見延典子『頼山陽』によれば、山陽が大塩平八郎に初めて会ったのは、
文政7(1824)年3月6日、平八郎の八幡町にある役宅を訪れる。同じ年、9月5日にも再び大阪へ行き、
先に平八郎に見せられた「霜渚蘆雁図」という掛け軸を所望して、もらっている。
1827年9月20日、大阪で菅茶山の杖を盗難にあった山陽は町奉行所に平八郎を尋ねる。
京都に帰って数日後、平八郎は杖を探しだして山陽に届ける。
1830年9月下旬、平八郎は与力を辞職。尾張へ向かう途上京都の山陽を訪ね、刀を贈る。
1832年4月、大阪で平八郎と会う。
およそ直接会ったのはこのくらいしかないようだ。
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