『2001年宇宙の旅』は今見ればつまらない映画だが、
当時はすごかったのに今はなぜつまらなく感じるか、というところを鑑賞しなくては意味のない作品だ。
『マカロニほうれんそう』や『8時だよ全員集合』にも同じようなことがいえる。
あの頃面白かったものがなぜ今つまらないか。
『2001年宇宙の旅』は、テンポが遅い。あれは、クラシック音楽を聴きながら、宇宙船や宇宙ステーションがゆっくり動くのを眺めるためのもので、
いわばイージーリスニングや環境音楽などの走りだったといえる。
またそもそもSF映画にクラシックを最初に使ったのは『2001年』だっただろう。
『2001年』がなければ『スターウォーズ』も『宇宙戦艦ヤマト』も無い。
猿人の描写なども、着ぐるみを着たお笑い芸人が何度も何度も繰り返しているから、何の変哲もない、
ただのありきたりの退屈な映像に過ぎないが、封切当時、つまりアポロで人が月に行ったのと同じくらいに見た人には新鮮だったのに違いない。
なにしろ大阪万博よりも、7年も前なのだから。
同じ年に『猿の惑星』も出たのが興味深い。
HALが人間を殺す、というのも、Portal の GlaDOS などへの影響を思い起こさせる。
『2001年宇宙の旅』はあまりにも多くの人に影響を与えたから、
一度も見たことがなくても、後世の多くの映像を通じて既に見ているのと同じだ。
それを初めてみてつまらないと思うのでは古典を鑑賞したことにはならない。
なるほど。『2001年』は公開当初から、「退屈で眠気を誘う」と評されていたのか。
New York Timesも、筒井康隆も、星新一も。
また興行成績も悪かった。
ということは、いきなりこれを、1968年に、人類が月に到達する以前に見た人たちは、
一様につまらなく感じたということであり、
また、『2001年』を何の予備知識もなしに、いきなり見た現代の若者たちも、
やはり同じようにつまらなく感じるのだろう。
これはこれで実に興味深い事実だ。
逆になぜ私は『2001年』をそれほど退屈に感じなかったのだろうか。
いろいろな知識を得てから見たせいだろうか。
それとも『2001年』の中に、いろんなSF映画のプロトタイプを観察したからだろうか。
あるいは、映像から、無意識のうちに、原作の小説のプロットを補完していたからか?
うーん。結論めいたことを言えば、『2001年』は「おもしろい」と「つまらない」の両極端の評価があって、
そのどちらを自分が感じるかということは、あまり自明ではない。
だから、やはり、用心して観たほうがよいということか。
評価が分かれない作品というのは要するに凡作なのだろう。