亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘雑感’ Category

04.26.2016 · Posted in 雑感

世の中にはチェックとストライプのシャツが溢れかえっており、 それ以外の柄の襟付きのシャツというのはほとんどないか、あっても高い。 とにかくもう絶対チェックとストライプのシャツは着ないぞと思えば、 6千円とか7千円とか、或いはうん万円のシャツを買うしかない。 あるいは、古着であろうか。 なんでこんなことになってしまっているのだろうか。

まともかく年齢的にも立場的にもTシャツばかり着るわけにはいかないので、 襟付きのシャツが必要だな、チェックみたいにださくなく、 ストライプみたいにありきたりじゃないやつが着たい、と思うがそれには金がかかる。

それで実家に眠っていた父の服をサルベージしたのだが、 そのほとんどがチェックでもなくストライプでもなく、 今時どこにも売ってないような柄の服ばかりであり、 一生かかっても着つぶせないくらい大量に出て来た。 時代が違うというのもあるのだろうが、いったいどこでこんな服を買ったのだろう、 どこでこんな服が売られていたのだろう。 そしてなぜ現代ではこれらの服はまったく作られなくなったのだろう。 非常に不思議だ。 ともかくこれだけのシャツを今買うとしたら数十万円はする。

シャツだけでなくズボンにも金がかかる。 ズボンはジーパンはいとけば安くで済むが、 ズボンも実家から送ってもらうことにした。 金がかからないのは良いことだ。 ズボンのほうが消耗が速いからいくらあっても困らない。 シャツはさすがに置き場に困る。

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Heidi, translated by Louise Brooks 1885

04.25.2016 · Posted in 雑感

「ハイディ」だが、 Heidi’s Lehr- und Wanderjahre が出たのが 1880 年。 続編の Heidi kann brauchen, was es gelernt hat が出たのが 1881年だった。

初フランス語訳 は 1882 年。 原著の版元 Gotha: Perthes が出版していて、訳者は不明。 Heidi’s Lehr- und Wanderjahre のみの内容。

英訳は1885年。 訳者は Louise Brooks。 出版社は Couples, Upham, and Company, The Old Corner Bookstore, 283 Washington Street, Boston. 巻末の広告の価格がドルで書かれているので、間違いなく、 イギリスではなくてアメリカのボストンだ。 こちらは前編と続編両方の合冊になっている。 これがおそらく最初の英訳。 そしてハイディを世界的に有名にした本なのだろう。

From the pleasant village of Mayenfeld a path leads through green fields, richly covered with trees, to the foot of the mountain, which from this side overhangs the valley with grave and solemn aspect.

冒頭だけだが、ドイツ語原文と比べてみると、そのまま自然に訳されていることがわかる。

Vom freundlichen Dorfe Maienfeld führt ein Fußweg durch grüne, baumreiche Fluren bis zum Fuße der Höhen, die von dieser Seite groß und ernst auf das Tal herniederschauen.

「ハイディ」邦訳疑惑参照。

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04.17.2016 · Posted in 雑感

何もしたくない病。 毎年だんだん悪化する。 最近は酒も飲みたくない、外食もしたくない、とかになってきた。 金がかからないのは良いが、 酒飲んで気分リセットする派なので、 いつまでもいつまでも気分がリセットできなくてかなりやばい。

体力が落ちてきているのもあるし。 酒と戦うとだいたい負けるようになってきた。

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04.08.2016 · Posted in 雑感

「ヨハンナ・スピリ少年少女文学全集」をある種の義務感で読破してみようとしたのだが、 余りにも退屈で挫折した。 この全集があっという間にその存在を忘れ去られてしまったのは、 やはり単につまらないからなのだろう。 簡単な解説、あらすじくらいは付けて欲しかった。 この膨大な文書を読み通す人がはたしているだろうか。

