草枕2

先日、漱石は

自分の詩を自分の小説の中に入れて抱き合わせにして人に見せたりすることもできたろう

などと書いたのだが、気になって『草枕』を読んでみると、実は漱石は自分の漢詩を『草枕』に埋め込んでいたのだった。

出門多所思 門を出でて思ふ所多し
春風吹吾 春風、吾が衣を吹く
芳草生車轍 芳草、車轍に生え
廃道入霞 廃道、霞に入りて微かなり
停筇而矚目 筇(杖)を停めて目を矚(そそ)げば
万象帯晴 万象、晴暉(明るい青空)を帯ぶ
聴黄鳥宛転 黄鳥の宛転たる(ウグイスのなめらかな声)を聴き
観落英紛 落英の紛霏たる(花が散り乱れる)を観る
行尽平蕪遠 行き尽くして平蕪遠く
題詩古寺 古寺の扉に詩に題す
孤愁高雲際 孤愁、雲際に高く
大空断鴻 大空、断鴻帰る
寸心何窈窕 寸心、何ぞ窈窕たる (自然の景観に対して自分を卑下する意味か)
縹緲忘是 縹緲(広く果てしない)にして是非を忘る
三十我欲老 三十にして我、老いむと欲す
韶光猶依 韶光、猶ほ依依たり(うららかな春の日差しがなごりおしい)
逍遥随物化 逍遥して物化に随(したが)ひ
悠然対芬 悠然として芬菲(草花の香り)に対す

春興

ああ出来た、出来た。これで出来た。寝ながら木瓜を
て、世の中を忘れている感じがよく出た。木瓜が出なくっても、海が出なくっても、感じさえ出ればそれで結構である。と
うな
りながら、喜んでいると、エヘンと云う人間の咳払
せきばらい
が聞えた。こいつは驚いた。

この無邪気な自画自賛ならぬ自詩自賛は微笑ましくすらある。

漱石は売れっ子作家になって、そろそろ自分の「地」を出してもよかろうかと思い、詩を披露した。しかるにおそらく、その評判は決して良くはなかっただろう。世間が漱石に求める「文学的役割」から離れすぎていて、反発をくらったと思う。なんだその、盆栽をいじり詩吟をうなる年寄りのような趣味はと言われたに違いない。詩のできもあまり良いとはいえない。

「聴 + 黄鳥 + 宛転」「観 + 落英 + 紛」などは変則的だし、「停筇 + 而 + 矚目」のように「而」を長さ合わせに使うのはあまりかっこよくない。押韻はしているが平仄はけっこういい加減。たとえば「三十我欲老」は平仄仄仄仄だし、「韶光猶依依」は平平平平平。実際若い頃(三十才くらい?)の作なのかもしれない。こうなってくると本職の漢詩人からはヤイヤイ言われて漱石はけっこうへこんだかもしれない(※追記。岩波文庫「漱石詩注」p.66に五言古詩として載る。つまり平仄は守らなくてよく、2 + 3 のリズムも守らなくてよい、ということか。18行というのも変則的。一韻到底は守っている)。

私も『安藤レイ』や『紫峰軒』に自分が作った漢詩をしれっと入れたりしたので、漱石の気持ちはよくわかる、つもりなのである。まあ私は売れっ子作家ですらないが。

古寺の扉に詩を書き付けるというのは、そんなヤンキーみたいなことして良いのかなと思ってしまうが、題壁(壁に題す)というのはよくやられることのようだ。もしかすると「題詩古寺壁」としたかったのかもしれないが、それでは韻が踏めぬから「題詩古寺扉」としたのかもしれない。

老人が紫檀したんの書架から、うやうやしく取りおろした紋緞子もんどんすの古い袋は、何だか重そうなものである。
「和尚さん、あなたには、御目にけた事があったかな」
「なんじゃ、一体」
すずりよ」
「へえ、どんな硯かい」
山陽の愛蔵したと云う……」
「いいえ、そりゃまだ見ん」
春水の替えぶたがついて……」
「そりゃ、まだのようだ。どれどれ」
 老人は大事そうに緞子の袋の口を解くと、小豆色あずきいろの四角な石が、ちらりとかどを見せる。
「いい色合いろあいじゃのう。端渓たんけいかい」
「端渓で鸜鵒(くよく)眼がここのつある」
「九つ?」と和尚おおいに感じた様子である。
「これが春水の替え蓋」と老人は綸子りんずで張った薄い蓋を見せる。上に春水の字で七言絶句しちごんぜっくが書いてある。
「なるほど。春水はようかく。ようかくが、しょ杏坪の方が上手じょうずじゃて」
「やはり杏坪の方がいいかな」
山陽が一番まずいようだ。どうも才子肌俗気があって、いっこう面白うない」
「ハハハハ。和尚おしょうさんは、山陽きらいだから、今日は山陽ふくを懸けえて置いた」
「ほんに」と和尚さんはうしろを振り向く。とこ平床ひらどこを鏡のようにふき込んで、錆気を吹いた古銅瓶こどうへいには、木蘭もくらんを二尺の高さに、けてある。じくは底光りのある古錦襴こきんらんに、装幀そうてい工夫くふうめた物徂徠大幅たいふくである。絹地ではないが、多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく、紙の色が周囲のきれ地とよく調和して見える。あの錦襴も織りたては、あれほどのゆかしさも無かったろうに、彩色さいしきせて、金糸きんしが沈んで、華麗なところが滅り込んで、渋いところがせり出して、あんないい調子になったのだと思う。焦茶こげちゃ砂壁すなかべに、白い象牙ぞうげじく際立きわだって、両方に突張っている、手前に例の木蘭がふわりと浮き出されているほかは、とこ全体のおもむきは落ちつき過ぎてむしろ陰気である。
徂徠かな」と和尚おしょうが、首を向けたまま云う。
徂徠もあまり、御好きでないかも知れんが、山陽よりは善かろうと思うて」
「それは徂徠の方がはるかにいい。享保頃の学者の字はまずくても、どこぞに品がある
広沢をして日本の能書のうしょならしめば、われはすなわち漢人のせつなるものと云うたのは、徂徠だったかな、和尚さん」
「わしは知らん。そう威張いばるほどの字でもないて、ワハハハハ」
「時に和尚さんは、誰を習われたのかな」
「わしか。禅坊主ぜんぼうずは本も読まず、手習てならいもせんから、のう」
「しかし、誰ぞ習われたろう」
「若い時に高泉こうせんの字を、少し稽古けいこした事がある。それぎりじゃ。それでも人に頼まれればいつでも、書きます。ワハハハハ。時にその端渓たんけいを一つ御見せ」と和尚が催促する。
 とうとう緞子どんすの袋を取りける。一座の視線はことごとくすずりの上に落ちる。厚さはほとんど二寸に近いから、通例のものの倍はあろう。四寸に六寸の幅も長さもまずなみと云ってよろしい。ふたには、うろこのかたにみがきをかけた松の皮をそのまま用いて、上には朱漆しゅうるしで、わからぬ書体が二字ばかり書いてある。
「この蓋が」と老人が云う。「この蓋が、ただの蓋ではないので、御覧の通り、松の皮には相違ないが……」
 老人の眼は余の方を見ている。しかし松の皮の蓋にいかなる因縁いんねんがあろうと、画工として余はあまり感服は出来んから、
「松の蓋は少し俗ですな」
と云った。老人はまあと云わぬばかりに手をげて、
「ただ松の蓋と云うばかりでは、俗でもあるが、これはその何ですよ。山陽が広島におった時に庭に生えていた松の皮をいで山陽が手ずから製したのですよ」
 なるほど山陽俗な男だと思ったから、
「どうせ、自分で作るなら、もっと不器用に作れそうなものですな。わざとこのうろこのかたなどをぴかぴかぎ出さなくっても、よさそうに思われますが」と遠慮のないところを云って退けた。
「ワハハハハ。そうよ、このふたはあまり安っぽいようだな」と和尚おしょうはたちまち余に賛成した。
 若い男は気の毒そうに、老人の顔を見る。老人は少々不機嫌のていに蓋を払いのけた。下からいよいよすずり正体しょうたいをあらわす。

漱石があからさまに荻生徂徠を持ち上げて頼山陽をこきおろしている箇所。「一座」とあるが、僧と老人と若者と一人称の主人公の四人くらいが会話している。春水は山陽の父。杏坪は春水の弟で、山陽の甥。広沢とは江戸初期の書家、細井広沢のことであるらしい。とにかく漱石は山陽の俗で才気走ったところが気に入らない。上方の俗儒が嫌いで、下手でも「品がある」江戸の官儒が好きなのだ。「多少の時代がついているから、字の巧拙に論なく」とはつまり古いものだから文字の良し悪しなど論じるまでもないなどと言っているからには決して字がうまいと褒めているわけではないのである。もともとそれほど「ゆかしい」ものではなかったけれど経年変化のために派手さがなくなり渋さが増して良くなった、などとも言っている。とんだ骨董趣味だ。それはそのまま漱石本人の趣味でもある。彼は通俗小説は書きたくないのである。「草枕」のような漢学の蘊蓄を語りたいのだ。素人が自分で作るなら下手に巧まずに不器用に作れ、とまで言っている。

思うに漱石はかつて熊本を旅行したときの体験を小説に仕立てようとして、そこになにやら怪しげな女の話やら、西洋文学の話題などを入れて通俗小説を書いてもらいたい新聞の編集者のリクエストに応えつつ、自分の漢詩趣味をむりやりねじ込んでこの「草枕」を書いたのではなかったか(英詩や俳句などをちりばめたのは照れ隠しか目くらましだったのではないか。)。しかし世間は漱石にそんなものを期待してはいなかったのである。新聞の娯楽小説でなければバタ臭い西洋風な小説を書いてほしかった。

東向島

台東区には台東区の巡回バスというものがあり、墨田区には墨田区の巡回バスというものがあるが、隅田川を挟んで墨田区と台東区を行き来するバス路線がまったくと言って良いほどない。たとえばだが、白鬚橋を渡って東向島、曳舟、押上を経て、言問橋を渡って鶯谷、三ノ輪へ回ってまた白鬚橋に戻るのような巡回バスがあると非常に便利だと思うのだが。

ともあれ、浅草から白鬚橋を渡り鐘ヶ淵から東向島あたりを散策してみた。

鐘ヶ淵は墨田区というより南千住、北千住あたりと雰囲気が近い。かなりさびれた感じ。東向島は比較的栄えていて、東武博物館などもあり、路傍に鉄道車両などが展示されていて、なにやら楽しげな町だ。まいばすけっとがあちこちにあったのでカラヒグ麺の在庫も確認してみた。あまり売れてなさそうだった。私がこれまでみた限りでは雷門のまいばすけっとが一番賞味期限が新しい。やはりあのへんがよく売れているのだろう。

隅田川神社はもとは水神と呼ばれて、もっと木母寺の近くにあったらしい。今の隅田川神社は隅田川の間に高速道路が走っていてまったく情緒が無い。木母寺には初めて来たんだと思うんだが、なかなかすごいところだった。

謡曲「隅田川」は世阿弥の作とも、世阿弥の子の観世元雅の作とも言われる。後崇光院の「看聞日記」にも演じられたと記載があるという。世阿弥、観世元雅、後崇光院はほぼ同じくらいの時代の人。将軍でいうと足利義教くらい。

一人子が人商人(ひとあきびと)に誘われて東国に下ったと聞いて、京都北白川に住んでいた女が物狂いとなって隅田川の渡しまでやってきた。

我もまた いざこと問はむ 都鳥 いざこと問はむ 都鳥 我が思ひ子は 東路に ありやなしやと 問へども問へども 答へぬは うたて都鳥 鄙の鳥とや いひてまし

ここ隅田川の渡しの地の人が言うに、「人商人の都より、年のほど十二、三ばかりなる幼き者を買ひ取つて」陸奥へ連れて行こうとしたが、馴れぬ長旅に疲れたのか病んで一歩も歩けなくなり、この地にひれ伏して、商人はその子を見捨てて陸奥へ下っていったという。その子は父には先立たれて母と二人で暮らしていたが、商人にかどわかされた、都の人が通りがかるのを見たいのでこの道ばたに埋めて目印に柳の木を植えてくれと遺言して死んだという。謡曲「隅田川」の中には

たづねきて 問はば答へよ 都鳥 すみだ川原の 露と消えぬと

という辞世の歌は見えない。梅若丸という名は出てくる。物狂いした母が子の死を知って出家し、妙亀尼と名乗ったという話も出て来ない。出家前の名、花御前という名も出て来ない。

木母寺に伝わる徳川家綱の時代に成立した「梅若権現御縁起」に梅若の父の名は吉田少将惟房、その妻は花御前、近江国坂本の日吉山王に願掛けして梅若が生まれる。梅若五才の時に父が死に、七才の時に比叡山月林寺に入る。おなじく稚児の松若丸との稚児争いで山道に迷い、人買いの信夫藤田というものにかどわかされる(信夫(しのぶ)というのは奥州の地名であろう)。梅若を葬ったのは忠円阿闍梨という僧侶、などとかなり詳しくいきさつが記されているらしい。花御前は梅若の塚の側に庵を建ててそこに住んで梅若を供養していたが鏡が池に入水して死んでしまった。死体を載せた亀が浮いてきたので、忠円阿闍梨が墓を建てて妙亀大明神として祀ったのだそうだ。

稚児争いとか僧侶と稚児の関係などあやしげだが、要するに比叡山で起こった痴話喧嘩のために梅若丸ははめられて陸奥に連れ去られてしまった、陰湿ないじめや抗争のようなものがかつては良くあって、それが伝説として残り、謡曲となった、のかもしれない。

ともあれこの梅若伝説というものはいろんな形のいろんな言い伝えがあって江戸時代になって余計に手が加えられているらしく、誰かがきちんと総括したほうが良いんじゃないかと思った。そういう論文が既にあるのかもしれんが。

天下之糸平の石碑は実際に見てみなくては大きさが良くわからないと思うが、とにかくめちゃくちゃでかい。畳でいうと10畳くらいの広さ。それが5.45m × 3.6m でどーんと建っている。

初代三遊亭のために山岡鉄舟が揮毫したという石碑も、くねっとした形で、なんかあかちゃけてて味がある。

Instagram を使ってみたのだが、みんなスマホでしかやらないせいかしらないが、PC版(Web版)だとどこをどういじっていいのかよくわからない。ストーリーとか作れないんじゃないかと思う。ストーリーを作れないとハイライトも作れないらしいんだが、スマホで作業する気は1ナノメートルもないので、やる気が起きない。

その上、Web 版でブックマークしようとするとタイトルがバグるので余計につかいにくい。とにかくInstagramは自分がみたいものをすぐにみることができないし、レイアウトしたいようにもできないし、Instagramすらつかいこなせないのかとはがゆくなるが、私の場合は結局wordpressで物を書いて写真を載せた方がずっと気が楽だということがわかった。

人商人というのは漱石の「坑夫」に出てくる周旋屋のことだろう。日本にはずっとそうやって孤児などを拾って売り飛ばす商売人がいたものとみえる。

東向島から東武で浅草へ戻る。向島で飲むときは一軒に限る。どうせ浅草に戻ってきてもう一軒くらい行きたくなるのだから。ましかし大人しくタクシーで帰るというのも悪くはない。せいぜい1500円か2000円で帰れるのだから。

浅草の某商店街は雑貨屋も飲食店も道にはみ出して品物を並べたり椅子やテーブルを置いたりして、それを観光客が立ち止まってぼーっと眺めていたりして、そうすると余計に人だかりがして、自転車が大量に路駐してたりしてまさにカオス。歩きにくくて仕方ない。駅に急いで行こうとするときなど非常にイライラする。ここを避けて裏道を通るしかない。あといまだに「コロナ対策にご協力ください」などとアナウンスするのはやめてほしい。

