調べてみると、いろいろ面白い。
賜姓というと、「源」「平」「橘」。
このうち橘氏は、特に古い時代に、正一位までなった人がたくさんいる。
平氏も皇族の末裔のはずだが、清盛まではほとんど高い官位をもらえてない。
正一位をもらっている源氏は、
854年、源常。
858年、源潔姫。
869年、源信。
895年、源融。ここまではみな嵯峨天皇の皇子・皇女。
897年、源能有、文徳天皇の皇子。
913年、源光、仁明天皇の皇子。
993年、源雅信、
995年、源重信、いずれも宇多天皇の皇子。
1094年、源顕房、村上天皇の皇子、などとなっている。
この頃までは、天皇の皇子が、直接臣籍降下して、源氏を賜って、
正一位になっている例ばかりだ。
従一位以下は枚挙にいとまない。
正一位というのは、太政大臣相当とみてよい。
思うに、村上源氏が公家として生き残ったというのは、たまたま藤原道長の時代に源氏となって、
その庇護を受けたからではなかろうか。
他の源氏は、武士になるなどして、在地に土着して、自力で生き延びたのであろう。
なお、頼朝は六位蔵人であったから、昇殿を許されていた。
つまり清和源氏であって、殿上人だった。
もし、平治の乱に巻き込まれなかったら、そのまま公卿になっていたに違いない。
また、従三位の、清和源氏の源頼政も、むろん殿上人だった。
清盛全盛の当時、頼朝や頼政の任官や叙位、官職にまで、源氏の長者として、村上源氏の誰かが口出しをしていたとは、
ちょっと信じがたいのだけど。
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