パンダ密猟は死刑。アブラハムはイサクを殺した。バイトをオクテットと言うとかっこいい(笑)。
相原コージが「例に出して悪いけど、…「パパはニューギニア」の連載と共に「ギャグマンガは死んだ」のだ」などとほざいている。そんなことより、最近の吉田戦車がつまらないことの方が重大問題だ。「いじめて君」のころは面白かったのに。
パンダ密猟は死刑。アブラハムはイサクを殺した。バイトをオクテットと言うとかっこいい(笑)。
相原コージが「例に出して悪いけど、…「パパはニューギニア」の連載と共に「ギャグマンガは死んだ」のだ」などとほざいている。そんなことより、最近の吉田戦車がつまらないことの方が重大問題だ。「いじめて君」のころは面白かったのに。
割合ひまだったので中島敦をまとまった分量読むことができた。
彼は南洋庁パラオ支庁に居た。第一次大戦でドイツから取った領土だ。そこへ行ったのは、喘息の療養を兼ねてのことだったようだ。小説の評判が良いので帰国したら、横浜で早速風邪をこじらせた。スティブンソンはロンドンで死にかけて、南洋に引き返して命をながらえたが、中島敦はそのまま日本で死んでしまった。日本に帰らなくとも、すぐに戦争が始まって大変な思いをしたことだろう。ただ中島は、
> いや、そうではない。お前が南方に期待していたものは、こんな無為と倦怠ではなかったはずだ。それは、新しい未知の環境の中に己を投げ出して、己の中にあってまだ己の知らないでいる力を存分に試みることだったのではないか。さらにまた、近く来るべき戦争に当然戦場として選ばれるだろうことを予想しての冒険だったのではないか。
という恐るべき覚悟を記している。
山月記、名人伝などはもちろん高校生の頃読んでいたのだが、その異常な世界は、中島敦が熱烈な西遊記ファンであるところからきているようだ。彼が生きていた時代が精神主義全盛期だったことも関係あるかもしれんが。文字禍、悟浄出世、悟浄歎異、など、寓意の体裁であるがあからさまに彼自身が投影されていて、私小説よりもむしろ直接的だと思えた。
こないだ青ばた豆腐というものを食べた。非常においしかった。福島県と新潟県の境の福島県側で作るのだという。あまりにもおいしいので、これは大豆ではなく、枝豆で作ったのではないかと思った。しかし、枝豆だと豆が十分乾燥していないので、ひいてもうまく粉にならず、従って豆乳ができないのかもしれない。あるいは、枝豆をすりつぶしたものを、豆乳代わりに使うこともできるかもしれない。また、山形の方には、乾燥させても青みを失わない大豆と言うものがあるそうだ。そのような豆を、一晩ダシ汁と酢を混ぜたものに浸しておくと、「ひたし豆」と言うものができるのだが、これが非常にうまい。もしかすると、そのひたし豆に使う大豆を使って豆腐を作ると、うまいのかもしれない。ひたし豆に対して「だだちゃ豆」というのは、さやを付けたまま枝豆をダシ汁で煮たものではなかろうか。
麦茶というのは,ほとんど水のようなものなのだろうが,どんな成分が人はうまいと思うのだろうか.味なのか香りなのか.鼻が効かないとうまくないのか.最近は米や小麦などを一緒に煎ったものもあるようだ.よけい香ばしくなるのだろうが,じゃ米でも麦茶のようなものは作れるのか.最近はずぼらになっていつもペットボトルだ.あれも買って帰るのがかさばって重くてよくないのだが.
お茶漬けなんてものは,冷やご飯と水,あと漬け物だけでも案外うまく食えるものかもしれないが.
今昔物語の「芋粥に飽きるということ」を読んでみたが,芥川龍之介の芋粥とほとんど同じ内容だった.芥川のいじけた脚色がないぶん面白かった.蛇を魚と偽って売る話も,原作にはそれなりの面白みがある.鼻に関しては,さすがに芥川の方が込み入ってて面白いかと思うのだが,原作もそれなりにシンプルでよい.
司馬遼太郎の小説は,「項羽と劉邦」の他は今度読んだ「だったん疾風録」くらいしか読んだことがない.普通は,坂本龍馬とかを読むものなのかもしれんが.
> 我恋は千尋の海の捨小舟寄る辺なしとて波のまにまに
志賀直哉「真鶴」
> あらたのし思ひははるる身はすつるうきよの月にかかる雲なし
> さすが涙のばらばら袖に こぼれて袖に 露のよすがのうきつとめ
芥川龍之介「或日の大石内蔵之助」
夜の夜中に延々とアニメをやっている.
