heidi 1-1-5

“Das kann er nicht, er ist der Großvater, er muss etwas tun, ich habe das Kind bis jetzt gehabt, und das kann ich dir schon sagen, Barbel, dass ich einen Platz, wie ich ihn jetzt haben kann, nicht dahinten lasse um des Kindes willen; jetzt soll der Großvater das Seinige tun.”

「そんなこと彼にできっこないわよ、彼はあの子の祖父なのよ、彼にはやらなきゃならないことがある。私はこれまであの子を養育してきたのよ、バルベル。だから、今私が得ようとしている仕事を、あの子のために、諦めたくないって、私には言う権利があるはずよ。今はあの子の祖父がやるべきことをやるときよ。」

“Ja, wenn der wäre wie andere Leute, dann schon”, bestätigte die kleine Barbel eifrig; “aber du kennst ja den. Was wird der mit einem Kinde anfangen und dann noch einem so kleinen! Das hält’s nicht aus bei ihm! Aber wo willst du denn hin?”

「そうね、彼が普通の人だったら、きっとそうでしょうね、」バルベルはむきになって言い張った、「でも、あなた、あの人がどんな人か知ってるでしょう。彼があの子にどんなことをするか。あんなちっちゃな子に!あの子はおじいさんに耐えられないわよ!で、それであんたはどこに行こうっての?」

“Nach Frankfurt”, erklärte Dete, “da bekomm ich einen extraguten Dienst. Die Herrschaft war schon im vorigen Sommer unten im Bad, ich habe ihre Zimmer auf meinem Gang gehabt und sie besorgt, und schon damals wollten sie mich mitnehmen, aber ich konnte nicht fortkommen, und jetzt sind sie wieder da und wollen mich mitnehmen, und ich will auch gehen, da kannst du sicher sein.”

「フランクフルトよ、」デーテは答えた、「私はそこでとても良い待遇の仕事をもらうの。そこのご主人様は去年の夏に温泉にいらして、私はその方の部屋を担当しお世話したの。その方はその時すでに私に一緒にきてほしがったのだけど私はここを離れることができなかった。そして今その方がまたいらして、私を連れて行きたがっていて、私も行きたいの。ねえあなた、わかるでしょ。」

heidi-1-1-4

Jetzt trat eine breite gutmütig aussehende Frau aus der Tür und gesellte sich zu den beiden. Das Kind war aufgestanden und wanderte nun hinter den zwei alten Bekannten her, die sofort in ein lebhaftes Gespräch gerieten über allerlei Bewohner des ‘Dörfli’ und vieler umherliegender Behausungen.

そこへ、恰幅の良い気のよさそうな見た目の女が戸から出てきて、二人に加わった。女の子は立ち上がって、デルフリやその周辺の住人らについてありとあらゆることをかしましく喋り始めた二人の女たちの後をついて歩き始めた。

“Aber wohin willst du eigentlich mit dem Kinde, Dete?”, fragte jetzt die neu Hinzugekommene. “Es wird wohl deiner Schwester Kind sein, das hinterlassene.”

「でもさ、その子をいったいどこに連れて行こうってんだい、デーテ?」新しく加わった女が訊いた。「その子はあんたの姉さんの子だろ。一人っきり残された。」

“Das ist es”, erwiderte Dete, “ich will mit ihm hinauf zum Öhi, es muss dort bleiben.”

「そうよ、」デーテは答えた、「私はこの子をおじさんのところへ連れて行くの。この子はあそこにいるべきだわ。」

“Was, beim Alm-Öhi soll das Kind bleiben? Du bist, denk ich, nicht recht bei Verstand, Dete! Wie kannst du so etwas tun! Der Alte wird dich aber schon heimschicken mit deinem Vorhaben!”

「なんだって。その子をアルムおじさんのところに置いていくって?あんたちょっとおかしくなったんじゃないの、デーテ!どうしてあんたはそんなことができるんだい!でもあの老人はきっとあんたと一緒にその子を家に送り返すだろうよ!」


Der Alte wird dich aber schon heimschicken mit deinem Vorhaben! 意味通じにくい。直訳すれば「その老人はきっとあんたをその計画とともに家に送り返すだろう。」

project gutenberg の英訳:

The old man, however, will soon send you and your proposal packing off home again!

