多重意識

vivantの主人公乃木は多重人格、という設定。シャイニングに出てくる子供ダニーにトニーというイマジナリーフレンドがいるが、乃木の場合はそのイマジナリーフレンドが大人になったあとも残っているというような設定か。ジキルとハイドもそうだし、ある特殊能力、特に超能力をもったキャラクターが多重人格だという設定はそんな珍しくもないかも。

右脳と左脳をつなぐ脳梁に障害があると右脳と左脳に別々の意識ができるという話もある。いやそもそも脳の中には常に複数の意識が生まれては消え、あるいは統合されているという考え方もある。複数の無意識が同時に存在していて、言語や理性を司る意識がそれらをなんとか一つにまとめているともいうが、実際にはそうした複数の意識を特定の意識がスーパーバイズしている、かどうかは疑わしい。

酒を飲み過ぎたときとか寝ていて夢を見ているときにも、別の人格、別の意識が働いているようにも思える。酒の場合は明らかに脳の機能が低下していて、普段働いている意識統合の機能が低下し、さまざまな煩悩が勝手に動いているように思えるし、寝ているときは外界からの刺激や情報がまったく入らない状態になっているので意識が暴走しているようにも思える。

おそらくそれぞれの意識は条件反射的なもので、非常に速く動いていて、それら複数の意識を統合するのはもっと遅い。人間もまた緊急避難的に素早く行動しなくてはならないことがあるから、それぞれの意識が瞬間的に状況に対処していて、でも普通の人間が正気を保っているのは後からそれらの行動に一貫性を持たせるような、なんらかの統合的な機能ももっているのであろうと思う。

平淡美

藤原為家は「平淡美」を理想としたとか「平淡美」を主張したとか、「平淡美」の理念を説き、などといろんなところに書いてあって、その根拠となるのが彼が書いた歌論書『詠歌一体(八雲口伝)』であるというのだが、この『八雲口伝』を読んでもどこにも「平淡」が良いなどとは書いてないように思える。たとえば『日本歌学大系 第三卷』の解題、これはおそらく編者の佐佐木信綱が書いたのだと思うが、

平淡美を理想とした彼の態度もよくあらはれて

とあるのだが、これは佐佐木信綱がそう思ったというだけではなかろうか。そして佐佐木信綱がそう書いたことを孫引きしてみんなが為家は平淡美なんだと思い込んでしまったのではなかろうか。

『八雲口伝』だが、まず「題をよくよく心得解くべきこと」とあり、題詠するときには与えられた題をおろそかにしてはならんというようなことが書いてある。次に「歌もおりによりて詠むべきさまあるべきこと」として、百首の歌を詠むときには中には地歌(平凡な歌)が混じっても良いが、二十首、三十首を詠むときには(ちゃんと精選して)良い歌だけを詠むべきだ、歌合では晴れの歌だを詠め、などと書いてある。

三つ目は「歌の姿の事」。「詞なだらかに言ひくだし、きよげなるは姿の良きなり。」同じ風情でも悪く続けては台無しになる。同じ詞でも「聞き良く言ひ続けなす」のが上手、聞きにくい詞は三十一文字をけがす。

春立つと 言ふばかりにや みよしのの 山もかすみて 今朝は見ゆらむ

ほのぼのと 明石の浦の 朝霧に 島隠れ行く 船をしぞ思ふ

すべて優れたる歌は面白き所無き由(と『九品十体』で)申すめり。

『九品十体』は何のことかよくわからないが、藤原清輔あたりだろうか。ここで優れた歌と言っているのは上品な歌、下品ではない歌という意味だ。「春立つと」は壬生忠岑の歌。「ほのぼのと」は『古今』詠み人知らずの歌。為家は下品な歌の例として

世の中の 憂きたびごとに 身を投げば 深き谷こそ あさくなりなめ

を挙げている。この例の対比から彼が何を上品、何を下品と言っているかはわかるだろう。下品とは要するに狂歌のような歌、俳諧歌、戯れ歌という意味だ。面白くても戯れ歌ではダメだよと言っているだけのことだ。ちなみに中品の歌として

春来ぬと 人は言へども うぐひすの 鳴かぬかぎりは あらじとぞ思ふ

を挙げている。為家が上品として挙げた例は確かに平淡な歌と言って良いのだけれど、思うに佐佐木信綱は為家を平淡で単調でつまらない歌を新古今以降に流行らせた張本人だと決めつけているだけのように見えるのだ。まして私には彼が平淡を理想としていた、とはとても思えない。それは彼が詠んだ歌を見ればわかることだ。そして、佐佐木信綱だけでなくありとあらゆる人が「平淡美」「平淡美」と口をそろえて為家を評するのは滑稽というしかない。為家の歌論に「平淡」を言及した箇所が無いとはいわないが、彼は必ずしもそこばかりを強調したわけではない。もっといろんなことを言っている。

(み)(しほ)(なが)(ひ)(ま)も なかりけり (うら)(みなと)五月雨(さみだれ)(ころ)