子供が夜更かしするのでなければ,大の大人が見ているのだろう.
なんかよくわからん.アニメといっても,セル画の中のほとんどは動かない.
できるだけ手間のかからないように作られているなあ.
なんてことは,子供のころは考えもしなかったなあ.
司馬遼太郎の「だったん疾風録」というのを読んだが、これはとても面白い。
iMac の中古を友達から 20 万円でおしつけられたやつがいた。貧乏人の癖に御人好しなやつだ。 iMac 定価で 128,000 円で、メモリ増設してたからといって、せいぜい 10 万円くらいなもんじゃないかな。
清水義範の「まちまちの街々」という本。
その中に、「どっちにつこう物語」というのがでてくる。
徳川家康に、茨城から秋田に領地替えされた、佐竹という殿様がいる。
佐竹家は、源氏と平家のどちらに付くか、源氏と奥州藤原氏のどちらに付くか、足利と朝廷のどちらに付くか、徳川家康と石田三成のどちらに付くか、江戸幕府と官軍のどちらに付くか、という歴史の選択に、何度も迫られる。
そのたびに、繁栄したり、滅亡しかけたりしてきているのだ。
その結論が、「武家の頭領とは、いかにして勝つ側に付くか、ということだ」となる。
別の言い方をすれば、「いくさとはバランス感覚である」ということになる。
清水義範と言う人は、実に恐ろしい人だ。
湾岸戦争の軍事費拠出やガイドライン法などというのは、要するに、「非武装中立なんてくそくらえ」ということであり、「滅びたくなければ強い側に付け」ということである。
アメリカの同盟国になり、アメリカの覇権に協力しろ、ということである。
歴史に学べば、源氏と平家のどちらにも付かないとか、鎌倉と平泉のどちらにも付かないとか、足利と朝廷のどちらにも付かないとか、東軍と西軍のどちらにも付かないとか、幕府と官軍のどちらにも付かないとか、そういう選択はありえない。
強い方に付かないということは、戦わずして敗けるということであり、強い方に付くということは、戦わずして利益を得るということだ。
つまり、そういうことを言ってるのではないか。
そのほか、芥川龍之介や、志賀直哉などを読む。
この二人はすごい。
太宰治とか、中島敦などは、とてもおよばない。
芥川龍之介の芋粥、志賀直哉の小僧の神様には、題材の共通点があって面白い。
どちらも、お金持ちが貧乏人に、食べたいものを好きなだけ食わせるというものである。
芋粥が大正 5 年、小僧の神様が大正 9 年で、ほとんど同時期だが、芋粥の方が早い。
ただし、生まれは志賀直哉の方が少し早い。
志賀直哉は、まあほぼ確実に、芋粥の影響を受けて小僧の神様を書いただろう。
それでも、どうしても、志賀直哉は小僧の神様を書かずにはおれなかった。
そうして、小説の神様と呼ばれるようになった。
芋粥では、食べさせられる側が主体なのだが、小僧の神様では、食べさせる方の心理描写が中心なのである。
「芋粥」、「小僧の神様」は、どちらも、だれが読んでも文句なしに面白いと思うが、それはやはり食いものが素材だからだろう。
小僧の神様は、もう何度読んだかしれないが、この話は、落語にしても面白いのではないかと思った。
で、自分なりに落語に仕立て直してみようとしたが、なかなか難しい。
うまい人がうまく演出して、うまく演じればきっとおもしろいに違いない。
極めてきわどい省略をして、しかも不自然さを感じさせないのは、志賀直哉のてにをはの使い方がうまいせいである。
例えば、「城の崎にて」の中で、「読み書きに疲れるとよく縁の椅子に出た」と言うセンテンスがあるが、これは普通「縁に出て椅子に座った」と書いてしまうところだ。
私はずっと、こういう省略は古典の素養から来たものだと思っていたが、もしかしたら、欧文調なのかもしれないと思った (もしかしたら当時の口語なのかもしれんが)。
昔,斉の国に恒公という王が居て(笑),
管仲が宰相になったのだが,
恒公は管仲の諫めを聞かず,
何度も軍備を増強し,宋や魯などの隣国と戦争をして負け続けた.
ついに魯の宰相の曹沫に,会盟の場で懐に忍ばせた剣を突きつけられ,
領土を割譲する約束をさせられた.