例えば、Arthur und Squirell という話では、工場の経営者の子供に兄と妹がいて、 兄は会社を継ぐのが嫌で失踪、社長は妹に婿をとって仕事を継がせようとしたが、 妹にはすでに好きな男(牧師の息子)がいて、 結局工場は売ってしまい、妹は牧師の息子と結婚した。 二人には男の子が出来たが(この子が主人公 Arthur)、 Arthurが小さいうちに両親は他界してしまい、親戚に引き取られて、 寄宿学校に入れられてしまうが、そこですったもんだあって、 Arthurはある女の子(Squirell)と親しくなる(ボーイミーツガール!)。 そこへ失踪した兄(つまりAuthurの叔父)が大学教授となって戻ってきて(予定調和的な伏線の回収!)、 甥Arthurとついでにその彼女Squirellを引き取って楽しく暮らす、という話なのだが、 こんな話を延々と読まされたら気絶しそうだ。 あらすじだけで十分な気がする。 主人公が孤児で親戚に引き取られて知らない土地に連れて行かれる、 という辺りがなんとなく「ハイディ」っぽい。

なぜ「ハイディ」だけがある程度読むにたえうる作品になり得たか(アニメの「ハイジ」はとりあえずよけといて)という考察は、 もう少ししたほうが良いのではないか。 やはりストーリーというよりは、 ハイディやアルムおじさんやデーテやロッテンマイヤーなどのキャラの濃さだと思うのだよね。 キャラの濃さという意味では「フローニ」もそれなりのもんだと思うよ。

そんで余りにも頭が疲れたのでヨハンナ・シュピリはやめにして佐佐木信綱を読み始めたのだが、 これも恐ろしく退屈だ。 この人は、少なくとも初期はちゃんと大和言葉だけで和歌を詠んでいた。 江戸時代の和歌や、明治期の桂園派の和歌と大差ない。 だが次第に漢語やそのほかの外来語が混じり始める。 明らかに明星派やアララギ派の影響をうけているのである。 佐佐木信綱の代表作である

ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なる一ひらの雲

あるいは正岡子規の代表作といわれている

くれないの二尺のびたる薔薇の芽の針やはらかに春雨の降る

これらは長く伸びた俳句、或いは漢詩の翻案とでもいうべきものだ。 漢語を交えて叙景、もしくは叙事だけでできあがっている。 確かに古く武士にもこのような直截な叙景の歌はあったかもしれないが、 叙景や叙事が心象風景に転調するところが和歌の骨頂であって、 叙景に仮託した心象の微妙な表現というものはやはり大和言葉、和歌でなくてはならない。

佐佐木信綱は明治の歌を詠みたかった。 新しい時代の和歌は変わらねばならないと思った。 だから明治以後の話題を歌に取り入れなくてはならない、という義務感のようなもので、 いろんな概念、例えば「サタン」のような言葉を取り入れた。

敗られしサタンの軍ちりみだれくづるるがごと雲走りゆく

これは単に雨雲がサタンの軍勢のように見える、ということが言いたかったのだが、 こういうものが世間にもてはやされることによって佐佐木信綱という歌人自体が変容していく。

佐佐木信綱の崩れ方というのは昭和天皇の崩れ方と良く似ている。 おそらく昭和天皇も佐佐木信綱の影響をうけたのだろうと思う。 そして今の現代短歌というものは、もはや何でもありのカオスになってしまった。 ましかし、短歌は短歌で勝手にやれば良い。 問題は和歌を詠む人がほとんどいなくなり下手をすると私で断絶するかもしれないってことなのだ。

私には、明治の歌人たちは、 明治という一過性の時代に和歌を適合させようとして和歌を破壊した(あるいは和歌から逸脱していった)だけのように見える (柳田国男などの桂園派の歌人は抵抗した。明治天皇も最後まで大和言葉だけで歌を詠んだ)。 明治は過ぎ去っても和歌は残らねばならない。 和歌は時代の影響をうけるとしても、和歌自体は「永遠の過去」に属するものでなくてはならない。 能や歌舞伎ではそれが当たり前なのに和歌はそのことが軽んじられているのは残念ではないか。

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04.01.2016 · Posted in 雑感

「アルプスの少女ハイジ」の深層が垣間見えるファン必読の小説集

と書いてあるので(言っておくがこれは私の文章ではない。編集者が考えた煽り文句である)、 何も知らないハイジファンがうっかり買ってしまうのではないかという不安が、 どんどんつのっている。 ふつうの「アルプスの少女ハイジ」ファンが読んだら激怒するんじゃなかろうか。 しかし私は嘘は何も書いてない。 私は(解説と前書き以外)単なる訳者であって、原著はまぎれもなく作者のヨハンナ・シュピリが書いている。

