読史余論

読史余論に言う。
もし平家都落ちのときにたまたま後白河法皇が京都に残っておらず、
平家とともに西海に移されていたら、
頼朝はただの反逆者と同じことだっただろうと。
そりゃまあそうだ。
そうなっていた可能性はだいぶあった。
頼朝は当時「伊豆国流人源頼朝」というのみ。
頼朝がやったことはもともとは謀反と同じであり、
たまたまつじつまがあったように見えるだけだと。

Visited 4 times, 1 visit(s) today

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA