私は文学という言葉が好きではない。小林秀雄も文芸とはいうが文学とはなかなか言わないと思う。文学というのは文芸に関する学問のことであって、文芸、つまり、言語による芸能、あるいは創作活動そのもののことではないように思える。
誰かがliteratureを無造作に文学と訳して、それがそのまま定着してしまった。私が文学という言い方をするのは近代文学、文学者が文学ブンガクというときにの文学に限られる。文学という言葉にはガリ版刷りの油インクのような嫌な匂いを感じる。文学というと、新聞紙で何かをこすったときにインクと油と匂いが付いてしまうような、そんな汚れた感じがする。
ついでだが、今の人は国文学とは言っても国学とは言わない。かつて国文とは和文と漢文のことであった。もろちん平家物語のような和漢混淆文も国文ではあろうが、かつては国文とは言っても和文と漢文のけじめは厳格にあり、文人の素養として、和文の中心には和歌があり、漢文の中心には漢詩があった。今の国文学にはそういうものがまったくない。国文学は日本の伝統文芸という意味をもはやもっていない。単に日本文学、日本語学、のようなものを漠然とさしており、そこには現代小説も含まれている。
私にとって国文とは、和綴じにした本から匂ってくる、和紙と墨の匂いのするものだ。
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