エキミセ

今や松屋というと牛丼屋というイメージが強いせいか、松屋浅草はエキミセと呼ばれたがっているらしい。というか、松屋浅草とは地下1階、1階、3階部分を言うらしく、2階は東武浅草駅。4階から上がエキミセ。

この建物、エスカレーターの動線がめちゃめちゃわかりにくい。なんでこうなったんだろうか。おそらくもとは歩いて上り下りする階段だったものをエスカレーターに置き換えたらこうなったんだろうけど、昔はそういうのが流行りだったのだろうか。

6階フロアまるごとニトリ。ここのニトリはすごい。郊外ならともかく浅草のど真ん中でこの広さはすごい。まあたいていここで買えるだろ。

ベトナム米

土曜日の朝、浅草場外馬券場の付近、つくばエクスプレスA1出口のあたりにとんでもない数のおじいちゃんたちが集結する。路上喫煙者だらけで、鶯谷北口のような、北千住喫煙目的店通りのような状態になる。正直まったく近づきたくない。そうした場合、この煙幕ゾーンを避けてつくばエクスプレス浅草駅を使うには、地下駐輪場を延々と歩いて、北か南のはしの出口を使うしかない。

この時期浅草はいたるところで道路の修理をしているがこの工事費用はなんとJRAが補助しているのだという。競馬産業に支えられる街、浅草。

例の吉原のど真ん中にあるBig-A。「サイズミックスたまご10個」178円。安い。「ちょうどいい牛乳」188円。安い。サッポロ黒ラベル350ml缶168円。おなじくスーパードライ168円。外税とはいえなかなか今どき見ない安さだ。

驚きなのは「ベトナムのお米」5kg 2480円。税込みでも2678円。炊いて食べてみたがごく普通。まずいということはない。日本の米と同じ短粒種で、タイ米やインド米のように細長い米ではない。同じものがamazon、楽天市場で売られているが品切れ状態。

根岸こと鶯谷

根岸という土地に私たちは何か牧歌的なイメージを抱く。鶯谷という地名にしても悪い噂はあるものの私は何やら楽しげな飲み屋の町という先入観を持っていた。

私は浅草の方から入谷を経て根岸の子規庵に行こうとした。この界隈をぶらぶら歩き回り(というか、根岸から根津へ抜けようとしてなかば迷って)子規庵の前を偶然通りがかり休館日だったので再び来てみたのだ。グーグルマップで開館日でしかも営業時間内であることを確認して。

上野や或いは秋田などの古い町にはよくあることだが昔の道が後から作られた車のための道や鉄道によって分断されて歩行者が恐ろしく遠回りさせられて、その代償に歩道橋や歩行者用の陸橋に登らされるという町が戦後日本にはたくさんできた。鶯谷もそうであった。子規庵へ続く道にはバカでかい歩道橋しかなく、その歩道橋に登らなくては大きく迂回せねばならなかった。私は仕方なく歩道橋を渡った。

子規庵は13:00まで昼休みというので入れなかった。

それから北口に向かったがここは路上喫煙者のたまり場になっていた。禁煙の店が2、3軒あるのをグーグルマップや食べログで確認していたのだが、禁煙の店の店先には必ず喫煙者がいた。喫煙可能な店の中にももちろん喫煙者がいるのに違いない。北千住のタバコ通り並にここは喫煙者の多い場所だということがわかった。

根岸すなわち鶯谷というところは駅の北口と南口で高低差がある上に線路で分断されていて、古い道も分断されて、喫煙者だらけで、北口にラブホテル街が広がっているのはどうでも良いとして、鶯谷南口は上野の博物館や寛永寺にも近く平和なところだが北口にはもう近寄りたくない。子規庵の最寄りがその鶯谷駅北口だというのと、二度も入れなかったので行く気が失せた。