The old man, however, will soon send you both packing off home again!

I am sure the old man will show you the door and won’t even listen to what you say.

heidi 1-1-3

Die Angeredete stand still; sofort machte sich das Kind von ihrer Hand los und setzte sich auf den Boden.

その言葉に娘は立ち止まった。するとすぐに女の子は娘の手を振りほどいて地面に座り込んだ。

“Bist du müde, Heidi?”, fragte die Begleiterin.

「疲れたの、ハイディ?」娘は尋ねた。

“Nein, es ist mir heiß”, entgegnete das Kind.

「ううん。暑いの。」女の子は答えた。

“Wir sind jetzt gleich oben, du musst dich nur noch ein wenig anstrengen und große Schritte nehmen, dann sind wir in einer Stunde oben”, ermunterte die Gefährtin.

「私たちはすぐに上まで行かなきゃならないの。おまえはもう少し辛抱してしっかり歩いてね。そしたらあと一時間で上に着くから。」娘は連れの女の子を励ました。

heidi 1-1-2

Auf diesem schmalen Bergpfade stieg am hellen, sonnigen Junimorgen ein großes, kräftig aussehendes Mädchen dieses Berglandes hinan, ein Kind an der Hand führend, dessen Wangen so glühend waren, dass sie selbst die sonnverbrannte, völlig braune Haut des Kindes flammend rot durchleuchteten. Es war auch kein Wunder: Das Kind war trotz der heißen Junisonne so verpackt, als hätte es sich eines bitteren Frostes zu erwehren. Das kleine Mädchen mochte kaum fünf Jahre zählen; was aber seine natürliche Gestalt war, konnte man nicht ersehen, denn es hatte sichtlich zwei, wenn nicht drei Kleider übereinander angezogen und drüberhin ein großes, rotes Baumwolltuch um und um gebunden, so dass die kleine Person eine völlig formlose Figur darstellte, die, in zwei schwere, mit Nägeln beschlagene Bergschuhe gesteckt, sich heiß und mühsam den Berg hinaufarbeitete. Eine Stunde vom Tal aufwärts mochten die beiden gestiegen sein, als sie zu dem Weiler kamen, der auf halber Höhe der Alm liegt und ‘im Dörfli’ heißt. Hier wurden die Wandernden fast von jedem Hause aus angerufen, einmal vom Fenster, einmal von einer Haustür und einmal vom Wege her, denn das Mädchen war in seinem Heimatort angelangt. Es machte aber nirgends Halt, sondern erwiderte alle zugerufenen Grüße und Fragen im Vorbeigehen, ohne still zu stehen, bis es am Ende des Weilers bei dem letzten der zerstreuten Häuschen angelangt war. Hier rief es aus einer Tür: “Wart einen Augenblick, Dete, ich komme mit, wenn du weiter hinaufgehst.”

細い山道をたどって、晴れた六月の朝、この山に生まれ育った背の高い娘が、一人の女の子の手を引いて登っている。女の子の頬は、すっかり日に焼けた茶色の肌を通して真っ赤になるほどほてっている。暑い六月の日差しにもかかわらず、女の子は寒さを耐え忍ぶためのように、厳重に厚着させられている。その子はまだ五才になるかならないかくらいだったが、二着も三着も重ね着した上に、赤い木綿の布を巻き付けられていたので、実際にはどのような体型をしているのかわからぬほどで、その上、鋲を打った重たい登山靴を履いていた。二人は谷間から一時間余りも登って牧草地の中腹、アルムにある「デルフリ」と呼ばれる集落に着いた。ここで二人の訪問者は、道ばたや、窓や戸の中から、いちいち村人らに声をかけられた。というのはここはその娘の生まれ故郷だったからだ。娘は立ち止まらずいちいち挨拶に返事をしながら、家並みがまばらになった集落のはずれまで来た。ここで誰かが戸口の奥から声をかけた。「ちょっと待ってよ、デーテ。あんたがもっと上までいくんなら私がいっしょについていくからさ。」

heidi 1-1-1

Zum Alm-Öhi hinauf

Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen. Wo der Fußweg anfängt, beginnt bald Heideland mit dem kurzen Gras und den kräftigen Bergkräutern dem Kommenden entgegenzuduften, denn der Fußweg geht steil und direkt zu den Alpen hinauf.

