亦不知其所終 田中久三 aka 田中紀峰のサイト。

Archive for 3月, 2014

ひとつの仮説

03.29.2014 · Posted in , 詠歌

飲む前は飲まじと思ふ 飲めばとくやめんと思ふ されどすべなし

特に最近の傾向だが、 酒を飲まずにいると血圧が 99-65 とかになる。 普通に低いのではなく、 アンカロンやアーチストなどの薬によって心臓を強制的に休ませているせいではないか。

だが、酒を飲んだ翌朝は 139-95 とかになる。 約40跳ね上がる。 この効果は約2日続いてまた血圧は下がる。

血圧と血中アルコール濃度に明らかな相関がある。 人間の体はみんなそういうもんかというとそういうわけではなく、 アルコールを飲むといったん血圧は下がるものである。 そこからやや上昇するということはあってもここまで極端ではない。

それから、酒をしばらく飲まずにいると、 何もしないのに体重は減少もしくは維持する傾向がある。

それでまあ一つの仮説なのだが、 薬を飲んで血圧が 99 くらいになっていて酒を飲んでさらに血圧が 80 とか 70 に下がろうとすると、 私の体はこりゃ大変だということで一生懸命無理に血圧を上げようとする。 同時にLDLコレステロールを大量合成して血中コレステロール値を上げてしまう。 コレステロールを合成しすぎるのは体に良くないがこの際血圧を維持するためには仕方ない。

さらに、ものを食べずに酒を飲むとさらに血圧が下がるというので、 体は余計にカロリー消費を抑制して、余計に痩せなくなる。

つまり、薬と酒の作用で私の体は飢餓状態・病気の状態と勘違いして、 いくら痩せよう、コレステロール値を下げようと思い、食事制限をしたり歩いたりしても、そうはならないのである。 だから体全体は痩せてきても最後まで腹の脂肪が落ちないのだ。 次の血液検査まで酒を抜いてみよう。 今までは検査の前日だけ酒をやめていた。それではだめなんだろう。 それでコレステロール値が下がっていれば、 まずその仮説で間違いないのではなかろうか。

寝る前に毎日ちびちび養命酒を飲む、という飲み方は案外間違いではないかもしれないが、 そもそもそんな飲み方は私にはできない。

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異同歌

03.29.2014 · Posted in 和歌

我が背子に またも逢はむと 思へばか 今朝の別れの かなしかりつる

我が背子に または逢はじと 思へばか 今朝の別れの すべなかりつる

明らかに同じ歌であるが、微妙にニュアンスが違う。 こういう歌が、調べ出すとかなりたくさんある。 最初のがおそらくはオリジナルだが、 二番目のほうが明らかにできがよい、と思う。

春立たば 咲かむと思ひし 梅の花 めづらしみにや 人の折るらむ

春立たば 咲かむと思ひし 梅の花 めづらしげにや 人の折るらむ

春立たば 咲かばと思ひし 梅の花 めづらしみにや 人の折るらむ

いずれも貫之の歌。 真ん中が現代人には一番わかり良いが、 三番目のが一番オリジナルに近いか。

こういうのは改変かもしれないしそうでははないかもしれん。 特に古い、詠み人しらずの歌などはそもそも異同歌があって当然だろう。 貫之のも詠草がそのまま残ったのかもしれんし。 後で変えたのかもしれんし。 或いは単なる転記ミスかもしれん。

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赤染衛門

03.28.2014 · Posted in 和歌

赤染衛門集を一通り読んだ。 実に不思議な歌を詠む人だ。 普通、歌とは、花鳥風月や春夏秋冬、恋や別れなどの、浮き世離れしたことを詠むものである。 ある意味やんごとなき、高尚なものであるという認識がある。 西行も「花鳥風月に感じて三十一文字をなす」というような言い方をしている。 紀貫之が屏風歌職人であったように、 古今集の時代から歌は「文芸」であると考えられていた。 当たり前のようだが、当たり前ではない。 万葉時代には歌は芸能、芸事というよりは、娯楽とか、余興に近かったはずだ。 今で言えば歌謡曲に近い。 江戸時代の都々逸には近いだろう。狂歌と言ってしまうとまた違う。 ある意味漫才や落語にも近かったと思う。

