亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for the ‘雑感’ Category

北大の件

10.07.2016 · Posted in 雑感

国立大学というものはどこでも昔から近隣住民と仲良く付き合っていこうと努力してきたわけで、 今回急にこの話が出たのは、札幌でも都市部に共働き夫婦が増えて、保育園や幼稚園の需要が増えて、 新たな認可があいついで、 たまたま近所に北大のキャンパスがあったからそこへ毎日のように遊ばせにいくようになったことに起因すると思われる。

であればこれは明らかに行政の問題であって北大の責任ではない。

保育園や幼稚園は児童らを引率してしかるべき公園に連れて行って遊ばせなくてはならない。 そのために地方自治体は税金を投入しているのだから。 そういう一部の団体のために北大も一般の近隣住民を迷惑を蒙っているのである。

ふつうは近所の住民が花見したりぎんなん拾いに来るくらいで国立大学が目くじらを立てることはない。

そして保育園や幼稚園からの苦情をことさらとりあげて北大のせいにしている新聞報道は、 何か意図的なミスリーディングを企んでいると言わざるを得ないだろう。

北大の件 はコメントを受け付けていません。

10.02.2016 · Posted in 雑感

Kindle Unlimited やアマゾンプライムビデオという新サービスが始まっただけで、 私の映画視聴や読書の量、幅がまったく変わってしまった。 そしていままで見たことのない作品をたくさん見るようになった。 同じ事は J:Com で CATV を見始めた頃にもあった。

私はもう本など読まないつもりだったのに、こんなに読むようになったのは不思議だ。

同時に思うのは、仮に、仮にだが、たとえどんなに私の作品が勝れていたとしても、 それが他人の目に触れない限りは存在しないのと同じなのだ。 新サービスによって人の目に触れるようになり多少は読者が増えるかもしれない。 それは KDP や Kindle Unlimited などですでに体験したことでもある。

そして Kindle Unlimited のおかけで、ブログレベルのしょうもない本が良く読まれている例もよくみかけるようになった。 そんなのググればいくらでも書いてあるじゃんみたいな内容の本が KDP で出版して、有料なのだが、 Kindle Unlimited 対象なのでランキング上位にあがってくる。

人の目にどうやって触れるようにするか、いかにして人の目に触れる機会を増やすかということは、 非常に大きな問題だ。 私は二冊、紙の本を書かせてもらった。 KDP と何が違うだろうか。同じ人間が書いたものではないか。 しかし、紙の本のほうが明らかに人の目に触れやすいし、流通しやすいのだ。 むろん紙の本には編集者や出版社、書店、業界が介在し、助言や助力がある。 たいへん感謝している。 しかしそれでも KDP とこれほど差がつくだろうか。 そしてほぼ確実に予測できるのは、同じ私の本であっても、 マーケティング次第で、もっと売れるはずなのだ。 コンテンツのクオリティとは別の何かが必要なのは明らかだ。 それは何年もやってて身に染みた。

「潜入捜査官マリナ」は探偵もの、刑事もののジャンルで敢えて書くことによって、 そちらのジャンルの読者の目に触れようとしたものだ。 官能小説、大衆小説を読もうと思った人はあてが外れたかもしれない。 でも一応作品解説みればある程度わかるよね? だがあまり節操なくいろんなジャンルに手を出すのは恥ずかしい。

個人出版にできることは限られているってことを、いまはひしひし感じてる。 アマゾンがまた何か新しいサービスを始めて、世の中への露出が増えないかなあみたいな他力本願なことを考えたりする。 たまたま誰かアルファブロガーかなんかの目に触れてレビュー書いてもらえないかなあなんてことも考える。 ま、ともかく、焦らず、自分が良いと思うものをこつこつ書いておくしかないのかもしれん。

コメントを受け付けていません。

feedly再開

10.02.2016 · Posted in 雑感

なんか昔 google の feed reader があってそれがサポート切れしたんじゃなかったっけ。

それで feedly というのが出て来て乗り換えて暫く使っていたのだが、使うのやめにした。

しかし今の時代もブログをせっせと書いている人もいて、読んだほうが良い気がして feedly を再開した。 昔の subscribe がそのまんま残っていたので、やや手直し。

feedly再開 はコメントを受け付けていません。

10.02.2016 · Posted in 雑感

tanaka0903.net が固まっていた。 JetPack とか All in One SEO などのプラグインのせいであるのは明らかだ。 いまどきアフィリエイトもやらずに、非力なレンタルサーバーで、プラグインも使わずに、 wordpress を使い続けることにどんな意味があるのだろう。 だがまあ、ともかくこのまま使い続けてみようと思う。 もしかするともう少しうまい方法がみつかるかもしれない。 facebook と連携なんてアホなことをやるのはやめた。

コメントを受け付けていません。

10.01.2016 · Posted in 雑感

保育園だが、駅前の商業地に建てれば誰も文句の言いようがないのだが不動産が高い。 逆に第一種低層住宅地なんかはもともと閑静な住宅街であって地価も高いから、 というより地価が高すぎてここにも保育園は作りにくい。 私の予測では、そのどちらでもない、駅から近からず遠からずみたいな、 比較的土地が安くて規制が緩いあたりをねらって保育園を作ろうとするのだろうと思う。

共稼ぎ夫婦が子供を預けるのだから、保育園は駅近にあれば良いに決まってる。 ビルの中に作れば良いのだ。 それをなまじ住宅街の中に作ろうとするから住民の反発を受けているに過ぎないのではないか。

風俗店やパチンコ店が住宅街に進出しようとすると、世論は住民の味方をするが、 保育園が入ろうとすると、保育園の味方をする。 「待機児童の削減」とか「少子化対策」という耳障りの良い言葉を使って。 そういうのをダブルスタンダードっていうんじゃないの?

私はずっと自分は右翼だと考えているのだが、 たまに自分は左翼なんじゃないかと思うことがある。

ま、問題は住宅地なのか商業地なのかグレーな土地が存在してるってことで、 そういうところに保育園が進出するのは是か非かということだと思う。 行政と住民と事業者がじっくり話し合って解決していくことだろう。 そしてそういう問題は杉並とか世田谷などごく一部の特殊地域にしか発生しない問題だ。 たいていの世論は、当事者ではないヨソモノが、 議論の余地なく住民が悪い、年寄りが悪い、老害だ、 ということにしてしまう。 なぜなのか。

もともと小学校や中学校があってその周りに家を建てるのは建てるほうの勝手だが、 家を建てたとなりに学校を建てるとしたらもといる住民が怒るのは当たり前だ。 昭和の復興期と今じゃ事情が違うのも当たり前だ。 昔、町の子供は空き地、つまり資材置き場で遊んでいた。 ドラえもんやど根性ガエルなんかが描いた杉並区には、 そういう工事現場に土管が置いてあったものだ。 私も子供の頃は田んぼを埋め立てる土砂捨て場のようなところで、 粗大ゴミを集めてきて「秘密基地」を作って遊んだ。 そんなことが今の時代に許されるわけがない。 他人の私有地を子供の遊び場みたいに使えるはずがない。よほどの田舎じゃなきゃ。 当時はきっとたくさんの子供が怪我をしたり死んだりしたはずなのだ。 あの頃は子供もたくさんいたから多少死んでも問題になりにくかった。

保育園の問題だって、昔は子育ては郊外や田舎に家を買ってやるのが当たり前だったから、 問題にならなかったのだ。 今は無理矢理35年ローンかなんか組んで都心に住みたがる夫婦が多すぎる。 都心に依存しすぎているんだ。 そのことのほうがずっと大きな問題のはずじゃないか?

コメントを受け付けていません。

10.01.2016 · Posted in 雑感

このブログとfacebookを連動したのだけど、 いまいち使い道がわからない。 いっそのことこのドメインもブログも廃止してfacebookあたりに一本化しようかとも考えている。 hatena にすることも考えたが、使い勝手がいまいちでやめた。

このドメインは私が死ねば3年以内に消滅して archive.org にしか残らないだろうし、 独自ドメインを持っている意味もない気がする。 レンタルサーバーを持ち続けて、linux なんかの最新動向においついていくことにも、 いまさらあまり意味がない気もする。

booklog あたりに昔 puboo で書いてたころの残骸が残っていて、 ぜんぶざっくり処分したいのだが手も足も出ない。 いろんなことをやるたびにネットに残骸が残っていくのは気持ち悪いが、 私以外の人は特に気にしないだろうし、 気にする人がいたとしても、そんなに大した問題でもないから放置するしかない。

コメントを受け付けていません。

じっくりやるしかない。

09.23.2016 · Posted in 雑感

まあ、そんなに売れない。

しかたないことだ。しばらく放置しよう。 無料キャンペーンも考えたが、たぶん効果は無い。 ダウンロードされても積んどかれて終わりだ。 多少なりともレビューを書いてもらわなきゃ意味がないのだが、たぶん書かれないだろう。

たとえば「マリナ」だけ常時無料というのは少しやってみたいのだが、アマゾンが公式に認めていることではないし、 私としてはやらないでおきたい。

kdp も最初の頃は珍しがってレビューを書いてくれる人がいたが、 今じゃ電子書籍が多すぎていちいち見てレビューしてくれない。 今の時代に評価されることはないのは覚悟している。 しかしそのうち別の時代がくるかもしれない。 世の中はいまだにおそろしく保守的だ。 団塊の世代も、若者も、いまだに新聞とテレビに思想を支配されている。 特に「一部伏せ字」なんてのが売れてるのを見ると世の中はまだこれからずっと暗黒時代が続くのだろうと思わざるを得ない。未来に闇しか見えない。