アルムおじさんの山小屋へ登る

気さくな村人らが住むマイエンフェルトから一本の杣道が木立の多い緑野を抜けて、雄大な渓谷を見下ろす丘の麓まで伸びている。その道をたどり始めるとすぐに、たけの低い草や野生の山草が生い茂る藪からかぐわしい香りがただよってきて、さらにその道はまっすぐに険しいアルプスの上まで続いている。


zu は場所へ、hinauf は上へという意味だからそのニュアンスを出すには意訳するしかないか。

kräftig は強い、というより、たくましい、野生の、という意味だろう。

Bergkräuter、Kraut には薬草、香草、香辛料となる草、つまりハーブという意味もあるが、ただの葉、あるいはキャベツの意味もある。ここでは単に山草と訳した。

作者ヨハンナにとって、マイエンフェルトは土地勘のある場所ではなかったはずだ。鉄道が通り、駅が出来、ふるくからある修道院の湯治場が開発されてラガーツ温泉という保養所ができて、それでヨハンナはチューリッヒから汽車に乗ってマイエンフェルトに訪れることになった。そうして初めてヨハンナはこの地で小説を書くために現地の人たちから取材をした。そういう意味で、この freundlich は、普通の田舎の村や町がよそものに対して「閉鎖的」で「親しみにくい」のに対して、マイエンフェルトやラガーツ温泉が、「観光客」であるヨハンナにとって、「開放的」で「親しみやすい」、というような意味合いであったはずだ。このようなニュアンスの差はヨハンナが書いた他の小説の冒頭と比較してみればもっとわかりやすいと思う。ここでは無難に「気さくな村人らが住む」と訳してみた。そんな気さくな村人の典型がデーテやバルベルだというわけだ。

ヨハンナはみずからファンタジーを好んで書く人ではなく(そのような需要やリクエストは多かったに違いないが)、その描写はいつも克明で具体的でリアルだが、翻訳の段階で多くは「夢の国」「子供の楽園」スイスというファンタジー要素が付加されてしまっているように思われる。

ハイジのこどもたち

シャルル・トリッテン著「ハイジのこどもたち」を読んでいるのだが、

アルムおじさんの名はトビアス・ハイムというらしい。
なるほど、アルムおじさんの息子の名前はトビアスだから、その父の名もトビアスである可能性は高い。

トビアス・ハイムはオーストリアで傭兵をしていた。
そのときにマルタ・クルーゼという女性と知り合い、二人の男子を産んだ。
トビアス・ハイムとマルタ・クルーゼは二人して財産を使い果たして、離婚した。
そのときトビアス・ハイム、つまりアルムおじさんは長男のトビアスを、マルタは次男を引き取った。
このマルタが引き取ったほうの子はオーストリアの陸軍大佐となり、クルーゼ大佐と呼ばれる。
クルーゼ大佐の妻はマリーという名で、クルーゼ大佐はパリ駐在武官となってパリに住んでいる。
もしかするとマリーはフランス人かもしれない。
クルーゼ大佐とマリーの間には、ジャミー(ジャンヌ-マリー)、マルタという二人の娘がいる。
ジャンヌ-マリー(Jeanne-Marie)は明らかにフランス女性の名である。

一方で、ハイジはペーターと結婚して、トビアス、マルタリという男女の双子を産む。
トビアスの洗礼名はトビアス・ペーター・ナエゲリ、マルタリの洗礼名はマルタ・ブリギダ・ナエゲリ。
これによってペーターの名前は、ペーター・ナエゲリというのであろう、ということがわかる。

ちなみに名前に「リ」をつけるのは「ちゃん」づけするみたいなものらしい。
初期作品集にも出て来たが、マイエリ、ヨハネスリ、マルグリトリ、などなど。
男の子にも女の子にも付ける。
ベルリ、スヴェンリなど羊の名にも付ける。