入谷

浅草の中心部、浅草観光ゾーンにはやはり平日であろうとできるだけ近寄らないほうが良い。駅を出てあちこち買い物して帰ろうとするとかなり高い確率で精神を病む。人通りの多い道を避けて路地に入ると某町会事務所の前に灰皿が設置されていて堂々とタバコを吸っている。路地を通り抜ける歩行者には迷惑千万だ。もしかすると私道だから行政が口出しできないのだろうか。台東区にはこういうのを取り締まってほしいが、鶯谷駅北口ですらガンガン路上喫煙しているから、まったくやる気が無いのだろう。

雷門の某スーパーは刺身や魚類の品揃えが良いのだが、入り口付近に異様に動きが緩慢でうろうろいったりきたりする方々が滞留しているのでやはりメンタルをやられる。

とにかく浅草というところは自転車の危険走行が多すぎる。最近私が一番あぶなかっかしいと思うのは黒くてタイヤが太い電動自転車で、どうもレンタル自転車らしいんだが、あれが後ろからスピードを落とさずすり抜けていく。さっさと規制されればいいのに。

それで、浅草の周辺部、入谷とか山谷とか向島辺りは比較的平和でのんびりしているから、そういうところで極力日常の用を足すのが良さそうに思えてきた。入谷には花正も稲毛屋もあるし、まいばすけっともあるし、小さいけどダイソーもあるし、ココスナカムラという謎のスーパーもある。精神衛生上、入谷に軸足を移そうかな。浅草にはどうしてもいかなきゃいけないことがあるときだけ行くことにして。

曳舟

土日浅草は日本人だけでなく外国人もなぜか多くて、旅行中の外国人なら平日にくりゃいいじゃんと思うのだけども、ともかく土日は浅草の喧噪を避けて向島辺りを散策すると良いのではないかと思っている。

「天下の糸平」の話が内村鑑三の「後世への最大遺物」に載っていて、

有名な天下の糸平が死ぬときの遺言
ゆいごん
は「己れのために絶大の墓を立てろ」ということであったそうだ。そうしてその墓には天下の糸平と誰か日本の有名なる人に書いてもらえと遺言した。それで諸君が東京の
うし
御前
ごぜ

ってごらんなさると立派な花崗石
かこうせき
で伊藤博文さんが書いた「天下之糸平」という碑が建っております。それは、その千載にまで天下の糸平をこの世の中に伝えよというた糸平の考えは、私はクリスチャン的の考えではなかろうと思います。

なんてことが書かれているのだが、これを読んだのは長崎県の某中学校の図書館で、私が中学2年か3年の時のことだと思うから、以来もうずっと、45年間も「天下の糸平」のことが気にかかっていたというわけになる。

「牛の御前」とはおそらく牛嶋神社のことであろう。糸平の石碑があるのは牛嶋神社よりずっと川上にある木母寺である。ウィキペディアなど見ると天下の糸平こと田中平八(屋号が「糸屋」、糸屋の平八で糸平と呼ばれたらしい)の次男が成島柳北の娘と結婚したなどと書かれていてへえっと思う。ともあれ明治の頃には有名な大富豪だったのだろう。以前この辺りは散歩に行って隅田川神社などは見たことがあったが木母寺には行ったことないんで今度行ってみよう。

クリスチャン的であるかどうかなんてことはともかくこうした馬鹿でかい墓を作りたがった人は他にもおおぜいいたらしく、そうした墓石を谷中霊園にいくといくらでも見ることができる。

正岡子規は20才の頃に長命寺桜餅山本屋に下宿していたことがあるから、この辺りの地名をいくつも歌に詠み込んでいる。以下は全部子規が詠んだ歌。

(ゆき)(うち)(さ)くも(みさを)(うめ)(わか)(な)のみ(さくら)(きみ)(こ)ふらむ (梅若寺。木母寺の別名)

「雪の中に 咲くも操や 梅若は」まではなんとなくわかるが「名のみ桜を 君や恋ふらむ」は何を言っているのかわからん。春は名のみで、まだ梅が咲き雪が降っている、あなたは早く春になって桜が咲かないかなと思っている、というような意味だろうか。

木母寺は梅若丸が死んだ場所だとされて梅若寺ともいう。梅若丸って誰かというと、室町時代に「隅田川」という猿楽が作られてその主人公が梅若。彼は京都の公家の子で人買いにさらわれた。病気になって捨てられ、隅田川のほとりで死んだ。現地の人が弔って、遺言によりその墓に柳を植え、それから一年が過ぎて一回忌の念仏を唱えるという日に、狂った女がはるばる京都から息子を探しにきて、それが梅若の母だった、という話。

何が面白いのかさっぱりわからぬが、ウィキペディアを読むと、家康が「梅柳山」という山号を与えたとか、近衛信尹が「梅」を「木」と「母」に分けて木母寺という今の名前にしたとか、ほんとかうそかわからぬが昔はそれなりに有名だったらしい。

(う)けぬとは (し)れども(いの)(み)めぐりや めぐり(あ)ひたし (わか)れにし(きみ) (向島三囲(みめぐり)社)

三囲社は墨田郷土文化資料館の近くにあるので、こないだ前をよぎった。

(ひと)(め)に かかるも(う)しや 牛嶋(うしじま)(いも)(われ)との すみか(さだ)めむ (向島牛嶋神社)