ちなみに私が当初予定していた副題は

『ハイディ』原作者に見るドイツ精神世界の深淵

というものだった。 いかにも売れなさそうだ(笑) 後書きの一部をここに自ら引用するくらいはかまわないだろう。

今回ヨハンナの作品を読んで、スイスの自然や風俗というよりも、ドイツの文学、特にゲーテの詩や、宗教詩についてずいぶんと学ばせてもらった。聖書についても改めて勉強させてもらった。ヨハンナの視点で、非常に効率良くドイツの古典文学を概観させてもらった。ヨハンナは私たちをドイツ文学の森の入り口まで招待してくれる。そこはかつてヨハンナが生まれながらに住んでいた場所だ。少なからぬ人が『ハイディ』をきっかけにその作家の世界をも知ろうと願う。そうしてさらにその森の奥へ足を踏み入れようとして、その深淵をのぞき見て、ぎょっとすくんでしまう。ヨハンナの童話以外の作品が未だに英訳すらされてないのはそのせいなのだろう。

こういう内容の本だという心づもりで読んでもらえば、びっくりすることはないと思う。

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02.21.2016 · Posted in 雑感

胸焼けとじんましんは年老いた私の宿痾となってしまった。 せいぜい飲酒を減らそう。

有利子の奨学金が、とか、国立大学は学費無料に(あるいはもっと安く)、などの話があるのだが、 たとえば東大の学生は今やほとんど高学歴高収入の家庭の子であって、 そういう人の学費を無料にしてやることにはほとんど意味がない。 ほんとうに貧乏な家庭の子であれば、たいていの大学では学費免除・減免などの制度がある。 優秀な学生が欲しい私学などは特待生制度などを用意している。 例えば近畿大学では四年間授業料と教育充実費の全額を免除する制度があるようだ。

学力が高いのだが、貧乏なために、大学に進学できないという、「社会的損失」な事例というのは、 ほとんどのケースでは救済されていると思われるのである。 もし救済されてないのならばなんとかしなくてはならないが、問題はそれ以外の場合である。

そのような恩恵にあずかれない(つまり学力が並か低い)のに、どうしても大学に行きたい、 或いは保護者がなんとか大学くらい行かせたいのであれば、すれば良い。 奨学金が貰えるあてがなく、従って有利子で返済義務のある奨学金を借りてまで大学に行きたいというのは、 大学に行ったほうが生涯賃金が多くなるという計算によるわけで、 それは自己責任というべきだろう。 子供が減って、短大や専門学校はほとんど四大に改組されてしまった。 つまりかつては短大生や専門学校生レベルだった大学生がたくさんいるわけである。 そういう人たちにも、奨学金を与えて安易に大学に進学できるようにすることには問題がある。

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内在律

02.01.2016 · Posted in 雑感

漢意(からごころ)とはすなわち内在律である。 時代環境や教育によって後天的に獲得した、無自覚的、無意識的に思考を束縛し規律するものだ。

第一に漢意儒意を云々。 おのれ何につけても、ひたすら此の事を言ふは、故無くみだりに、これを憎みてにはあらず。 大きに故ありて言ふ也。 その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大きにこれを誤りしたためたるは、いかなる故ぞと尋ぬれば、みな此の漢意に心の惑はされ居て、それに妨げらるるが故也。 これ千有余年、世ノ中の人の心の底に染み着きてある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近き頃は、道を説くに、儒意を交ふることの、わろきを悟りて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬかるることあたはずして、その説クところ、畢竟は漢意に落つるなり。 かくの如くなる故に、道を知るの要、まづこれを清く除き去るにありとは言ふ也。 これを清く除き去らでは道は得難かるべし。 初学の輩、まづ此の漢意を清く除き去て、やまとたましひを堅くすべきことは、たとへばもののふの、戦場に赴くに、まづ具足を良くし、身を固めて立ち出づるが如し。 もし此の身の固めを良くせずして、神の御典を読むときは、甲冑をも着ず、素肌にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふが如く、必ず漢意に落ち入るべし。