「ハイジのこどもたち」の前編「それからのハイジ」によれば、
ハイジはローザンヌの北にあるロージアヌというところの学校でジャミーと知り合い、
ハイジはデルフリで学校の教師になるが、
ハイジがペーターと結婚するにあたって教師を辞め、
後任にジャミーを呼び寄せる、ということになっている。
その学友にして大親友のハイジとジャミーが、実はいとこどうしだった、
というのがこの物語のオチになっている。

一番気になるのは、アルムおじさんがオーストリアで傭兵になった、としていることである。
スイス傭兵がオーストリアで傭兵になることは皆無ではなかったらしい。

[Schweizer Truppen in fremden Diensten](https://de.wikipedia.org/wiki/Schweizer_Truppen_in_fremden_Diensten)

しかしこの時期、オーストリアで傭兵になった記録はない。
そもそもスイスはオーストリアから独立してできた国なので、オーストリアやハプスブルク家の傭兵になるというのは、あまり考えにくい。
本文中 p.176 に

> 当時、ナポリはフランス領だったでしょう

というのがあるが、これはおそらく誤訳だろう。
ナポリは当時ナポリ王国とシチリア王国の同君王国で両シチリア王国と言い、スペインのブルボン家の分家だった。
ブルボン家だからフランス領だと言うのならば、今のスペインもフランス領ということになってしまう。
シャルル・トリッテンが書いたフランス語の原文を読む気にはまったくなれないが、もしトリッテンがナポリをフランス領だと書いたとしたらとんでもない間違いだ(ただしナポリがフランス革命軍に占領され、ナポレオンの兄や妹婿がナポリ王になったことがあった。しかし当時まだアルムおじさんは幼すぎる。それにフランス人が国王になろうとナポリ王はナポリ王であって、必ずしもフランス領になるわけではない。同じ理屈で言えば、今のウィンザー朝のイギリスはドイツ領になってしまう)。

ともかく、スイス傭兵といえば、普通はフランスのブルボン家、ナポリのブルボン家、ヴァティカン、
この三つがメジャーであり、いずれも衛兵として常時雇われていた。
アルムおじさんの時代だと、衛兵としてのスイス傭兵は(上記の記事が完全ならば)ナポリかヴァティカンしかない。
さもなくば戦時に一時的に動員された。
第二次イタリア統一戦争(1859年)ではフランスとピエモンテの連合軍に雇われた。

マイエンフェルト駅が出来たのは1858年である。
鉄道が通ったことによって、それまでのプフェファース修道院に附属していた原始的な湯治場が開発されて、鉄道の近くの、ライン川の川岸まで源泉を引いてきて、ラガーツ温泉が出来たのはそんなに古いことではない (どうも 1868年以降のこと らしい)。
ヨハンナ・シュピリがラガーツ温泉に静養に来たのは1878年以降のはずだ。
で、仮に、最初にハイディが出版された1880年にハイディが5歳だとするとアルムおじさんは70歳。
アルムおじさんの生まれ年は1810年ということになる。
傭兵に行くとして1826年(16歳)から1845年(35歳)くらいまでだろう。
この時期ヨーロッパはウィーン体制で比較的平和だった。
だからバティカンかナポリで平時の衛兵として雇われた、と考えるのが一番無難だし、原作にも言及されているようにナポリであった可能性が極めて高い。そしてオーストリアであった可能性はほぼゼロだ(私はアルムおじさんが第二次イタリア戦争に参戦したとして「アルプスの少女デーテ」を書いた。当時50歳だったことになる。かなり無理がある。時代設定をあと20年ほど後ろにずらして、ヨハンナ・シュピリが未来小説を書いたことにしないといけない。逆に10年ほど前倒しにすることは、不可能ではないが、ナポレオン戦争当時、アルムおじさんは傭兵になるには若すぎる。ちなみに1848年にはウィーン体制が崩壊する欧州革命が起きている。多少時代設定を未来にずらせば、この戦争に動員されたと考えてみることもできる)。

マリア・テレジアの時代にオーストリアがスイス傭兵をウィーンで衛兵として雇ったことがあり、Schweizerhof(スイス広場)、Sweizertor (スイス門) などという地名が今も残るそうだ。
その後再びスイス傭兵を雇ったということは、絶対無いとは言い切れないが、かなり弱い。
或いは、この地名に引っ張られて、トリッテンはアルムおじさんがウィーンで傭兵になった、と考えたのではなかろうか。

ウィーンで子供が二人できて一人だけ連れてスイスに帰るというのも、ずいぶん無理がある設定ではなかろうか?