疑似文語

1月27日に1年、いや1年半かけて書いた本の最終原稿を提出して、もちろん校正段階で手直ししたり差し替えたりということもできなくはないのだが、それはもうやらず、最小限の修正に留めて、余計に書きたくなったらここのブログに書いていこうと思う。そういう文章が溜まっていってまた本にまとめるかもしれないし、しないかもしれない。

短歌の表記について:文語・口語のこと

あざやけし・やすらふ(1)

あざやけし・やすらふ(2)

あざやけし・やすらふ(3)

江戸時代にあったのは国文(くにぶみ)であり、国文には和文(やまとぶみ)と漢文(からぶみ)があった。『平家物語』や上田秋成の『雨月物語』のような和漢混淆文もあり、本居宣長の『玉勝間』などを見てもわかるが、散文に関していえば、和文だけでは語彙が足りないから適宜漢語を混ぜて書いていた。その書き言葉を記したものを文語というのであれば、確かに文語は江戸時代からあった。

この江戸期にすでに確立されていた文語を逸脱したものを擬似文語と言いたいわけだが、より狭義に言えば、口語、話し言葉にはあるが、文語にはない語を文語風に造語し補完したものを擬似文語と言いたいわけなのだが、今どき散文を文語で書く人など皆無であるから、疑似文語の問題はただ、俳句とか近現代短歌のコミュニティだけで見られるものである。

一番わかりやすい例でいえば「大きい」。古語には「おほし」しかなく、「多し」「大し」「大きなる」などとしか言わなかった。「おほきなる」から口語の「大きい」が出来て、「大きい」を文語化すると「大きし」となるが、「大きし」などという古語の用例はない。

同じく「近しい」という現代語はあるが「近しし」という古語は存在しない。

「おだやかな」という言葉はあるが「おだやけし」という形容詞は存在しない。「おだし」という言葉は『源氏物語』にも見える。ただし私の知る限りにおいて「おだし」が和歌に用いられた例はないように思う。話し言葉には用いても和歌に用いられない言葉というのはよくある。よく知られているのは、係り結びで「ぞ」「こそ」は使うが「なむ」は話し言葉にしか使わない、など。

同じように「あざやかな」とは言うが「あざやけし」とは言わない。古語には「あざらけし」という言葉があって、「あざらけし」というのが正しい、などという人がいるが、それもどうだろうか。「あざらか」は『土佐日記』に用例があるらしいが、「あざらけし」の用例は非常に少ない。まして和歌に用いられた例はなかろうと思う。

「たけのこ」は「たかむな」「たかうな」とも言う。『源氏』には「たかうな」と出る。和歌に使われるのは圧倒的に「たけのこ」であって、私は特に理由が無い限り「たけのこ」と言うべきだと思う。

「ずき」「ずけり」などは万葉時代には使われていたらしい。「見れど飽かずけり」など。しかしこれも、「ざりき」「ざりけり」と言うべきだと思う。もし文字数の制約で、或いはわざと万葉調にするため、或いは単に奇をてらってそうするというのは慎むべきだと私は思うし、私ならば絶対やらない。

「悲し」「悲しむ」という古語があるのだから、「寂しむ(さびしむ)」「愛しむ(いとしむ)」「侘びしむ(わびしむ)」「激しむ(はげしむ)」などという語があってもよかろうという人はいるかもしれない。実は「侘びしむ」は『岩波古語辞典』にも載っているれっきとした古語である。崇徳院に

いかでいかで 嘆きを積みし 報いとて 逢ひ見てのちに 人をわびしむ

また西行に

寝覚めする 人の心を わびしめて しぐるる音は 悲しかりけり

がある。「さびしむ」にも用例がある。しかしながら「愛しむ」は「いとほしむ」と言うべきだろう。「激しくする」を「激しむ」というのはおそらく誰もが違和感をおぼえるだろう。

