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»Wo du willst«, gab dieser zur Antwort.

「好きなところに寝な、」彼は答えた。

Das war dem Heidi eben recht. Nun fuhr es in alle Winkel hinein und schaute jedes Plätzchen aus, wo am schönsten zu schlafen wäre. In der Ecke vorüber des Großvaters Lagerstätte war eine kleine Leiter aufgerichtet; Heidi kletterte hinauf und langte auf dem Heuboden an. Da lag ein frischer, duftender Heuhaufen oben, und durch eine runde Luke sah man weit ins Tal hinab.

ハイディはその答えどおりに受け取り、自分が寝るのに一番良い場所を部屋中くまなく探した。おじいさんのベッドの先の部屋の隅に一本のハシゴが立っていた。ハイディはそのハシゴを登って干し草置き場を見つけた。そこには新しく香ばしい干し草が積んであり、丸い明かり窓を通してはるか谷を見下ろすことができた。

»Hier will ich schlafen«, rief Heidi hinunter, »hier ist’s schön! Komm und sieh einmal, wie schön es hier ist, Großvater!«

「私はここで寝たいわ!」ハイディは下の階に叫んだ、「ここはとてもすてき!こっちにきてどんなに素晴らしいか見てごらんよ、おじいさん!」

»Weiß schon«, tönte es von unten herauf.

「もう知ってるよ、」下から声が聞こえた。

»Ich mache jetzt das Bett!«, rief das Kind wieder, indem es oben geschäftig hin und her fuhr; »aber du musst heraufkommen und mir ein Leintuch mitbringen, denn auf ein Bett kommt auch ein Leintuch, und darauf liegt man.«

「さっそくベッドを作るわ!」その子はあちこち動き回りまた叫んだ、「でもベッドにはシーツをかぶせないと。おじいさん、私にシーツを持ってきてくれないかしら。」

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Der Alte kehrte sich um und schaute durchdringend auf das Kind, dessen schwarze Augen glühten in Erwartung der Dinge, die da drinnen sein konnten. »Es kann ihm nicht an Verstand fehlen«, sagte er halblaut. »Warum brauchst du’s nicht mehr?«, setzte er laut hinzu.

老人は突き通すような目つきでその子を見つめた。その子の黒い瞳の奥にはものごとに対する興味が輝いていた。「ものの分別がつかぬわけではなさそうだ、」ため息をつきながら彼は言った。「どうしてもうその服が要らないのかね?」彼は大声で付け加えた。

»Ich will am liebsten gehen wie die Geißen, die haben ganz leichte Beinchen.«

「私は山羊のように、身軽に歩き回りたいの。」

»So, das kannst du, aber hol das Zeug«, befahl der Großvater, »es kommt in den Kasten.« Heidi gehorchte. Jetzt machte der Alte die Tür auf und Heidi trat hinter ihm her in einen ziemlich großen Raum ein, es war der Umfang der ganzen Hütte. Da stand ein Tisch und ein Stuhl daran; in einer Ecke war des Großvaters Schlaflager, in einer anderen hing der große Kessel über dem Herd; auf der anderen Seite war eine große Tür in der Wand, die machte der Großvater auf, es war der Schrank. Da hingen seine Kleider drin und auf einem Gestell lagen ein paar Hemden, Strümpfe und Tücher und auf einem anderen einige Teller und Tassen und Gläser und auf dem obersten ein rundes Brot und geräuchertes Fleisch und Käse, denn in dem Kasten war alles enthalten, was der Alm-Öhi besaß und zu seinem Lebensunterhalt gebrauchte. Wie er nun den Schrank aufgemacht hatte, kam das Heidi schnell heran und stieß sein Zeug hinein, so weit hinter des Großvaters Kleider als möglich, damit es nicht so leicht wieder zu finden sei. Nun sah es sich aufmerksam um in dem Raum und sagte dann: »Wo muss ich schlafen, Großvater?«