どうでも良い話かもしれないが、アルムおじさんをトビアス1世、アルムおじさんの子でハイディの父をトビアス2世、ハイディの子をトビアス3世、などと呼ぶのはおかしい。
というのは、アルムおじさんの家系をさかのぼって一人もトビアスという人がいないってことが明らかでなくてはならないからだ。
王侯貴族ならば一応家系が残っているから可能だろう。
或いは領主や国王となって以降、王朝成立後、1世、2世と数えるというのも良い。
ローマ教皇は世襲ではないが、まあ1世、2世と数えるのは自然だ。
しかし家系が定かでない民間人をそういうふうに呼ぶのはおかしい。

ところが歴史の浅いアメリカでは民間人でも平気で1世、2世などという。
彼らの祖先の誰かが、ヨーロッパかどこかで、同じ名前だったかもしれない、なんてことはどうでも良いのだろう。
たとえばマイクロソフト創業者のビル・ゲイツはビル・ゲイツ3世(William Henry Gates III)というらしい。
祖父の William Henry Gates I は 1891年から 1969年まで生きたらしい。
では彼の祖先はどこから来たのか?
彼のGates 家の祖先に William Henry という人はいないのか。
どうせ誰も知らないのだ。

堅信礼の贈り物

ヨハンナ・シュピリ処女作出版の経緯についてはこちらの記事に詳しく記されている。

> Johanna Spyri und Bremen: ein Beitrag zu den schweizerisch-hansestädtischen
Literaturbeziehungen und zu den schriftstellerischen Anfängen der “Heidi”-
Autorin

後書きに書いた通り。
ほんとはもっとたくさん書きたかったが、あまりに「後書き」が長すぎてもかっこわるいので、
必要最小限しか書かなかった。
中途半端に書いておくとあとで自分も忘れてしまって困るので整理しておく。
> Autor(en): Richter, Dieter

Dieter Richter はドイツ語学者。

> Zeitschrift: Librarium : Zeitschrift der Schweizerischen Bibliophilen-
Gesellschaft = revue de la Société Suisse des Bibliophiles
Band (Jahr): 31 (1988)
Heft 2

「Liberarium」という、スイス愛書学会(?)から出ている論文誌に載っているらしい。

> Die kleine Schrift kostete in Bremen sechs Grote (30 Pfennig) und wurde im Kolportagevertrieb auch von Pastor Vietor selber verkauft.

その小さな著作は、ブレーメンで6グローテ(30ペニヒ)で売られた。
また、フィエトル牧師は自ら販売した。
Kolportage は行商、Vertrieb は販売。

出典は

Titelblatt-Faksimile bei J.Winkler, a.a.O., 123. Ein Exemplar dieser Auflage befindet sich in der ZB Zürich.

Titleblatt は製本された本の中に挟まれる標題紙。
当時販売された書籍から採られたコピーということ。
ZB Zürich == Zentralbibliothek Zürich はチューリヒ市とチューリヒ大学共同の図書館。
おそらく記事に掲載されているこの画像のことだ。

vietor



> Das Büchlein ist für 6 Grote zu haben in Bremen bei C. Hilgerloh, am Brill No. 19, und bei Pastor C. R. Vietor, Domshof 27. Bestellungen von auswärts werden durch C.Hilgerloh ausgeführt.

「この小さな本はブレーメンのAm Brill 19番地の C. Hilgerloh で、また、Domshof 27番地の C. R. Vietor牧師から、6グローテで手に入る。国外販売は C. Hilgerloh が行う」と書かれている。
つまり、フィエトルは自ら売り歩いたわけではなく、セールスして回ったわけでもなく、出版社の C. Hilgerloh から分けてもらった本を、自分の教会に置いて頒布していた、ということであろう。
Domshof(教会広場) 27番地はまさにその教会(Die Kirche Unser Lieben Frauen)やらブレーメン市庁舎が建ち並ぶ、市の中心地である。
Am Brill 19 というのはその北西へ1kmほど行ったところ。
ブレーメン中心部はかつて川を挟んで[星形要塞](https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Bremen_Old_Map.jpg)
の中にあったようだ。

1280px-Bremen-1641-Merian



> Das «Bremer Kirchenblatt» empfiehlt das Büchlein als Konfirmationsgeschenk: «Manche Eltern werden gern in dieser Zeit mit ihren Kindern etwas Geeignetes lesen’.»

Konfirmation 堅信礼 Geschenk プレゼント。

Konfirmation はルター派の用語らしく、英語では Confirmation。
英訳すると、affirmation of baptism、すなわち、
生まれたばかりのときに受けた洗礼を、成年に達してから自らの意志で肯定する儀式。
「堅信礼」より「洗礼肯定」のほうがいくらかはわかりやすいのではなかろうか。
この儀式は通常16歳に行われた。
それまでにゲマインデにおける初等教育は終了する。
上流階級の子らはその後で海外に留学したり、さらなる高等教育を受ける。
そうでない普通の子らは社会に出て働き始める。

「ブレーメン教会新聞」は、この小冊子を堅信礼の贈り物として推薦した。この当時の相当の父母たちが、子供たちと読むのに適したこの本を読むのを好んだ。

出典は

Meta Heusser-Schweizer, Hauschronik, hg. von K. Fehr, Kilchberg 1980, 58.

メタ・ホイッサー・シュヴァイツァー(ヨハンナ・シュピリの母で詩人)の家の歴史、という本らしい。

フローニの墓

訳者は著者ではないので作品をずけずけと批評できる立場にいる一人であるはずだが、私の場合「フローニ」を「ハイディ」の謎解きのために無理やり訳し、それでもまだ謎が解けきれないから続く数編も訳して読んでみたので、純粋に「フローニ」という作品を読んだとは言えないかもしれない。

「ハイディ」をある程度知ってはいるが深くは知らない普通の人に「フローニ」を読んでもらうと、だいたい同じような印象を持つようだ。
つまり、ストーリーは別に面白くはない、しかし、文章にある独特の雰囲気があって、なぜか最後まで読んでしまう、と(ストーリーは面白くなく独特の雰囲気はあるが最後まで読む気にならないものは、ありがちだが、単につまらないということよね)。

その独特の雰囲気というのは明らかに訳者である私の文体のせいではない。
逆に私がそのヨハンナの独特の言い回しの影響をうけた、のは確かだ。
もちろん私もそれに気付いてはいたが、うまく表現できない。
しかし周りの人も同じようなことに気付いているとすれば、やはりそこが「フローニ」のおもしろさであって、もしかすると私は宝石の原石を見つけたのじゃないか、という気にもなる。
その雰囲気というのは当然「ハイディ」にもあるんだが、アニメにも表れてはいるが、残念ながら十分に表現されているとは言えないと思う。
その雰囲気というのはアルムおじさんやデーテのあたりに濃厚にただよっていて、つまりそれらのキャラクターに何らかの実在のモデルがいることを暗示しているのだ。
そしてそのモデルを作中に描写するときにヨハンナは奇妙な、達者というよりはぎくしゃくした表現をして、そこが何かしらの味になっている、と思う。

> man ihr das Äußerste in dieser Richtung hätte zutrauen können, wenn nicht die schelmischen Mundwinkel von unten herauf sich wie darüber moquirt hätten.

たとえばフローニの容貌を描写しているこのとても訳しにくい部分。
特に moquiren という単語がわからんし(ラテン系の言葉をドイツ語の動詞化したものだが、調べてもわからん。しかたなく口がへの字に曲がってると訳した)、
das Äußerste in dieser Richtung
もよくわからん(目が賢そうなわりに鼻がとても純朴で、その印象がちぐはぐだ、ってことを言いたいらしいのはなんとなくわかる)。
あるいは

> Drüben standen die dunkeln Felsenspitzen des Pilatusberges auf dem lichten Abendhimmel, und die Hügel umher lagen so lockend grün im Abendschein.