俳句や現代短歌ではこれら疑似文語をしばしば使う。言語というものは移り変わっていくものだから、現代語を現代人が勝手に作り変えて新しい造語を作るのは勝手だという考えもあるだろう。どうぞそうしてかまわないと思う。その代わり和歌とは混ぜないでほしい。

どんどん新しい言葉を作ってその中には後の世に残る良い言葉も含まれているかもしれない。しかし多くの造語は淘汰されて残らない。何十年か後に、昭和の歌人たちはなんてでたらめな言葉遣いの歌を詠んでいたんだろうといわれたくなければそうした珍文語は使わないのが良い。

新語とか造語ではなくて、明らかに単なる誤用という場合もあると思う。「やすらふ」はグズグズする、ためらう、優柔不断、の意味であって「休む」という意味はない。「安心する」という意味も無い。それらの誤用を許容する理由は、現代短歌や俳句ならいざしらず、少なくとも和歌には無いと言ってよかろう。

私が言いたいのはつまり、九州弁と関西弁と東京の標準語を見境なく混ぜて使ってそれがまともな言語といえるか、ということだ。イギリス英語とアメリカ西海岸の英語とインド人の英語を混ぜた英語が許容されうるか。同じことで、万葉時代や江戸時代にはあった言葉を平安朝の言葉に混ぜて使って、そんな言葉で平気で和歌を詠むんですか、ということだ。現代人は古語には語感がきかないからなおのことちゃんと用例を調べて、例えば紫式部の日本語を標準として定めて、そこに併用しても違和感の無い語彙や文法を慎重に選んで和歌を詠むべきじゃないですかと言いたい。

都庁前乗り換え

近頃は良さげな禁煙の店を見つけるたびに一人密かに喜んでいるのだが、やはり本来私のような人間は東京なんかに住んではいけないのだと思う。早朝は人が少ないので歩きやすいがそれでもときどき路上でタバコをふかしているやつとかいると気分は最悪になる。この世からタバコが廃れて喫煙者がいなくなるより前に私の寿命は終わるだろうから、気にしないのが一番良いのだが、そうもいかない。

ユーチューバーで禁煙の店限定で飲み歩いて紹介している人というのは案外いない。需要はありそうなのだが。寿司屋とか料亭なんかは禁煙が当たり前なんだが安い店ほど喫煙可なところが多い。「孤独のグルメ」なんかはアレは作家が酒は飲まないがタバコはOKという私とはまったく真逆なので私は見ない。「深夜食堂」も嫌になって見るのをやめた。私は心の狭い人間なので仕方ない。

安くて禁煙といえばまずはほていちゃんだが、鳥椿はほていちゃんもびっくりするほど安くてしかも禁煙。しかも昼からやってる。なんて良心的な店なんだ。ほていちゃんとか晩杯屋なんかだとチェーン店感満載なのだが、なぜかこの鳥椿は個人経営店風のオーラが出まくっている。おそらくオーナーが敢えてそうしているのだろう。どういう「理念」で経営しているのか、ちょっと興味がある(創業者 北野 達巳)。そんなに混んでなくてゆったり座れるのが良いが、流行ってなくて撤退されちゃ困るから積極的に支援していこうと思っている。チューリップ1本90円、99本8910円って壁に書いてあるのが笑えるのだが、99本一度に注文したとして一度に99本揚げることができるのだろうか。でかいフライヤーならあり得るのかもしれない。鶯谷にもあるが浅草だと雷門一丁目店というのがある。ここが実はちょっと浅草からは外れていて駅で言えば田原町が最寄り。だからあんまり混まないということはあるのかもしれない。やはり積極的に支援していかなくてはなるまい。

東京の東西を往復している私にとって大江戸線は比較的空いていて便利なのだが、ああいうデザインした人はどういうわけでああいうふうにしたのか、どういう妥協の結果ああなってしまったのか、正直なところを知りたい。特にモヤっとするのは都庁前乗り換えで、ほぼ0分(0分では乗り換え自体できないから1分)で乗り換えできる場合もあれば10分近く待たされることもある。気にしなければ良いのだが気にしだすとものすごくストレスがかかる。

