原勝郎

投稿者: | 2014年5月6日

[足利時代を論ず](http://www.aozora.gr.jp/cards/001037/files/43865_38006.html)

> 足利時代が多くの歴史家からして極めて冷淡な待遇を受け、單に王室の式微なりし時代、將た倫常壞頽の時代とのみ目せられて、甚無造作に片付けられて居つたのは、由來久いことである。

すでに戦前から室町時代はそんなふうに見られていたのかとあきれる。

> されば若し此時代に特有なる出來事として、後世の研究者の注意を惹いたものがあるとすれば、それは書畫、茶湯、活花、又は連歌、能樂等に關係した方面に興味を持つた場合であるので、一口に之を評すれば骨董的興味から觀察した足利時代であつたのである。

今の財界人も同じことをいう。
司馬遼太郎やドナルドキーンの発明でもない。

> 換言すれば足利時代史の眞相といふものが未だ充分に發揮せられて居なかつたと云つてよい。

これまでも室町時代は何度も発見され、何度も誤解され、
何度も忘れ去られたのだろう。

> 史學上久しく荒蕪地となつて居つた足利時代

ひどいな(笑)。そんなひどいかな。
ていうか何か独自の発見でもあるのかと思い読んでみたが特に何も書かれてなくてあきれた。

[東山時代における一縉紳の生活](http://www.aozora.gr.jp/cards/001037/files/4995_17362.html)

> 将軍の幕府は京都へ戻り、世間の有様は再び藤原時代の昔に似かよった経路を辿ることとなった。

幕府が京都に戻ることにより、世の中も平安時代に戻ったと言っているのである。
なんと近視眼的な。

> 群雄割拠の中央集権を妨げたのは、もとより極めて明白なことで、何人といえどもこれを否むものはあるまい。しかしながら藤原時代以前、すなわち群雄割拠のなかったと見なされる時代に、はたして、どれだけの中央集権の実があったろうか。

> はたして藤原時代よりも秩序がはなはだしく紊乱しておったであろうか。足利時代の記録によって、京洛の物騒なことを数え立てる人もあるかは知れぬが、京都はその実平安朝時代から物騒な所であったのではないか。かつずっと古い時代の記録に地方群盗の記事の少ないのは、必ずしもその事実上稀少であったという証拠とはならぬ。その時代の記録者が、あるいはこれをありがちのこととして特に書きしるすことをしなかったかも知れない。また時代が次第に降るにしたがって、群盗の記事の記録に多く見ゆるようになるのは、これを今まで少なかったものの増加したがためと解するよりも、かえりて社会の秩序が立ちかけて、擾乱者が目立ってきた、ないしは秩序を欲する念が、一般に盛んになってきたためと説明することもできよう。

少しまともなことを言っている。
今の時代でも、平成の今より昭和のほうがのどかで犯罪が少なかったなどと本気で信じている老害じいさんがたくさんいるのに比べれば、まともな感覚の持ち主である。
ちゃんと統計を取れば、
昭和のほうがはるかに犯罪は多かった。
明治や江戸時代とさかのぼるほどに多くなるだろう。

> 約言すれば足利時代は京都が日本の唯一の中心となった点において、藤原時代の文化が多少デカダンに陥ったとはいいながらともかく新たな勢をもって復活した点において、しかしてその文化の伝播力の旺盛にして、前代よりもさらにあまねく都鄙を風靡した点において、日本の歴史上の重大な意義を有する時代であるからして、これを西欧の十四、五世紀におけるルネッサンスに比することもできる。

だーかーらー。
室町時代が京都が唯一の日本の中心だった時代だと考えるのがそもそも間違いなんだってば。
封建社会なのに中央集権なわけないじゃん。

一縉紳とは[三条西実隆](/?p=9399)のことであるらしい。
ほほう。
宗祇から古今伝授された二条派の歌人ではないか。

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