京極派

引き続き、丸谷才一『新々百人一首』。

> 庭の虫はなきとまりぬる雨の夜の壁に音するきりぎりすかな (京極為兼)

為兼を選ぶのはよい。なぜこの歌なのか。
他にいくらでも為兼には良い歌があるのに。
しかも、「庭の虫は」が字余りで、しかも字余りの例外まで丁寧に解説している。
だが、それ以外の説明がまるでない。

京極派の歌には字余りが多い。というより、字余りということを始めたのは京極派なのだ。
なぜそのことを言わぬ。
丸谷才一は定家が好きで、二条派が好きなのである。
京極派は嫌い。だからわざと沈黙しているように思える。

「なきとまりぬる」もおかしい。連体形になっている。
「なきとまりぬる雨」か「なきとまりぬる雨の夜」か。
そうかもしれぬ。
そうとも解釈できなくはない。
だとするとそうとう変な歌だ。
普通に考えて終止形にしないとおかしい。
普通なら、素直に「なきやみにけり」「なきとまりけり」などとするだろう。
「なきとまりぬる」という言い方は、異様だ。「なきとまる」などという言い方は普通和歌ではしない。
現代語でも「なきやむ」としか言わない。もしかすると当時の口語的な表現かもしれん。
それもまた京極派の特徴だが、それもなぜか指摘しない。

それをしないでおいて、王朝和歌では、秋の虫の鳴き声というのは、恋が成就しなかった悲しみの声だ、
などということを延々と主張している。
京極派は、そういう定型や通念を無視し、感情のままに、印象派のように、歌を詠むものだ。
京極派の歌は、新古今や二条派の歌論では説明できないはずなのだ。
それをむりやり宮廷文学の尺度にあわせて解釈しようとしている。
これでは、京極派とは何か、ということが、読者にはまったくわからないはずだ。

> 咲きそむる梅ひとえだの匂ひより心によもの春ぞみちぬる (伏見院)

説明わずか四行。「まさしく国王の歌である。おっとりとしていて、しかも美しい。」などと言っているが、なぜこれを選んだのか、理解に苦しむ。
なるほど、そういうものか、とただわけもわからず読まされる読者が気の毒だ。
ちなみに伏見院は、為兼に勅撰集を編纂させた京極派の歌人。

> うれしとも一かたにやはながめらるる待つ夜にむかふ夕ぐれの空 (永福門院)

この歌は、確かに優れている。「ながめらるる」は字余り。明らかに京極派特有の、破調の妙をねらったものであろう。
しかし、丸谷才一は、これが新古今集より時代が下ったために規則が崩れてきた、と解釈している。それは違う。
京極派以外で字余りするのは少なくとも江戸時代までは、ただのへたくそだけだ。
「当代随一の女流歌人」が「歌道の約束事を乱したことはすこぶる興味深い」などと言っているのは、
ほんとうに京極派というものを、丸谷才一が知らなかったのか、と怪しまれる。
宣長ですら京極派が異様で異端であることは知っていたのになぜ丸谷才一がそれを知らないのか。
仕方なく余ったのではなく、わざと余らせたのだ。それを勅撰集に採ることで、為兼はオーソライズしようとした。
永福門院は、京極派で一番有名な女流歌人であり、伏見院の中宮。歌の師は為兼その人だ。

意味は、従って、古今集や新古今集などの通念から離れて、印象派的に解釈しなくてはダメだ。
ざっくり意訳すると、今日は来るとあらかじめ知らせがあって、うれしいとは思うが、ほんとうに来るのかどうか、
いつごろ来るかと待ちながら、夕暮れの空に向かってながめている気持ちは、ただうれしいというばかりではない、となる。
丸谷才一の解釈でだいたいあっているのだが、
彼は、当時の通い婚における女性の立場、歌に現れるその形態など、懇切に、王朝の女流和歌とはこういうものだ、
こうあるべきだ、という理論で押し通そうとする。
それでは、京極派の歌はわからない。パターンに当てはめようとしては楽しめない、それが、京極派の歌なのに。
京極派だからこそ、「うれしとも一かたにやはながめらるる」などという屈折した心理を詠めたのだし、
「(私が)待つ夜に(私が)むかふ」などというトリッキーな言い回しをしているのだ。

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