早苗(さなへ)(と)(しづ)小山田 (をやまだ)(ふもと)まで (くも)(お)(た)五月雨(さみだれ)(ころ)

為家は非常に用心深く技巧を凝らした跡を残さぬようにしている。それゆえ一見平淡にも見える。しかしそこにあるのは絵画のような美麗な世界であり、動きがあって、匂いや温度や風の流れさえも感じられて、自然描写ですら、宮殿に飾られた風景画のようにゴージャスで、絢爛で、妖艶と言っても良いくらいだ。定家が選んだ『新勅撰集』が平淡だったからそれにならって為家も平淡なのだという主張もまったく見当違いだと思う。

平淡美というのはたしかに、三条西実隆あたりにはふさわしい形容かもしれないが、為家は違うだろう。もっとほかにいろんな評価のされ方があると思う。後世の二条派の悪いところを全部為家のせいにしている、為家は濡れ衣を着せられている、そんなふうに思える。

ノイズ

sony の blu-ray プレイヤーから hdmi で eizo のモニターに接続、アナログ音声を出力して yamaha ag03 mk2 に入れるとノイズが入る。

おそらく PC用モニターとオーディオインターフェイスの相性が悪いんだろうけど、どうにかしてくれんかねー。

サイトマップとインデックス登録リクエスト

十郎の日本全国ソウルフードの旅というサイトをサルベージしてあげてそこのアクセスが増えるようにといろいろ努力してきた(クロール済みインデックス未登録sitemap.xmlSEOブログ村、アジトで不要不急の仕事等参照)。

まず、どういうわけかまずサイトマップが作られていなかった。wordpress のバージョンアップや仕様変更やSEOプラグインなどの競合のために、本来wordpressはサイトマップを勝手に作るものらしいと思っていたのだが、なにかの具合で作られていなかった。サイトマップを明示的に作る方法はいろいろあるんだが結局なんちゃらAll in One SEOとかいう定番のプラグインを入れたら作られるようになった。このうち post-sitemap.xml というやつだけを google search console というところへ教えてやるようにした。wordpress って投稿したページ以外にもカテゴリーとかrssとかいろんなページをごちゃごちゃ作るのだけど、検索に引っかかってほしいのはまず投稿ページであって投稿ページをインデックスに登録してくれてないのにrssやカテゴリーばかりインデクスされても困るわけじゃないですか。

で、サイトマップを提出しても投稿ページのすべてをインデクスしてくれるわけじゃない。どういう気まぐれかは知らないが、クロールしてもインデクス登録してくれないページというのがあって、その一覧が出るので、ちまちまインデクス登録リクエストする。だいたい1日あたり10ページまではリクエストできて、リクエストするとだいたいインデクスに載るらしいってことがわかったのでひたすらちまちまちまちまリクエストしていった。

ところが、そもそもクロールすらしてくれてないページというものがあるらしくて、サイトマップ提出したにも関わらずクロールすらしてくれないってこともあるらしいってことがわかった。

最終手段としては、search console の URL検査ってところにインデクス登録リクエストしたいページのURLを一つずつ入力していくしかないってことがわかったので毎日10ページずつ、まだインデクスされてないページを入力している。

そうするとなんとなくだがブログ村のランキングにも反映されてきたように思える。

私はこの「はかもなきこと」というサイトも含めて自分のサイトではSEOなんてことは一度もやったことがなかったんだが、だんだんとSEOの片鱗というものが見えてきた気がする。こうした SEO対策ネタというものは、知っている人は知ってるが知らない人は知らないだろうし、人に教えるのもめんどくさいし、みんなどうやって勉強するんだろうね。

ともかくもgoogleにインデクスされてないページはこの世に存在しないのも同じなので気を付けねばならんね。

家康の和歌

井上宗雄『中世歌壇史の研究 室町後期』、明治書院改訂新版とあるがところどころに誤字など残る。あるいは改訂後の加筆か。近衛信尹の「姉前子」とあるが、これは妹でなくてはならない。前子は信尹より10才年下のはずだ。

「近衛殿、様狂気に御成候、竜山様、御子様の事也」「宮中、異形にて御注進也」「以外之儀間、九州薩摩へ御下被成」

などと書かれていて笑う。

「近衛殿は海上にて生害了と」「実否は知らず」

とはつまり海上で自殺したと言われているが真否はわからんなどとも書かれている。

信尹の側近が作ったという『犬枕』という仮名草子があるそうだ。『犬之草紙』というものもあるらしい。

p.657 天正16年8月15日「衆妙集によると家康のは幽斎の代作であった。」p.673「その晴れの歌の一首が幽斎の代作であることは分かっている」

などと書いているのだが、根拠はあるのだろうか。『衆妙集』は細川幽斎の歌集だが、いったいどこにそんな話が載っているのだろう。たしかに『衆妙集』には「人々にかはりて」詠んだ歌というものがいくつも載っているが、家康の歌と同じものはないように思う。