多少余裕を見て家を出るとして早めに駅についてしまった場合はコンビニに寄るなどして時間調整するのが吉なのだろう。

仮に今どかんと金が入って定年退職したらすぐに田舎に引っ越すかといえばなんともいえない。6年後に定年退職するまでは東京暮らしを満喫する計画になっているので、急にどうこうはできないとして、仕事もなく、世間に交わるストレスもなくて、しかし退屈で死にそうになったらどうしようか。退屈だとどうせ youtube 見るか twitter 見るくらいしかしないので、東京をいったりきたりするようになった今はけっこうヒマを潰せていて良いともいえる。

吟醸冷酒よりは普通の本醸造のお燗という記事を昔書いたらしいのだが、今もそう思っている。あんまり甘ったるいのは困るが、菊正宗の熱燗なんかなら申し分ない。ぬる燗だと本醸造の嫌なところが残ってる感じがする。熱燗のほうがよい。

今はまずビールを飲んで、ビールが残っているうちに熱燗を頼む。ビールをチェイサーにして日本酒を飲む。これが最近気に入っている。

浅草見番、柳通り

日曜日の浅草は混んでいて、ふだんやってる店が閉まっていたりして、地元民が飲むには適してないかもしれない。浅草ジモティーちゃんは休肝日にしたほうが良いかも。競馬のあと相撲の千秋楽で巴戦があり、飲み屋で観戦してるときに、三人一緒に(土俵に上がって120度ずつに向かい合って)相撲をとれば一度に片が付くのにねなどと余計なことを言ったので地元民に睨まれた。

観音裏、5656(ゴロゴロ)雷おこしビルの東側から北へ入る道、ここが昔は柳並木だったので柳通りと呼ばれているらしい。今は提灯の形をした街灯が並んでいる。柳の木ははじっこのほうにわずかに残っているようだ。思うにこの通りは観音裏から一直線に北に伸びて日本堤通りにぶつかり吉原大門へ続いているから、ここに見番というものができたのだろう。

浅草にはまだ芸者さんとか芸妓と呼ばれる人はいるのですかと聞くと、この柳通りの途中に浅草見番というところがあってここに行って頼むのだそうだ。素人がいきなり行って芸者に会えるというわけじゃないと言われた。一般人にはほぼ知られておらず、浅草にわしゃわしゃいる観光客にはほぼ無縁な場所。

芸者・半玉募集なんて記事もある。

浅草日曜昼飲みの流儀

吉原のど真ん中に BiG-Aというディスカウントストアがあるのは前にも書いたがここで缶ビールやつまみなどを買う。野菜も安いし、刺し身などもあったりして、酒のつまみには困らない店。しかも安い。OKだと冷やしたビールがなかったりするんだがここにはある(OK浅草店はもとはパチンコ屋だったらしい)。ただし日曜の昼に行くとキャッチとか送迎の車とかその他もろもろいろいろめんどくさいのでやめといたほうが良い(コンビニで済ましても大した差はないかもね)。吉原の活気を見たければ行っても良いかも。

吉原は筋から筋へ移動するのがけっこう難しい。縦横碁盤の目になってるようでけっこう迷路。当たり前だが吉原全域がソープか何らかの風俗店で埋まってて、行けども行けども違う店が並んでてクラクラくる。いったい何軒あるんだろう、こういう店が。

しかも車の運転が荒い。黒塗りのでかい送迎の車がギュンギュン(タイヤを鳴らしながら)通り抜ける通りがあったりしてけっこう怖い。

で、安く酔ったら浅草に散歩に出かけて適当に飲み屋に入る。

家飲みと外飲みのはしご酒。ジモティー(笑)じゃなきゃできない贅沢な浅草の日曜の昼飲み。

一つ確実に言えることがある。新宿は、新宿西口、思い出横丁、新宿三丁目、二丁目、歌舞伎町ゴールデン街などなどさまざまあるが(昔は南口もあった)、そいつらが束になっても上野浅草には決してかなわない。新橋は知らん。有楽町は少し知ってるがしかし、浅草にはかなわない。とにかく浅草はすごい。池袋はともかく渋谷なんかは足元にも及ばない。

