血液検査結果

やや持ち直していたものの、そんなに差はなかった。

食事をがまんせず肉も普通に食ってるのに逆にコレステロール値が下がっているということは、
あれこれ策を弄しない方が、コレステロール値は逆に下がる、
或いはほとんど無関係であることを意味していると思う。

ただ今回は酒も減らしているのでどちらが有効に働いたかはよくわからん。

前回の検査の時にはかなり運動はしてた。
今回はほとんどやってない。
やはり運動も無関係だと言ってよいと思う。

いずれにしてももう少し長期で見なくてはわからんようだが、
酒を減らし食事は無理に我慢せず適度に取り、運動も適度に、
つまり普通の暮らしをしていれば体調は改善するんじゃなかろうか。

BNPの値が悪化していたのが困るのだが、
たぶん普通に食事するようになったため塩分を取り過ぎたのではなかろうか。
塩分を取り過ぎると体に水がたまり心臓に負担がかかるからBNPが悪化するのだという。
体重を減らし塩分を減らし心臓に負担がかからぬようにせねばならない。

一緡の青蚨

一緡(いちびん、もしくは、ひとさし)の青蚨(せいふ)、と読む。穴の開いた銅銭に通して百銭、または千文単位で結ぶひもが緡。青蚨とは銭のこと。一緡の青蚨とはつまり、ひとまとめにした銅貨のことを言う、らしい。銭緡(ぜにさし)、銅貨一緡、青蚨半緡などとも。

青蚨は青鳧とも書く。蚨は水棲の虫で蝉に似るという。鳧はケリという鳥。

青蚨がなぜ銅銭なのか。よくわからない。

南方有虫名敦禺、一名則蜀、又名青蚨,形似蝉而稍大,味辛美,可食。

南方に敦禺(とんぐう)、あるいは則蜀(そくしょく)、または青蚨(せいふ)という名の虫がいる。形は蝉に似ているがやや大きい。辛いが美味で、食べられる。

生子必依草叶,大如蚕子。

卵は必ず草の葉に付き、育つと蚕のようになる。

取其子,母即飛来,不以遠近。

その幼虫を取ると、母は遠近にかかわらずすぐに飛んでくる。

雖潜取其子,母必知処。

こっそりその子を取っても、母は必ずどこかわかる。

以母血塗銭八十一文,以子血塗銭八十一文,毎市物,或先用母銭,或先用子銭,皆復飛帰,輪転無已,名曰「青蚨還銭」。

母の血で八十一文の銭に塗り、子の血で八十一文の銭に塗る。市場で売り買いするとき、母の銭から先に使っても、子の銭から先に使っても、皆まだ再び返ってきて、繰り返し終わることがない。そこで「青蚨還銭」という名がついた。

由此,古之銅銭常以「青蚨」或「蚨钱」代指。

そこで「淮南子・万華術」では、昔の銅銭を代わりに「青蚨」或いは「蚨銭」という。

らしいですよ。なぜ81文で束にするのだろう。9×9=81というつもりだろうか。

子母銭ともいうらしい。「青蚨術」。ま、要するに、ただの銅銭ではなくて、一つづりになった銅銭の束、ということであろう。

捜神記というものに書かれているらしい。

原勝郎

足利時代を論ず

足利時代が多くの歴史家からして極めて冷淡な待遇を受け、單に王室の式微なりし時代、將た倫常壞頽の時代とのみ目せられて、甚無造作に片付けられて居つたのは、由來久いことである。

すでに戦前から室町時代はそんなふうに見られていたのかとあきれる。

されば若し此時代に特有なる出來事として、後世の研究者の注意を惹いたものがあるとすれば、それは書畫、茶湯、活花、又は連歌、能樂等に關係した方面に興味を持つた場合であるので、一口に之を評すれば骨董的興味から觀察した足利時代であつたのである。

今の財界人も同じことをいう。司馬遼太郎やドナルド・キーンの発明でもない。

換言すれば足利時代史の眞相といふものが未だ充分に發揮せられて居なかつたと云つてよい。

これまでも室町時代は何度も発見され、何度も誤解され、何度も忘れ去られたのだろう。

史學上久しく荒蕪地となつて居つた足利時代

ひどいな(笑)。そんなひどいかな。ていうか何か独自の発見でもあるのかと思い読んでみたが特に何も書かれてなくてあきれた。

東山時代における一縉紳の生活

将軍の幕府は京都へ戻り、世間の有様は再び藤原時代の昔に似かよった経路を辿ることとなった。

幕府が京都に戻ることにより、世の中も平安時代に戻ったと言っているのである。なんと近視眼的な。

群雄割拠の中央集権を妨げたのは、もとより極めて明白なことで、何人といえどもこれを否むものはあるまい。しかしながら藤原時代以前、すなわち群雄割拠のなかったと見なされる時代に、はたして、どれだけの中央集権の実があったろうか。

はたして藤原時代よりも秩序がはなはだしく紊乱しておったであろうか。足利時代の記録によって、京洛の物騒なことを数え立てる人もあるかは知れぬが、京都はその実平安朝時代から物騒な所であったのではないか。かつずっと古い時代の記録に地方群盗の記事の少ないのは、必ずしもその事実上稀少であったという証拠とはならぬ。その時代の記録者が、あるいはこれをありがちのこととして特に書きしるすことをしなかったかも知れない。また時代が次第に降るにしたがって、群盗の記事の記録に多く見ゆるようになるのは、これを今まで少なかったものの増加したがためと解するよりも、かえりて社会の秩序が立ちかけて、擾乱者が目立ってきた、ないしは秩序を欲する念が、一般に盛んになってきたためと説明することもできよう。

少しまともなことを言っている。今の時代でも、平成の今より昭和のほうがのどかで犯罪が少なかったなどと本気で信じている老害じいさんがたくさんいるのに比べれば、まともな感覚の持ち主である。ちゃんと統計を取れば、昭和のほうがはるかに犯罪は多かった。明治や江戸時代とさかのぼるほどに多くなるだろう。

約言すれば足利時代は京都が日本の唯一の中心となった点において、藤原時代の文化が多少デカダンに陥ったとはいいながらともかく新たな勢をもって復活した点において、しかしてその文化の伝播力の旺盛にして、前代よりもさらにあまねく都鄙を風靡した点において、日本の歴史上の重大な意義を有する時代であるからして、これを西欧の十四、五世紀におけるルネッサンスに比することもできる。

だーかーらー。室町時代が京都が唯一の日本の中心だった時代だと考えるのがそもそも間違いなんだってば。封建社会なのに中央集権なわけないじゃん。

一縉紳とは三条西実隆のことであるらしい。

国枝史郎

いろんな意味でいろいろひどい。

[天草四郎の妖術](http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/files/43585_17208.html)。
天草四郎の臨終の言葉がイエスと同じく
「われ渇く」「事畢りぬ」
だったというのだが、作り話にもほどがある。

[ヒトラーの健全性](http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/files/47273_41499.html)
たわいないとしか言いようがない。
戦中の日本人がみなこんな馬鹿だったとは思えないが、
こういう人はたくさんいたのだろう。

[ローマ法王と外交](http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/files/47284_41500.html)
これも戦中、日独伊三国同盟絡みの話と思われるが、
いろいろつっこみどころがある。

> 法王ヨハネ十二世は外交手段を揮ふるい、盛儀を執行とりおこない、
「汝を神聖ローマ皇帝となす」
と宣言し、その冠を頭上に置き、
「イタリイ王をも兼ねよ」と追加して云った。
これで地球及び歴史の上に忽然と神聖ローマ帝国なるものが出来上がったのであった。しかもその物々しい名称の神聖ローマ帝国なるものの内容はといえば、ドイツとイタリヤとを合わせたものに過ぎないのであり、そうしてそのドイツとイタリヤとは既にオットー一世が平定乃至ないしは攻略したものであったので、何も羅馬ローマ法王から今更いまさら頂戴する必要はないのであるが、それを呉くれてやるような形式にして、法王の位置を皇帝よりも上のように認識させたところに、この法王の偉さがあるのである。

ローマ皇帝がローマ教皇に戴冠されるというのはカール大帝に始まる権威付けであり、
オットー一世はそれをなぞったのにすぎない。
皇帝と教皇は持ちつ持たれつ。
つづくグレゴリウス七世とヘンリー四世の破門がどうのこうのと言うのも同じ話。
誰が皇帝となり誰が教皇となるか、誰を担ぎだれを蹴落とすか。
皇帝を戴冠するのも破門するのも教皇の自由だが、
皇帝はその教皇をローマから武力によって追い、
或いは枢機卿を味方につけて、自分に都合の良い教皇を立てることができる。
複数の皇帝と複数の教皇が権威と武力を駆使して駆け引きをしているというのが実態なのであり、
ローマ教皇が神聖ローマ皇帝より偉いというのは全然間違った見方である。

