高橋源一郎『一億三千万人のための小説教室』

> もちろん、小説が嫌いな小説家はいないはずです(たぶん)。

さて。
私が小説家かどうかはひとまずおいて、
私はどちらかと言えば小説が好きだから小説を書いているわけではない。
私は最初は画家になりたかった。
それから歌人になりたいとも思った。
画家と歌人ではそもそも飯を食えないし、
才能を判断される基準が曖昧としか言いようがないし、
ともかく食うための仕事をしないわけにはいかないので、
私はなんとか論文を書く仕事についた。
論文を書くのは楽しいけれどむなしくもある。
世界でおそらく私の論文を楽しく読んでいる人は三人くらいしかいない。
死んでからときどき見つけて読んでくれる人がいるかもしれない。
それでも良いと思ったが、あるときから論文を書くのがばかばかしくなってやめた。

歌人になるにはおそらく新聞とかの歌壇で評価されねばならないのだろう。
まっぴらごめんだ。
そういう仲間になる気はない。

それで私は自分が詠んだ歌を小説の中に紛れ込ませる方法を考えついた。
和歌の本を買って読んでくれる人よりも小説の本を買って読んでくれる人のほうがはるかに多い。
それで本がたまたま当たったら、そこに載ってる歌に気付いてくれる人が出てくるかもしれない。
ともかく読まれないことには、私の歌を世の中の人に知らしめることはできない。
それで私は『日本外史』などを読んでやっと日本史というものに興味が出てきた頃だった(『日本外史』は明らかに小説ではないわな)。
私は日本史などというローカルな歴史にはもともと興味がなかった。
世界史ばかりおもしろがって読んでいた。
ところが『日本外史』という武家の通史を読んでみて、
承久の乱とか南北朝とか室町なんていう時代がけっこう味があって面白いなってことに気付いた。
おそらく世界史を知っていたからこそ南北朝みたいな話に興味が持てたのだと思う。
歴史小説の中に自然にとけこむような歌の詠み方を私はすでに習得していた。
完璧な大和言葉で和歌を詠む訓練をした。
そうしたらだんだんと本居宣長や上田秋成なんかの国学者の気持ちがわかってきた。

そうしてまず歴史小説から入っていったのだが、
この歴史小説というやつも新人賞なんかで募集しているところは少ない。
無いことはないらしいが、たぶん私の書くようなものは求められてない。
それで新人賞に応募するために現代小説らしきものを書き始めた。
というのがおおよその流れだったと思う。
それでもともと世界史は好きだったから、和歌とは離れて世界史の歴史小説も書き始めたのだが、それでも最初は主人公がオマル・ハイヤームのものを書いた。彼の詩に興味があったからだ。ここでも関心はどちらかと言えば歴史であり、詩であって、小説ではなかった。私はいまだに自分がどういう小説を書けば良いのか良くわかってない。むしろいまなお人に読まれて自分が書けるものがあるならそれを見つけたいと思っている。

> 短い詩と、それより長い詩、この二つは、明らかに詩です。

> しかし、なぜ、詩なのか、説明してくれ、といわれると、それは難しい。改行してあるから詩、というわけではないし、韻を踏んでいるから、リズムがあるから、繰り返しがあるから、詩だ、ということにはならないのです。

> わたしは、詩、という確固たるものがあって、それに向かっているから、詩なんだ、とういう説明が一番正確なのではないか、と思っています。

谷川俊太郎の詩は、私もなぜこれが詩なのか、うまく説明できない。というより、私は谷川俊太郎という人のどこが良いのかわからない(つまりまったく評価していない)。彼を評価するくらいなら、私は江戸時代までの歌人や詩人を評価したほうがずっとましだと思う。私にはいろいろな意味で現代文学の良さがわからない。
現代自由詩がなぜ詩であって小説ではないのか。そんなことをいくら説明しようと試みてもムダだと思う。いろんな人がそれを説明しようとしてきた。丸谷才一も『日本語のために』で似たようなことを書いていた。
一度は納得した気になっていたが、
和歌を学び、漢詩を学び、ペルシャのルバイを学び、ドイツ詩を学んで、
ますますわからなくなった。
「王様の耳はロバの耳」と同じことだ。
誰も、現代詩が詩じゃない、って怖くて言えないだけなんじゃないのか。
私はこれまで和歌を中心にいろんな詩を学んできた。
だから私は(少なくとも日本の)現代詩は詩じゃないって言う資格があると思っている。

> (もっと正確にいうと「岩波文庫」に入っているような)文学史に名を残すような文豪たちの本が、どんどん絶版になっていることをご存じでしょうか。

> 現代の読者は、そんな古い名作より、生きのいい現代の作品の方を好んでいます。

いつの時代もそうかと思うが、
一番小説を読むのは中学生から高校生くらいの子供だろう。
或いは一般大衆はドラマを好む。
彼らには歴史がわからない。
義経信長秀吉家康龍馬。そういう加工された歴史しかわからない。
古典はそういうマジョリティに消費される娯楽作品にはなれない。
岩波文庫を見ればわかる。
逆に年を取ると歴史がわかってくるから古典が読みたくなる。
そういう人たちの需要のために今も岩波文庫はあるといえる。
ただそれだけのことだと思う。

> 読者は保守的です。読者は「楽しませてくれ」という権利を持つ王さまです。その、読者の楽しみのほとんどは「再演」の楽しみ、いままで楽しいと思えたものと同じものを読む喜び、確実に楽しめる喜びです。そして、作者はその王さまのいうことを聞く家来 ― それが、いまの小説の悲しい現実です。

そりゃそうだ。
そんなことは物書きならみんな知ってる。
知らないことを知る喜びなど読者にはない。
彼らは自分が中学や高校でならった古典をおさらいしてやると喜ぶ。
そうでないことは理解できない。

> 小林秀雄 全作品

> 日本でもっとも高名な批評家である彼の文章は、批評の世界では、まねしつくされましたが、小説としてまねする人は意外と少ないようです。活用するべきでしょう。

文体を真似たひとはいるのかもしれないが、小林秀雄を真似て成功した人がいるとは思えない。私は小林秀雄のすべてはわからないが、自分の得意分野、たとえば『本居宣長』『実朝』などは理解できたつもりである。それで小林秀雄のような文章を書きたい誘惑に駆られたこともあるが、そんなことしたら誰もついてきてくれないと思う。
彼が、誰も気付いてないことを気付く本物の批評家であることは間違いないと思う。でも、彼の文章を読んで、誰も気付いてないことに最初に気付いた人であることに気付く人はおそらく皆無だ。みんな何が書かれているかわからずに読んでいる。
小林秀雄は非常に不親切な文章を書く人で、かつ文章のクオリティにものすごくムラがあって、大半はわけのわからないことをただぐだぐだ書いているだけで、たまにすごいことがぽろっと書いてあったりする。
小林秀雄だからああいう文章が許されるのだ。
そして彼は、読者が結局誰も自分の文章を理解してないってことに気付いていて、それでどんどん不親切になっていったのだ。丁寧に親切に書いても、不親切に書いても、どっちにしたって理解されないし、理解してくれる人はどんなに不親切に書いても理解してくれるんなら、親切に書く努力がばかばかしくなる。
そう、少なくとも彼が宣長について書いていることのかなりの部分は、別に難しいことじゃない。読み取ろうという気があって読めばわかるようには書いてある。

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