「そうしたければそうしなさい。だがあれは取っておいで、」おじいさんは命じた、「物置にしまっておこう。」ハイディは従った。それから老人は戸を開け、ハイディは後から、小屋の大部分を占めているやや広い部屋に入った。そこにはテーブルが一つあり、椅子が一つついていた。片隅におじいさんのベッドがあり、もう片隅にはかまどの上に大きな鍋がかけてあった。その向かいの壁には大きな扉がついていて、おじいさんがその扉を開けると中は物置になっていた。彼の服はその中にかけてあり、棚にはシャツやズボンやタオルが詰まれ、また皿やカップやグラス などがしまってあり、棚の一番上にはパンの固まりや、燻製した肉やチーズが置いてあった。そこにアルムおじさんが生きていくすべてのものが納められていた。彼が物置を開くと同時にハイディはすばやくやってきて、自分の服を、すぐに見つけやすいように、おじいさんの服の隣に押し込んだ。それからその子は部屋の中を注意深く見回して言った、「私はどこに寝れば良いの、おじいさん?」


Kasten は箱という意味もあるが引き出しという意味もある。ここでは物置と訳しておいた。

Schrank 戸棚、洋服ダンス。クローゼットと訳すことも可能だろう。ここでは無難に物置と訳しておいた。

Strümpfe ここでは男用のタイツ、あるいはレギンスのようなものだろう。おそらく靴下と一体化したズボン下のようなものではないか。無難にズボンと訳しておいた。

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Beim Großvater

祖父の下で
Nachdem die Dete verschwunden war, hatte der Öhi sich wieder auf die Bank hingesetzt und blies nun große Wolken aus seiner Pfeife; dabei starrte er auf den Boden und sagte kein Wort. Derweilen schaute das Heidi vergnüglich um sich, entdeckte den Geißenstall, der an die Hütte angebaut war, und guckte hinein. Es war nichts drin. Das Kind setzte seine Untersuchungen fort und kam hinter die Hütte zu den alten Tannen. Da blies der Wind durch die Äste so stark, dass es sauste und brauste oben in den Wipfeln. Heidi blieb stehen und hörte zu. Als es ein wenig stiller wurde, ging das Kind um die kommende Ecke der Hütte herum und kam vorn wieder zum Großvater zurück. Als es diesen noch in derselben Stellung erblickte, wie es ihn verlassen hatte, stellte es sich vor ihn hin, legte die Hände auf den Rücken und betrachtete ihn. Der Großvater schaute auf. »Was willst du jetzt tun?«, fragte er, als das Kind immer noch unbeweglich vor ihm stand.

デーテがいなくなったあと、おじさんは再びベンチに座り、パイプから太い煙を吹き出し、地面をみつめたまま、一言もしゃべらなかった。一方ハイディは楽しげに当たりを見回し、小屋に取り付けられた山羊小屋をみつけて中をのぞきこんだ。中には何もいなかった。その子はさらにあたりを調べ続け、小屋の裏手の古いもみの木のところへ来た。枝の間を風が強く吹き抜け、梢は大きな音を立ててうなっていた。ハイディは立ち止まり耳をすました。やや音が静まるとその子は今度は小屋のもう一方の角へ回り、小屋の正面にいるおじいさんのところへ戻ってきた。彼が元通りの所にいるを見て、その子は彼の正面に立ち、手を後ろに組んで、彼を見た。おじいさんは目を上げた。「さて、おまえは何がしたいのかね?」じっと目の前に立っている子に彼は尋ねた。

»Ich will sehen, was du drinnen hast, in der Hütte«, sagte Heidi.

「私はあなたが小屋の中に何を持っているか見てみたいわ、」ハイディは言った。

»So komm!«, und der Großvater stand auf und ging voran in die Hütte hinein.

「じゃあ、おいで!」おじいさんは立ち上がり、小屋の中へ導いた。

»Nimm dort dein Bündel Kleider noch mit«, befahl er im Hereintreten.