ペーターという狂信家を利用してウルバヌス二世が第一次十字軍を招集した。
まあそこまでは良いとして、

> 私が何故法王ウルバン二世を大外交家であるというかというに、当時の封建武士がこの時代に流行した騎士道に心酔し、兎ともすると法権を侵す態の行動をし英気を他に洩らす術なき脾肉の嘆をかこっていたのを認め、この十字軍の挙によってその英気を宗教戦に洩らさせ、キリスト教興隆に役立てようとしたその点からである。

その観察は明らかに間違っている。
確かにウルバヌス二世は第一次十字軍の重要なロールプレイヤーの一人だが、それ以上ではない。
十字軍は、少なくとも第一次十字軍は、東ローマが衰退し、相対的にトュルク人とノルマン人の勢力が東欧に伸張したことによって起きた。ただそれだけだ。
キリスト教とはほとんど関係ない。
その後の十字軍はヨーロッパのキリスト教国の勝手な暴走であったかもしれないが。

怒涛の電子復刻

なんというか。
完全に忘れ去っていたはずのものをいきなり目の前に突き付けられて、
懐かしいというか、忌まわしいというか、なんとも言えない気持ちを味わわされるのだが、
これはfacebookでほとんど忘れかけていた小学校の頃の知合いに友達リクエストされるのに似てる。
デジタルって怖いね(笑)。

これもゴマブックスなのかあ。
なんかすごいなゴマブックス。
昔からあるよな、この会社。
それが今は電子書籍でほぼ最前線突っ走ってる。いろんな意味でアレではあるが。
どんな会社でどんなひとがやってるのか気になるな。

で出版業界も、版権クリアできて、電子化が可能で、担当者がやる気さえあればどんどん電子書籍で復刻されるようになってきて、その多くが無料配信されていて、
すごいことになってきている。
もう読んでるヒマがないくらい。

auブックパスでは手塚治虫はみんな月額500円読み放題の中に含まれているのだが、
アマゾンでは1冊300円くらいでわりと強気なのが面白い。
ていうかアマゾンだと漫画を0円で配信するのは逆に難しいのかもね。

電子復刻してもらわないと今ではほとんど入手不可能な漫画もあって、
多少高くても買ってもいいと思っても、そういうものはなかなか採算とれないから、
出版社も手を出さないよな。
「まんだら屋の良太」なんて五十巻以上あるはずなんだが。
電子化されればいつでも好きなだけ読めるのだが。

読解

なんかうだうだ書きなぐるのもどうかと思うのだが、ここは書き捨て場なので、
読みたくない人は読まないし、
読みたくなくて読んだとしても他人のブログに文句を言うひとはいないだろうと思うから、
これからもあまり遠慮せず書こうと思うが、
そうでない場所(ツイッターとか)にはあまり書かないようにしようと思う。

無料キャンペーンの後の虚無感というのはある。
書いている最中と、
ダウンロード数が増えていくのを眺めている間は結構楽しいのだが、
その反動でかなり落ち込む。
酒を飲んだときとそのあとと似ているような気がする。
無理やりハイになればそのあとローが来る。

青空文庫由来の有名タイトルの無料キンドル本に何十とついているレビューを読んでいると、
暗澹たる気持ちになる。
マンガとか、新人作家の作品とかは、
人の好みがそれぞれ分かれるだろうが、
古典はその読者に読解力があるかどうかもう如実にわかる。
だいたい何もわかってない。
どこをどう読めばそんなレビューになるのか。
いやまあたまにうっかりレビューしてしまったような人に文句を言うつもりはない。
トップレビュアーとか何百冊もわかったようなことを書いている人のレビューがあまりにひどい。

いやね、つまり、無名作家の書いたものには、人は読んで実際に感じた正直な感想を遠慮なく書くよね。
良くも悪くもそれは本人がほんとうにそう思ったことを書いているからよしとしよう。
わかっていようがいまいが正直な感想を聞くのはこちらもためになる。
だが、古典は、みな臆病になる。
自分だけ間違ったこと言ったら笑われると。
だからみんな嘘のレビューを書く。
嘘とは言えなくても、見栄を張った、飾った、借りてきたレビューを書く。

私は興味ぶかいレビュアーはほかのレビューも読むようにしている。
よりその人の価値観や立ち位置がわかって、より正確にその人のレビューを参考にできるからだ。
匿名(ペンネームではなくアノニマスなという意味)のレビュアーなどは99.9%無視してよいとも思う。

古典をきちんと読めるということは、
著者の知名度や歴史的権威や世間の評判などはいったん横によけておいて、
ちゃんと自分で読んでみて、
客観的に判断できるということだと思う。
その上でその人の主観に基づく解釈があればなおよい。
しかしそんな小林秀雄みたいなレビュアーは滅多にいない。
滅多にいないから小林秀雄は小林秀雄なわけだが、
にしても、そんな、客観的でもなければ主観的でもなく、
情報量がゼロのレビューばかり見ていると自分は誰に対してものを書けばいいのか、
ほんとにわからなくなる。

平家物語を読んで、「世の中は諸行無常だと実感した」とかいうようなレビュー。
一般人ならともかく、読書人ならあり得ない。
源氏物語なら「もののあはれをしみじみ感じた」とか。
もうね。
「実は読んでない」「実はわからなかった」とは決して言わない。

私は私の書きたいものしか書けない。
そういう書き方しかできないのだからしかたない。
このブログと同じだ。
私が好きで書いたものに値段がつけられればつけて売りたい。
ついでにこのブログにもたどりついてもらいたい。
逆にこのブログにたどりついた人に私の書いたものもついでに読んでもらいたい。
ただそれだけだ。

人は本を読む。
それは読解するということではないのか。
人は本を読んで何をしているのか。
ただの娯楽なのか。
蒐集して本棚に並べて眺めることなのか。
こんな本を読んだとか何冊読んだとか自慢したいだけなのか。
わかったようなレビューを書いて自己満足することなのか。

つまり、テクニックの問題なのだ。1%の読者はちゃんと読めるとしよう。
のこり99%の読者はただ読んだふりしているとしよう。
しかし本をたくさんの人に読んでもらうためには、
その99%の人にも面白いと思ってもらえるようなものを書かねばならない。
1%の人に面白いと思ってもらい、
自分も書いていて面白く、
かつ残り99%の人にも「面白かったです」と言わせるような本。
どんな本なんだそれは。

例えばだ。
歌舞伎とか能を見るとき、
人は「わからん」とはなかなか言わない。
実は古典とはぐにゃぐにゃと形のないよくわからないものなのだ。
演じている人もまじめに演じるほどにわけわからなくなっていくと思う。
わからないという答えは実は正解なのである。
しかし、古典とは「わかった」「正解のある」ものだとみんな考えるし、
パンフにもそう書いてあるから、
要するにパンフを丸暗記して復唱するような感想しか持ち得ないのだ。
感想を持つということは試験勉強して合格点をとるのと同じことなのだ。
そんなことで「わかった」って仕方ない。
「わかってない」のと何も違わない。

葬式のお経にしてもそうだ。
誰も意味はわかって聞いてないが、あれは、
梵語の読み上げや、漢文の素読や、和讃や、念仏などがメドレーになっている。
特に和讃はわりと面白い。古語がわかれば声だけでだいたい意味はわかる。
結婚式とか七五三の祝詞なんかもあれはただの大和言葉だ。
古語の知識があれば100%理解できる。
歌舞伎のセリフはぎりぎりわかるかな。
でも能は無理だな。当時の話し言葉に近いんだろうが、なじみのない漢語が多すぎて、
意味が取れない。平曲も和漢混交文で読むからわかるんであれを音だけでわかれといっても無理だろう。
ひらがなだけで書かれた平曲もあるがまるでわからん。

お経で鐘や太鼓で派手にやるのはたいてい和讃だ。
あれは庶民にわかるようにパフォーマンスしていた時代の名残だわな。
神様や仏様や霊魂に語りかける言葉は梵語や漢語が使われる。
しかし参列している人にわからせるにはかつては楽曲に合わせて和讃で聞かせていた。
しかし今普通の人にわかるのは念仏の部分だけだ。

幼名と諱

幼名を調べ始めて思うのだが、
犬丸とか虎丸など、動物名に丸を付ける名前というのは非常に一般的な気がする。
それで近代でも、野口英世の母の名は鹿であったし、
女性名にも熊とか虎などがあった。