実はまだちょこちょこ書き足している。 何年か後に、思い出して、最新版をダウンロードしなおしてもらえるとうれしい。

じっくりやるしかない。 はコメントを受け付けていません。

ハルパロス

08.16.2016 · Posted in 雑感

「来たか、ちょうど好い口が出来た。実はあれからいろいろ探したがどうも思わしいところがないんでね、――少し困ったんだが。とうとう旨うまい口を見附めっけた。飯場の帳附ちょうつけだがね。こりゃ無ければ、なくっても済む。現に今までは婆さんがやってたくらいだが、せっかくの御頼みだから。どうだねそれならどうか、おれの方で周旋ができようと思うが」 「はあありがたいです。何でもやります。帳附と云うと、どんな事をするんですか」 「なあに訳はない。ただ帳面をつけるだけさ。飯場にああ多勢いる奴が、やや草鞋わらじだ、やや豆だ、ヒジキだって、毎日いろいろなものを買うからね。そいつを一々帳面へ書き込んどいて貰やあ好いんだ。なに品物は婆さんが渡すから、ただ誰が何をいくら取ったと云う事が分るようにして置いてくれればそれで結構だ。そうするとこっちでその帳面を見て勘定日に差し引いて給金を渡すようにする。――なに力業ちからわざじゃないから、誰でもできる仕事だが、知っての通りみんな無筆の寄合よりあいだからね。君がやってくれるとこっちも大変便利だが、どうだい帳附は」 「結構です、やりましょう」 「給金は少くって、まことに御気の毒だ。月に四円だが。――食料を別にして」 「それでたくさんです」 と答えた。しかし別段に嬉しいとも思わなかった。ようやく安心したとまでは固もとより行かなかった。自分の鉱山における地位はこれでやっときまった。  翌日あくるひから自分は台所の片隅に陣取って、かたのごとく帳附ちょうつけを始めた。すると今まであのくらい人を軽蔑けいべつしていた坑夫の態度ががらりと変って、かえって向うから御世辞を取るようになった。自分もさっそく堕落の稽古けいこを始めた。南京米ナンキンまいも食った。南京虫ナンキンむしにも食われた。町からは毎日毎日ポン引びきが椋鳥むくどりを引張って来る。子供も毎日連れられてくる。自分は四円の月給のうちで、菓子を買っては子供にやった。しかしその後のち東京へ帰ろうと思ってからは断然やめにした。自分はこの帳附を五箇月間無事に勤めた。そうして東京へ帰った。――自分が坑夫についての経験はこれだけである。そうしてみんな事実である。その証拠には小説になっていないんでも分る。

これは夏目漱石『坑夫』の終わりの部分だが、金庫番ハルパロスは実はこの辺がモデルになっている。

ハルパロス はコメントを受け付けていません。

摂政

08.08.2016 · Posted in 雑感

日本では、摂政というのはずっと天皇の外戚のことだった。 具体的には藤原氏のことだった。 昭和天皇が即位する前に摂政宮となったのは例外であった。

藤原氏が摂政である場合、藤原氏は天皇家の祭祀まではやらない。 藤原氏には藤原氏の氏長者がいて、藤原氏の祭祀があるからだ。

天皇家の祭祀は天皇の専権事項であり続けた。 皇太子や上皇が行うことはあり得ない。 大正期の摂政宮がどうであったか。 詳しくは知らないが、天皇以外が天皇家の祭祀を行うことはちょっと考えにくい。 それはいかなる法律にも、憲法にも書き得ない、天皇家の家訓に関わることであって、 国民とか、日本という国家が変更のしようがない。 介入のしようがない。 昔ならば天皇が譲位して上皇になればよかったがそれは現在認められてない。 明言はまったくされてないが、

「天皇の高齢化に伴」い「行為を限りなく縮小していくことには、無理があろう」

とか

摂政を置いても「生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません」

とはこのことだろうと思う。 天皇が必ずやらなくてはならないこと、摂政に任せられないことは、他には考えにくい。 国事行為ならば、摂政や大臣が代行できる。 問題はそれ以外の部分なのだ。

摂政が全部代行すれば良い、と言っても、外戚の藤原氏が摂政だったという長い長い伝統があるし、 天皇家の内規では天皇しかできないことがあるのだ。 結局伝統に則るためには明治政府が作った皇室典範は邪魔になるのである。

今上天皇としては、フィリピンを訪問したことによって、為すべきことはすべてなし終えたと思ったのに違いない。 長い、戦後の贖罪の旅だった。 譲位の意向というのはその区切りを付けたことによると思う。