たぶんこれで恒公も懲りたのか,
それからは管仲の言う通りに政治を行なうようになり,
ついには春秋の覇者の一人となった.
で,管仲が宰相となってから,恒公が覇者となるまで,
なんとも長い期間,紆余曲折と試行錯誤を経ている.
上司を説得するというのはこうまでたいへんなことなのだろうか.
成増の不動産屋へ.実家から送ってもらった保証人の実印が父ではなく祖父のだった.などのちょっとしたハプニングはあったものの,契約成立.鍵は 30 日にくれるとのこと.一応 4/1 日から入居可だが,鍵さえもらえばこっちのもの.
赤塚図書館に入ってみたが,思ったより広くてご満悦.世田谷中央図書館には遠く及ばないが,世田谷図書館よりは広そう.しかもわりと空いている.わざわざ赤塚の山の上まで登ってくるやつはいないのだろう.
赤塚体育館というものにも入ってみたが,屋内温水プールが思ったよりも広くてびっくり.地下二階に,25m プールと,子供用プールがある.プールサイドも異様に広く,採光も充分.地下一階からプールがのぞけるようになっているが,このフロアも異様に広い.なんとも贅沢な作り.さすが自治体.民間には真似できねー.
トレーニングルームというところに,中年おじんおばんがたいそう集まっていた.ちょっとしたフィットネスジムで一般公開利用は 380 円.近所なので便利なのだが,僕はあいにく運動は嫌いなたちだ.僕は昔,風呂なしのころにフィットネスジムに銭湯代わりに通ったことがある.あまり運動は長続きしないのだが,年に二三回は利用させてもらうかも.ともかくフツーのフィットネスジムに高い金出して通う必要はまったくないと見た.
成増図書館は,本棚絨毯など非常に新しいが,赤塚図書館よりちょっと広いくらいで,それほどすごくない.地方自治体の図書館としてはやはり世田谷中央図書館は最大級だろう.普通の区立図書館の軽く三倍の広さがあり,平日昼間でも常に混んでいる.
図書館と同じ建物の中に成増アートギャラリーというのがあって,これが一日 10000 円で借りられるそうである.一週間くらい借りて 7 万円.高いのか安いのか良くわからん.そもそも成増まで見に来るのか?高島平の陶芸サークルみたいのが展示してた.重くて厚くてつるつるして最悪なのもあったが,軽くて薄くてさらっとした,なかなか良くできたのもあった.なかなか良い土使てるやないけ(笑).焼き物を自分で焼きだしたらはまりそう.高島平は赤塚庁舎前からバス一本でいける.全然遠くないのである.
成増北口の再開発はつい最近のことのように思える.三茶のキャロットタワーくらいかな.赤塚図書館も赤塚体育館も新しくてすばらしい.こういうバブルの遺産は歓迎だね.
成増北口から赤塚高台にかけて,全般に町が若々しく,まるで板橋じゃないみたい(笑).ただし,ついでに体育館前通りというのを通したのは良くなかった.この道なからましかばとおぼえしか.つーか.この道がなければ交通はかなり不便になり,従って車が入ってこなくなる.太い道がなく,地元の車以外に入って来ないようなのが理想だ.駅までの距離が同じでも,朝から二車線の道をいくつも横切るのは気分最悪.荷馬車がやっとすれ違える程度の田舎道を歩くのは散歩気分でよろしい.
赤塚植物園にはまだ足を踏み入れてない(けっこう期待している).赤塚美術館というのもあるようだ(あまり期待してない).赤塚城址というのもあるそうだ(だからなんなんだ).どっちにしろ近所なのでそのうち遊びにいこう.
日が長いので,観光バス気分で成増駅前から高島平経由で赤羽へ.赤羽はいかにも古い町だ.巨大なダイエーがある.碑文谷のダイエーよりは小さいようだ.エスカレータの手すりが汚い.あまり活気がない.大きなお世話かもしれんが,不景気ならまずエスカレータの手すり磨きから始めるべきだね!
歳と載はもともと同じで一年の意味.
収穫時に生け贄をまさかりで裂くまつりのことで,よって一年を表した.
これが夏の時代のことらしい.
千載和歌集の千載とは,千年のこと.
次の商(殷)の時代は,一年のことを祀という.
これも年に一度の祭りの意味.
次の周の時代では年という.
これは,もともと穀物が実ることだという.
申というのはもともといなびかりのことで,
甲骨文字ではほんとにひなびかりの形をしている.
これが,神とか電などのもとになったんだそうだ.
なんかしょうもないことを書いた.