彼女の時代、歌と話し言葉にはほとんど違いが無い。

赤染衛門が「発掘」されたのは後拾遺集であるが、 彼女の時代はそれより少し前の、藤原道長や紫式部の時代である。 この時代までは、こういう素朴で野卑な歌を詠む人はざらにいたのだろう。 しかし身分が低すぎて、自分で歌集を遺したりしない。 そういう歌をわざわざ蒐集する人もいない。 だけど、赤染衛門は大江匡衡の妻だったから歌を記録してもらえた。 さらに後拾遺集の選者は変わり者だったから、 和泉式部や相模などの、 普通の勅撰集の選者ならば選ばないような歌を選んだ。 或いは白河天皇がそういう趣味の人だったかもしれない。 祇園女御と出会う前からそういう人だったのかもしれない。 いくつかの偶然が重なって赤染衛門の歌は奇跡的に後世に残った。

やまとごころにも書いたが、 後拾遺集

乳母せんとて、まうで来たりける女の、乳の細く侍りければ、詠み侍りける
大江匡衡

はかなくも 思ひけるかな ちもなくて 博士の家の 乳母せむとは

かへし
赤染衛門

さもあらばあれ 大和心し かしこくば ほそぢにつけて あらすばかりぞ

有名な話である。 匡衡は学者である。 博士である。 一方赤染衛門はおそらく浪速の肝っ玉おばちゃんみたいな、地頭(じあたま、ね)はすごいが、 教養はもともとない人だっただろう。 だから上のようなやりとりが生まれた。 漫才のようなものだ。 現代人がそのニュアンスを感じとることは絶望的に不可能だろう。 つまり、当時の雅語は現代人でもある程度理解できる。 しかし当時の自然な話しぶり語り口で赤染衛門のような歌を詠むのは、現代人にとっては自然どころではない。 超絶技巧である。 後世、歌語が口語から遊離してしまうと、歌語は人々にもはや教養としてしか理解できなくなってしまう。 教養であるから技巧によって、理屈によって歌を詠むことになる。 理屈抜きで自然に歌を詠むなんてことはできない。 それは技巧ではない。 超技巧である。 理屈が理屈でなくなるまで技巧をこらし技巧を極めて初めて到達できる、天衣無縫の境地。

「やまとごころ」という言葉が大鏡や源氏物語に出てくるように、 そして赤染衛門以外の人がほとんど歌に使ってないように、 「やまとごころ」は雅語ではない。 たぶん庶民が使う話し言葉だった。 学問をして身に付ける漢才とか、花鳥風月をもてあそぶ雅びな教養とは違う。 それこそ「浪速の肝っ玉」それが「やまとごころ」だったはずだ。

江戸後期になると小沢蘆庵が「ただごと歌」というのを始める。 良寛もそれに近い歌を詠む。 小沢蘆庵に影響を受けた香川景樹も、地下らしい素朴だが力強い歌を詠む。 庶民が歌を詠み始めた証拠であろう。 庶民の歌が復活するまでに、赤染衛門から七百年もかかったのだ。

赤染衛門が珍しいのではない。 現代人にはそう見えるだけなのだ。 彼女の時代には彼女のような庶民の歌の方が圧倒的に多かった。 しかし後世に遺されたのは一部の貴族が詠んだ歌だったのだ。

踏めば惜し 踏まではゆかむ 方もなし 心づくしの 山桜かな

千載集に載った、ぎょっとするほど美しい歌だが、 勅撰集には何千という赤染衛門の歌の中でもこういう特に歌らしい歌しか採られていない。 つまり、浪速のおばちゃんがごくまれにがらにもなく上品な言葉をぽろっと言ったりする。 それをわざわざ拾い上げて勅撰集に入れた。 俊成はもちろんわかった上でそうした。 しかし俊成より後の人はもうわからない。 在野の、庶民的な歌人はまもなく絶滅してしまうからだ (俊成や西行は赤染衛門にかなり近いタイプの歌人だったと思う。 感覚的直感的に歌を詠む人、ただし洗練された教養を身に付けているが)。 赤染衛門というのは、とても雅びな女流歌人のように思ってしまう。 たぶんそれは赤染衛門の実態ではない。

