ガソリン車は臭い。EVはもっと普及すべき。

私はガソリンエンジン車は臭くて嫌いなので、早く滅んでほしいからもっとEVが普及すれば良いのにと思っているが、まず市街地にはEVしか入って来れないようにするとか、人が大勢集まる駅周辺に車で入り込めなくするとか、電動自転車は時速8kmまでしか出ないようにするとか、やらなきゃいけないことは沢山あると思うんだよね。きっとどれも実現しないけどね。

要するに町中であれば非力で数時間しか持たないEVで十分だし電動自転車もゆっくりで良いのだが、ときどき遠出しようとなるとそれではもたない。電気自動車で日本縦断とか怖くてできないだろう。

だから都市部とそれ以外、という棲み分けをしない限りEVは普及しないんじゃないの。というかそういうふうにしてほしい。というか電動アシスト自転車って要するにあれがEVだよね。そしてEV自転車が周りもろくに確認しないで歩道も車道もかまわず疾走しまくるから、世の中とても危険極まりない状態になった。いったいどういう圧力団体が政治家を動かしてこんな社会にしようとしているのだろうか。

ていうかね、歩車分離というか、居住区に車が入れないようにするってのある意味当たり前な理想なんだけど、絶対実現しそうにないよね。それが人間社会ってもんだよね。

雨の日、子供を送り迎えするために駅の入り口に車を横付けにして歩行者の邪魔をするようなやつがいなくなってほしい。社会制度的に。

都心だとあまり感じないが、田舎道だとなんであんなにガソリン(排気ガス)臭いんだろうな。郊外はディーゼル車が多いのかな?

あとあの新宿西口の喫煙所をどかせよ。臭いよ。みんなもっと苦情言おうよ。

ブログカテゴリー

ソウルフードの手伝いをしていて結局このブログも「にほんブログ村」と「人気ブログランキング」に参加したのだが、たとえば人気ブログランキングのカテゴリー見てみると「香道」「華道」「書道」「茶道」或いは「俳句短歌」というカテゴリーはあるが、「和歌」とか「歌道」というカテゴリーはない。「国学」というカテゴリーが無いのはしょうがないとして「国文学」というカテゴリーも無い。どうも私は現代に生きる資格も場所もないようだ。世の中2割の例外はほっといて8割のマジョリティをターゲットにするのがマーケティングだとすれば古文漢文、国文なんて学ぶ必要無いってのはもう最初から答えでてるよね。

それで最近はどちらかと言えば映画やドラマのレビューを書くことが多いので、人気ブログランキングの方は「映画評論・レビュー」「ドラマ考察」というカテゴリーに入ってみた。面白いね、映画はレビューだけどドラマは考察なんだね。違いはなんとなくわかる気もするがわかりたくもない。あとは無難に「日記雑談」「居酒屋」。

ブログ村のほうはシンプルに「酒」だけにしておいた。

どうでも良いことではあるが、このブログは最初は「田中久三」という名で書き始め、それからわけあて「田中紀峰」という名前に変えて、今回「田中紀岑」というのも使ってみた。他にも作曲するときには Kelvin TANAKA という名前を使うことがある。気分でいろいろな名前を使ってみたくなる性格なのである。

左腕だけ筋肉痛

近頃なぜか左腕だけ筋肉痛になり、ずっと治らない。年を取ったからもうこれ以上酷使できないのだろうか。しかし右腕と左腕で左腕だけが筋肉が衰えるとも思えないので、鍛えれば右腕と同じくらい使えるようになるのだろうか。ネットを検索してみたがわからない。ほったらかせばなおのこと筋肉が衰えて筋肉痛になりやすくなるようにも思えるし、しばらく休ませたら治るような気もするし、ほんとにわけがわからない。

エナメル質

私はたぶんずっと左側よりも右側の歯を酷使してきた。今、右側で噛むと右側の前歯と奥歯がしみるようになってきた。虫歯かと思ったが、しばらくたつと痛くなくなるので、たぶんエナメル質が自動修復しているか、歯石の幕のようなものができるのだろうと思う。いずれにしても歯のエナメル質が年を取って薄くなってきているのではないか。

そして左側はまだましなので、できるだけ左側だけで噛むようにしている。

自分信託投資

私の株の買い方は、できるだけいろんな銘柄を少しずつ、底値と思われるときに買って、長期ホールド、ただし高くなったら売る、というやり方で、投資信託に似ているが、他人がやってる投資信託は信用できないのと、いろんな個別銘柄を自分で選ぶというのが面白いからそういう買い方をしている。世の中の投資信託をnisaで積み立てるというやり方は、なんか勝手に上がったり下がったりするのが気に入らないのでやりたくない。

