頓阿と後村上天皇

草庵集玉箒を読んでて思ったのだが、

一木まづ 咲きそめしより なべて世の 人の心ぞ 花になりゆく

この頓阿の歌

一木まづ 霧の絶え間に 見えそめて 風に数そふ 浦の松原

この後村上天皇の歌によく似ていないだろうか。さらに

夏草の 茂みが下の 埋もれ水 ありと知らせて 行く蛍かな

この後村上天皇の歌は

草深み 見えぬ沢辺の 埋もれ水 ありとやここに 飛ぶ蛍かな

この頓阿の歌とあまりにも似すぎてはいないだろうか。

頓阿は北朝の征夷大将軍足利尊氏の近習であり、しばしば尊氏邸の歌会に参加している。また従一位摂政関白太政大臣二条良基にも歌の師と仰がれていた。ところがどうやら頓阿は南朝の後村上天皇とも近しかった可能性が極めて高い。

後村上天皇が僧侶のなりをして頓阿という名で北朝に出入りしていた、としたらちょっと面白い話になるかもしれないが、二人の歌風はまったく異なるので、同一人物ということはあり得ないと思う。

頓阿は後深草二条、つまり『とはずがたり』の作者ともつながりがあったと私は見ているのだが、そのことについてはまた改めて書きたいと思う(最近頓阿についてだいぶ調べた。頓阿の本を一冊書けと言われればたぶん書けるだろう)。

私は「埋もれ水」とは頓阿のこと、「蛍」は後村上天皇のことを暗喩しているのではないかと思っている。つまり頓阿は南北朝間を行き来する密使だったのだ。

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