やすらはで 寝なましものを さ夜更けて かたぶくまでの 月を見しかな

後拾遺集に採られ、百人一首にも採られたこの有名な歌。 風流きわまりない。 しかしそれは赤染衛門の実像ではない。 なんという大誤解! 真淵は「やまとごころ」という言葉を国学的に読みかえた。 近世や現代の人はこれほど古代や中世のことがわからんのだ。

恋の歌をみると良くわかるとおもうのだが、 彼女の場合剽軽な詠み口に味があるので、 よくよくみると深みがない。 ひねりがない、とも言える。

この世より 後の世までと 契りつる 契りは先の 世にもしてけり

この歌など、ただの頓知だ。 ぞんざいに言い放っている。 歌という感じがあまりしない。 と、考えると他の、百人一首の歌なども同じような調子に思えてしまうのだ。 和泉式部の

あかざりし 君を忘れむ ものなれや ありなれ川の 石は尽くとも

あるいは実朝の

かもめゐる 荒磯の州崎 潮満ちて 隠ろひゆけば まさる我が恋

のような気の利いた比喩や暗喩表現は、赤染衛門には見られない。 情景描写も見事だが、ただ見たままをうまく歌ったとも言える。 和泉式部もあんまりもって回った表現はしないが、 赤染衛門に比べれば多少の技巧はある。

都にて あひ見ざりしを つらしとは とほき別れの 後ぞ知りける

忘れじと かたみに言ひし 言の葉を たがそら言に なして良からむ

つらしとも 思はぬ人や 忘るらむ 忘れぬ我は なほつらきかな

忘れなば 我も忘るる わざもがな 我が心さへ つらくもあるかな

起きて伏し 伏しては起きぞ 明かしつる あはれやすぐや 人は寝つらむ

飛鳥川 淵こそ瀬には なると聞け こひさへふなに なりにけるかな

飛鳥川は淵が瀬になるほど流れが激しくて変わりやすいが、ならば鯉(恋)も鮒になるだろうと。 単なるだじゃれである。

我が歎く 心のうちを 記しても 見すべき人の なきぞかなしき

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昔のつぶやき

03.26.2014 · Posted in 雑感

2009年頃のつぶやきなんだが、 今更検索しても出てこないのでここに再掲する。 我ながらすっかり忘れている。

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“6787260383”,””,””,”2009-12-18 00:00:00 +0000″,”web”,”松本伊代って長野県なんだか愛媛県なんだかよくわからない名前だな。”,””,””,””,””

“6758550374”,””,””,”2009-12-17 00:00:00 +0000″,”web”,”忘年会会議会議会議忘年会忘年会・・・。”,””,””,””,””

“6759099138”,””,””,”2009-12-17 00:00:00 +0000″,”web”,”「針の穴にロープを通すくらい難しいことかもしれない」って、たとえ話として破綻してるだろ。”,””,””,””,””

“6759116329”,””,””,”2009-12-17 00:00:00 +0000″,”web”,”「ドライアイスで茶をわかすくらい難しいかもしれない。しかし私はあきらめてない。」とか。”,””,””,””,””

“6759123963”,””,””,”2009-12-17 00:00:00 +0000″,”web”,”羮に懲りて液体窒素を吹く、とか。”,””,””,””,””

“6759498575”,””,””,”2009-12-17 00:00:00 +0000″,”web”,”「ゴルフのホールにバスケットボールを入れるくらい難しいかもしない。しかし私はあきらめない。」とかかな。”,””,””,””,””

“6623281145”,””,””,”2009-12-13 00:00:00 +0000″,”web”,”天候不順。洗濯不便。”,””,””,””,””

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“6195547687”,””,””,”2009-11-30 00:00:00 +0000″,”web”,”ウィキペディアに「ソーシャルメディア」ってページ作ったので皆さん編集ヨロシコ。”,””,””,””,””

