聖橋

[震災復興再開発事業#関東大震災](http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9C%87%E7%81%BD%E5%BE%A9%E8%88%88%E5%86%8D%E9%96%8B%E7%99%BA%E4%BA%8B%E6%A5%AD#.E9.96.A2.E6.9D.B1.E5.A4.A7.E9.9C.87.E7.81.BD)
などにも書かれているが、震災後、内堀通り、靖国通り、昭和通りなどが幹線道路として整備された。
このうち内堀通りというのは、本郷から聖橋、神田橋を経て丸の内に至る道で、
聖橋はこのときに初めて架けられたのだ。
遷都しないと決めたのは後藤新平、復興予算を30億円と決めたのも後藤。
しかし予算は5億円程度に削られてしまった。
思うに遷都した方が良かったのではなかろうか。
日比谷公園・上野公園・靖国神社参道などはバラックの難民キャンプで埋まっていたらしい。

当時の写真などもいろいろ見てみる。駿河台にはニコライ堂がそびえ立っており、
はるかお茶の水から遠望できた。

横浜中華街は、震災前は二階建ての洋館や蔵造りの商館がみっちり立ち並んでいたのが、
震災後は平屋木造バラック小屋みたいなのばかりになっている。
また当時は中華街とは言わず、南京通りと言っていたようだ。

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