株価はこれから遅かれ早かれ下がる。アメリカ大統領選挙前に下がり始めるかもしれないし、来年になるかもしれないけど、とにかく、今上がってるからとりあえず買って、落ち始める前に短期で売る、という考え方は、私には無い。

安ければ買うし、高くなったら適当なところで売る。

多重意識

vivantの主人公乃木は多重人格、という設定。シャイニングに出てくる子供ダニーにトニーというイマジナリーフレンドがいるが、乃木の場合はそのイマジナリーフレンドが大人になったあとも残っているというような設定か。ジキルとハイドもそうだし、ある特殊能力、特に超能力をもったキャラクターが多重人格だという設定はそんな珍しくもないかも。

右脳と左脳をつなぐ脳梁に障害があると右脳と左脳に別々の意識ができるという話もある。いやそもそも脳の中には常に複数の意識が生まれては消え、あるいは統合されているという考え方もある。複数の無意識が同時に存在していて、言語や理性を司る意識がそれらをなんとか一つにまとめているともいうが、実際にはそうした複数の意識を特定の意識がスーパーバイズしている、かどうかは疑わしい。

酒を飲み過ぎたときとか寝ていて夢を見ているときにも、別の人格、別の意識が働いているようにも思える。酒の場合は明らかに脳の機能が低下していて、普段働いている意識統合の機能が低下し、さまざまな煩悩が勝手に動いているように思えるし、寝ているときは外界からの刺激や情報がまったく入らない状態になっているので意識が暴走しているようにも思える。

おそらくそれぞれの意識は条件反射的なもので、非常に速く動いていて、それら複数の意識を統合するのはもっと遅い。人間もまた緊急避難的に素早く行動しなくてはならないことがあるから、それぞれの意識が瞬間的に状況に対処していて、でも普通の人間が正気を保っているのは後からそれらの行動に一貫性を持たせるような、なんらかの統合的な機能ももっているのであろうと思う。

ノイズ

sony の blu-ray プレイヤーから hdmi で eizo のモニターに接続、アナログ音声を出力して yamaha ag03 mk2 に入れるとノイズが入る。

おそらく PC用モニターとオーディオインターフェイスの相性が悪いんだろうけど、どうにかしてくれんかねー。

イスラム教がなぜこれほど世界で普及しているのかについて、よく考えるのだけど、思うに、宗教というものはもともと王が主宰者となって、王族や支配階級だけを縛るものだったと思う。祭政一致とはつまり、国というかソサエティというかあるいはコミュニティというか、もっと原始的に言えば人間がシノイキスモス(集住)というシステムを採用するに当たって、作られたものだと思う。

古い素朴な宗教は王とその周辺しか束縛しなかったから、人の集団が持つ力も弱かった。しかしバラバラに暮らす人たちに対して、多数の人の気持ちを一つの方向に向かわせる集団の方が明らかに生存に有利だった。

単純素朴な自然宗教はだんだんと教義を持ち、聖典を持ち、聖職者や教会などの組織を持つようになった。それでも人々を束ねる拘束力はまだ未発達だった。

フランス革命が成功したのは、王族や領主だけではなく、一般民衆、無産階級までも軍事力に編入したからだ。どんなに王軍が強くとも、徴兵制によって集められ組織化された圧倒的多数の国民軍のほうが強いということが証明された。

アリのコロニーにしても、良く働くアリと、普通に働くアリと、サボるアリがいる。古い宗教は良く働くアリだけを国家権力に動員できた。中世の宗教は普通に働くアリまで動員できるようになった。そして一神教は国王の権力から切り離されて民衆の宗教として成立した。社会の少数派の王族ではなく多数派の民衆がコントロールできる宗教が成立した。そうすると軍隊の規模が違うから新しい宗教が古い宗教を駆逐してしまう。民衆が王を排除して、もしくは王を取り込んで国を乗っ取ってしまう。ギリシャやローマの多神教がキリスト教に駆逐されてしまったのはそうしたわけだった。カール大帝がローマ教皇に戴冠されることによって民衆の支持を集めたようなものだ。王は宗教の権威を借りるようになった。

さらにイスラム教はキリスト教をさらに発展させて、日常生活も、心の内なる良心も、金持ちから貧乏人まですべて、民衆を支配することに成功した。宗教が普及するのに重要なことは、一部の力あるもの、一部の頭の良い者たちに支持されることではない。社会を構成するありとあらゆる人種、階層の人間をまんべんなく、その生活から精神までも支配することだ。それまで見捨てられていた、かえりみられなかった人々まですくい上げてメンバーに加えることだ。ホメイニ革命を見てもわかるように王や一部の富裕階級に支配されるよりは、民衆は自分が少しでも参画できる、民衆から出てきた指導者に従いたがる。民衆は王をとりこめなかったから追放してイスラム共和国を作ってしまった。

