鴬の 涙の雨も 紅に 落ち添ふ梅の 花の下露
見しやいつ 咲き散る花の 春の夢 覚むるともなく 夏はきにけり
賑はへる 民の家居を 空に見て 煙の上に 月や澄むらむ
定めなく しぐるる空は 世の中の 人の心や 雲となりけむ
これら正徹の秀歌はどれも絵画的で浪漫的だ。紅梅に春雨が降り、鴬もまた紅涙(可憐な女性の涙)を流しているように見える。技巧は凝らしているが、曖昧さはない、くっきりと鮮明な、意図のはっきりした素直な歌だ。
リアリズムとファンタジー。必ずしも相容れぬものでもない。少なくとも創作の世界に完全なリアリズムもなければ完全なファンタジーもない。高畑勲はどちらかといえばリアリズムをエンタメ化するためにファンタジー要素を加味する人だ。一方、宮崎駿は空想の産物に生々しい血肉を与えるためリアリズムの力を借りる人だ。では正徹はどちらかと言えば、明らかに高畑勲側の人だったと思える。
歌はごまかしが効かない。詠む人の心根がそのまま出てしまう。歌を飾り取り繕おうとすればそれは詞のぎこちなさやつながりの悪さ、気持ち悪さとなって歌を損なってしまう。だから嘘をつこうとしてもすぐにバレる。
正徹は夢の歌ばかり五百首ほど詠んでいて、中には良いものもある。「見しやいつ」「春の夢覚むるともなく夏は来にけり」「人の心や雲となりけむ」と来るところなどなかなか良い。独特の風情、余情がある。