元服して付ける名前が正式な名前であるというが、
古来日本の名前というのは幼名しかなかったのではないか。
少なくとも庶民は幼名のまま一生を過ごしたのではないか。
柿本人麻呂とか猿丸、蝉丸、こういう名前は元服などしなかった庶民の名ではないか。
山部赤人や山上憶良もそうではないか。
そんな気がしてならないので、万葉集などを見てみると、
他にもいろんな例がある。

麻呂が付くもの、
阿曾麻呂(あそまろ)。
清麻呂(きよまろ)。
鮎麻呂(あゆまろ)。
駿河麻呂(かすがまろ)。
奥麻呂(おきまろ)。
兄麻呂(えまろ)。
乙麻呂(おとまろ、弟麻呂)。
福麻呂(さきまろ)。
黒麻呂(くろまろ)。
奈良麻呂(ならまろ)。
仲麻呂(なかまろ)。
比良麻呂(ひらまろ、枚麻呂)。
田村麻呂(たむらまろ)。
武智麻呂(むちまろ)。
巨勢麻呂(こせまろ)。
安麻呂(やすまろ)。
雄能麻呂(をのまろ)。
常麻呂(とこまろ)。
今麻呂(いままろ)。
耳麻呂(みみまろ)。
鈴伎麻呂(すずきまろ)。
苗麻呂(なへまろ)。
梁麻呂(やなまろ)。
咋麻呂(くひまろ)。
愛宕麻呂(あたごまろ)。
葛野麻呂(かどのまろ)。
小黒麻呂(をぐろまろ)。
内麻呂(うちまろ)。
縵麻呂(かづらまろ)。
賀祜麻呂(かこまろ)。
田麻呂(たまろ)。
苅田麻呂(かりたまろ)。
長田麻呂(おさだまろ)。
島田麻呂(しまだまろ)。
宮田麻呂(みやたまろ)。
海田麻呂(うみたまろ)。
長谷麻呂(はせまろ)。
綿麻呂(わたまろ)。
家麻呂(やかまろ)。
富士麻呂(ふじまろ)。
福当麻呂(ふたぎまろ)。
文室麻呂(ふみやまろ)。
元利麻呂(もりまろ)。
奈止麻呂(なとまろ)。
帯麻呂(おびまろ)。
多太麻呂(ただまろ、縄麻呂)。
虫麻呂(むしまろ)。
公麻呂(きみまろ)。
堺麻呂(さかひまろ)。
道麻呂(みちまろ)。
奈弖麻呂(なでまろ)。
楓麻呂(かえでまろ)。
訓儒麻呂(くすまろ、明らかに儒者、陰陽師らしい漢字の選び方)。
蔵下麻呂(くらじまろ)。
飯麻呂(いひまろ)。
宿奈麻呂(すくなまろ)。
嶋麻呂(しままろ)。
蓑麻呂(みのまろ)。
豊麻呂(とよまろ)。
赤麻呂(あかまろ)。
国麻呂(くにまろ)。
大麻呂(おほまろ)。
子麻呂(こまろ)。
閉麻呂(あへまろ)。
訶多麻呂(かたまろ)。
倉麻呂(くらまろ)。
石川麻呂(いしかはまろ)。
足麻呂(たりまろ)。
龍麻呂(たつまろ)。
麻呂は、もと、男子の自称か。
明らかに丸、円と同根。
一個の、という意味か。

通常男子の名だが、翁丸のように犬の名に付けることもあったようだ。

足(たり)が付く例、
島足(しまたり)。
鎌足(かまたり)。
石足(いはたり)。
仲足(なかたり)。
名足(なたり)。
越足(こしたり)。
年足(としたり)。
道足(みちたり)。
継足(つぐたり)。
潔足(きよたり)。
比広足(ひろたり)。
五百足(いほたり)。
小足(をたり)。
足はもともとは一人(ひとり)、二人(ふたり)、三人(みたり)、
四人(よたり)、幾人(いくたり)などの「たり」と同じ。
たりは朝鮮語かもとのこと。

