藤原氏の勉強

投稿者: | 2015年2月28日

藤原氏と天皇家の関係は、
不比等の娘・宮子が文武天皇に入内するまでは見られない。
文武の皇子・聖武天皇にふたたび不比等の娘・光明が入内して皇后になった。
つまりこの二代にわたる入内と、人臣で初めての皇后の位についたのが事実上の藤原氏の歴史の初めである。
不比等の息子の四兄弟がこの藤原政権確立に活躍したが、
藤原氏は天然痘でほとんど絶えてしまう。
この段階ではそのまま歴史から消えてしまうことも十分にあり得たわけである。

蘇我氏を滅亡させたクーデターに天智天皇や中臣鎌足が関与していた可能性はかなり低い。
しかも天皇不在で、天智天皇は皇太子のまま白村江を戦ったというが信じがたい。
天智天皇はほぼ間違いなく白村江の敗北よりは後の人だ。
天智天皇陵が山科にあり、中臣氏の本貫が山科であるのは何かの因縁かもしれないが、
よくわからん。
天智・持統・草壁のラインに藤原氏が何かの関与をしたのだろうがよくわからん。
そもそも天智・天武が蘇我氏を滅ぼさなくてはならない動機がない。
持統も元明も蘇我氏の娘だし、
天武も蘇我氏に擁立されている形である。
そして天武が天智の娘をことごとく妻としているのは異様だ。
天武を擁立していた勢力が天智の血を必要としたからだが、
蘇我氏くらいしか思い当たらない。藤原氏ではないはずだ。

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