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“5811648712”,””,””,”2009-11-18 00:00:00 +0000″,”web”,”秋雨や今日もしわしわ濡れ新聞”,””,””,””,””

“5411618271”,””,””,”2009-11-04 00:00:00 +0000″,”web”,”蕎麦食べたら七味の種が固かった。また詰め物が取れたかと恐怖した。”,””,””,””,””

“5282220021”,””,””,”2009-10-30 00:00:00 +0000″,”web”,”太る~太る~俺~た~ち~、ていうか秋は太るよ!”,””,””,””,””

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“5219282262”,””,””,”2009-10-28 00:00:00 +0000″,”web”,”締め上げる、の方が良いか。”,””,””,””,””

“5219506293”,””,””,”2009-10-28 00:00:00 +0000″,”web”,”朝飯は季節外れの麦茶漬け”,””,””,””,””

“5201482439”,””,””,”2009-10-27 00:00:00 +0000″,”web”,”茶を飲めば腹で膨れるサツマイモ”,””,””,””,””

“5201536997”,””,””,”2009-10-27 00:00:00 +0000″,”web”,”ついったーって俳句か川柳か和歌に向いてるんじゃない。”,””,””,””,””

“5201544596”,””,””,”2009-10-27 00:00:00 +0000″,”web”,”初めてフォローされた。”,””,””,””,””

“5211796547”,””,””,”2009-10-27 00:00:00 +0000″,”web”,”寒い朝起きれば仕事が待っている”,””,””,””,””

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勅撰集編纂

03.26.2014 · Posted in 和歌

再び民葉和歌集編纂にはまり始めたのだが、 一応これは、新続古今和歌集で途絶えた21代にわたる勅撰集を孝明天皇が復興して、 つまり22代目の勅撰集を作るという設定で私個人が歌を集めているわけ。 仮名序によれば万延元年十二月三日(西暦1861年1月13日)奏覧という設定で、 なんで万延元年かと言えば、良く覚えてないが、 安政の大獄があって桜田門外の変があった直後ということで、 たぶん水戸浪士の歌まで入れちゃおうという気分だったと思う。 ただし私が詠んだ歌は万延元年より当然後で、 選者である田中久三がその時代に生きているはずはないんだが(笑)、 そこはフィクションとして許してもらう。 むろん江戸時代に詠んだとしておかしくない歌だけを入れている。 なぜ孝明天皇にしたかというと、たまたま孝明天皇の御製集を読んでいた時期だったからとしか言いようがない。 最初は明治天皇が勅撰集を編纂したらという企画だったが、時代が新しすぎる。 だって石川啄木とか若山牧水とか与謝野晶子まで入ってきてもうわけわかんなくなる。 孝明天皇は万延の後、文久、元治、慶応と存命だったから、も少し後にずらすこともできた。 しかし、万延元年より下るともう完全な幕末維新となって、 有象無象な武士の歌が沸いてくる。 それも私には何か気持ち悪い気がする。

まあそれは今となってはどうでもよくて、 1438年から1861年までの和歌ならどれを入れてもよい。 1438年以前の歌でも、21代集に採られてない歌ならどれを採ってもよい。

近世の歌、後水尾天皇以後の歌で十分数がそろうかと思ったらそうとも言えない。 もっとちゃんと探せば良いんだろうが、良い歌人の良い歌だけ選ぼうと思うとなかなか無い。

それで応仁の乱より前の良い歌というのはたいてい勅撰集に採られてしまっている。 新葉集にも良い歌がたくさんあるが、これも南朝の勅撰集であるからには、ここから採るわけにはいかぬ。 万葉集や新選万葉集などが勅撰集ではない根拠は何もないのだが、 一応、古今集以来の(実際には後拾遺集から確立したと考えられる)やり方で歌を選んでみる。 つまり万葉集の歌はすでに勅撰集に採られていないかぎり自由に採ってよい。