たぶん、麻呂、足、だけで人名になりえたのだろうと思う。

そのほか、
毛人(えみし)。
堅魚(かつを)。
広耳(ひろみみ)。
四縄(よつな)。
宇合(うまかひ)。
八束(やつか)。
鹿人(かひと)。

たぶん固有名詞だが、一般名詞かもしれない例。
東人(あづまひと)。
真人(まひと)。
伊勢人(いせひと)。
祖父麻呂(おほぢまろ)。

たぶん一般名詞、或いは役職名。
大嬢(おほいらつめ)。
女郎(いらつめ)。
郎子(いらつこ)。
娘子(をとめ、または処女)。
老夫(おきな)。
武良自(むらじ)。
犬養(いぬかひ)。
鳥養(とりかひ)。
牛養(うしかひ)。
副使麻呂(ふくしまろ)。
船守(ふなもり)。
意美麻呂(おみまろ)。

おそらく元服した後の名前。
大伴家持。
藤原広嗣。
阿倍広庭。

家持の父は旅人(たびと)。こちらはどうも元服後の名前とは思えない。

[日本における諱の歴史](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1#.E6.97.A5.E6.9C.AC.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E8.AB.B1.E3.81.AE.E6.AD.B4.E5.8F.B2)。
しかし嵯峨天皇はすでに平安時代であって、
家持はその前の人だから、
家持が諱であるなら諱はもう少し前から始まっていないといけない。

諱とか戒名というが、もともとは死んだ後に残す名前であったかもしれない。
或いは朝廷に出仕するために付けた公の名前。
いずれにせよ唐から輸入した風習だわな。
諱を使わない人が万葉時代にはまだたくさんいた。
家持は諱を使うようになった最初期の人かもしれない。

でまあ話は戻るが、日本人は昔から、
動物や地名や植物の名を人の名に使ってきていたのだろう、
「家持」のような漢字二字の男名、
「高子」のような漢字一字に子を付ける女子名、
というのは、奈良後期にもなかったわけではないが、
平安初期にかなり一般化したということだろう。

たぶん諱というのは、自分の実の親ではなく、自分の上司などに付けてもらう名前で、
それゆえにより社会的であり、公の名であり、社会の一員としての名前なのだ。
烏帽子親というが加冠する人は自分の親ではなく親から依頼されただれかだろう。
偏諱という。二文字の名のうち一文字は貴人からもらう。もう一文字は実父(あるいは養父)
が与える。棟梁ならば一族の通し字を用いる。
そういう儀礼なのだろう。

女性の名前というのはずっとよくわからなかったのだが、
戦国武将の娘の名前がちらほら歴史に残るようになる。
例えば、家康の長女は亀姫。
おそらく単に亀という名だったと思う。
これまた動物名。
妹に振姫、督姫がある。
秀忠の娘に勝姫。勝姫の娘に、ふたたび亀姫。
ほかに、豪姫、寧々。
ほんとにわずかしかわからない。
あとは庶民から側室となった女性の名で喜世、など。

たぶんもうかなり詳細に調べてる人がいるはずだ。

そういや荷田春満(かだのあづままろ)という江戸時代の国学者がいたな。
なぜ「満」をまろと読ませたかったのだろうか。
秀丸はテキストエディタだしな。

痩せるには。

後もう少しで血液検査してその結果がでるからそれから書けばいいんだが、
後で書こうと思うと忘れてしまうので、いま書いておく。

たぶん、ある程度痩せた状態では、食べないから痩せるのではない。
内臓脂肪は食べないことによって痩せるが、
内臓脂肪を落とした状態で単に食べないのでは痩せない。
食べても食べなくても痩せないのなら食べた方が良いに決まってる。
体質を変えないと体重は痩せない。

コレステロール値を気にしてもあまり仕方ない。
やはり体内で合成されてしまうから体質を変えるしかない。
コレステロールを採ろうが採るまいがコレステロール値が変わらないのなら気にしても仕方ない。
血圧も同じ。

運動をすれば痩せるのでもない。
筋肉を付けて基礎代謝を増やすから痩せるのでもなさそう。
すべてに言えることだが、何か意図的に痩せようとか体質を変えようとかしても、
だいたいは無駄だ。

デブのダイエットは簡単だ。
ただ食わなければいい。
それで私は10kgおとした。
ここからさらに10kgおとしたいが、運動と節食ではどうにもならん気がする。

たぶん効果があるのは、
酒をたまに、適量飲むということ。
食事は米をメインに腹が減ったら食うということ。
腹が減ってないときやただ見た目や知識で食べたくなったからと食べないこと。
これだけで体質が変わり、痩せると思う。
酒をもともと飲まない人はこれで変わるはずもないけど、
私のように毎日大量に飲んでいた者にとっては一番効くやり方のように思える。

