろう。

鳴らせ、おお、運命の女神パルカよ、鋏を鳴らせ、

さあ、私の心はすでに死者たちとともにあるのだから。

試訳。韻は踏んでない。意味は一応通ってると思う。

ヘルダーリン続き

Attika, die Heldin, ist gefallen;

Wo die alten Göttersöhne ruhn,

Im Ruin der schönen Marmorhallen

Steht der Kranich einsam trauernd nun;

Lächelnd kehrt der holde Frühling nieder,

Doch er findet seine Brüder nie

In Ilissus heilgem Tale wieder –

Unter Schutt und Dornen schlummern sie.

アッティカは、かのヒロインは滅んだ。

彼の地に、古代の神々の子孫も眠っている。

美しい白亜の殿堂の廃墟には、

今、鶴が一羽悲しげに立っている;

やさしい春は微笑みながら帰っていく。

しかし彼は自分の兄弟らを見つけることはない。

聖なる谷イリソスの

瓦礫と茨の下に彼らはまどろんでいる。

ヘルダーリン続き

Ist der Stern der Liebe dir verschwunden?

Und der Jugend holdes Rosenlicht?

Ach! umtanzt von Hellas goldnen Stunden,

Fühltest du die Flucht der Jahre nicht,

Ewig, wie der Vesta Flamme, glühte

Mut und Liebe dort in jeder Brust,

Wie die Frucht der Hesperiden, blühte

Ewig dort der Jugend stolze Lust.

あなたの愛の星は消え失せてしまったのか?

そして愛らしいバラのように輝く若者たちも?

ああ、ギリシャの黄金の時以来、その周りで踊っているから

あなたは時が過ぎ去ったことを知らない。

永遠に、女神ウェスタの炎のように、

それぞれの胸のうちに勇気と愛が輝き続ける。

ヘスペリデスの園に実るくだもののように、

永遠にそこで、誇り高く快活な若者は栄え続ける。

ヘルダーリン続き

Ach! wie anders hätt’ ich dich umschlungen! –

Marathons Heroën sängst du mir,

Und die schönste der Begeisterungen

Lächelte vom trunknen Auge dir,

Deine Brust verjüngten Siegsgefühle,

Deinen Geist, vom Lorbeerzweig umspielt,

Drückte nicht des Lebens stumpfe Schwüle,

Die so karg der Hauch der Freude kühlt.