天皇と上皇がいる状態というのは、 もともと珍しくはなかったのだが、政治的にはあまりよろしい状態ではない。 天皇と上皇は政治的には対等だったという、これも長い長い伝統があるからだ。 天皇が上皇になっても上皇の権力は天皇の時とまったくそのまま、 或いはさらに権威づけられて存続するし、上皇が再び天皇に即位することだってあったわけだし、 上皇もまた国事行為を行ってもよいと解釈することは可能だし、 上皇もまた日本国の象徴だと見なすことすら可能だし、 とにかくいろいろややこしいことが発生する。 だから明治の元勲たちは、 天皇は譲位できず、その代わり摂政が天皇の国事行為のすべてを代行し得るというやり方を決めたのだったが、 国事行為ではない天皇家の身内の宗教的行事までは縛りようがない。 そこを修正しようと思うと、皇室典範だけではなく、憲法も、天皇のあり方も、 全部一度見直さなきゃならなくなる。

譲位を認めると、天皇を強制的に退位させられるようになるからダメだという意見もあるようだが、 これは、現代ではあまり関係ないのではないか。

摂政 はコメントを受け付けていません。

08.08.2016 · Posted in 雑感

戦後七十年という大きな節目を過ぎ、二年後には、平成三十年を迎えます。

 私も八十を越え、体力の面などから様々な制約を覚えることもあり、ここ数年、天皇としての自らの歩みを振り返るとともに、この先の自分の在り方や務めにつき、思いを致すようになりました。

 本日は、社会の高齢化が進む中、天皇もまた高齢となった場合、どのような在り方が望ましいか、天皇という立場上、現行の皇室制度に具体的に触れることは控えながら、私が個人として、これまでに考えて来たことを話したいと思います。

 即位以来、私は国事行為を行うと共に、日本国憲法下で象徴と位置づけられた天皇の望ましい在り方を、日々模索しつつ過ごして来ました。伝統の継承者として、これを守り続ける責任に深く思いを致し、更に日々新たになる日本と世界の中にあって、日本の皇室が、いかに伝統を現代に生かし、いきいきとして社会に内在し、人々の期待に応えていくかを考えつつ、今日に至っています。

 そのような中、何年か前のことになりますが、二度の外科手術を受け、加えて高齢による体力の低下を覚えるようになった頃から、これから先、従来のように重い務めを果たすことが困難になった場合、どのように身を処していくことが、国にとり、国民にとり、また、私のあとを歩む皇族にとり良いことであるかにつき、考えるようになりました。既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。

 私が天皇の位についてから、ほぼ二十八年、この間(かん)私は、我が国における多くの喜びの時、また悲しみの時を、人々と共に過ごして来ました。私はこれまで天皇の務めとして、何よりもまず国民の安寧と幸せを祈ることを大切に考えて来ましたが、同時に事にあたっては、時として人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。天皇が象徴であると共に、国民統合の象徴としての役割を果たすためには、天皇が国民に、天皇という象徴の立場への理解を求めると共に、天皇もまた、自らのありように深く心し、国民に対する理解を深め、常に国民と共にある自覚を自らの内に育てる必要を感じて来ました。こうした意味において、日本の各地、とりわけ遠隔の地や島々への旅も、私は天皇の象徴的行為として、大切なものと感じて来ました。皇太子の時代も含め、これまで私が皇后と共に行(おこな)って来たほぼ全国に及ぶ旅は、国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井(しせい)の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。

 天皇の高齢化に伴う対処の仕方が、国事行為や、その象徴としての行為を限りなく縮小していくことには、無理があろうと思われます。また、天皇が未成年であったり、重病などによりその機能を果たし得なくなった場合には、天皇の行為を代行する摂政を置くことも考えられます。しかし、この場合も、天皇が十分にその立場に求められる務めを果たせぬまま、生涯の終わりに至るまで天皇であり続けることに変わりはありません。

 天皇が健康を損ない、深刻な状態に立ち至った場合、これまでにも見られたように、社会が停滞し、国民の暮らしにも様々な影響が及ぶことが懸念されます。更にこれまでの皇室のしきたりとして、天皇の終焉に当たっては、重い殯(もがり)の行事が連日ほぼ二ヶ月にわたって続き、その後喪儀(そうぎ)に関連する行事が、一年間続きます。その様々な行事と、新時代に関わる諸行事が同時に進行することから、行事に関わる人々、とりわけ残される家族は、非常に厳しい状況下に置かれざるを得ません。こうした事態を避けることは出来ないものだろうかとの思いが、胸に去来することもあります。

 始めにも述べましたように、憲法の下(もと)、天皇は国政に関する権能を有しません。そうした中で、このたび我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ、これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり、相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう、そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく、安定的に続いていくことをひとえに念じ、ここに私の気持ちをお話しいたしました。

 国民の理解を得られることを、切に願っています。

コメントを受け付けていません。