酒場放浪記

最近よく吉田類の酒場放浪記を見るのだが、
昼間駅前とどこか普通の店などを取材して、
夜飲み屋で収録している。
昼間の取材は、壁に掛かった時計など見るに13:30頃である。
夜の収録はどう見ても19:00くらい。
その間はいったい何をしているのだろうか、と不思議に思う。

おそらく、現地集合は午前中。
そこでいったんスタッフの打ち合わせがあり、
駅前で、吉田類が駅に降り立った絵をとる。
14:00ないし15:00くらいまでに昼間の収録を終える。
17:00から居酒屋が開店するとして、その前までに居酒屋でリハーサルをやる。
常連客で賑わう19:00頃から収録を開始して、
だいたい20:30くらいまでに終わらせているのではなかろうか。
そうすると一回のロケで丸一日使うわけである。
途中休憩を入れて実働8時間くらいだろうか。

小椋山

秋雜歌 崗本天皇御製歌一首

08-1511 暮去者 小倉乃山尓 鳴鹿者 今夜波不鳴 寐宿家良思母

雜歌 泊瀬朝倉宮御宇大泊瀬幼武天皇御製歌一首

09-1664 暮去者 小椋山尓 臥鹿之 今夜者不鳴 寐家良霜

この二つの歌は同じである。

ゆふされば をぐらのやまに なくしかの こよひはなかず いねにけらしも

と訓む。割と有名な歌。崗本天皇とは舒明天皇か斉明天皇であるという。泊瀬朝倉宮に天の下治しめしし大泊瀬幼武天皇は雄略天皇。どうもよくわからない。しかも小椋山、あるいは小倉乃山というのがどこかわからない。「小椋」「小倉」ともにそれぞれ一度きりしか万葉集には出ないからである。もしかすると固有名詞ではなく「小暗」の意味かもしれんね。たとえばもとは「小暗き山」だったのが「小倉山」という固有名詞と間違われたとか。

ダブって採られているくらいだからよく知られてはいたが万葉時代には誰の歌か何の歌かもうわかんなくなっていたのだろう。

も一個あった。

春三月諸卿大夫等下難波時歌二首 并短歌

09-1747 白雲之 龍田山之 瀧上之 小桉嶺尓 開乎為流 櫻花者 山高 風之不息者 春雨之 継而零者 最末枝者 落過去祁利 下枝尓 遺有花者 須臾者 落莫乱 草枕 客去君之 及還来

龍田山の滝の上の小桉の嶺に。

ますますわからん。龍田山の滝の上というからには竜田川の上流かと思うが、飛鳥や奈良の中心からはだいぶはずれる。詞書きにも難波に下るとあるから、やはり生駒山辺りでなくてはならない。謎は深まった。

いやそもそも龍田山というのが生駒山なのではなかろうか。

ははあ、なるほど、生駒は北過ぎる。奈良盆地から難波に至る道というのは大和川沿いであったに違いなく、従って信貴山もしくは高安山あたりが龍田山もしくは小桉の嶺か。「山高」というからにはこの辺りで一番高い目立つ山でなくてはならない。

上宮聖徳皇子出遊竹原井之時見龍田山死人悲傷御作歌一首 小墾田宮御宇天皇代墾田宮御宇者豊御食炊屋姫天皇也諱額田謚推古

03-0415 家有者 妹之手将纒 草枕 客尓臥有 此旅人憾怜

竹原井、つまり聖徳太子の行宮後というのは、大阪府柏原市青谷、ここらには聖徳太子関係の史跡が多い。

獨惜龍田山櫻花歌一首

20-4395 多都多夜麻 見都〃古要許之 佐久良波奈 知利加須疑奈牟 和我可敝流刀尓

たつたやま みつつこえこし さくらばな ちりかすぎなむ わがかへるとに

ふーむ。やはり、龍田山というのは、奈良と難波を往来する人が必ず通る、大和川沿いの地峡から眺める山であった。船旅であったかもしれぬ。竜田川とはあまり関係ない。ていうか竜田川をさかのぼって生駒まで行ってはならない。うーんと、たぶんだが、龍田山というのはこの大和川の地峡全体のことで、そのなかの最高峰が小椋の峰でこれがすなわち信貴山ではなかろうか。