それで和歌データベース で検索かけながら、 勅撰集にもれた古い歌を探しているのだが、 これが割とあるのである。

俊成、定家はめちゃくちゃたくさん歌を詠んだので取り切れてないよい歌がまだだいぶある。 多作の人ほどまだまだ採れる。 後鳥羽院とか順徳院もまだ余裕あると思う。 和泉式部も多作だ。

亀山院もたくさん歌詠んでるんだが、割と良い。 亀山院の秀歌はほとんど勅撰集にはもれているように思われる。

宗良親王も新葉集に入りきらないほどたくさん歌を詠んでいて、 梨花集というのに入っているのだが、今回きちんと読んでみるとなかなか良い歌が多い。

良い歌だなと思いデータベースで検索かけるとすでに勅撰集に採られていた、 なんてことはよくある。 惜しいなと思うと同時に、自分の目利きもまんざら間違ってないと思えるのだ。 たとえば、

年を経て 燃ゆてふ富士の 山よりも あはぬ思ひは 我ぞまされる

これは寛平御時后宮歌合のよみ人知らずの歌で、新選万葉集には

年を経て 燃ゆなる富士の 山よりは 飽かぬ思ひは 我ぞまされる

と出る。 寛平御時后宮歌合の歌で古今集に採られてない歌はたいてい後世忘れ去られている。 しかしなんと詞花集に採られているのである。

藤原俊頼もものすごくたくさん詠んでいるんで、 たいてい漏れているのだが、

秋来れば 宿に泊まるを 旅寝にて 野辺こそつねの すみかなりけれ

これは千載集に採られている。 やられた。

大江千里

うぐひすの 鳴きつる声に 誘はれて 花のもとにぞ 我は来にける

これは後撰集。

照りもせず 曇りも果てぬ 春の夜の おぼろ月夜に しくものぞなき

これは新古今。

暑からず 寒くもあらず 良きほどに 吹きける風は やまずもあらなむ

これ、大江千里なのか山辺赤人の歌なのかどっちかわからん。

神さびて ふりにし里に 住む人は 都ににほふ 花をだに見ず

これ、後撰集には「宮づかへしける女の、いその神といふ所にすみて、京のともだちのもとにつかはしける」と詞書きがあって、詠み人知らず、 新勅撰集には赤人(あの藤原定家が重複して歌を採るなんて!)、 また大江千里の歌集にも見える。

あと絶えて しづけき宿に 咲く花の 散り果つるまで 見る人ぞなき

これは新千載集。 惜しい!

勅撰集にもれた歌をこれは良いこれは悪いと選別する作業は、 たぶんかなり難易度が高いタスクだと思う。 普通の人は百人一首や勅撰集の歌だけ見て、貫之が選んだから、 定家が選んだから、 勅撰集に採られているんだから良い歌だと考えるだろう。 そこには当然判断停止がある。 自分で歌を詠んでみて、さらに自分で勅撰集を選んでみて、 初めて見えてくるものがある。 そうして初めてものすごく、真剣に和歌と向き合える。 昔の選者たちの気持ちがわかる気がしてくるのである。 自分の目利きが正しいかどうかなんてことはわからん。 そもそも「正しい」とか「正しくない」なんてことは一意には決まらない。

何度も書いていることだが、 なぜ後水尾院は(類題集ではない)勅撰集を復活させなかったか。 なぜ明治天皇は勅撰集を復活させなかったのか。 いまだに不思議に思っている。

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とりよろふ

03.25.2014 · Posted in 詠歌

「とりよろふ」は万葉集に「大和には群山あれどとりよろふ天の香具山」という形でしかでてこない。 岩波古語辞典はあっさり「不詳。気持ちや生活のよりどころとする意か」とある。 「とりより」から派生したのは明らかであり、こちらは用例が多い。 原義は「手づるをつかんで近くに添うこと」、らしい。 「うつり」に反復・継続の接尾語「ひ」がついて「うつろひ」となるように、 「とりより」に「ひ」がついて「とりよろひ」。

