江戸時代の法律

やはり半七捕物帳を読んでいて思ったのだが、
江戸時代の法律とか罰則というのは、江戸初期に作られたもので、
戦国の世に合わせた非常に厳しいものだったが、
世の中が太平になってくるとだんだん実情に合わず、過酷すぎるようになってきた。

部下が処罰されればその上司もみな罰せられる。
家族の中に一人罪人が出ると家族全部が罰せられる。
必要とされる以上に刑罰が厳しいと、
社会全体が隠蔽体質になり、事なかれ主義になり、社会ぐるみで真実を隠すようになって、真相が判明しにくくなり、
事件解決の妨げになる。
或いは犯罪が余計に巧妙になり、やはり真相を見えにくくしてしまう。

ほんとはいろんな犯罪や疑獄が起きているのだが、
それが表面化しない。
法律が法律として機能しなくなり、
何事も情実で裁かれるようになり、
裏社会が発達し、表社会が腐っていく。

つまりまあ、重すぎる罰則は社会のためにも、犯罪抑止のためにもならん、ということですわな。

アメリカの禁酒法みたいなもんだな。

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