リアリズムとファンタジー

(うぐひす)(なみだ)(あめ)(くれなゐ)()()(うめ)(はな)下露(したつゆ)

()しやいつ ()()(はな)(はる)(ゆめ) ()むるともなく (なつ)はきにけり

(にぎ)はへる (たみ)(いへ)()(そら)()(けむり)(うへ)(つき)()むらむ

(さだ)めなく しぐるる(そら)()(なか)(ひと)(こころ)(くも)となりけむ

これら正徹の秀歌はどれも絵画的で浪漫的だ。紅梅に春雨が降り、鴬もまた紅涙(可憐な女性の涙)を流しているように見える。技巧は凝らしているが、曖昧さはない、くっきりと鮮明な、意図のはっきりした素直な歌だ。

リアリズムとファンタジー。必ずしも相容れぬものでもない。少なくとも創作の世界に完全なリアリズムもなければ完全なファンタジーもない。高畑勲はどちらかといえばリアリズムをエンタメ化するためにファンタジー要素を加味する人だ。一方、宮崎駿は空想の産物に生々しい血肉を与えるためリアリズムの力を借りる人だ。では正徹はどちらかと言えば、明らかに高畑勲側の人だったと思える。

歌はごまかしが効かない。詠む人の心根がそのまま出てしまう。歌を飾り取り繕おうとすればそれは詞のぎこちなさやつながりの悪さ、気持ち悪さとなって歌を損なってしまう。だから嘘をつこうとしてもすぐにバレる。

正徹は夢の歌ばかり五百首ほど詠んでいて、中には良いものもある。「見しやいつ」「春の夢覚むるともなく夏は来にけり」「人の心や雲となりけむ」と来るところなどなかなか良い。独特の風情、余情がある。

ブログ回帰

SNSの下品さが加速している。

SNSが俗悪下品なのは、もちろんSNSを運用している会社が俗悪下品だからだが、SNSを利用しているユーザーが俗悪下品だからでもある。テレビ番組が俗悪下品なのと同じ理由だ。テレビを見ている視聴者が俗悪下品だからテレビ番組は究極まで俗悪下品になっていく。

犬がうるさいのも飼い主が下品だからだ。タバコが臭いのも喫煙者が下品だからだ。世の中全体が下品なのはもうどうしようもない。昔はそうした下品さが気にならなかったが、年を取るとどうしても好き嫌いが激しくなる。世の中には年を取ればとるほどに何事にも寛容になる人もいるらしいが、私はそんな境地にはなれそうもない。

要するに世間の問題というよりは個人的なメンタルの問題なのだが、この問題は表裏一体なのでどうしようもない。我慢するか逃げるしかない。

テレビはできるだけ見ないようにしている。それでも現実の世界に生きていると視界の片隅にしばしば入ってくるのだが、もうそれは仕方ない。

SNSは全部やめると言ってしまえば潔いのだがそれもなかなかできない。とりあえずTwitterは酔った勢いで和歌を詠むときには使おうと思う。あと適当にメモるときとか。

1994年からブログとメイルはあった。この二つは比較的まともだ。その後出てきた有象無象のSNSというのがダメだ。

オンラインチャットというものはけっこう昔からあったが、好きじゃないので使っていなかった。LINEとかSMSとかmessengerのたぐいは使いたくない。しかしそれしか使わない人もいるのでごくたまに使うことになる(ただしLINEは絶対使わない)。

facebookはリールがキモすぎる。facebookのコンセプト自体は間違ってないと思うが、facebookを使うユーザーがアホすぎてああいうリールがバンバン流れてくる。インスタグラムもそうだ。エロはダメだがぎりぎりエロじゃない動画はありとかいうyoutube、tiktok文化。アホか。アホは死んでほしいが、世の中はもともとアホなので、世の中はどんどんアホが加速する仕組みになっていくので、逃げるしかない。SNSがキモいのは人間がキモいからなので、これはもうどうしようもない。SNSは人間のキモさを果てしなく増幅する方向で進化していく。これはもう不可避な現象。

ついでに言っておくとPayPayキモい。絶対使わない。

書きたいことはブログに書けば良い。連絡はメイルでやりとりすればよい。ブログとメイル。この二つの手段で仕事も趣味も片付ければ平和だ。SNSよさらば。

とんちんかんで使い物にならないAI

copilotだが、全然成長する兆しがない。バカのままだ。

google gemini は人物の絵を描くのを完全に諦めたらしい。描く能力はあるらしいがそれを見せたくないらしい。gemini は描きたくありませんと正直に言うが、copilot は適当にごまかそうとするのが腹立たしい。

このままだとAIは馬鹿にされあきれられて使われなくなるだけだろう。昔のマイクロソフトのイルカと同じだ。

google検索

最近のgoogleはちょっと特殊な検索をかけるとすぐに

No results containing all your search terms were found.
Your search – ほげほげ – did not match any documents.