そうしてみると、大和にはいろんな山があるが、 それらの山々がとりよろふ天の香具山、 つまり、大和の山々の中でも、中心的な位置、存在、代表であるところの天の香具山、 となるだろうか。天の香具山自体は、高くもなく、平凡な山であるが、その名の通りに何か特別な意味を持つ山である、 ということだろう。

忘れ草 忘れな草と とりよろふ 野の八千草に まどひぬるかな

はて、これは誰の歌であったか。 あれ? わからんぞ。 あ、わかった。やはり自分で詠んだのだ。

とりよろふ 天の香具山 よろづよに 見るとも飽かめや 天の香具山

宣長の歌だが、単なる枕詞のように使ってあるな。

日の本や こまもろこしと とりよろふ よろづの酒を 飲みてしやまむ

これは私の歌なのだが。 こんな使い方していいのだろうか。

うーん。不適切な気がしてきた。

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秋成

03.24.2014 · Posted in 読書

秋成の擬古文は、宣長のような堅苦しさもなく、なめらかですばらしい。

みかどに立てば、世をまつりごち、庵のどかに住みなしては、あまねく病に験ある薬を舐めわきて、 惻隠とかの心をいたせしとや。

「まつりごち」は「まつりごと」を活用させた語だが、源氏物語に出る。 「あまねく病にしるしある薬」とは酒のことであるらしい。 なんかしびれるな、こういうのを美文というのだろう。 やはり秋成はちゃんと読まねばならぬ。 馬琴とか春水とか京伝とかは差し置いてまず読まねばならぬ。 秋成は文法とか仮名遣いなどがやや乱調なのだが、そこもまた彼の味か。 秋成と宣長の長所を合わせれば完璧な擬古文ができあがるだろう。 源氏物語の文体を現代にそのまま復活させることはできない。 秋成や宣長の文体は近世なので、なんとか現代風にアレンジすれば、今でも使い物になるんじゃないか。 そのうちこのブログでも実践してみるか(笑)

それはそうと、 しばらく酒を飲まずにいると低血圧になるようだ。 血圧計で測ってみてもそうだし、 朝寝起きが悪くなるし、 立ちくらみもする。 おそらくついでにコレステロール値も下がるのではないか。 毎日何キロも歩いてみたり、断食まがいのことをしてみても、あまり効果がなく、 結局酒をやめれば体調が良くなるということか。

血圧高い方が寝覚めも良いし活発に動けるが早死にする。 低血圧なくらいな方が長生きする。

まあこれまで人の何倍も酒を飲んできたから、 そろそろ週に一度たしなむ程度にするのもよかろうか。 このへんで酒池肉林 とか言ってるのを見るとうらやましくもあるが。

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連歌はつまらない、連歌が和歌をつまらなくした元凶ではないか。

03.23.2014 · Posted in 和歌

知らぬことにわざわざ首を突っ込むのは危険なのだが、 なんとなく、 和歌をつまらなくしたのは連歌ではないか、と思い始めた。

秋成とか宣長とか真淵とか景樹とか蘆庵というのは、 やはり他の歌人たちとは何かが違う。 特に誰か一人と言えば秋成が良い。次に景樹か蘆庵だが、宣長の歌が私は好きだ。 契沖もやや面白い。 宣長と契沖は二人ともつまらぬ歌を大量に詠んだ人ということになっているが、 彼らよりつまらぬ歌人ならいくらでもいる。 秋成らは、自分も一生懸命良い歌を詠めば必然的に後世評価してもらえるのではないか、 名が残るのではないかと思えるくらい、 同時代の他の歌人と比べると、歴然と違う。

吉田兼好はかなりつまらない。 面白いエッセイを書くくせに見るべき歌はほとんどない。 ま、ある意味清少納言や紫式部もそうだが。 頓阿がまたつまらない。 一生懸命に彼の良い歌を探しているつもりがいっこう見つからない。 正徹と肖柏はわりと面白いが、 宗祇はかなり面白くなく、 藤原惺窩もつまらない。なんだこの人とか思う。

だが、細川幽斎や木下長嘯子や松永貞徳は割と面白い。 後水尾天皇は面白いが霊元天皇はつまらない。 霊元院は小説に書いたからなんか良い歌はなかろうかと探してみたがいっこうに見つからない。