これは『うひ山ふみ』だが、「儒意」「漢意」を「内在律」に置き換えてみよう。

第一に内在律を云々。 おのれ何につけても、ひたすら此の事を言ふは、故無くみだりに、これを憎みてにはあらず。 大きに故ありて言ふ也。 その故は、古の道の意の明らかならず、人みな大きにこれを誤りしたためたるは、いかなる故ぞと尋ぬれば、みな此の内在律に心の惑はされ居て、それに妨げらるるが故也。 これ千有余年、世ノ中の人の心の底に染み着きてある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近き頃は、道を説くに、内在律を交ふることの、わろきを悟りて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬかるることあたはずして、その説クところ、畢竟は内在律に落つるなり。 かくの如くなる故に、道を知るの要、まづこれを清く除き去るにありとは言ふ也。 これを清く除き去らでは道は得難かるべし。 初学の輩、まづ此の内在律を清く除き去て、やまとたましひを堅くすべきことは、たとへばもののふの、戦場に赴くに、まづ具足を良くし、身を固めて立ち出づるが如し。 もし此の身の固めを良くせずして、神の御典を読むときは、甲冑をも着ず、素肌にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふが如く、必ず内在律に落ち入るべし。

或いはこんなふうに読みかえてみると面白いかもしれない。

第一に戦後民主主義教育を云々。 おのれ何につけても、ひたすら此の事を言ふは、故無くみだりに、これを憎みてにはあらず。 大きに故ありて言ふ也。 その故は、戦前の意の明らかならず、人みな大きにこれを誤りしたためたるは、いかなる故ぞと尋ぬれば、みな此の戦後民主主義教育に心の惑はされ居て、それに妨げらるるが故也。 これ七十年、世ノ中の人の心の底に染み着きてある、痼疾なれば、とにかくに清くはのぞこりがたき物にて、近き頃は、戦前を説くに、戦後民主主義教育を交ふることの、わろきを悟りて、これを破する人も、これかれ聞ゆれども、さやうの人すら、なほ清くこれをまぬかるることあたはずして、その説クところ、畢竟は戦後民主主義教育に落つるなり。 かくの如くなる故に、戦前を知るの要、まづこれを清く除き去るにありとは言ふ也。 これを清く除き去らでは戦前は得難かるべし。 初学の輩、まづ此の戦後民主主義教育を清く除き去て、やまとたましひを堅くすべきことは、たとへばもののふの、戦場に赴くに、まづ具足を良くし、身を固めて立ち出づるが如し。 もし此の身の固めを良くせずして、戦前の文章を読むときは、甲冑をも着ず、素肌にして戦ひて、たちまち敵のために、手を負ふが如く、必ず戦後民主主義教育に落ち入るべし。

近年の、現代の常識をまずきれいに除き去り、古典を直接読みなさいと言っているだけである。 古典理解に一番差し障りがあるのが実に現代の常識という痼疾なのである。 この意味において古典とは畢竟は現代社会の問題なのである。 現代の問題から目を背けて古典のファンタジーの世界に遊ぶことではない。 むしろ現代を糾弾するために古典を学ぶのである。 古典の問題とは昔の資料が欠けていることばかりではなく、現代までの曲解を除去することにもある。

例えば天声人語を毎日書き写すという勉強を子供の頃からやっていれば、 それはそれなりに実用文を書く練習にはなるが、そのついでに天声人語の「内在律」に落ち入るのである。 そしてそれ以外の文章を読んだときに無意識的に拒絶反応を起こしてしまうのだ。

現代の内在律を無視して小説を書けば読者はついてこない。 音楽もそうだ。 全然聞いたことのない音楽を聞いても面白くはない。 内在律を否定するためには内在律を囮にして読者を引きつけておき、かかったところでそれを否定しなくてはならない。

ま確かにこの「内在律」というものはそれほどまでに強固に人を規律するものであるから、 これを利用すれば、散文を書いても詩のようなものは書けるのかもしれない。 ひたすら詩を読み、作り続ければそんな「内在律」を持つことはできるかもしれないが、 普段から散文しか書いてない人には無理ではないか。

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語釈は緊要にあらず

01.19.2016 · Posted in 雑感

小林秀雄『本居宣長』二十三

契沖も真淵も、非常に鋭敏な言語感覚を持つてゐたから、決して辞書的な語釈に安んじてゐたわけではなかつたが、語義を分析して、本義正義を定めるといふ事は、彼らの学問では、まだ大事な方法であつた。ところが宣長になると、そんな事はどうでもよい事だと言ひ出す。