などとそっけない返事をするようになったような気がする。昔は当たってるか外れているかはともかくとして、なんらかの検索結果を出していたが、今は何かの閾値に達していないものは一切表示すらしない。僕らはその断片的で不正確な検索結果から何か有用なヒントをつかんだりしていたのだが、いまやなんの手がかりももらえない。不正確な検索結果を出してしまうと何かgoogleにとって不利益にでもなるのか。法的な問題でもあるのだろうか。信頼性が低いサイトの結果は表示しないポリシーになったのだろうか。ともかくすごく不親切になった気がする。

今はgoogleに課金した企業の検索結果が上位に出る。インデックス登録はされていても、それらの企業の検索結果だけが表示されて、閾値未満のページは表示すらされない。

おじさんはなぜぶつかってくるのか

普通の電車の普通の座席に詰めて座っていると腰が痛くなってくる。他人と体が接触していると無意識のうちに気を使い体に力が入るので、それが腰に来るのだ。だいたい15分以上そうした状態が続くと後でずっと腰痛が残って、電車で座れる以上に疲弊するので、途中で立つようにしている。

おじさんはなぜぶつかってくるのか、という話があるが、今日ぶつかってるおじさんを目撃した。おじさんは怒っているのだ。ぼーっと歩いている人に対して、君は間違って歩いているよ、よく周りをみて歩こうね、そこは君が歩くところじゃないよ、スマホ見ながら歩くなよ、横に広がって歩くと邪魔だよと、ぶつかることで警告しているのだ。ああいうふうに体を張って赤の他人を教育しようとしている人をみると私なんかは畏敬の念すら覚える。ああいう人がもっと増えれば世の中はもっと良くなるのではないか。私はやらないけど。

中には若い女性にぶつかりたいだけの変態おじさんもいるのかもしれない。だがどちらかといえばそういう「犯罪的」「反社会的」な「ぶつかりおじさん」は少数派であり、多くのおじさんはこのごみごみした都会に義憤を感じ義挙しているのだと思う。多くの場合、自分のだらしなさを隠すために、そういう「犯罪的ぶつかりおじさん」が時々槍玉にあがって、「ぶつかられ女子」たちの自己正当化に使われているのではないかと推測する。「なぜ私はいつも人にぶつかられるのかしら」と思っている人の多くは、なぜ自分がぶつかられるか、ふだん人混みの中で(いや、空いてる道でもそうだが)どんなに軽率な歩き方をしているか自己認識できてないだけだと思う。普段そういうぞんざいな歩き方をしている人が電動アシスト自転車なんか乗った日には今度は加害者に回ってしまうのだ。非常に恐ろしい。

普通、人は、町なかを歩くとき、自分の動線に入ってくる人を予測しながら歩いていると思う。自分と他人のどちらの動線が優先かを判断し、こちらの動線のほうが明らかに優先であれば進み、向こうが優先、もしくは、こちらが優先ではあるけれども状況的に向こうに譲ったほうが無難だなというときにはこちらが避ける。人が多く通る重要な通路の上で溜まってる人たちがいたり、逆行してくる人がいたりすると邪魔だなと思いつつも迂回する。そういう「普通でない人」が雑踏の中に1%もいればすごく目立つし、見てていらいらする。「普通の人」はそういう「普通でない人」たちにいちいちメンタルをやられないように無視しながら日常を生きている。中には自分と同じかそれ以上に動線を気にしながらしかしせかせか歩いている人に遭遇することがあり、そんなときにはどっちに回避して良いかわからずとまどうこともある(まあそれはしかし仕方ない)。

はてな匿名あたりでもよく話されていることではある。

悪いのはいつまでも工事している小田急だ。小田急という会社の性格の悪さがいろんなところに出ている。ほとんどの人はそういうところを見逃しているかまったく気にしていない。だからいつまでたっても改善されることはない。なぜさっさと首都機能移転しないのだろうか。東京は世界で一番人がたくさん住んでるとか、新宿は世界一の駅だとか、インバウンド万歳とか、何をいい気になってるんだ。馬鹿じゃなかろうか。さっさと分散させろ。

野球とかサッカーとか競馬とか、人のしのぎにいいように踊らされて、なんて人って馬鹿なのかと思う。

まったく学習しないfacebook

なんであんな下品なショート動画をいつまでもいつまでも推してくるんだろう。ずっと非表示ボタンを押してるんだが一向に減らない。facebookは最高に最悪に頭悪い。何がパーソナライズだ。君はいったい私のことをどのくらい知ってるというのかね?

そもそもショート動画自体が頭悪すぎて好きじゃない。世の中はますますおかしな方向へ向かっている。要するにゲスの趣味嗜好を基準にシステムが構築されているのだ。recommendation system も頭悪かったが、今の AIの頭の悪さはますます加速している。カスタマイズすることもできず一方的に送りつけられてくる。これからさらにこのアホシステムが世の中を支配するのかと思うと吐き気がする。SNSが人を不幸にする。

