小説を書き始めたのが2009年の夏頃で、
そのころはまず新人賞に応募して、ダメだったやつを(ダメでないやつはないのですべてだが)
順次 puboo に載せるようにしていた。
kindle で出すようになったのが 2013年から。
このころはもう、新人賞に出すこともなく、いきなり kindle に出していたように思う。
2年間ばかり kindle で悪戦苦闘してきたのだが、
だいたい状況はわかってきたように思う。
自分という書き手の問題もあれば kindle でいきなり個人出版をやる問題もある。
旧作に関してはもうこのまま kindle で売り続けることにする。
ほぼ250円で、「川越素描」などの長編は500円にする。
短編でも99円とかはもうつけない。
安くしようが高くしようが売れないものは売れないってことがわかったからでもある。
自分としては「川越素描」「司書夢譚」「安藤レイ」「アルプスの少女デーテ」などは長編なので、
他よりは高い値を付けたい気持ちがあった。
また「将軍家の仲人」は別格にしたい気持ちもあった。
今回実質値上げしたわけだが、値段の差は私の中での格付けだと思っていただきたい。
恥ずかしながら昔のつてを頼って別のやり方で出版しようと模索している。
自分には面白くても人には面白くないということは当初からだいたいわかっていた。
私に才能があるとすれば、今まで見つかってなかったパズルのピースを見つける能力だと思う。
人が気づかない、理論と理論の間のショートカットを見つける能力だと思う。
私の中ではそのショートカットを見つけただけでうれしいし面白い。
しかしそのショートカット自体は他人には何にも面白くない。
例えばそのショートカットとは泰時であったり栄西であったり西行であったりする。
或いは西園寺公経とか平頼盛であったりする。
しかし世の中の人は清盛とか頼朝しか面白いとは感じない。
つまりだ、栄西とか公経とか頼盛という自分にとっては面白い発見を利用して、
そこで得られた新しい切り口で、清盛とか頼朝の話を書かなくてはならないのだが、
これが難しい。
イェルサレム司教アルヌルフとか、ローマ教皇パスカリス二世ではなく、
神聖ローマ皇帝ハインリヒ五世とか東ローマ皇帝アレクスィオスで物語を書かなくてはならぬ。
普通の人は歴史上の有名人を主人公にしたほうが話が書きやすいのかもしれないが、私には苦痛だ。
最初書いた「将軍放浪記」でも将軍というのは源でも足利でも徳川でもない。
後醍醐天皇の皇子、宗良親王だ。
そういうマイナーな人を書くのが私の快感なのだが、
この気持ちを読者と共有することはほとんど不可能だ。
おそらく私は自分が見つけたパズルのピースを主人公にしてあげたいという気持ちがあるのだ。
彼を発見したのはまさに自分だからだ。
他の英雄たちは誰でも知っている。私以外の人たちがたびたび描いている。
だから私にはちっとも親しみが感じられない。
私が思いついたことにはまだ他人が書いてないことがあるはずだが、
それを活かした本を書くことは私一人では無理かも知れない。
私一人でこの作業をやるのはつらすぎる。
身近な人に読んでもらってもいいのだが、彼らは出版のプロではない。
ともかくそろそろ仕切り直す時が来たんだと思う。
それはそうと今年で五十歳なのだが、定年まであと十五年も働かなくてはならないかと思うと、
ほんとに嫌でたまらない。
「紫峰軒」では定年後の老人の話を書いたのだが、その主人公の身分になるにはまだだいぶ働かなくてはならぬ。
私はほんとうに働くのが嫌いな人間だなと思う。
まあみんなそうかもしれないが。
だが私の知り合いの多くは定年後も再就職して働きたいと思っている人たちばかりである。
私も別に本を書くとかそういう仕事ならしても良いが、
人に雇われて働くのはもうこりごりだ。