「その服の束ももってきなさい、」中へ入るとき彼はそう命じた。

»Das brauch ich nicht mehr«, erklärte Heidi.

「私はもうそれが要らないの、」とハイディは答えた。

ハイディの成立

ハイディの舞台となったマイエンフェルトやラガーツ温泉などの町はヨハンナ・シュピリにとってほとんど土地勘の無いところだったはずだ。ヨハンナは生まれ育った Hirzel(Zurich郊外。『フローニの墓』などに出てくる)と、14才から住んだ Zurich、16才から寄宿舎暮らしをした Yverdon-les-Bains 以外はあまり知らなかったと思う。

Wikipediaなど見るとまっさきに、ヨハンナが子供の頃、何度か夏休みに Chur で過ごし、それがハイディを書くときの素材になったなどと書かれていて、アルムおじさんの故郷が Chur であるとされているからにはヨハンナは実際 Chur にかなり長い間滞在したことがあるのだと思われる。ただ、ヨハンナの父母や祖父母などを調べてみるに、彼らもみな Zurich の周辺に住んでいるので、Chur に親戚がいたというわけではなさそうで、おそらく彼の父は、スイスの医師として、グラウビュンデン州の州都クールへ、ときどき出張する必要があったのではないか。それで父についてヨハンナも Chur を訪れたことがあったのだと思う。

フランクフルトから Chur まで鉄道が開通したのが 1858年で、そのときにマイエンフェルト駅もできた。さらにチューリヒからマイエンフェルトまで鉄道が作られた。こうして1990年代にはラガーツ温泉が開発されて、保養所などができた。そうなって初めてシュピリ一家はラガーツ温泉に保養にくるようになった。ヨハンナの作家活動がすでに軌道に乗ったあとのことだ。彼女の処女作『フローニ』が発表されたのが 1871年、『ハイディ』の発表が1880年、彼女の夫と息子が死んだのが1885年。

ヨハンナがマイエンフェルト周辺の地理に詳しいのは彼女が小説を書くためラガーツ温泉に滞在している間に取材したからに違いなく、その取材相手はラガーツ温泉にいて、彼女の世話係になった、住み込み女中でお針子の女だったはずで、その女というのがデーテに他ならないと思っている。

ヨハンナはおそらく出版社から、ロッテンマイヤーさんがデーテに依頼したように、「地面に足も触れないような清らかなスイス娘」の話を書いてくれ、などと所望されていたと思う。ヨハンナはおそらくそういうニーズに応えて児童向けのおとぎ話のような小説もすでに2、3書いていた。だがヨハンナは、そういうリクエストに応えつつ、彼女自身がリアルなスイス娘だったから、敢えてどろんこまみれになって遊ぶような、あるいは困窮してぎりぎりの生活をしているようなスイス娘も描いてみたかったのだと思う。ヨハンナの根っこにあるのは明らかにそういったリアリズムであって、ファンタジーではない。ファンタジーを期待したのは出版社と読者だと思う。

『ヨハンナ・シュピリ初期作品集』の解説にも書いたが『ハイディ』は同時に『フローニ』の続編として書かれたのだと思う。つまりフローニはハイディの母で、アルムおじさんの妻なのだ。その子がトビアスで、トビアスとアーデルハイトが結婚して産んだ子がハイディ。ハイディを引き取ったアーデルハイトの妹がデーテ。そういう設定にしたのだと思う。なんでそんなややこしいことをしたかといえばやはりヨハンナは『フローニ』に愛着があったためではないか。