「語釈は緊要にあらず、(中略)こは、学者の、たれもまづしらまほしがることなれども、これに、さのみ深く、心をもちふべきにはあらず、こは大かた、よき考へは、出来がたきものにて、まづは、いかなることとも、しりがたきわざなるが、しひてしらでも、事かくことなく、しりても、さのみ益なし。されば諸の言は、その然云フ本の意を考ヘんよりは、古人の用ひたる所をよく考へて、云々(シカシカ)の言は、云々の意に、用ひたりといふことを、よく明らめ知るを、要とすべし。言の用ひたる意をしらでは、其所の文意聞えがたく、又みづから物を書クにも、言の用ひやうたがふこと也。然るを、今の世古学の輩、ひたすら、然云フ本の意を、しらんことをのみ心がけて、用る意をば、なほざりにする故に、書をも解し誤り、みづからの歌文も、言の意用ひざまたがひて、あらぬひがこと多きぞかし。」(「うひ山ぶみ」)

これと殆ど同じ文が「玉勝間」(八の巻)にも見えるところからすると、これは、特に初学者への教へではなく、余程彼の言ひたかつた意見と思はれる。古学に携る学者が誘はれる、語源学的な語釈を、彼は信用してゐない。学問の方法として正確の期し難い、怪し気なものである以上、有害無益のものと断じたい、といふ彼のはつきりした語調に注意するがよい。契沖、真淵を受けて「語釈は緊要にあらず」と言ふ宣長の踏み出した一歩は、百尺竿頭にあつたと言つてよい。

ここで玉勝間八の巻というのは、

言の然(シカ)いふ本の意をしらまほしくする事

物まなびするともがら、古言の、しかいふもとの意を、しらまほしくして、人にもまづとふこと、常なり。然いふ本のこころとは、たとへば天(アメ)といふは、いかなる意ぞ、地(ツチ)といふは、いかなる意ぞ、といふたぐひ也。これも学びの一ツにて、さもあるべきことにはあれども、さしあたりて、むねとすべきわざにはあらず。大かたいにしへの言は、然いふ本の意をしらむよりは、古人の用ひたる意を、よく明らめしるべき也。用ひたる意をだに、よくあきらめなば、然いふ本の意は、しらでもあるべき也。そもそも万ヅの事、まづその本をよく明らめて、末をば後にすべきは、論なけれど、然のみにもあらぬわざにて、事のさまによりては、末よりまづ物して、後に本へはさかのぼるべきもあるぞかし。大かた言の本の意は、しりがたきわざにて、われ考へえたりと思ふも、あたれりやあらずや、さだめがたく、多くはあたりがたきわざ也。されば言のはのがくもんは、その本の意をしることをば、のどめおきて、かへすがへすも、いにしへひとのつかひたる意を、心をつけて、よく明らむべきわざ也。たとひ其もとの意は、よく明らめたらむにても、いかなるところにつかひたりといふことをしらでは、何のかひもなく、おのが歌文に用ふるにも、ひがことの有也、今の世古学をするともがらなど殊に、すこしとほき言といへば、まづ然いふ本の意をしらむとのみして、用ひたる意をば、考へむともせざる故に、おのがつかふに、いみしきひがことのみ多きぞかし。すべて言は、しかいふ本の意と、用ひたる意とは、多くはひとしからぬもの也。たとへばなかなかにといふ言はもと、こなたへのかなたへもつかず、中間(ナカラ)なる意の言なれども、用ひたる意はただ、なまじひにといふ意、又うつりては、かへりてといふ意にも用ひたり。然るを言の本によりて、うちまかせて、中間(ナカラ)なる意に用ひては、たがふ也。又こころぐるしといふ言は、今の俗言(ヨノコト)に、気毒(キノドク)なるといふ意に用ひたるを、言のままに、心の苦きことに用ひては、たがへり。さればこれらにて、万の言をも、なずらへ心得て、まづいにしへに用ひたるやうをさきとして、明らめしるべし。言の本にのみよりては、中々にいにしへにたがふことおほかるへしかし。

ここでもまず宣長の頭にあるのは詠歌のことだ。 なぜあれほど宣長がつまらない歌を大量に詠んだのかといえば、それは詠歌すること自体が詠歌の訓練だからだ。 正確に、即興で、優れた歌を詠むために、常日頃から歌を詠む訓練をしていた。 歌を正確に詠もうと思えばその正しい語義を知らねばならぬ。 しかし語義というものは時代や文脈によって変わっていくものだから、まずその用例をしらねばならぬ。 そういう用例というものをはなれて言葉の本義などというものを知ろうとしても無駄だと言っているのである。

