幼児はモノが見えていない。
モノが見えてないというよりは見えないはずのモノが見えたり、
見えるはずのものが見えなかったり、
いろんな現象が起きているように思う。
大人になるとだんだんと、「見えるべきものが見える」「見えてはいけないものは見えない」
の二つに収束していく。
その前段階として「見えるはずのないものが見える」とか
「見えるはずのものが見えない」という現象があってもおかしくない。
子供に妖精や幽霊が見えるのも同じことじゃないか。
大人は理性や経験やらで見えるはずのないものをものすごい勢いで排除している。
見ようとする vision と見てはならないという vision が、
お互いに抑制し制御しあっているのでないか。
その協調関係が壊れればたちまち見えてはいけないものがどんどん見えだすだろう。
あるいは何も見えなくなってしまうだろう。
大人でもLSDで幻覚が見えるようなもんだろう。
感情によっても視覚は変化する。
ヘッドフォンステレオかぶって自転車乗っているだけでも、
情景はだいぶ変わって見える。
視覚というのはまだ何もわかってない。
脳科学の成果をもっときちんと追いかけないといけない。
視覚や脳科学は「21世紀の科学」だという人がいるようだがまさにそうだろう。
視覚はあまりにも自明で完璧なのでとっかかりがないが、
錯覚、幻覚、子供の妖精やお化けなど、
「見えるべきものが見える」「見えてはいけないものは見えない」
あたりの異常現象から攻めていくと良いのでないか。
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