向島は濹東綺譚の舞台で、料亭や小料理屋などが点在していて浅草の観音裏に似た雰囲気もあり、昔はそれなりに栄えたのだろうけど、今は鳩の街通りなども閑散としているが、その分曳舟駅前がやや栄えている。向島の繁盛はすべてここ曳舟に吸い寄せられているように見える。浅草のように観光客でごった返すわけでもなくほどよく栄えていて良い感じがする。

吉川英治旧宅跡は今は墨田区立寺島保育園というものが建っている。

いづ(かた)も くもりなき(ひ)寺島(てらしま)(は)(ま)だになき (わ)(おも)ひかな (向島寺島町)

幸田露伴旧宅(蝸牛庵)跡は露伴児童遊園という公園になっていた。

向島にも見番(芸妓の組合)があった。

浅草は上野や御徒町、鶯谷あたりとひとくくりにされることが今は多いようだが、どうせ繰り出すなら反対の向島、曳舟へ行ったほうが楽しいと思う。押上やスカイツリーはどうしようもない。松屋浅草をエキミセ、スカイツリーをソラマチと言わせたがっているのは東武であろうが、こないだ初めて人がソラマチと言っているのを聞いた。調べてみるとほかにも東京ミズマチなるところがあるらしい。隅田川に架かる東武伊勢崎線(スカイツリーライン笑)の陸橋に沿って遊歩道(すみだリバーウォーク)が設けられており、そこからスカイツリーに続く北十間堀沿いの道のことをミズマチと言いたいらしい。

曳舟で飲み歩くのは楽しいが、結局、浅草に戻ってきても酔った勢いで何軒かハシゴしてしまい、おかげで二日酔いになってしまうのは非常にマズいのでなんとかしたい。

ウェブ日記回帰

トランプが発言するたびにニュースにするのはやめろなどと言っている人がいるが、そういう人はテレビを見るのをやめれば良いのにと思う。テレビをつけっぱなしにするというのは悪癖だ。いや依存症だ。依存症はれっきとした病気なので治療したほうが良い。そういう人が世の中にたくさんいるから人はますますヒステリックになっていく。

NYダウがじりじり下がっているのも、円がじりじり円高になっているのも、トランプが連邦政府の職員を大量解雇しているのも、アメリカがウクライナに金出したくないのもみんな当たり前のことではないか。おかしいのはヨーロッパだよ。ポーランドに核装備なんて、それこそ戦後秩序の破壊じゃん。ソ連がキューバに核を持ち込もうとしたことと何が違うのか。ロシアの日頃の行いが悪すぎるからヨーロッパが正しいようにみえるが、明らかにやり過ぎだ。

blueskyは左翼とバイデン支持者とトランプ嫌いと民衆党支持者しかいない。twitterはイーロンマスクが仕切っていて目も当てられない。もうね、SNSなんでみんなやめればいいんだよ、ブログ、いや、ウェブ日記の時代まで戻って、勝手に書きたいことを書けば良いだけなんじゃね?

自民党の党員が減ってるのは裏金疑惑のせいだっていうけど、政治献金すれば、それまで合法であったものまで裏金裏金言われるんじゃあ、怖くて献金もできなきゃ党員にもなれないよな。パーティー券買っただけで裏金って言われる、じゃあどうやって政治資金を集めて政党活動、政治家としての選挙活動をすりゃいいんだろう。

たとえば20万円未満のパーティー券購入は報告義務はないんだよね?でもそれまで裏金と言われちゃあ、私なら怖くてパーティー券なんて買えないよ。買う気はまったくないけどね。報告義務もなけりゃ法律で禁止もされてなくてそれまで慣習的に行われてきたことを過去に遡って裏金よばわりする。いったい誰が得するのか。

もちろん、20万円未満に小分けしてパーティー券を購入すれば匿名になるというのは法律の抜け穴だからふさいだほうが良い。しかし、その穴をふさぐまでは合法なのだから、裏金よばわりされるいわれはないよな?

ぎりぎりアウト

私は車というものには何の愛着も感じないほうであって、洗ってもまたすぐに汚れるのにみんなよく洗車なんかするなあと思い、隣の住人がときどき日曜日にケルヒャーなどで車を延々と洗っているのをああなんてやかましいと思っていらいらしたりもするのだが(ケルヒャーにしろ掃除機にしろ、或いは犬を飼うにしろ、本人はちっともうるさくない。赤の他人が一方的に騒音を聞かされるからうるさいのだ)、ベランダに置いた洗濯機の蓋が汚れているのを見ると、やはり拭いてきれいにしたくなるものであって、ああ車を洗う人もきっと同じような気持ちなんだろうなと初めて共感できた。

賃貸の共同住宅なんてものはどこに住もうが多かれ少なかれ不満があるものであって、便利なところに快適に住もうと思えばそれなりの対価を支払わなくてはならない、それが嫌ならなにがしか我慢をしなくてはならない。

今浅草で借りているこの部屋だが、ギリギリセーフとギリギリアウトの境目辺り、どちらかといえば限りなくギリギリアウトに近い。最近かなり気になるのは隣でトイレの水を流す音が丸聞こえなのだが、まあそれはしょうがないと諦めるとしても、その流れる時間が異様に長いのである。そんな大きな音ではないのだが、ちょろちょろちょろちょろいつまでも流れている。あれはいったいなんなのだろうか。たぶん配管が詰まっていて、少しずつしか水が排水されていかないせいだろうと思う。完全に詰まれば管理会社が修理してくれるのだろうが、中途半端に詰まっているから放置しているのだろう、などと思うと余計にイライラしてくる。