ああ!もっとしっかりとあなたを抱きしめたい! –

あなたは私にマラトンの勇者を歌う。

そして熱狂者らの中で最も美しい人が、

陶酔した眼差しであなたに微笑む。

あなたの胸は、勝利の昂揚を若返らせ、

あなたの魂に絡みつく月桂樹の蔦は、

人生を締め上げることなく、その鈍い暑苦しさを、

とても冷たい喜びの吐息で冷やしてくれる。

ヘルダーリン続き

Wo den Frühling Festgesänge würzten,

Wo die Ströme der Begeisterung

Von Minervens heilgem Berge stürzten –

Der Beschützerin zur Huldigung –

Wo in tausend süßen Dichterstunden,

Wie ein Göttertraum, das Alter schwand,

Hätt’ ich da, Geliebter! dich gefunden,

Wie vor Jahren dieses Herz dich fand,

そこは、祭りの歌が春に味付けし、

そこは、感激の奔流が、

ミネルヴァの聖なる山から

女神たちに敬意を表して流れ落ちる。

そこは、悠久の時間の中で、甘い言葉を紡ぐ詩人たちが、

神々がつかの間の夢を見ている間に、年老いて死んでいった。

私はそこで、愛する人よ、あなたを見つけたい。

何年も前に、この心があなたを見つけたように。

うーん。
ミネルヴァはローマの女神なのだが。
ギリシャの女神に直しようがない。
どうしようもないな。

ヘルダーリン続き

Hätt’ ich dich im Schatten der Platanen,

Wo durch Blumen der Cephissus rann,

Wo die Jünglinge sich Ruhm ersannen,

Wo die Herzen Sokrates gewann,

Wo Aspasia durch Myrten wallte,

Wo der brüderlichen Freude Ruf

Aus der lärmenden Agora schallte,

Wo mein Plato Paradiese schuf,

私はあなたとプラタナスの木陰に憩いたい

そこは、アテナイの花園の中をケーフィソス川が流れ、

そこは、若者らが名誉を得ようと瞑想し、

そこは、ソクラテスの心が魅了し、

そこは、ペリクレスの愛妾アスパシアがミュルテの木立の中を逍遙し、

そこは、兄弟らの親しげな声が

賑やかなアゴラから響き、

そこは、私のプラトンが地上の楽園を創りあげたところ。

Griechenland — Friedrich Hölderlin

Ach! es hätt’ in jenen bessern Tagen

Nicht umsonst so brüderlich und groß

Für das Volk dein liebend Herz geschlagen,

Dem so gern der Freude Zähre floß! –

Harre nun! sie kommt gewiß, die Stunde,

Die das Göttliche vom Staube trennt –

Stirb! du suchst auf diesem Erdenrunde,

Edler Geist! umsonst dein Element

ああ!かのよりよき日々ならば、

雄々しく大いなることも無意味ではなかった

おまえの愛する心は高鳴る、かの民族のためならば、

歓喜の涙はいくらでも流れ得た –

今はただ待ち焦がれよ!必ず時は巡り来る、

運命が切り離す、土くれから神なるものを –

死ね!おまえはこの地上を探し求める、

気高き魂を!むなしき、おまえの一部を

シュピリを惰性で訳しているうちにふとヘルダーリンを訳したくなった。シュピリはもう訳してもしょうがないかもしれない。もはやたいしたものは出てこないように思える。シュピリを訳しているうちにだいぶドイツ語訳にも慣れてきた。もっと面白いもの、意義のあるものを訳してみたい。

「運命が」は完全な意訳。「その時が」を繰り返したくなかったのと、韻をちゃんと踏みたかったから。

伊藤静雄はヘルダーリンをドイツ語原文で読んで、あのような初期の詩を作ったという。それでヘルダーリンの詩の訳というものは、そんなに良いものはないように思う。例えば川村二郎訳の岩波文庫版で上の箇所は

ああ! あのよりよい日々になら

愛にみちた君の心は 民のために

どれほど大らかに親密を脈うったとしても 空しくはなかった

あの日々ならば 君の心は歓喜の涙を思うさまながしただろうに!――

待つがよい! いずれは刻がおとずれよう

神的な力を 牢から解きはなつ刻が――

死ぬがよい! 高貴な精神よ! この地上では

君の住まう場を求めても 所詮甲斐ないのだ

と訳されているらしいのだが、あまり上手な訳とは思えない。

この「ギリシャ」という詩は1793年、ヘルダーリンが23才のときの作らしい。比較的きちんと韻を踏んで作られた真面目な詩のように思える。たとえば die Stunde と Erdenstunde、trennt と Element が韻を踏んでいる。だから私も少し律儀に訳してみた。このリズムを訳さなくては面白さは失われるだろうし、川村二郎訳では、原文の意味が忠実に伝わってくるとはとても思えない。

これはギリシャ独立戦争に熱狂するヨーロッパ人の気持ちを表した詩だ。「待つがよい! いずれは刻がおとずれよう 神的な力を 牢から解きはなつ刻が」これは明らかにその時代背景をわかった上で訳しているのだが、あまりにも説明的で結果論的だ。

このように気狂いしたような若者の詩を、神聖ローマ帝国的な中世の沈滞の中にその青春時代を生きたゲーテやシラーが、好むはずもなかった。同じ理由でニーチェがヘルダーリンの影響を受けたのは当然だったと言える。

1793年、フランス革命は勃発していたがナポレオンはまだ大尉。イタリア方面司令官にすらなっていない。ギリシャ独立運動も、まだかげもかたちもなかった。ヘルダーリンはまさに時代の先駆者だったのである。

ギリシャ古典

『エウメネス』なんぞを書き始めて、エウメネスという人はよくわからない人なのだが、
とりあえずアリストテレスの下で学んだ学徒であったから、アレクサンドロスの遠征に秘書官として従軍した、という設定にしてみた。

それでアリストテレスを調べてみると、この人はどうも変な人で、お父さんはニコマコス、子供もニコマコス。自分を飛ばしてお父さんの名を子に付けることは一般的(たとえばアンティオコス→セレウコス→アンティオコス)、しかし三代同じ名前というのは古代ギリシャには無い。というか、西アジア的にはありにくい。なぜかというに、西アジアの人名はなんとかの子なんとか、となることが多いからだと思う。ラゴスの子ラゴスはなんかかっちょ悪い。それが三代続くとなおさらかっこ悪い。

アリストテレスという名は後世の人がつけた(すげえかっちょいい)あだ名のような気がする。アリストテレスの本名は彼の祖父か孫、でなければ叔父あるいはいとこの名がわかればかなり絞られてくると思う。