水回りの修理

今借りている部屋は風呂場に給湯器がついていて、そのガスの元栓が癒着して回らなくなっていたのでガス屋さんに来てもらって回るようにしてもらった。そのときガスとは直接関係ないのだが、排水溝の蓋もパイプもボロボロに錆びていて、これはどうしたものかと相談したら、古い都営住宅なんかでも同じで、ホームセンターに売っているので同じような形のものと交換したほうが良いと言われて、東浅草のコーナンPROに買いに行った。あるにはあったので交換しておいた。これは正式名称は防臭椀というらしい。トイレ工事のときに一緒に言えばついでに交換してもらえたかもしれない。トイレは水が止まりにくかったからフロート弁(フロートバルブ)というものを取り替えてもらったのだが、やはりコーナンPROに売っていた。参考までに写真を取っておいた。1280円のほうなのか3980円のほうなのかはよくわからない。

防臭椀のほうは1280円(税抜き)で売っていた。入居時の交換なので本来大家さんがやるべきことだと思うが、まあ誤差の範囲か。

アマゾンで同じようなものをなんと709円で売っていた。しかしこれはポリプロピレン製とあるから軽いのだろう。私が買ったやつは明らかに鉄製の重いやつだった。

防臭椀のようなものはホームセンターで確認してサクッと買うで正解だと思うし、フロートバブルは自分で交換できないから業者に直してもらうので正解だったと思う。

水道代1月分の請求がきたのだが、使用料は0m^3なのだが、上水道と下水道の使用料を取られた。1m^3以上使うにはだいぶ使わなくてはならないようだ。

長年染み付いた生活臭というものが、部屋ごとに調理などするととたんに廊下に漏れてくる。なんとも言えない匂い。何十年もリフォームもせず同じ人が住み続けているとこういう匂いになるのではなかろうか。都営住宅なんかみんなこれではなかろうか。また賃貸物件に関する新しい知見を得た。

浅草地下商店街マップ

Map of Asakusa Underground Shopping Street

2025.01.25 暫定版

通路にはけっこう細かな屈曲がある。

浅草地下街は基本的には馬道通りの地下に南北に作られている。銀座線6番改札から出て、6番出口から出て、浅草寺に向かう最短経路ともなっている。6番出口はしかし非常に小さく狭くてわかりにくい(しかし google maps にもちゃんと6番出口と記載されている)。

浅草地下道株式会社なるものによって管理されているらしい。その事務所らしきものも(トイレと忍者場の間に)存在する。テナントはけっこう入れ替わりが激しいようだ。北側のどん詰まりはずっと先まで通路が続いているように見えるが、途中で止まっており倉庫として使われているとのこと。

倉庫手前には謎の雑貨屋がある。あまりやってない。通路に大量に山積みされているトランクケースはおそらくこの雑貨屋の売り物であると思われる。

Jプライスは一見アダルトDVD屋に見えるが、刑事コロンボシリーズが揃っていたり、古い洋画などが売られていたりして、けっこうマニアック。

Jプライスの向かいにあるレコード屋はもしかしたらここもJプライスなのかもしれない(未確認)。

ケバブ・ファクトリーは真上1階部分にも新仲見世通りに面して店舗がある。上と下の店は直接つながってはいないが、上で買って下で食べたり飲んだりできるようになっているそうである。

地下道全体が禁煙かと思いきや喫煙可な店もいくらかある。

カットセブンという店はもともと700円調髪だったのでセブンらしいのだが、今では800円になっている。

水子地蔵。水子がたくさんまとわりついている。