国枝史郎

いろんな意味でいろいろひどい。

[天草四郎の妖術](http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/files/43585_17208.html)。
天草四郎の臨終の言葉がイエスと同じく
「われ渇く」「事畢りぬ」
だったというのだが、作り話にもほどがある。

[ヒトラーの健全性](http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/files/47273_41499.html)
たわいないとしか言いようがない。
戦中の日本人がみなこんな馬鹿だったとは思えないが、
こういう人はたくさんいたのだろう。

[ローマ法王と外交](http://www.aozora.gr.jp/cards/000255/files/47284_41500.html)
これも戦中、日独伊三国同盟絡みの話と思われるが、
いろいろつっこみどころがある。

> 法王ヨハネ十二世は外交手段を揮ふるい、盛儀を執行とりおこない、
「汝を神聖ローマ皇帝となす」
と宣言し、その冠を頭上に置き、
「イタリイ王をも兼ねよ」と追加して云った。
これで地球及び歴史の上に忽然と神聖ローマ帝国なるものが出来上がったのであった。しかもその物々しい名称の神聖ローマ帝国なるものの内容はといえば、ドイツとイタリヤとを合わせたものに過ぎないのであり、そうしてそのドイツとイタリヤとは既にオットー一世が平定乃至ないしは攻略したものであったので、何も羅馬ローマ法王から今更いまさら頂戴する必要はないのであるが、それを呉くれてやるような形式にして、法王の位置を皇帝よりも上のように認識させたところに、この法王の偉さがあるのである。

ローマ皇帝がローマ教皇に戴冠されるというのはカール大帝に始まる権威付けであり、
オットー一世はそれをなぞったのにすぎない。
皇帝と教皇は持ちつ持たれつ。
つづくグレゴリウス七世とヘンリー四世の破門がどうのこうのと言うのも同じ話。
誰が皇帝となり誰が教皇となるか、誰を担ぎだれを蹴落とすか。
皇帝を戴冠するのも破門するのも教皇の自由だが、
皇帝はその教皇をローマから武力によって追い、
或いは枢機卿を味方につけて、自分に都合の良い教皇を立てることができる。
複数の皇帝と複数の教皇が権威と武力を駆使して駆け引きをしているというのが実態なのであり、
ローマ教皇が神聖ローマ皇帝より偉いというのは全然間違った見方である。

ペーターという狂信家を利用してウルバヌス二世が第一次十字軍を招集した。
まあそこまでは良いとして、

> 私が何故法王ウルバン二世を大外交家であるというかというに、当時の封建武士がこの時代に流行した騎士道に心酔し、兎ともすると法権を侵す態の行動をし英気を他に洩らす術なき脾肉の嘆をかこっていたのを認め、この十字軍の挙によってその英気を宗教戦に洩らさせ、キリスト教興隆に役立てようとしたその点からである。

その観察は明らかに間違っている。
確かにウルバヌス二世は第一次十字軍の重要なロールプレイヤーの一人だが、それ以上ではない。
十字軍は、少なくとも第一次十字軍は、東ローマが衰退し、相対的にトュルク人とノルマン人の勢力が東欧に伸張したことによって起きた。ただそれだけだ。
キリスト教とはほとんど関係ない。
その後の十字軍はヨーロッパのキリスト教国の勝手な暴走であったかもしれないが。

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