そしてアリストテレスはたしかに学者であって、博物学者のようなことは(あちこち放浪しながら)多少やったようだし、「ニコマコス倫理学」は本人が書いたものである(あるいは息子の口述筆記)のは間違いあるまいが、しかし、リュケイオンの講義をまとめたのがアリストテレス全集だというのはまあ絶対嘘だ。

アリストテレスが有名なのは、彼がアレクサンドロスの家庭教師で、アレクサンドロスがヘレニズム世界を作って、そのヘレニズム世界の学者らが、アリストテレスという偶像を必要としたのにすぎない。そしてヘレニズム世界の学者がみなギリシャ人であったわけでもない。ペルシャ人やエジプト人のほうが多かったはずだが、残された文献がギリシャ語で書かれているので、なんとなくギリシャ人だと思っているだけだ。

それでヘレニズムは東ローマが継承したわけだが、オスマン帝国が東ローマを滅ぼして、オスマン帝国がヘレニズムを継承することになったわけだが、こんどは西洋がオスマン帝国をぶん殴り始めて、ギリシャを独立させ、ギリシャ王国を作って、ヨーロッパのルーツはギリシャだとか言い出して、ニーチェみたいなオカルト的思想が流行した。
まあ、ニーチェにしてみればギリシャだろうとペルシャだろうとよかったわけだが、いずれにしても、当時のヘレニズムというものは近世のキリスト教が生み出した虚構にすぎない。それが虚構であって、本来のギリシャ古典とはなにかということを、近現代のオックスフォードとかの学者たちはけんめいに復元しようとしている。しかしオックスフォードが生み出した膨大な近代古典とか、ニーチェなどの近代哲学のために、あとは、それらを教義に取り込んでしまったキリスト教のために、なかなか元のギリシャ古典が世の中に知られることはない。

ヨーロッパの後追いをしているだけの(しかも五周遅れくらいで!)日本ではいまなお近代ヨーロッパにおけるギリシャ感がそのまま残っており、その虚像をぶっ壊そうと考えている学者もいなければ、オックスフォードの英訳に頼らず、ギリシャ語をそのまま読んで、本意をつかもうという学者もいなさそうだ。もちろんごくまれにプラトンを原語で読むとかいうのを自分の研究にしている人もいるようだけど。

プラトンは生粋のギリシャ人ではなくて、ギリシャ人の中でもかなり異邦人に近いシチリア人であったはずだ。彼はソクラテスの弟子の一人だったというにすぎない。そしてアリストテレスの師匠に収まったおかげで有名になったのである。

私たちが古代ギリシャにシンパシーを感じるとしたらそれは単に近代ヨーロッパの幻想に踊らされているだけなのだ。イスラム教徒が描いたヘレニズムに共感を覚える日本人は少ないだろ?アレクサンドロスをイスカンダルと呼んだり、マレーシア国王がイスタンダル・シャーを名乗ったりすると違和感を感じるだろ。

それでまあ、せっかくなので、この際徹底的に調べ上げて、『エウメネス』の続編の中で、ヘレニズムの実態を暴いて、見せつけてやりたいと思ったりしているのだが、しかしギリシャ語は難しい。

やまと

ヤマトという言葉なのだが、普通に考えれば「山戸」だろう。つまり山へ這い込んだ谷間のことで、ヤマトが縮まってヤト(谷戸)となったのかもしれない。

あるいはヤは八洲や八百万と同じく「八」(たくさんの)という意味か。トは水戸や江戸や瀬戸と同じく「戸」、つまり入り江という意味だろうと思う。ではマは何かといえば「まほろば」の「ま」であるかもしれない。だから漢字表記すれば「八真戸」となるか。だとすればヤマトという名は「大和」という内陸部に都ができるようになるずっと以前の名前であろう、海と関係のある名前であろうと思う。

ヤ・アマトがつながってヤマトになったのではなかろうかとも思える。アマトとはつまりアマノイハト(天の岩戸)のこと。天の岩戸というのは、具体的には、岩礁にうがたれた岩窟のようなものではないか。天の岩屋戸、天の岩屋、天の岩船みな同じ。宗像神社の奥津宮(沖ノ島)のようなものを考えても良い。アマトと母音で始まるとおさまりが悪いのでヤ・アマト、ヤマトとなったのではないか。東シナ海から瀬戸内海に続く多島海のことをヤマトと言っていたような気がする。つまり、ヤマトと八洲はだいたい同じ意味なんじゃないかとおもう。

あと、ヤマタのおろちのヤマタとヤマトの関連性は疑ってみてよいとおもう。ヤマタは単に山田かもしれんが。

邪馬台国はヤマト国であり、北九州地方にあったと考えるのが自然だ。