もちろん宣長は語義なんてどうでもよくて用例さえ調べりゃ良いと言っているわけではない。 むしろ宣長ほど根掘り葉掘り語義を調べる人はいない。 しかしそんな宣長だからこそ、語義というものは往々にして知り難いものであるから、たくさん用例を見ろよと言っている。 宣長が古学を好んだのは詠歌が好きだったからだ。 詠歌のために古文を学び、或いは源氏物語を読み、とうとう古事記を解き明かしたのである。 宣長がどれほど和歌が好きかということを知らずに宣長を理解することは不可能だ。

そして小林秀雄はそんな宣長をきわめて正確に理解している。

つまり筒井康隆は宣長だけでなく小林秀雄をも誤解していたということになる。

小林秀雄の『本居宣長』がつまらないとかわからないという人は、要するに、宣長に興味がないか、宣長がわかってないのだ。 ただ小林秀雄のファンであるだけで宣長がわかるはずがない。

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短篇小説講義

01.18.2016 · Posted in 雑感

筒井康隆の『短篇小説講義』だが、 私が最近読んだ「小説の書き方」の本の中では一番わかりやすくて面白かった。 小説の新人賞というのは最近ではみなだいたい短篇であって、 それはつまり応募者がたくさんいるから、 あんまり長いの書いてこられたら迷惑だというのもあるのだろう。 作家としての才能の有無を見るだけならば名刺代わりの短篇でも良いではないかということじゃないか。

文学部唯野教授も短篇を書いている。 それと平行してこの『短篇小説講義』を筒井康隆は書いたわけだ。 『文学部唯野教授』は岩波書店だし、『短篇小説講義』は岩波新書だし、 『短篇小説講義』に出てくる短篇のサンプルはみな岩波文庫だ。 そして筒井康隆が『短篇小説講義』を書いた直接のきっかけは岩波新書の『短篇小説礼讃』(阿部昭 1986)を読み、自らも短編小説についてエッセイを書いたからだという。

筒井康隆はいろんな批評家からの批評やら、 直木賞を逃したことやらに腹を立てて『大いなる助走』(1979)を書いて 『文学部唯野教授』はその続編みたいなもんだ。 そして自分でも文芸論や文芸批評論を書いてみたくなった、のだと思う。

でまあ、私はあまり小説を読まない人で(笑)、 日本文学もだが欧米文学は特に読まないので、 チェーホフとかトーマスマンとかゴーリキーとかの簡潔な紹介をしてもらったのはありがたかったし、 ディケンズ、ホフマン、ビアスはなかなか興味深く読んだ。 でまあいろんな古典的サンプルを紹介してその結論というのは、 良い小説とはまだ手垢の付いてないアイディアとか文体で書かれたものだというものであって、 そりゃそうなんだろうが、 たぶん新人賞を取るのにはあんまり役に立たない話だわな。 新人賞なんてものはとびきり有能で上質なライターの素質がある人、 つまり作家としての商品価値のある人が取るもんじゃないのか。 或いはなんらかの話題性(タレント性)がある人とか。 ほんとに novel なものを書く人(そういう人は往々にして商業的に成功するとは限らない)にほんとに出版社が新人賞を与えるなんて私には信じられない。

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山茶

01.12.2016 · Posted in 雑感

山茶(やまちゃ)というのが九州や中国地方には自生していて、焼き畑などやるとまず山茶が発生する、 播州では、山茶を根元から切って持ってきてその葉を干して煎じて飲む、 明恵が栂尾に茶を植えたなどというのは、中国伝来の茶の木を植えたのではなく、 中国の喫茶のやり方を広めただけだなどと柳田国男は言っている。

茶の木は、焼き畑などで焼き払っても根が生きているので、 すぐに再生するらしい。 山茶は日本のかなり広い範囲に自生しているものらしい。

明恵は栄西から茶の種をもらった、栄西は南宋から茶の種をもたらした、 などと言われているのだが、たぶんそれは事実ではない。栄西は喫茶というか、 茶の若葉を摘んで抹茶にして飲むという飲み方を日本にもたらしたのだろう、と思う。 日本固有の茶の木があったかどうかはわからないが、 大陸から渡来したとしても、 栄西よりよりかずっと以前に日本に来ていたのだろうと思う。

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