頼山陽が日本外史の中で、河越、厳島、桶狭間の戦いを日本三大なんちゃらと呼んだ、といろんなところ、
たとえば wikipedia などで書かれているのだが、
もちろんこれらの三つの戦いについて記述はあるが、三つ比較してどうこうという記述はなさそうなんだな。
ないよなあ。
漢詩か日本政記の方の記述にでもあるのか。
どうも、誰かが勝手に、頼山陽が日本外史の中で、とか言っちゃったのが広まっただけのような気がする。
まったく確証はないが、そんな気がすごくする。
上記の三つの戦いは時間的に比較的狭い時期に起きていて、しかもどれもかなり奇妙な戦いであるのは間違いなく、
まあ、この三つを比較して論じることには意味があるだろう。
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