田安宗武は良いのもあるが悪いやつの方が多い。こういう人は一番信用できない。 つまり、吉宗の息子だからというのもあるが、代詠が疑われる。

正岡子規が実朝(が詠んだとされる)歌

もののふの やなみつくろふ 籠手の上に あられたばしる 那須の篠原

を誉めているのだが、 確かにこの歌はよい。 最初から最後までイメージがびしっと決まっている。起承転結がある。 或いは枠構造がある。 初句から始まり、結句まで気が抜けず、うまくひねって落としてあるのが良い歌。 そして再び口ずさんでみて、イメージがますます膨らんでいくのが良い歌。 良い歌はただの言葉ではない。映像であり音楽でもある。 一瞬、ただの31音の言葉に過ぎないことを忘れさせてくれる。

連歌にはおそらくそれがない。 なんとなく雰囲気がそれっぽければ良く、イメージが濁っている。 雰囲気だけで中身がないのだ。 連歌はたぶん誰にでも詠める。 そうとう下手に詠んでも、続ける人がリカバーしてくれるのかもしれない。 ただリカバーしたとしてももともと一本筋が通ってないからよほどのことが無い限り面白くはならない。 水増しして大量生産した感じ。

和歌も連歌みたいで良いじゃんということになると、 和歌までもつまらなくなってしまう。 一般人は違いがわからないから余計にそれで良いんだと思ってしまう。

現代人もそうだと思う。 なんとなく百人一首ぽければいい、なんとなく俵万智みたいならいい、 そこに際限なく演歌やJPOPのフレーズが混ざってきても気にならない。 だからまともな和歌が詠めないのだ。

連歌から発句が生まれ俳句になった。 俳句のひどいのも多い。 俳句のつもりで和歌を詠むとなおひどい。 俳句は、以前にも書いたかも知れないが、あれは造園や生け花と同じで、 言葉を三つ配置しただけのものだ。 「天地人」とか「主副客」というアレである。 和歌はもっと複雑なことが表現できる。

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真白嶺と芝山

03.22.2014 · Posted in 詠歌

最近また和歌を詠もうと思いリハビリしてる。

しもふさと むさしを分くる すみだ川 かへり見すれば 富士の真しらね

しもふさと むさしを分くる すみだ川 かへり見すれば 富士の芝山

のどちらがよいか悩んでいる。 「真しらね」は「真白嶺」だが、どうも不思議と用例が少ない。 秋成の歌に

箱根路の 雪踏み分けて 真しらねの ふじの高嶺を 空にみるかな

というのがあるが「富士の真白嶺」とやった人はまだいないらしい。 かたや、「富士の芝山」というのは万葉集に出て、便利とみえて、その後もいろんな人が使っている。 加藤千蔭

あづま路に まづくる春の 日の影を 雪に待ちとる 富士の芝山

うらうらと 富士の芝山 霞む日に 田子の浦舟 ゆたに漕ぐみゆ

明治天皇の歌にも

あづまにと いそぐ船路の 波の上に うれしく見ゆる ふじの芝山

とあり、昭憲皇太后の歌にもあったはず。 どっちがいいかね。

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新撰萬葉集

03.21.2014 · Posted in 和歌

最近書かれた記事らしい。これはすごい。 新撰萬葉集新撰萬葉集 下

歌は、是貞親王家歌合と寛平御時后宮歌合を合わせたようなもので、 それに、大して良いできとは思えない七言絶句がついている。

そりゃそうと 和歌データベース が落ちてるっぽいんだが、 なんとかしてくれ。

なんだ、 メンテナンス中 なのか。 びびったわ。 違う、こっちだ。 2014年3月19日 保守作業に伴うDB停止のお知らせ

寛平御時后宮歌合

秋風は たが手向けとか もみぢ葉を 幣に切りつつ 吹き散らすらむ

道真の歌に似てるな。 というか明らかに道真はこの歌を参考にしているわな。

このたびは 幣も取りあへず 手向山 もみぢの錦 神のまにまに

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