定年までのヒマつぶし

いまさらこの年になって浅草の飲み屋を開拓してみて思うのは、確かに浅草はすごい街だなと思うのだけど、しかし30年くらい飲み歩きをやってきていて、たいていのことはすでに体験済みなことばかりで、なんか似たようなこと昔あったよなあとか、デジャブ感があるというか、自分の人生において初めて、という感動はあまりないなと言う気がする。30年というのはそれなりに長い時間だし、私の中で重要な資産になっているのだ。

私が初めて飲み歩きをしたのは三軒茶屋と新宿三丁目だった。要するに最初の仕事場が田園都市線沿線にあって、三茶に住んだからだ。それ以前は学生だったので飲み歩きなんてものはいくらやりたくても金銭的にできなかった。

世田谷区世田谷、つまり、世田谷線沿線のあのあたりの雰囲気は今も好きだし一生住んでも良いと思っていた。ただまあ長く住むとどこでも飽きはくるもんで、特に田園都市線沿線は、今はどうかしらないが昔はまともな本屋が全くなくって困った。本を読まなくても生きていける人たちが住むところなんだろうと思っていた。

その後東武東上線沿線に仕事場が移り、主に上福岡で飲み歩いた。そのあと小田急沿線に仕事場が移ったもんで、本厚木とか町田とか中野新橋辺りで飲み歩くようになった。自分の限界まで飲み歩いた町というのは幸か不幸か町田だった。私が町田周辺に越してきたのはもう20年も前だが、そのころにはまだ屋台のラーメン屋などもいたし、再開発直後で町田の古い雰囲気も少し残ってた。1990年代の町田も知らなくはないのだが、あの頃の町田は魔窟みたいで良い感じの街だったよな。溝の口辺りもすごい魔窟感があった。今はもうそういう雰囲気はない。そう、溝の口にもたまには飲みに行ったりもしたのだ。

思うに上福岡というところは酒も肴もかなり安かったと思う。今となってはいくらくらいだったか記憶にすらないのだけど、駅前の山ちゃんという立ち飲み屋で、ビール1本、焼き鳥数本を買ってお勘定するとおばちゃんが800万円と言ってたのだけは覚えている。

それに比べると浅草はたいていが観光地価格で、ビール小瓶で700円ではいつまでたっても酔えそうにない。そうでない店も若干あるのでそういう店もかけもちする感じでやってる。

浅草にアジトを置いたのは私の仕事とは直接関係ない。ただ三年ほど前から千葉の方にいく用事ができたからその中間地点という意味はある。だから、浅草でちょこちょこ飲み始めたのは三年前からだ。

今現在も私の職場は東京の西側、つまり中野あたりにあるんだが、浅草は東側で、東京をまたいで東西往復するというのは、いろんな意味でかなり消耗する。例えば電車に乗るとして、たまたま隣に座ったやつが多動で独り言とかいうやつだったりすると結構メンタルを削られたりする。なんかしらんけどやたらと腕を動かしてそのたび肘が脇腹あたりにぶつかってくるのがいらいらする。なんなんだろうなあれは。無意識に相手を威嚇しているのかもしれんな。道を歩くにしても交通量が多いところは排気ガスがかなり気になる。

私の人生の中で東京の東側というのは未知のものではあったがすでに西側とか南側とか北側でたいていのことは経験してきたわけであって、ある意味、やり残した仕事の、最後の仕上げみたいな感じもしなくはない。

上野の博物館にしてもまったく初めてなわけではない。ただし博物館てものは常設展であっても少しずつ展示物が変わっていくし、見落としもあるから、近所に住んで、頻繁に通えばそれなりに楽しめる余地がある。見慣れた映画を何度も見返す感じというか。

定年までのあと六年間の良いヒマつぶしにはなると思う。

今書いている本は一年半もずっと推敲と加筆訂正を繰り返していていい加減もういやになってきた。定家やシュピリなんかは、半年くらいで書き上げて、出版してあとから直したいとか書き換えたいという欲求があって、次にはもっと良い本を書きたいという欲望もあったわけだが、今回はもうほとほと疲れたし、執筆意欲というものもずいぶん消耗し枯渇したような気がする。こんな苦労はもうしたくないなという気もする。ある意味頑張りすぎたので、当分は何も書かなくてもいいやっていう気持ちもある。ともかく私なりに本を書くということを十分すぎるほどに体験させてもらったなと思う。

去年は仕事内容をいろいろと入れ替えなくてはならなかったから忙しかったが、今年以降、定年までほとんど変えずに何も新しいことはやるまいと思っているし、新しい本も死ぬまで書かなくても良いって気もしている。それでは退屈で死んでしまうかもしれないし、今でも退屈は死ぬほど嫌いではあるのだが、というか何もしない空白の時間を作ると何かで埋めなくてはなんだか申し訳のない気がするのだが、実際、何もしないことに慣れてしまえばそれが日常化して別に平気になるかもしれないし、とにかく今は、何もしないってことをやってみたいと思っている。

世の中に飽きたというより自分という人間に飽きてしまったんだな。今までは自分がどんな人間か知らずにあれこれ試してみて、自分にどんな才能がまだ残っているのか、絵を描いてみたり、本を書いてみたり、作曲してみたり、動画作ってみたりしてきた。そういう試行錯誤を60才までにいろいろやってこれたのはよかったとおもう。例えば大阪とか京都に住みなおすとかインドとか中国あたりに移住すればも少し違う経験もできるのかもしれないが、わざわざいまさらそんなことをしたいとも思わない。30代くらいならアメリカあたりに長期滞在して仕事しても良かったかもしれないが、今はそんなことする体力も気力もない。じゃあなんでおまえはいまさら浅草に住み始めたんだと言われると困るんだけど、まあ要するに、何度も言っていることだが定年後は物価が高く人も多い東京に住むことすらないと思うから、それまでのわずかな期間、浅草生活を楽しんでみてもよいのではないかと思ったわけだ。

そういえば定年退職してそれまで転勤した町を改めて飲み歩くと言う話を『紫峰軒』というのに書いた。私もついにその年に近づいてきたわけだ。おおむね『紫峰軒』に描いたのと同じ人生を送ってきたと思う。

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