「ピラトゥス山の薄暗い断崖絶壁が明るい夕空の上に浮かび、夕焼けの中、心があこがれるような緑色の丘があたりに横たわっていた」
などのような自然描写。
so lockend grün は「心があこがれるような緑色」とでも訳すしかないではないか。

しかしながらヨハンナの作品にはとても退屈なものも混じっていて、そういうものにはたぶんそういう何か屈折した、「魔法をかけるような」描写が盛られてないのだろうと思う。

e-rara Johanna Spyri 文献

初版の年ではなくて実際に出版された年の順

## Bremen : C. Ed. Müller’s Verlagsbuchhandlung

* [Ihrer Keines vergessen / von der Verfasserin von: «Ein Blatt auf Vrony’s Grab»](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17066) 1873 彼らの誰も忘れない
* [Verirrt und gefunden / von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16661) Zweite Auflage, 1882 迷い出て、そして見出されて
* [Ein Blatt auf Vrony’s Grab : Erzählung](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16597) Vierte Auflage, 1883 フローニの墓に一言

## Gotha: Friedrich Andreas Perthes

* [Heimathlos : Zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16705) 1878 故郷を失って
* [Verschollen, nicht vergessen : Ein Erlebniss meinen guten Freundinnen, den jungen Mädchen / erzählt von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vronys Grab” etc.](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16711) 1879 失踪したが忘れない
* [Aus Nah und Fern : Noch zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16706) 1879 近く、そして遠くから
* [Aus unserem Lande : Noch zwei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16713) 1880
* [Im Rhonethal](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16645) 1880 私たちの国から
* [Heidi’s Lehr- und Wanderjahre : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben / Von der Verfasserin von “Ein Blatt auf Vrony’s Grab”](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16704) 1880 ハイディの学びと放浪時代
* [Ein Landaufenthalt von Onkel Titus : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16673) 1881 ティトゥス叔父さんの滞在
* [Heidi kann brauchen, was es gelernt hat : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16913) 1881 ハイディは学んだことを役立てられる
* [Kurze Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16708) 1882 子供と、子供を愛する人のための短い話
* [Wo Gritlis Kinder hingekommen sind : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17065) 1883 グリティスの子供たちはどこに帰ったか
* [Gritlis Kinder kommen weiter : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16674) 1884 グリティスの子供たちはまた来た
* [Was soll denn aus ihr werden? : Eine Erzählung für junge Mädchen](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16714) 1887 彼女はどうなるべきか
* [Arthur und Squirrel : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16712) 1888 アートゥアとシュクヴィレル
* [Was aus ihr geworden ist : Eine Erzählung für junge Mädchen / Zugleich Fortsetzung der Erzählung: Was soll denn aus ihr werden?] (http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16672) 1889 彼女は何になったか
* [Aus den Schweizer Bergen : Drei Geschichten für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-17007) 1889 スイスの山から
* [Keines zu klein Helfer zu sein : Geschichten für Kinder und auch für solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16658) 1890 誰も助けられない
* [Cornelli wird erzogen : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16850) 1890 コルネリは育てられる
* [Volksschriften](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16707) 1891 民話
* [Schloss Wildenstein : Eine Geschichte für Kinder und auch für Solche, welche die Kinder lieb haben](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16659) 1892 ヴィルデンシュタイン城
* [Einer vom Hause Lesa : ein Geschichte für Kinder und auch für solche, welche Kinder lieb haben.](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16657) 1894 レザ家の人

## Stuttgart: Carl Krabbe

* [Sina : eine Erzählung für junge Mädchen](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16671) 1884 ジーナ

## Barmen: Hugo Klein

* [Am Sonntag](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-16662) 1881 日曜日に

## Basel: Allgemeine Schweizer Zeitung
* [Aus dem Leben eines Advocaten](http://dx.doi.org/10.3931/e-rara-26408) 1885 ある弁護士の生涯