留置まし

[反実仮想まとめ](/?p=4190)が良く読まれているのがおかしいのだが、
たぶん「反実仮想」「まとめ」でググって来ているのだろう。
記事のタイトルに「まとめ」といちいち入れるとアクセスが増えるかもしれない(笑)。

これは先に
[まし](/?p=4121)、
[とも・・・まし](/?p=4185)、
というのを書いてさらに調べたものを追加してまとめたという意味。もとはといえば、
吉田松陰の

> 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留め置かまし大和魂

という歌の解釈が難しいからである。
それでまあ、今改めて考えてみるに、
幕末は武士の勇ましい和歌が流行していて、
「身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも」「大和魂」などはまさに当時の志士が好んだ言い回しなのだが、
なぜか「留め置かまし」の部分だけが非常に雅びで女々しい。
そうするともしかして「大和魂」もまた、
源氏物語に出てくるような女々しい意味で使われているのではなかろうかという疑いが出てきて、
この歌は実はかなり弱音を吐いた歌なんじゃないかと思えてくるのである。

でまあ吉田松陰がそこまで意図してこの歌を詠んだかどうかわからんのだが、
この歌は幕末の殺気だった雰囲気と平安朝の雅びな雰囲気が混在していて、すごく違和感がある。
すごく困惑させられる。
で、以前にも書いたように、私なら、「留め置かまし」ではなく「留め置かばや」とか詠むだろう。
「まし」だと「まほし」の誤用ではないかと誤解される可能性がある。
そう思われるのが怖いからたぶん私は「ばや」にするだろう。
「留め置かむ」が良いが字足らずで「留めて置かむ」ではなんか力が抜ける。
「留め置きてむ」は強いがちょっと違う。
「留め置かなむ」だと「留めおきたいなあ」みたいな感じで変。

川越素描では、吉田松陰の歌を元にしつつ、やはり「ばや」で受けた。

> 資長のアリア(I)

> おお、佐枝、無念なり 忠勤尽くせし我が君に

> 謀反の疑念をいだかれて 今こそ我は討たれたれ

> 願はくはこの魂魄を 東(あづま)の国にとどめおき

> 憎(にっ)くき仇(かたき)上杉の 子孫の胤(たね)を絶やさばや

まあこれだと紛れもない武士の歌である。
でも完全な武士の歌にしてしまうと物足りなくもあり、味気なくもある。
だから、吉田松陰の歌は「留め置まし」でなくてはならず、
そうでなければ維新となって爆発する内部応力をこの歌は持ち得なかっただろう。

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