それで今回またしても水道工事を頼んだ。蛇口の水がなかなか止まらないという話を先にここに書いたが、この蛇口が途中で止まらずぐるぐるぐるぐる回転するようになってしまった。ある一定角度のところで(45度くらい)水はなんとか止まりはするのだが、そこを越してさらに回すと水がまたでてきて、45度辺りまでくるとまた止まるという謎仕様。

これはさすがに使いづらいにもほどがあるので電話して修理してもらうことにした。

私ばかりでなく、都会では、相当多くの人が不動産に不満を抱いたまま、そして通勤にいらだちながら暮らしているんだなあと思う。こんなことならきっと縄文人のほうがクオリティオブライフは高かったんじゃないか。

乾麺と生麺

米一袋5kgが4000円いや5000円するのが当たり前な昨今ではパスタ乾麺がたとえばトップバリュ1kgで250円というのはかなり割安。5kgでも2500円にしかならない。昔は確かに5kgで2000円の米というものはザラであった。10kgで3000円というものもあったように思う。しかし今なら、単に炭水化物を摂る目的ならばスパゲッティを食べる方が安そうだ。

一方で現在浅草あたりではカラヒグ麺というものが話題になっていてこれが2月5日からまいばすけっとで買えるようになって、私は結構買ってたべているし、人にあげたりして勝手に普及活動をしていたりする。

一袋2食199円というのは、安い。安いと思うのはたぶん錯覚で、1食分100円というのはカップ麺に比べれば安いが袋麺よりはやや高いかな?と思うが、最近は袋麺もそれなりの値段がするからなんともいえないかな。

生麺が特にうまいと思ったことはなかった。たとえば蕎麦を生麺と乾麺で食べ比べてみて割高な生麺が特別うまいとは思えなかった。そうして今まではできるだけ安い乾麺ばかり買って食べてきた。しかし今回、敢えて生麺を食べてみると似ているようでまったく違う食べ物であって、自分の中でいままで試したことのない新味がある。しばらくはパスタ麺だけでなく蕎麦なんかも生麺で食べてみようと思う。

カラヒグ麺はかなり面白い。塩気がもともとかなり含まれているので、(乾麺の蕎麦のように)ゆでた後でいったん水洗いするならともかく、味付けにはかなり気をつけたほうが良い。ゆでて湯切りをせずそのままスープをからめていくやり方だと、麺からかなりぬめりが出るようだが、そのぬめりに塩気が留まってかなり塩辛くなる。早ゆで2分と袋には書かれているが、1袋に2玉入っていて1玉が生麺で130gであるから2玉くらい余裕で食べられるんじゃないかと思ってたべるとかなり弾力があって顎が疲れてくる。多くの人にとっては少し長めにゆでたほうがちょうど良い固さなのではないかと思う。

ともかくいろんな意味でこのカラヒグ麺というものは食感が独特で、敢えて食べてみる価値は十分にあると思う。

カラヒグとはカラスと樋口という二人の人が作ったのでそういう名前なのだそうだ。

カラヒグ麺、中野新橋のまいばすけっとでは、賞味期限がどんどん新しくなっているので、結構回転しているようだ。しかし町田のまいばすけっとで買ったときは中野新橋よりも後で買ったのに賞味期限は古かった。やはり都心のほうがこうい新しいものに関心が高いのではなかろうか。

カルボナーラには良く合うと思う。ボンゴレビアンコもうまい。まだ試してないがミートソースにはきっと合うと思う。あっさりしたボンゴレを食べたければ湯切りもしくは水洗い(と温め直し)をちゃんとしたほうが良い。

ざるそばのような食べ方もしてみたのだが、これだと小麦粉そのものの味わいを試せるということはあるのだが、めんつゆとはほとんど絡まないような気がする。あんまり相性は良くない。食感は餅に近いので、砂糖醤油で食べると案外うまいのじゃないかと思っている。

ラオタ界隈では浅草開化楼はかなり有名なラーメン屋で、ここでこのカラヒグ麺は使われているそうだ。私はラーメン屋にはほぼまったく行かないのでよくは知らない。浅草地下街のニュー小江戸の焼きそばにも使われている。この焼きそばは(以前にも書いたかもしれないが)、最初食べたときは固くて焦げててなんてたべにくい焼きそばだろうかと思ったのだが、食べ慣れてみるとほかの焼きそばはもう食べ応えがなくて焼きそばを食べた気になれなくなるというしろものだ。初心者には敷居が高いが、何度も食べているとそのうちはまる。

浅草あるあるのトラップ

2週間ぶりくらいに浅草に戻ってきた。まず錦糸町のダイソーに寄って 80cm x 29.5cm のワイヤーネットを3つ、それからワイヤーネット用のフックを数個買う。ここのダイソーはアルカキット錦糸町という駅前のビル(北口から出て左すぐ)の7Fワンフロアぶち抜きの超巨大ダイソーで、東京観光のついでに立ち寄ってみる価値はあるっていうくらいのものすごい品揃えである。グーグルマップでダイソーを検索すると浅草にもあるし入谷にもあるしスカイツリーにもある。しかしながらこれらのダイソーはどこも小さい(品揃えが悪い or 売り切れが多い)。これらの地域から錦糸町に行くのはそんな難しいことではない。オンラインのダイソーにはあるが普通の店舗にはないっていう品が錦糸町に行けば必ずあるらしい(オンラインの在庫はここ錦糸町で管理しているのではなかろうか)。なら最初から錦糸町にいけよって誰か教えてあげたほうがよくないか?

