一神教はサイコパス

必ずしもヒマではないが仕事に煮詰まったときなど、メンテナンスがてら自分の古いブログを読み返したりし、過去記事を整理しているとさらにまた書いておきたいことがでてきたりする。昔は今よりずっと知識が少なく感覚的にものを書いていて、書いている内容もたわいなく、ときどき全然自分ではない別人が書いている文章を読んでいるような気分になる。殻の中にまだ身がつまってないザリガニが、だんだんぱっつんぱっつんに詰まっていく過程を観察するのは我ながら興味深い。

嵐が丘嵐が丘2ジェーン・エアなどに、初めて私が嵐が丘を読んだときの感想が残っており、これまた興味深い。最初に読んだ時の印象というのはまさに一期一会なんだよなあ。女性がなぜあんな陰惨な話を好むのか、いまだに理解できない。むしろ一般女性は拒絶反応を示すが、サイコパス小説として史上最高の傑作、とか評価されているのであればまだわかる。たぶん原作というより演劇とか映画の影響が大きいのだろう。イケメン男性と美人ヒロインの悲恋。映像ではしばしば美化して描かれる。

サイコパスという言葉は便利な言葉であまり安易に使うまいと思うが最近つい使ってしまう。

一神教の起源という話は2000年つまり私が35才の時書いたものだ。この頃までの私の認識ではフロイトというのはインチキスピリチュアル占い師、というような、世間一般にありがちなものであった。

2004年にはモーセと一神教という本を読み始めて、コンプレックスがどうのとか夢占いがどうのということはおいといて、ユダヤ教の起源についてはものすごくわかりやすく面白いことを書いている。彼はユダヤ人だが無神論者だ。

その後もヤハウェと火山アドンとエデンアジアとエジプトモーセとレビ族近親婚などという記事を書いている。

エジプトは古来多神教の国だ。そこへシリア・メソポタミア地方からヒクソスが侵攻して第15王朝をナイル下流域に建てた。シリアの宗教、バアル神などがエジプトに流入して混淆した。エジプト古来の宗教が外乱によって大きく変質した。ナイル上流域にはヒクソスの支配を逃れた第16王朝があり、その次の第17王朝がヒクソスを追い払って、第17王朝を継ぐ第18王朝が新王国時代を作った。しかしながらエジプトは完全に古い宗教に戻ることはなく、さまざまな宗教が混在した状態になった。

この第18王朝時代にアメンホテプ4世(アクエンアテン、イクナートン)がいきなり一神教、アトン信仰を創始したというのは、ムガル帝国のアクバルが宗教の融和を行ったことを思わせるし、さらに遡ってマウリヤ朝のアショカ大王が当時の新興宗教であった仏教を保護したことにも似ているように思える。

思うに、ヒクソスとともにエジプトに入ってきた東方の宗教は、おおざっぱにエデンとか、アドンとか、アトンなどと呼ばれていたと思う。エデンが世界の東にあるというのはエジプト人から見てエデンという宗教が東から来たことによるのではないか。日本や中国からからみて仏教の極楽を西方浄土と言うように。

しかしながら東方の宗教はエジプト人にとって所詮異民族の宗教に過ぎず、イクナートンの宗教改革は失敗した。このときにアトン信者たちがエジプトから追放された事件が脱エジプトであった。

イスラエルの13氏族のうち12氏族はもともとイスラエルからエジプトに来た人々で、モーセを含むレビ族だけは(イスラエルにもともと土地を持たない)エジプトの土着民だったのではないか。エジプトに移り住んだイスラエル人と、カナーンに残ったイスラエル人(あるいは沿岸地方から入植してきたフェニキア人(ペリシテ人))の間で、土地相続問題で争いになった。というようなことが旧約聖書には書かれているのではないか。

ヘブライ語でアドナイ、ギリシャ語ではアドニスというがもともとはフェニキア語のアドン。ヘブライ語はフェニキア語の一種であり、もともとイスラエル人とフェニキア人にはほとんど区別がなかったのではないか。というより、現代まで生き残ったフェニキア人の一氏族がユダヤ人なのではないか。

それはそうとでは一神教は東から来た宗教だったのかというと、それは結局良くわからない。シリアやメソポタミアにも当時一神教などというものはなかったはずで、フェニキア人にも一神教などというものはなかったし、ましてエジプトには一神教などあるはずもない。フェニキア人はもともとアドンも信仰していたし、バアルも信仰していた。カナーンに残留したフェニキア人はバアルを主神としていたが、エジプトから逃げてきたイスラエル人はアドンを信仰していた。しかもこのアドン信仰は、古いフェニキアのアドン信仰ではなく、エジプトという宗教のかまどのなかで窯変した新興宗教だった。それは、エジプト古来の神々を退けてアドンだけを信仰するという排他的な性格のものだったに違いない。そしてそれを核にして、イスラエル人によるカナーン再入植の過程で一神教が生まれたのだろう。

いったん生まれてしまうと、この一神教というものが非常に中毒性の高い、自己主張がはげしいサイコパス的なもので、特に西アジアにおいては適性が高く、世界宗教に発展し、今も信者を増やしつつある。しかしながら宗教を擁護する人たちは無神論者をサイコパス扱いしがちなのだが。

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