退屈に耐える

ときどきSNSに振り回されている自分に気付き、嫌な気分になる。

飲食や旅行は楽しい。退屈も紛れるし、時間が有意義に過ごせたようにも思う。しかし年寄りにとっては必ずしもそうではない。いまさら娯楽に金を使ってもそれで経験値が上がったり何かいままでにない新たな出会いがあったり、人生に転換点が訪れたりするわけではない。年寄りにはなんの未来の希望もない。年寄りがやるべきことは諦めることしかない。悲しい言い方かもしれないが、年を取るということは実際悲しいことだし、それを認めなくてはならない。

食うほどに醜く太り、健康を害していく。酒を飲んで酔って良い気持ちになっても、それがなんの足しになるわけでもない。金持ちがやりがちなクルーズ船みたいな時間つぶしも、金さえあれば誰にでもできることで世の中に何も貢献することはない。

無駄に食わず、飲まず、旅行もせず、死ぬまでの空虚な孤独な時間を過ごすことこそが、年寄りにとって最も良いことだ。時間が余ると最初はやることがなく時間を持て余すかもしれないが、すぐに慣れる(理論上は)。退屈だからと何かをやるのが良くない。退屈に耐えた先に平安があるのではないか。退屈だからと貯金を崩して贅沢をしても虚しさが後に残るだけだ。良いメガネを買う、良い服を買う、良い時計を買う、ペットを飼ってペットと過ごす。そんなことになんの意味があろうか。

中年や老年の旅行系ユーチューバーとか。趣味系ユーチューバーとか。ああいうことをしていったいなんの意味があろうか。

自分を直視することは難しい。誰にでもできることではない。誰もが現実から逃げる。しかし逃げたからといって何も良いことはない。

と、言いながら。

これまでコツコツと老後楽しめるような趣味を模索してきたのだった。

仕事をこなした日の夕暮れくらいは、節度をもって飲み歩くくらいはよかろうと思う。飲みすぎて良いことは何もない。

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