錦糸町は以前来た時はめちゃめちゃタバコ臭かったのだが、競馬の日であったか。錦糸町にもウインズはあるんだよな。ドンキホーテが外装をまったくリフォームしてないのが潔い(逆に浅草のドンキはとてもあざとくおしゃれだ。入り口に水槽なんかあったりして)。しかしながら平日の駅北口辺りは普通にきれいで臭くもない。JRから押上方面への乗り換えが驚異的にわかりにくい。この町で観光客が乗り換えなどに使うことがないからであろう。グーグルマップを見ると街の東側を南北に通っていることがわかるから、多分こっちの方だろうと見当を付けていけば果たしてそこにある。ともかく半蔵門線に乗り換える。昔東急沿線に住んでいた私にとって、こんなところで半蔵門線にでくわすのは意外だ。

スカイツリーと言ったり押上といったり非常にややこしい。最初から押上塔とかそういう名前にしておけばよかったのに。アーバンパークラインとか高輪ゲートウェイとか師根と思う。私としては都営ではなく東武に乗り換えたかったのだが、なぜか東武のスカイツリー駅へ乗り換えるのが異様にややこしい。そもそも東武にはスカイツリー駅と押上駅があって、なぜか離れて作られていて連絡も悪い。頭おかしい。スカイツリー駅から浅草駅にいくことはできても、東武押上駅から東武浅草駅に行くことができない(曳舟まで戻る必要がある)。こんなルーティングを考えた人は世の中を舐めているとしか思えない。何か正当な理由でもあるのだろうか。大江戸線の都庁駅乗り換えくらい理不尽だ。いやしくも公共交通機関ともあろうものがこんな恣意的な設計をして良いのだろうか。罰則はないのだろうか。向島辺りを散歩して曳舟から浅草に戻ろうとしてえらいハマったことがあった。地元の人には当たり前のことでもよそから迷い込んできた私などには行政の怠慢と鉄道会社のエゴの合作にしか思えない。

浅草駅というものも非常に複雑怪奇である。浅草駅9番出口という脱出ゲームができるくらいである。銀座線の改札があちこちにあって、それぞれ別々の出口、別々の路線につながっていて、それらの間には連絡が無い。最初に銀座線ができたんだろうね。銀座線ホームを中心にしてタコの足のように分岐しているのだ。こんなわかりにくい駅はそう無いと思う。銀座線と東武の接続はそれら分岐の一つに過ぎず、その途中に盲腸のように付随している浅草地下街に行くには、結局一旦地上に出た方が早いということになる(地上も五叉路になってるから余計歩きにくい。そもそも浅草は五叉路が多すぎる)。都市デザイン的には非常に面白い話題だと思うのだが、こういうことは地球の歩き方浅草編などに書かれているのだろうか。

浅草界隈でいろんな飲み屋を開拓してみたものの通いたいと思える店は3、4軒くらいに絞られてきた。まあそりゃそうだよな。良い店でも客がみんなタバコ吸う店はやっぱ嫌だ。こんだけたくさん店があるんだから、わざわざ人のタバコの煙を吸わされる店に行く必要はない。浅草は田舎の場末感のある閑散とした平日が良い。店も土日と違い、平日はまったくやる気がないのが良い。平日はもう最初から諦めてる。

チェーンの店としては、まずほていちゃん。そして鳥椿。ここらで下地を作って夕方から個人経営の店をひやかしてそのまんま帰宅する、というのがよかろうと思う。そういえば未だに神谷バーには行ったことがない。わざと避けているのではないが行きたい気持ちが起こらないしいつでも行けると思うといつまでたっても行かない。そういえば東京ディズニーランドにも一度も行ったことがない。ユニバーサルスタジオならロサンゼルスで行ったことがある。ハウステンボスならけっこう行ったことある。

浅草で牡蠣を食べたい人は、六区通りにある宮城直送 かきほや飛梅 浅草店の16:00~18:00のカッキーアワーにいくと良い。牡蠣もホヤも半額で食べられてめちゃめちゃお得。全席禁煙。

ホッピー通りの店もいくらかは禁煙らしいので、割高とは聞くが、実際に行って調べてみる価値はあるかもしれない。

浅草あたりにはまだ鳥刺しやレバー刺しを出す店がけっこうある。私は昔上福岡で食べたことがある。たしか新宿三丁目にもあったから(いや高島平だったかな?)、平成の頃はまだ普通に食べられていたのだ。今食べるのはけっこう怖い。鶏や牛をわざわざ生でリスクを冒してまで食う必要あるかとは思う。

ワイヤーネットは窓枠にぴったりはまる大きさのものをわざわざ買ったのだ。やはりちょうどよかった。これでいろんなものを窓にぶらさげることができる。吊るせるものはなんでも吊るしたがる病気にかかっているので気持ちよい。片付く。