アップデート追随

おそらく大元のwordpressに何かアップデートがあり、テーマやプラグインにも仕様変更が必要になって、今まで動いていたプラグインが動かなくなったりした。プラグイン開発者はそうした仕様変更やアップデートにいちいち追随しなくてはならないから大変だし、我々下々の者も非常に困惑する。popular post という有名なプラグインがあるのだがこれがずっと不調で使い物にならない。他のプラグインも一度に軒並み未検証になってしまった。動いているプラグインも設定をいじっているうちに動かなくなったりする。他のwordpressでは動いているのに別のwordpressでは動かないとか、アンインストールとインストールを繰り返していたらいつの間にか動き出したとか、もうわけがわからない。非常にストレスがたまる。

で、頼まれ仕事でやっているwordpressと、自分の趣味でやってるwordpress(ここのこと)があると、まず自分のところでテストしてそれを頼まれ仕事のほうに反映させる、という二段階の作業がどうしても必要になるので、今ではテーマもプラグインもそろえて、ほとんど同じプラグイン構成で運用しているというわけだった。

人気記事一覧に関しては今は top-10 というプラグインを使っている。wp carousel もいきなり誤作動し始めたので焦ったが、テーマから全部アップデートしたらまた動くようになった。

このtop-10だが設定ページがうまく動いてなくて、設定が保存できない。仕方ないのでphpのソースをガリガリ書き換えた。

ネトウヨ政党

私自身は決してネトウヨ政党ができても支持することはないが、ネトウヨはある程度いても仕方ないと思っている。今の日本には左翼が多すぎて、特に全共闘世代の年寄り連中がまだ闊達に活動している現状では、対抗勢力として多少のネトウヨがいないと釣り合わない。自民党は政権与党の地位を維持するのが最優先で、あまり過激なことは言えないので、自民党以外の右翼政権というものはどうしても必要になる。

ネトウヨはアサハカだというが左翼だってアサハカなんだから別に問題ない。アサハカな人たちが支持するアサハカな政治家がある一定数いるのは民主主義では当たり前だろう。そうとはいえ、県知事を直接選挙で選ぶのはもうそろそろやめても良いのではないか。余りにもおかしな知事が多すぎだろう。まず市町村長を直接選挙で決めて、市町村長が知事を選出するとかにしてはどうか。

万年筆

万年筆は持ち歩くべきではない。他の筆記具よりも壊れやすいし、ポケットの中で液漏れして服を汚すかもしれない。もっぱら仕事場の中だけで使うのが良い。まして人にみせびらかすのはよくない。

万年筆は手間がかかる。しかしそれが良い。インクを詰め替えるときに手が汚れるのも、たまには良い。そうしてインクと戯れていると気が晴れる。筆で字を書くとき墨で手が汚れるのも心地よい。

webのアクセスが一時的に増えたのだがまた減ってしまった。誰かがクロールしに来ただけのことだったのかもしれない。

googleにインデックス登録をリクエストするとその場では登録されるのだがしばらく経つとまた登録を外されたりするようだ。その理由がサイトマップが見当たらないとかそんなことらしいんだが、サイトマップにはすでに載せている。googleのやることはほんとよくわからん。

web日記30年

twitterにリンクを張ったのでPVが増えたかと思ったがまったくそうではなかった。google search console でちまちまURL検査してインデックス登録リクエストしたおかげで検索が増えている。過去記事を読まれるのはちと恥ずかしくもある。昔の記事には稚拙なものも多い。中には30年前に書いたものなどあって、物の見方が変わってしまうのは仕方ないではないか。

私はかなり早くからウェブに日記を公開していた者の一人だと思う。1994年にwebサーバーを立ち上げて、メモ書きのようなものを残し始めた。あまりにも幼稚なものは今は非公開にしてあるが、当時のものを読めばその雰囲気はわかると思う。1996年になると日記猿人などが出てきて私もせっせとweb日記などを書いたものだ。あの頃書いた記事はサルベージしてないだけでまだけっこうあるはずなんだよね(個人情報的に出せないとかで)。中台危機ダイジェストなどは、これは当時30才の私が書いたものだが、けっこう熱心に書いている。今の人たちはこういう過去のケーススタディなどろくにしないで、twitterあたりでやれ中国は台湾に侵攻するなどと騒いでいる。日本は良く奇襲戦法を採る。保元の乱以来ずっとそうだ。中国という国は奇襲はあまりやらない。歴史的にやった人がいるだろうか。項羽とか韓信くらいか。少しずつ挑発して様子を見ながら攻めてくる。中越戦争もそうだったと思う。そうしているうちにアメリカ人はすぐ頭に血が上ってマスコミが煽るから、議会は台湾に同情してきて空母を送り込んでくる。そうすると中国はひよって諦める。逆に下手に出て何もしないと調子に乗ってどんどん攻めてくる。南沙諸島や尖閣諸島なんかがそれだ。

しかし1994年から書き始めたとして今年は2024年だから30年が経ったわけだ。すごいね。年を取るはずだわ。ここにはそれ以前の日記も遡って多少は載せている。

道元 永平広録 巻十 偈頌。私の祖父が58才のときに書いた書。今の私とちょうど同じ年齢だなあ。

しかし、Eizoのモニターを使ってるのに中間調が全然出てないな。今年度買ったmouse computer のノートPCのディスプレイの方が発色が良い。世の中が進化しているのか。経年劣化によるものか。