対訳ハイディについて

自分の中では『ハイディ』は単なる客寄せだと思っている。これだけ和訳もされ、アニメにもなっている作品を今更私が訳したところでそのこと自体にあまり意味はない。

ただ私としてはもう少しヨハンナ・シュピリの書いたものをきちんと読みたいと思っていて、そのためには訳が豊富な『ハイディ』で練習してから、それ以外のものを訳すほうが、遠回りだけど近道なのかなと思ってもいる。もちろん『ハイディ』そのものもきちんと読んでおかなきゃならない。自分ではこう訳したがほんとうはこう訳したほうがいいんだなとか、あーそういう訳し方があるのかでは似たような構文はそんなふうに訳そうとか、そもそもドイツ語を訳すこと自体それほどまだ私はうまくないから、やることはいくらでもある。

ただ今回『ハイディ』を訳していて思ったのは、他のシュピリの作品を訳すよりずっと面白いし楽しいし、はかどるってことだった。なにしろもうあらすじは知ってるし、もともと興味深い作品だしね。

翻訳にせよ、小説の『ハイディ』を読むほどのファンはよほどコアなマニアで、そういう人がはたしてどのくらい日本にいるのだろうか。それよりもむしろ、第二外国語でドイツ語をとっているような人が、楽しみながらドイツ語を勉強しようというときに、比較的親しみやすい『ハイディ』を読んでみようと思うことはあると思うんだよね。

今和訳されている『ハイディ』はどれも児童文学的に、子供や女性に読んでもらうようにアレンジして訳されていると思うんだよ。もちろんもともとシュピリも子供や女性向けの小説を書いているんだけど、そこからさらに和風に、女性向けにアレンジされていると思う。特に人生の辛さとか悲しみとか、病気や死とか、宗教による救済なんてあたりを、シュピリはほんとうは書きたいのだけど、そういう日本人から見て、あるいは現代人からみて、児童文学にあまりふさわしくない部分は薄めてぼかして訳されていると思うんだよ。そういう忖度した要素を削り落として、むしろ今まで忖度されてきた部分を強調して、極力原文の力強い、メリハリのある、はきはきとしたニュアンスが伝わるようにしたい。

ある意味こうした翻訳を新たに提示するってことは、今までの『ハイディ』ファンに嫌がらせをすることになるんじゃないかと思う。『ハイディ』をアニメで見て良い気分になっている人に冷や水を浴びせるようなことになると思う。それはそれで私に取っては面白いしモチベーションになることではあるのだが。私にとって『ハイディ』の中で一番リアルで面白いのはデーテで、だから『アルプスの少女デーテ』という小説を書いたりもしたのだが、私はシュピリが、情け容赦の無い現実を叩き付けてくるところが好きなんで、そういう側面を、ほんわかとしたハイディを愛好しているファンに叩き付けたい。というかそういう人たちからは嫌われるかもしれんが、ほんとうの、リアルなシュピリを知りたいと思う人もそれなりにいると思うんだよね。

たとえば『嵐が丘』なんかもそうだよね。あれほんとに作品も作者も救いようのない話なんだけど、そういう生々しくグロいあたりからは目をそらして、純粋にヒースクリフとキャサリンの恋物語として読んでる人が多いと思うんだよ。読むこともできなくはないしね。特に映画化されたものはそうだよね。そうやって原作は読者によってどんどん改変されて行き二次創作ができ、読者に取り込まれて行き、読者好みのテイストに仕立てられて、しだいに原作者はないがしろにされていく。私としては作者がなんであんな狂った話を書いたかってことのほうに興味があるね。山田五郎が、ミレーは最初歴史画家になろうとしたんだが農民画家として人気が出たので農民の絵ばかり描かされたって話をしてたけどある意味シュピリもそれに近いと思う。そんなこと言ったら藤原定家だって本居宣長だって富野由悠季だってみんな同じようなもんだ。

こういう作業には WordPress より MediaWiki のほうが向いていると思うが、私としてはこのブログを読んでもらうことも『ハイディ』を公開する目的の一つなんで、けっこうめんどくさいが wordpress でやる。で、ついでに他の記事も読んでもらいたいし、小説も読んでもらいたい。そう究極の目的はこのブログから kindle等の小説に誘導することにある。