郵便受けに入るチラシだが、公明党、幸福の科学などが多い(笑)。浅草ならではなのだろうか。自民党のチラシもある。よそものには何もかも珍しい。

流しの水道の蛇口が古くて思い切りひねらないと水がとまらない。中途半端だと水がずっとぽたぽたたれて止まらない。思い切り締めると今度は開けるのに力が必要になる。金を払っても良いから大家に蛇口を交換してもらいたい。とりあえず不動産屋に相談してみるか。

世の中ものはすべてなんでも少しずつ改良が加えられて便利になっていっている。逆にいえば時代をさかのぼるほど少しずつ不便になっている。この建物もずいぶん古い。雨戸に隙間があって何の役にもたってない。サッシごと交換してペアグラスとか二重窓にでもしてくれりゃいいんだが賃貸にそんな贅沢は望めまい。

吉原の真ん中にビッグエーがあるためにしばしば吉原に通っているが、とにかく迎車(いかついワンボックスカー。白か黒。固有名詞で言えばアルファード)とタクシーが多い。ひっきりなしに入ってきては出ていく。横断歩道の手前で信号待ちしていると、横断歩道の途中からタクシーが左折してくるから右の方へよけなくてはならない。何から何までタクシーが幅を効かせているところだ。客が豪遊しにくるから運転手も気が大きくなるのだろう。ビッグエーがあるから仕方なく来ているがあまり来たくはないところだ。「神明 精米 あかふじ いつものお米 5kg」という謎のミックス米を買ってみる。ヨドバシで買うと税込みで4050円するらしいが(但し現在販売休止中)それよりは少し安く買えた。

ビッグエーはシャンプーやボディソープは手薄なので吉原からほど近いココカラファインに寄り、マツキヨオリジナル1000ml詰め替え用を買う。ボディソープやシャンプーなんて安くてふつうに洗えりゃいいんだよ、と思うが、一般人はどう思っているのだろうか。別に知りたくもないが。

あかふじ米ふつうにうまいと思う。一つの発見。どうも米はビッグエー信用すれば良いって思えてきた。

年を取ると楽しみが減るということ

もう10年くらい前から本屋に行っても本を買いたいという気にならない。今はこんな本が流行ってるのかーとか、こいつずいぶん書き散らかして売り散らかしてるんだなーとか、出版界の市場調査しているような気分になるだけで、本を買ってそれを自分の所有物にしようという気がおこらない。呉智英も本を買うと家が狭くなるから買わない、図書館で借りてくる、などというようなことを言っていたと思うが、もちろんそれもそうで、あーこの本欲しいなと思っても、その本を読んでいる自分を想像して、でもこれ国会図書館デジタルコレクションにあるからわざわざ買う必要ないよなとかまず思ってしまう。

デジタルコレクションにないような今の一番新しい本で買っておこうという本がない。あるとしてもすでに買ってしまっていたりするんだよね。

年度末には予算消化で多少無理して本を買ったりもしていたが今はそれすらない。

街の本屋で本を買うということは、自分の意志と判断で本を選んで買っているようで実は単にコマーシャリズムに負けて、出版社や本屋の営業の力に負けて、本の対価を支払わされているだけなのだ。実際本屋に並んでいない、市場に流通していない本をあえて入手して読もうと思うととたんに、ただ本を入手するというだけでとんでもない労力とコストが発生してしまう。街中の本屋に並んでいる本のどれかを適当に買うってのはとても受け身で楽なことで、コンビニでなにかものを買うのと本質的に何も違わない。テレビに勝手に流れてくる映像を見ているのと何も変わらない。

地方自治体の図書館だってそうだよ。利用客が減ると税金の無駄遣い呼ばわりされるからあれこれ工夫して本を読ませようとしているが、人から読まされる本なんてたいてい価値はない。そんなことを司書が知らないわけがない。

若いうちはまだ良い。知識や経験が足りないからお仕着せの本を読んでもまだ身になる。商業資本に毒されていようが、なんでも手当たり次第に読むというのも一つの手だ。

年をとると本屋に行っても時計を見ても、茶碗を見ても、あーもうこういうの持ってるし、服にせよ靴にせよなんにせよこれ以上買うとおんなじのばっかり家にたまっていくから買わない、となる。若い頃はそんなことはなかった。とりあえず、あ、これほしいと思えば買っていた。買うことができた。品物をそろえることで生活を豊かにしていくことができた。今はもう、何も買わなくてもなんとかなる。食べ物や酒にしてもそうで、別に今日酒飲まなくてもいいやと思いつつ、夕方になるとほかにすることもないので惰性で酒を飲んでしまいこれじゃいかんなと思う。浅草に部屋借りてしばらくは店を新規開拓して、それなりに楽しかったのだが、それが落ち着くと逆に、千束通りあたりで適当に買った惣菜で済まして、何もせず部屋でぼーっとしてようかな、などと思う。

ともかくものを買う楽しみというものがない。観光地に行っても土産物を買おうという気にならない。最近はちょっと梅干しとか沢庵に凝ってたがそれももうマイブームは去った。入院手術も終わって、新しい役職に就いて一年経ったからとりあえずルーチンワークは落ち着いたし、本の執筆も終わったし、正直何をやれば良いかわからん状態。人生デジャブだらけ既視感だらけになって、それもうやったことあるよな、やる必要ないよなってことばかり。みんなよく生きるのに飽きないよな。ここにこんなことをうだうだ書いているのも、ほかにやることないっていう証拠だ。