はっきり言ってどうでもよいことなのだが、立秋というのは、太陽の運行によって決まるから、旧暦でも新暦でも関係がない。
江戸時代でも現代日本でも、だいたい今の暑さの頃合いに立秋というものが来る。
なぜこうなるのか。
ということを調べてみると要するに、夏至と冬至、春分と秋分が先に決まって、それを春夏秋冬に切り分けていくと、
太陽暦で言う八月上旬が秋のはじめ、つまりは立秋になるというわけらしい。
つまり、夏至を夏の真ん中だと決めてしまうことに問題がある罠。夏至は六月下旬。
初夏ではあるが、真夏ではない、断じて。
それで、年賀というのは、昔は正月に人のうちを訪問することだったのに違いないが、
直接訪問できないので代わりに年賀状というものを出すようになり、
それが明治以来の郵便制度によってまるで国民全員の年中行事のようになってしまった。
日本人は盆と正月に家族で集まったり物を贈ったりするから、
おそらく暑中見舞いのルーツはお盆に親類縁者を訪問することだったのだろう。
で、年賀状との類比で暑中見舞いというものが始まった。
ところが、立秋を過ぎると秋だというのでなんか具合が悪いから、残暑見舞いというものを出すようになった、のではないか。
江戸や明治の頃から続く伝統であるはずがない。
も少し疑問に思ったほうが良いとおもうよ。
しかし、八月中旬以降が残暑だというのはおかしい。
この頃がまさに暑さの盛りであり、九月に入ったころにときどき夏の暑さが戻ったような日を残暑というべきではないか。
ていうか、江戸時代に完成した太陰太陽暦と明治以降の西洋暦、それから、いろいろな慣習や流行によって、
ぐちゃぐちゃになってしまった今日の日本の季節感というものを、一度きちんと直さなきゃならんのではないか、と思っているのは私だけではあるまい。