結局民衆は支配されることを欲しているし、王のような独裁者ではなく、万民に通用する普遍的な慣習に支配されたがる。日本が今や法治国家になったのもそれと似ている。24時間365日完全に支配されることを欲している。そしておおぜいがわーっと暴れればどんな政府も転覆してしまう。暴動にしろ革命にしろ戦争にしろ結局数で世の中は決まってしまうのだ。イスラムは数に強い。清濁併せ飲み、老若男女、異なる民族(特に宗教的にナイーブな、人口も多い民族)をみんな巻き込んでしまう普遍性をもっている。だから普及しているのだ。

キリスト教が2000年経ってもまだまだ平気なように、それよりか600年遅れて成立したイスラム教はまだ何百年も先まで人間社会を縛るだろう。それになによりイスラムは新興宗教の先進地域である西アジアで生まれた。ありとあらゆる宗教が生まれてはとってかわられる激戦地で生き残り繁栄した。強いに決まってる。

役職選挙

役職選挙があり、来年度は六年ぶりに役職から外れることになった。これから定年までのんびりと仕事をさせてもらおうと思う。コロナ馬鹿騒ぎの三年間は周りの連中は在宅勤務で楽していたかしれんが、私は役職のせいで毎週馬鹿げたコロナ対策会議とやらに付き合わされて最悪だった。あんなものにはまったく何の意味もないただの時間と労力の空費だった。今はみんなそれに気づき始めたが私は最初からわかっていた。ずっと腹の立ち通しだった。非常に不愉快な三年間だった。

ラウンジ嬢だのパパ活女子だのと世間では騒いでいるようだが、飲み屋ではこれまでさんざん苦労してきたので、ただもう関わり合いになりたくないばかりだ。懐石料理だとかフランス料理だとか高級寿司屋とか、そういう密閉された空間で逃げ場がなくて、ちまちまともったいぶって出されて来る料理を食ってもうまくもなんともない。そういうものに金を使うなんて馬鹿げていると思う。冬の吹きっさらしの風の中、勘定は注文してその都度払いで、その場からいつ逃げ出しても良い、野天の立ち飲みのほうがずっと気楽だ。縄文人だってそういう食事をしていたのにちがいない。

追記。役職選挙をやり直すことになったそうだ。やれやれ。

追記の追記。役職再選挙の結果、また別の役職に選ばれてしまった。これで定年までずっと役職につくことになるだろう。割とプレッシャーを感じている。

中国海外投資

しばらく bing image creator で作った画像をアイキャッチ画像にして遊んでみようと思う。

中国は国内不動産開発をやり過ぎてしまい、深圳や北京、上海などではテナントの入っていないビルや町などができてきているようだ。調整局面に入っているというだけのことだろう。日本だって過疎の村、限界集落、ゴーストタウンやシャッター街、廃墟となった遊園地や温泉郷など、別に珍しくもない。

最近は中国の金持ちは国内不動産を売り払い、その金で海外の資産に投資しているから国内不動産が冷え込んでいる。ずいぶん薄情な連中だが、それだけのことだ。

海外に投資するには人民元をいくら持っててもダメで外貨が必要で、外貨は一般市民はなかなか手に入らないそうだが、中国はまだどんどん輸出しているから国自体は外貨をまだいくらでも手に入れられる状態だ。その外貨で海外に投資しているのは一部の特権階級なのだろう。そうした人たちにとって日本は何かと便利な投資先なのだと思う。

中国共産党としては外貨は国が管理して国内で稼いだ金を人民が海外に移転させたり、海外の資産を買ったりすることを制限したいのだろうが、経済活動としては非常に不自然な話であって、国内にいくらでも投資先があるうちはともかく、すでにある程度飽和してしまうと、より儲けが大きい国外投資が好まれて、国内開発を嫌って人民はこぞって海外に出て行こうとしている。

人民元の価値もまだまだ高く、何かのきっかけで人民元安になり、しかも中国の製造業が割高だということになれば、中国は外貨を獲得できなくなる。そうなると中国は一気に破綻するしかないが、そういう状況にもなかなかなりそうはない。

いずれにしても中国国内の開発は今後消極的になり、経済発展に取り残される人民が増加していく。自己資本を持たない貧乏人、若者、地方などの格差がどんどん広がっていっていくだろう。ただ貧富の格差なんてものは、中国では今に始まったことではなく、中国だけではなくアメリカも同じ状況で、アメリカもなんだかんだ言って全然暴動や革命が起こる気配は無いのだから、中国も、中国人全体が繁栄しているうちはなんとかもつのではなかろうか。貧乏人がいたら革命になるのであれば中国の王朝なんてどれも五十年とはもつまい。